2-2.


 数多の拍手が僕の四方をとりかこんでいた。あまつさえ、ピューピューと口笛すら飛び交う。王座の上で逃げ場を失った僕は、大衆の圧力ってやつを生肌で感じていた。


「じゃあ、シンデレラの相手役は北上葵くんに決定です!」


 どうしてこんなことに。僕は数分前の記憶を必死に手繰り寄せた。


 帰りのホームルームの時間を使って、文化祭のクラスの出し物について話し合いが行われていた。

 先週の時点で劇をやることは決まっていて、なんとオリジナル台本だ。文化祭実行委員の女の子が脚本家を目指しているらしく、彼女の熱意をクラス全体で後押しする形になった。みんなとて、何も決まらず停滞するよりは、何かが決まって前進した方が気が楽ではあるから渡りに船だろう。反対意見は特に出なかった。

 今日は配役を決めようという流れになっている。黒板には主要な役が書き並べられていた。


 シンデレラ(女子)

 シンデレラに恋する靴職人の息子(男子)

 うっかり者の魔女(女子)

 シンデレラのバイト先のいじわるな先輩(女子)

 本当に履けるガラスの靴を作っている靴職人(男子)

 かぼちゃしか売らない八百屋の店主(男子)


 登場人物はカオスだった。

 一体全体どんなあらすじなんだろう。その全貌は脚本担当の彼女しか今のところ知り得ない。ちなみにテーマは『もしもシンデレラが現代に転生したら』らしい。


 まぁいいか。裏方に徹しようと意志を固めている僕としては、脚本が尖っていようが台本が百ページ以上あろうがあまり関係ない。僕は教室から気配を消そうと試みていた。

 教卓に両手をつき、クラス中を見渡す脚本担当の彼女が銀縁眼鏡をくいっと押し上げ、快活な声をあげた。


「まずはメインヒロインのシンデレラと、相手役の男の子を決めたいんだけど」


 眼鏡の彼女が放った力強い発声は、しかし水面に放られた小石のように一つの波紋を作ったにすぎなかった。名乗りを上げる者は現れない。

 クラスメートのみんなは基本的にいい奴らで、クラス行事に表立って非協力的な態度を打ち出す輩はいなかった。だけど、積極的に劇の主演をやろうなんて気概を持つ生徒もまた存在しない。平成生まれの都会っ子たちは出る杭が打たれる事実を嫌と言う程知っている。

 こりゃ長引くかな。気配を消している僕は周りに気づかれぬようそっと嘆息を漏らす。


「なぁ、葵」


 ふいに背後ろから名前を呼ばれる。振り返ると、右斜め後ろの席にいる日向がスマホを片手に僕の顔を見ていた。もう片方の手でポリポリと頬をかきはじめる。


「えーっと、どうしよう」

「はっ?」


 声をかけておいてそれはないだろう。僕が八の字眉を作るのは必然だ。


「あれだ、葵、脇の下破けてるぞ」


 ははーん。僕は日向の意図を理解する。

 同時、あまりにも古典的で、あまりにも幼稚で、あまりにも馬鹿げている奴のやり口に、呆れを通りこして憐れみさえ感じていた。しかし、


「いやさ、日向。このご時世、そんな単純なトラップに引っかかる奴がいるわけ」

「違った。脇の下、カナブンいるぞ」

「えっ!?」


 僕は脊髄反射で右手を高々とあげていた。

 僕は、自分で思っていたよりも数倍アホなのかもしれない。


「北上くん、シンデレラの相手役、やってくれるの?」


 僕が見せた寸分の隙を、銀縁眼鏡の彼女は見逃しくれなかった。弁明を試みようと僕は慌てて立ち上がり、だけどその行為がクラス中の視線を集める運びとなる。


「いや、これは、違くて」

「ありがとう! 北上くんならイメージがピッタリだわ!」

「あの、僕は、日向にはめられて」

「こんなに早く決まるなんて思わなかった! 本当に助かったわ!」

「ちょっ、待っ」


 蚊の鳴くような僕の発声は、津波のような拍手でかきけされてしまった。あらゆる五感を働かせたとしても、この状況を転覆する手立てはきっと存在しない。すべてを悟った僕は苦笑いをヘラヘラと浮かべながらとりあえず着座した。銀縁眼鏡の彼女には悪いけど、あとで平謝りして辞退させてもらおう。


 僕は右背後ろをユラリと振り向いて、事の元凶である日向を睨みつけた。僕に気づいた日向は満面の笑みでサムズアップを返してきた。なんでだよ。


「次はシンデレラ役ね。誰かやってみたい人はいない? 推薦でもいいけど」


 僕の絶望など露知らず、役決めは着々と進行していく。


「アカリ、立候補しちゃいなよ~」

「えー、私? 無理だよー、お芝居なんてやったことないしー」

「アカリならかわいいからいけるって、北上くんも隠れイケメンだし、お似合いじゃん!」


 教室内の一角で黄色い声が沸き上がったので視線を向けると、クラスでもあか抜けているグループの女子たちが何やらはしゃいでいる。アカリと呼ばれた彼女は表面上遠慮はしているものの、どこかやぶさかではない雰囲気も醸し出していた。

