第3話 靄のかかった世界の住人
アルメリアをエスコートしながら、王宮の廊下を歩く。馬車までの距離はそれほど遠くないはずなのに、頭痛のおかげで永遠につかないのではないかと思えるほど、廊下は長かった。途中、ぐらつきかけて、首を横に振って頭痛みに耐える。
大広間を出てから、一言も話さないアルメリアをチラリと見ても、前を見て黙ったままで、いつもより表情が硬いようだ。その「アルメリアのいつも」がわからないと思いつつも僕の記憶ではない記憶がそう感じた。それと同時に、先程思い浮かんだものを思い出す。
鍵のかかった小さな僕だけの世界。この場所だけが、僕にとっての桃源郷。誰にも侵されず、僕が王様の世界。その小さな世界は、僕にとても優しい。……優しかったはずだ。
フローリングの6畳一間には、ベッドと勉強机、パソコンが置いてあり、あちこちに脱ぎ散らかした着替えや食べたカップラーメンのカップやペットボトルなどが床に転がっている。僕の生活スペースは、ベッドの上だけ。それで十分だ。パソコンに繋がったゲームを家族が寝静まった夜な夜なプレイするのが日課だった。もちろん、ソロで。
日のあるうちは部屋から一歩も出ず、2つ下の反抗期に入っている妹は僕を何かへの八つ当たりの対象として、寝ている僕を部屋の扉をガンガン叩いたり蹴ったりして起こされる……そんな毎日だ。
ガンッ! ……ガンッガンッ!
……わ、わかってるよ。もう起きてる……ていうか、今寝たところだけど。
返事はせずに、寝たばかりの布団の中からのそのそと起き上がる。
『エサ置いておくから! いい加減、出てこいよ! 引きこもり、キモいんだよ。同じ家に住んでると思うとぞっとする!』
ガンッ!
……はいはい、ごめんな? そう思うなら、構わないでくれたらいいんだけど。兄ちゃんがこんなになって、さぞ、腹が立つだろうな。両親も何も言ってこないけどさ。妹は同じ高校だもんな……。
部屋に唯一高校の制服がかかっていた。もう、埃をかぶって真っ白になっているが、あの制服に袖を通したとき、家族は喜んでくれたことはぼんやり胸の奥の方で思い当たった。
僕は高校でも目立たない存在であった。容姿云々は並だが、友人もほどほどにいた。妹にとっても、両親にとっても、それなりの努力でも進学校へ進んだ僕は自慢の兄や息子で、僕もそれが自分の誇りでもあった。
ただ、ふとしたとき、その誇りはなくなり、自分が何のために学校へ行き、勉強をし、いい成績を取り続け、いい兄、いい息子、いい友人をしなくてはいけないのかと疑問を持ってしまったときから、この部屋に閉じ籠ってしまう。両親の説得も妹の声も先生たちの懇願も僕には聞こえなかった。街で聞こえてくる雑音 のように、僕の心には響かず、流れて消えていく。味気ない日々に嫌気がさした。
……僕の妹だっていじめられてないか? 僕と違って勝気だから、逆に負かしてしまうかもな。
妹の心配をしてみて、ふっと笑う。僕が始めた籠城に巻き込んでしまった妹には申し訳なく思っている。情けない僕の姿を誰が想像しただろうか。妹にとっても自慢の兄だったはずなのに。
……昔は可愛かったのにな。おにぃなんて言ってさ。はぁ……いつからだろう? 僕がこうなってから……だよなぁ?
しみじみ昔を思い出してみても、それ以上は何も思い出せない。それだけでなく、妹も両親の顔さえ思い出せない。そのことに違和感を持つ。
……どういうこと? 記憶、な……い……? えっ? でも、妹がいたとか両親がいたとか、そういうことはわかる? あれ? 何かがおかしい。
おかしいことはわかっていても、それ以上は靄のかかった世界を必死に探し回るように、記憶を辿っていくが何もなかった。
『キモオタ! ちょっと、出てこい!』
突然、頭の中に妹の大声が頭に響く。それと同時に頭へ激痛が走った。
「お義兄様?」
「……」
「大丈夫ですか? 顔色があまり良くないですよ?」
「……うん、もう少しで馬車だろう? そこまで我慢するから」
「……大丈夫というふうではありませんけど、誰か呼びましょうか?」
「いい。大丈夫。本当に大丈夫だから!」
「わかりましたわ。では、私に寄りかかってください」
「それも大丈夫。アリアにみっともない姿は見せられないよ」
「……お義兄様」と心配してくれるアルメリアに微笑みかけ、額で吹いている脂汗を袖で拭う。馬車は見えているので、あと少しだろう。崩れかけた体制を戻して自身を鼓舞し歩く中、また、スッと頭の痛みが消えた。
『お、おにぃ! お母さん、おにぃが!!!!!』
……そんなに大きな声で叫ぶなよ。また、頭痛がひどくなるだろう?
『おにぃの、おにぃの意識がないの! 救急車を早く呼んで! 早く、早く!!!』
……そんな慌てなくても大丈夫だから、少し静かにしてくれ。
『お母さん! 早く! おにぃが死んじゃう!』
ポタポタ……と温かいものが頬に触れた気がした。僕はそっと自分の頬を撫でる。アルメリアとは反対側の頬に雫が付いている。僕の汗なのか、それとも……向こう側の妹のなのかわからないが、アルメリアには見えないようにそっと拭った。
……そんなに慌てて、意外と可愛いところも残っているんだな? 僕と違って、世渡り上手だしな。
慌てる妹の様子を愛おしいと思ったと同時に嬉しいと頬が緩んだ。そこから、また、妹の声は聞こえなくなった。
馬車に乗るために、アルメリアを先にエスコートすると、微笑んでその手を取ってくれる。僕も同じように微笑んで馬車へとアルメリアを乗せたあと乗り込む。チラリと周りをみたが、見覚えの全くない見知らぬ世界に戸惑いながら、どこへ向かうかもわからないまま、馬車は僕らを乗せ進んでいった。
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