アンドロイドに必要な物、またはプリンは飲み物であるという自己正当化

秋山黒羊

 第一話 好奇心ナースチェンカ

 わたしが首の調子を確かめていると、灰色ばかりで素っ気ないガレージにドアをノックする音が響きました。遠慮がちなノックはちょっとした物音のように曖昧で、パソコンに向かっていたいたるくんもすぐには立ち上がらずに耳を澄ませます。すぐに二回目のノックが聞こえ、至くんはドアへと向かいます。

「はい、はい。いま行きます」

 パソコンでの作業に没頭していた至くんは、立ち上がると同時に一度ぎゅっと目を閉じてゆらりゆらりとぎこちなくドアの方へと歩いていきます。至くんがドアを開けると、中学生くらいの女の子が顔を出し、そして言いました。

「あ、至さん……、よかった。随分と迷ってしまいました。今日はお願いがあってお伺いしました」

 至くんは少し驚いたように一瞬固まりますが、すぐに「寒いからとりあえず――」と言って女の子を招き入れます。ここは普通の家とは違い部屋で区切られていないので、ドアを開け放しておくとどんどんと外の冷気が入り込んできます。そういえば、女の子のノックが遠慮がちだったことや、随分と迷ってしまったというのだって、まさかこんなところに人が住んでいるなんて思わなかったからに違いありません。


 至くんは女の子をコタツ机の方へとうながしました。すると女の子は土足であがりこもうとしたので、至くんは靴を脱ぐようにと注意しました。玄関もなく一面コンクリート張りなので無理もありません。しかもスリッパも用意していないのですから。

 至くんはもちろん何の疑問も無く靴下で生活していますが、ここを訪れるお客さんは、それならスリッパくらい用意してもらいたいな、と思っているはずです。


 そうして二人が靴下のまま歩き出すと、そのままわたしの視界から消えてしまいました。わたしは仰向けで生活をしているので水平方向の視野が狭いのです。


 ところで女の子の知り合いが至くんを訪ねてくるなんて、今までに無かったことです。もちろん、わたし以外にという意味ですが、どういう関係なのかとすごく興味がわいてきました。

 もう一度二人を視界に捉えるために、わたしは仰向けのまま右足でコンクリートの床を蹴りました。すると重心のある腰を中心にくるりと回転し、波板の天井もぐるりと回転し、そこから首をぐいっとひねるとコタツ机に席をとった二人が視界に入りました。


 ここに住んでいるといっても、至くんは家具なんかはほとんど用意していません。ある程度広いスペースが入用いりようだったということもあり、ガレージはがらんとしています。でもそれでは食事を摂るときや、お客さんが来たときに困るので真ん中に小さい絨毯じゅうたんを出し、その上のコタツ机を設置し、そのスペースを客間のように使っているのです。それは蛇使いが砂漠に広げた絨毯のように開放的で、つっこんだ話をするには落ち着かないものでした。


 女の子はきょろきょろとガレージの様子をうかがっていました。察するに、ここに来たのは初めて、でも至くんとは顔見知り、といったところでしょう。やはり気になったわたしは、話を聞いてやろうと思い少々面倒ではありますが二人の方へ向かってみる事にしました。悩ましいことに、わたしの耳は精度が低いのです。

 わたしは、やはり仰向けのまま右足でコンクリートの床をかいて、背中を滑らせながら二人の方へと向かっていきます。頭がへさきになるので進行方向は見えません。それでも現段階ではこれが最も有効な移動手段なのです。今では天井にまたがる小豆色にくすんだ鉄骨で現在位置を把握することができるようになりました。


「やはり迷惑ですか?」


 二人に近づくに連れて、聞こえてくる話し声も鮮明になります。やがて絨毯のちょっとした段差を乗り越えたような手ごたえがありました。


「そうじゃない。それがていにとっていいことだとは思えないってことだよ。ゆかりさんをないがしろにして話を進めるのも誠意に欠ける」

「もちろん、ゆかりさんには感謝していますし、ちゃんとお話をして許可もいただきます。でも、従兄弟の家に世話になるよりは、兄であるいたるさんに世話になる方が自然だとわたしは思います」

 至くんは「んー……」と唸り、しばしの沈黙が訪れました。


 兄である至さん――、ということはこの女の子は至くんの妹ですね。わたしは、至くんは一人っ子だとばかり思っていました。そういえばお父さんが居ないという話を聞いたことがあるので、二人には複雑な事情があるのかも知れません。至さん、という呼び方もなんだか他人行儀です。

 わたしは女の子の顔を見てやろうと思い、首をぐるっとまわします。すると予想よりもずっと近くに女の子が居たのでびっくりしました。女の子もまた、いぶかるようなまなざしでじっとわたしを見つめていたのです。