 万が一、役の辞退がまかり通らなかった未来を僕は想像してみる。ただでさえ僕は異性と気軽に話せるタイプではないのに、イケイケドンドンな女子がシンデレラ役に抜擢されたとしたら、おそらく僕は気苦労と気疲れで本番当日を迎えることなく命を落とす。

 ……のは言い過ぎだとしても、胃潰瘍くらいはなるかもしれない。どうせなら。

 どうせやらなければいけないなら、シンデレラ役は、彼女だったら――


「新島さん?」


 銀縁眼鏡の彼女が驚いた声をあげる。その名前を聞いた僕もまた驚き、彼女に目を向ける。彼女は凛と背を正し、ピンと手を上げていた。やがてふにゃりと笑った彼女が、少し照れくさそうに漏らす。


「私、やってみようかな。シンデレラ役」


 ポカンと口を開けていた銀縁眼鏡の彼女だったが、すぐにパァッとひまわりのような笑顔を浮かべた。


「ありがとう! 本当は私、この劇は新島さんにシンデレラをやって欲しいと思っていたの」

「え、私に?」

「うん。でも新島さん、水泳部にも所属しているし忙しいかなって、遠慮してたの。まさか新島さんの方から立候補してくれるなんて……絶対に良い舞台にしましょう! いや、私がして見せる!」


 銀縁眼鏡をくいっと上げた彼女が握り拳を振るい上げ、背後に燃え盛る炎が見えたのはきっと僕だけではないだろう。


「役不足かもしれないけど、精一杯、がんばります」


 当のシンデレラが立ち上がり、ペコリと綺麗なお辞儀を披露したところで、またしても津波のような拍手に教室が包まれた。

 これは辞退したいなんて言えない雰囲気だな。自らの運命を悟った僕ではあったが、顔なじみのお姫様とならなんとか頑張れるかもしれない。ホッと胸をなでおろしたのも事実だ。


 他の配役も決まり、今日のホームルームは無事に解散を迎える。しかし僕には個人的なミッションというか、私怨が一つ残されていた。そそくさと部活に向かおうとする日向の肩を掴み、僕はニヤリと満面の笑みを奴にぶつけた。


「さきほどの件について、申し開きがあるなら、一応聞いておこうかな」


 さすがの日向もばつが悪いのだろうか。僕から露骨に視線を逸らし、口元をひくつかせている。


「ハハッ。わりぃわりぃ。文句があるなら裏で糸を引いていた諸葛孔明を恨めって」

「はぁっ?」


 あいにくだが、意味不明な供述でことなきを得られるほど僕の取り調べは甘くない。


「僕が目立ったり、みんなの前に立つのが得意なタイプじゃないって、日向なら知ってるよね?」

「いや、まぁ、半年も一緒にいりゃあな」

「だったら責任とって代わってよ、シンデレラの相手役」

「そりゃあ無理だろ」

「……まぁ、そうなんだけど」


 抗えない現実を改めて突き付けられ、僕はヘナヘナと脱力してしまった。


「まぁまぁ。たまにはらしくないことするのも思い出になるんじゃねーの。知らんけど。……と、噂のシンデレラが来たぜ?」


 僕の肩越しに誰かを見る日向に釣られ、僕は振り返った。ポリポリと頬をかきながら、へらりと笑う彼女の姿が映る。


「えへへ、自分から立候補しておいてなんだけど、みんなの前でお芝居なんて、今からちょっと緊張しちゃうね」


 視線を斜め下に落としていた彼女が、ちらりと僕の顔を窺い見る。


「シンデレラ役、私じゃイヤだったかな?」


 珍しくしおらしい態度を見せる彼女に僕はなんだか慌ててしまい、「そんなことないよ」早口でまくし立てた。


「むしろ、あんまり知らない相手とやりたくなかったから助かったよ。ありがとう」

「ほんと? それなら良かった」


 心底ホッとしたように胸に手をあてる彼女を見て、僕は少しドキッとしてしまった。普段は見せない、どこか恍惚とした彼女の表情を前にして、僕は言葉が継げなくなる。


「じゃあ、私も部活に行くね? 来週から台本の読み合わせとかはじまるみたいだから、よろしく――」


 くるりと彼女が僕に背を向け、線の細い長髪が重力を残してなびく。いつのまにか日向も姿を忽然としていた。一人残された僕はとりあえず後ろ頭を掻き、自問する。


 彼女と目を合わせて演技なんて、ちゃんとできるのだろうか。

 高鳴る心臓が止まらない理由に、僕は心当たりがあった。

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