第81話 定期総会(3)
セシリア子爵夫人は、顔と手を真っ白にして
殺気はおろか、呼吸している気配すら全く感じないが、激怒している時のサインだ。
先程からの、アレンの合格を疑う発言に加えて、今の自分の報告を、不正と断定したような物言いは、この妻が最も怒るポイントを的確に突いている。
いきなりポッと出の子爵家が、Aクラス合格者など出したのだから、上位の貴族から風当たりが強いというのは予想していたが、ここまで剣吞にされるとは…
ベルウッド子爵はいくら馬鹿にされようとへのカッパであるが、万が一、この妻がー
……だから隅っこの方で大人しくしておるつもりだったのにと、ベルウッドは心の中でため息をつき、話を逸らした。
「これは、一介の田舎農家に毛が生えたような研究者に過ぎんわしが、調子に乗りすぎましたかな、わっはっは!
もちろん、わし自身満足のいく成果が出ていない以上、追加の研究費を無心する、などという、恥知らずな真似は致しますまい。
おっとそういえば、先程、アベニール伯爵家にわしが泥を塗ったと閣下がおっしゃられましたが、もしやうちのアレンがなんぞ失礼でもしましたかの…?」
この発言に、アベニール伯爵夫人がキッとベルウッドを睨みつけた。
「随分と白々しい事をおっしゃいますのね。
初春の王都での社交では、子息はEクラスでの合格も危うい、などと報告しておりましたのに、蓋を開けてみればうちのパーリちゃんよりも上の騎士コース序列4位でのAクラス合格。
しかも初日の授業で、皆の前でうちの子をコテンパンにやっつけて、踏み台にしたという話ではないですか。
一体どういうおつもりなのでしょう?」
ニックス・アベニール伯爵は慌てて妻を嗜めた。
「これ。
その話は、パーリ本人から自分の実力不足だと報告が来ておるだろう。
確かにロヴェーヌ家の事前の報告内容には納得のいかん部分もあるが、模擬戦自体は卑怯な手を使われたわけでも無いのだから、潔く負けを受け入れるのも武家の嗜みぞ」
「あなたも今朝までは、山師の化けの皮を剥ぐとおっしゃっていたではありませんか!
聞けばアレン・ロヴェーヌは明らかに槍を想定した訓練をした形跡があったとの事。
なぜ入試の科目にも無い槍対策の訓練などなされたのでしょう。
お嬢様にも気に入られているようですし、随分と周到な計画がおありでしたのね?」
この皮肉のたっぷりと籠った伯爵夫人の言葉に、ベルウッドはしどろもどろに答えた。
「アレンが槍相手の訓練ですか…
はて、わしにも心当たりがありませんの。
何かの間違いでは…?」
この言い訳に伯爵夫人は『ふんっ、どこまでも白々しい』と顔を背けた。
「……あなたはアレンの王都への護衛にディオを付けたのでしょう。
ディオはそこそこ使います。
その道中に手解きを受けたのでしょう」
セシリアは真っ白な手のままで、平静に補足したが、伯爵夫人はキッとセシリアを睨みつけ、皮肉げな笑みを浮かべた。
「アベニールの家始まって以来の天才、と言われるあの子がコケにされるほどの訓練を、旅のついでにそこそこの護衛が施したのですか。
噂の家庭教師といい、まるで天から人材が次々に降ってくるようですわね。
何て羨ましい事!」
「これ!
例えどんな経緯があろうと、負けは負けだと言うておる。
ましてや、その模擬戦には国の英雄、『仏のゴドルフェン』が立ち会ったというのだから、不正が入り込む余地などある訳がない。
お前がここで負け惜しみを言えば言うほど、パーリが惨めになるのだから、その辺にせい」
ニックスは、理路整然と妻を嗜めたが、子の事を思い感情的になっている母親に、理屈を捏ねても無駄である。
「貴方は悔しく無いのですか?!
あの子が、お嬢様を隣で支える為に、どれほどの努力を積んできたか、その目で見てきたでしょう!
貴方が手塩にかけて育て、また貴方の背中を真っ直ぐに見つめて2歳から槍を振ってきたあの子が勝ち取った栄光を…
それを田舎からぽっとでてきた山師まがいに、アベニール家初の輝かしいAクラス合格を汚されたのですよ?」
伯爵夫人は目に涙を浮かべながら夫を睨みつけた。
すでにテーブルの空気は最悪だ。
そしてその全ての責任はお前達にある、と言わんばかりの目で、ロヴェーヌ夫妻に厳しい視線が注がれる。
だがそんな空気などものともせず、メリア・ドラグーン侯爵は近くに立っていた家令に、『過去15年のロヴェーヌ領の農作物関連の税データを』と告げてから、ニコニコとベルウッドに問いかけた。
「ベルウッドよ。
孫娘からの報告によると、そちの子息は、王立学園Aクラス合格など鼻にもひっかけず、Eクラスへ移籍しようとしたと聞いておるが、そちの指示かえ?」
「へっ?