「こちらの方は?」


 その女の子は、歯切れのよい物言いで至くんに尋ねます。

 女の子は一重まぶたのせいか落ち着いた印象をもっていました。灰色のフルジップのパーカーに二つ結いの髪の毛、はきはきとしていて物怖おもおじしなさそうな態度。学校の成績もよさそうで、このガレージのデカダンな空気とはあまりにもかけへだたっていました。


「ナースチェンカ……」至くんが女の子に答えます。

「動くフランス人形ですか?」

「フランス人形をベースにして作ったアンドロイドのナースチェンカです」

「つまりロボットを作っているのですね?」

「ちなみにナースチェンカというのはロシアの女性名なんだ」

「そういえば昔、ソニーが作った犬のロボットとかありましたよね。へえ……、それでこのガレージに住んでいらっしゃるというわけですか」

 そう言うと女の子はガレージを見回しました。


 ここなら大きな車でも四台くらいは余裕で収まります。隣のガレージを借りているヒデさんなんかは、実際にアメリカの古い車を三台も所有しているのです。しかし至くんのガレージには車は一台もありません。

 当然大きなシャッターがあるのですが、至くんの場合はシャッターを開くことはほとんどなくて、側面の戸を玄関口として使っています。コンクリートの床は排水のために緩い傾斜がつけられていて、この傾斜がロボットであるわたしの直立を難しいものにしているのですが、至くんはどうやらそのことに気がついてはいないようです。

 外には洗濯機、中に入るとシャワーユニットとトイレユニット、そしてちょっとしたキッチン。ポットと炊飯器はあるけれどもコンロはありません。本当に最低限の設備だけが揃っています。湯船に浸かることは出来ないし、小さい冷蔵庫にはそのまま食べられるものや飲み物しか入っていません。

 下駄箱も、本棚もタンスも無く、サンダルや靴はドア付近に散乱、本は読み散らかされ、服も脱ぎ散らかされ、収納代わりのダンボールが壁際に雑然と並んでいます。ダンボールの中には成形に失敗したわたしの腕や足、可塑性プラスチックやシリコンの素材、モーターやらワイヤー、工具、パソコンのパーツ、本、洋服やらが乱雑に押し込まれていました。


「あれって、全部パソコンですよね……」


 女の子はコンピューターに興味を持ちます。このガレージで一際目を引くのがコンピューターです。それ以外には大したものが無いんですから、このガレージでの生活の中心にコンピューターがあるということはだれでも気がつくでしょう。

 ガレージの一番奥にモニターが二つ並んだオフィス机、その隣の無機質な棚にはパソコンが四列三段でずらりと並んでいます。あの筐体の中でわたしは生まれ続けるのです。アルゴリズムによって少しずつ進化を続けていることになっています。そのために至くんは中古のパソコンを集めて十二ノードのクラスタを組みました。クラスタなんてものは素人目には特に大げさに見えるものでしょうね。

 そのコンピューターの上には、建設現場で使われる足場で組まれたロフトがあって、そこが至くんの部屋になっています。青いカーテンで仕切られているだけの部屋ですが、そうでもしないとガレージは広すぎて空調を効かせることが出来ないというわけです。

 敷地内には四つの貸しガレージがありますが、ロフトやシャワー、トイレが完備されているのは至くんのガレージだけです。となりのヒデさんの話によれば、前の使用者が、やはり至くんと同じように住み込んでいたということです。その人が残していってくれたのでしょう。


「ナースチェンカさんを抱き上げてみてもいいですか?」二つ結いの女の子が至くんに尋ねました。

 至くんは、わたしからは見えないけれど、恐らく何も言わずにうなづいたのでしょう。次の瞬間には女の子の顔がぐいっと近づいてきて、視界とジャイロセンサーがぐるりと回って、わたしの正面には至くんの顔が見えました。じつはなかなか至くんの顔を正面にみる機会はありません。至くんはやさしいけれど、眼鏡がいつも汚れていて冴えない風采ふうさぃをしています。


「見ての通り――」思案していた至くんがようやく口を開きます。「ここは人が住むには適した場所とは言えない。うちの母親だって協力してくれるかも知れないけど当てにはならない。ていはゆかりさんの家庭に遠慮しているのかもしれないけど、ここに来たら、ゆかりさんにもっとずっと心配と迷惑をかけるかもしれない……」

 至くんは言い聞かせるように、ゆっくりとした口調で話しました。女の子は黙ったまま、指でわたしの髪をといてくれているみたいです。見えないけれどそんな音がします。ボンネットをかぶっているとはいえ、仰向けで移動するので大変に痛んでいることでしょう。

 至くんは話を続けました。

「その辺のことをしっかりと考えて、それでもここに住みたいというのなら……、いいよ。全面的に協力しよう」

 至くんが真剣な表情でそう言うと、女の子はわたしの髪をとく手をとめました。そのとき女の子がどんな顔をしているのか、わたしには全く想像できませんでした。

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