アレンがEクラスへ移籍ですか…
すみませぬが、学園の事は全て本人に任せておりますので、わしは知りませんな。
と言うよりも、あの粗忽者は合格して寮に入ったっきり、手紙一つ寄越さぬものですから、合格した事以外何もわからんのです。
いやー、参りましたわい」
ベルウッドは心の底から参り、苦笑して頭を掻いた。
「ふーむ、だが王立学園のAクラス合格、となると、普通は一時の借金をしてでも家族ぐるみでもっとサポートしようという気持ちが働くものと思うが……
本人も学校に対して執着が薄いようじゃし、ベルウッド自身も子息の合格に対して、さして感慨がないように見えるが?」
相変わらず、メリアの顔はニコニコと笑っているが、目の奥の光は、獲物を見定める肉食獣のそれだ。
「いえいえ、王立学園への合格は、ロヴェーヌ家700年の悲願。
あやつは年に一度の墓参りすら面倒くさがるような男なのでどうか分かりませんが、少なくともわしは心より喜んでおります。
ちといきなりの事で気が動転しているところに、うちの家庭教師が飛び抜けて優秀、などと噂が飛んで、対応に追われているうちに今に至る、という訳ですな。
……ところで、本人も学校に執着が薄いとは?
やはりアレンのやつが、何かやらかしましたかな?」
ベルウッドが恐る恐る、ドラグーン侯爵に尋ねると、侯爵はニコニコと愉快そうに答えた。
「何、問題になるような事は何もない。
あやつらの担任は、先ほども話に出てきたゴドルフェンというクソジジイでな。
私とは王立学園時代の同窓生で腐れ縁なのじゃが…
最初のオリエンテーションで不正について疑われた際、そのクソジジイに、『俺が学園にしがみついて、尻尾を振るとでも思ったか?俺の道を邪魔する奴は、誰であろうと叩き潰す』と、高らかに啖呵を切ったとか聞いたの」
テーブルが俄に騒ついた。
「馬鹿な!
あの『王の懐刀』、ゴドルフェン・フォン・ヴァンキッシュに喧嘩を売っただと?!」
「下手したら家ごと叩き潰されるぞ!」
「お館様!
その様な危険な小僧を野放しにしておっては、ドラグーンにどの様な悪影響があるやわかりませぬ!
すぐさま呼びつけて、身の程を弁えさせるべきです!」
だが、侯爵はニコニコと笑ったままこの意見を手で制した。
「それしきの事で騒ぐな、みっともない。
そんなものは子息にとってはただの挨拶じゃ。
他にもあるぞ?
Aクラスが確定して貴族寮への入居権を得たにも関わらず、己の甘さを削ぎ落とす為に一般寮、通称『犬小屋』に己の身を置いて鍛え上げており、感銘を受けたAクラスの生徒全員が一般寮へと引っ越したとか。
あとは坂道部とかいう部活動を立ち上げて、創部1ヶ月で部員数が100名を超える大組織へと鍛え上げ、年上も含めてその指導に熱心にあたっておるとか。
探索者協会副会長『大地の敵』鉱脈ハンター、サトワ・フィヨルドを手玉にとって、慣例を曲げさせてGランクとして探索者登録をしたとも聞いたのう。
私は先日まで王都におったが、子息の名を聞かぬ日はなかった。
ドラグーンの情報部を始め、王国中の情報機関があやつは何者だと大慌てじゃ。
愉快じゃろう?」
メリアは顔はニコニコと笑っているが、目は笑っていなかった。
「一体何をやっとるんじゃあやつは…」
ベルウッドはテーブルに突っ伏したが、セシリアはニヤリと笑った。
その顔と手には血色が戻っている。
「おや、ロヴェーヌ夫人は余り驚いておらんの?
意外ではないのかな?」
メリアは覗き込む様にしてセシリア子爵夫人の顔を見た。
「いえ、お館様。
流石に少々驚きました。
ただー」
セシリアは真っ直ぐに侯爵の目を見つめ返した。
「子の成長が嬉しくない親などおりましょうか?」
セシリアはその口を、少女の様に綻ばせて笑った。
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