第二章十二
「清様……いよいよ……」
夏木が緊張を隠せずに口を開く。姫君もまた、緊張して表情をなくしていた。
「ええ……ようやく……お前には辛い思いをさせてしまうけれど……」
好意の欠片もない、むしろ憎むべき相手に抱かれなくてはならない。重大な罪を犯させなくてはならない。
その罪悪感にうつむいた姫君の手を、夏木がとった。しっかりと握り、姫君をまっすぐに見据える。
「清様はもう十分にお苦しみあそばしました。後は私が引き受けさせて頂きます」
「夏木……」
「大丈夫でございます。必ずやり遂げます。ですから、清様はどうかお心をお平らかに、吉報をお待ちくださいませ」
夏木が自らを鼓舞するように、自信に溢れた笑みを見せる。絶対に大丈夫だと、これで姫君を救えるのだと言い聞かせて。
「主上は清様の花を手折るつもりなのでしょうが……私は毒花でございます。扱えるのは清様だけ」
夏木の言葉に、姫君は覚悟を決めて頷いた。他にできる反応はない。計画した当初から、このときを待っていた。夏木に──愛するものに無理をさせてまで。
「そうね……行ってらっしゃい、夏木……気をつけて」
「はい、清様……必ずや成果をあげて帰ります」
夏木の笑みは悲しいほど美しかった。「愛しい」と書いて「かなしい」と読むように。まっすぐに姫君を見ながら、どこまでも透き通った瞳でありあがら、罪に対して歪んでいる。そうさせてしまったのは自分だと姫君は思うにつけ、泣きたくなった。
けれど、もう後戻りはできない。
「……夏木……!」
覚悟を決めたはずの心を乱し、姫君が夏木を抱きしめる。夏木はそれを鎮めるために姫君の背に腕を回した。そっと慰撫する。もう言葉はいらなかった。
その夜、主上の御使いが弘徽殿を訪れた。差し障りのない文を姫君に届け、帰ってゆく。夏木は使いのものに紛れて主上のもとに上がった。
主上は当たり前の権利だといわんばかりの性急さと乱暴さで夏木を抱いた。ただの女房だ。気遣う必要などないと思っている。姫君の移り香が寵愛の深さを物語っていて憎らしく、嗜虐心をあおる。同時に、そこまで重用されている、姫君の思い入れが深いものを我が物とすることに愉悦を感じた。
そして夏木は、猛るもので貫かれたとき、痛みで腰が割れそうな感覚に陥った。
だが、大切なのはこれからだ。
──もっと……。
招き入れた秘所は毒が馴染んでいる。夏木は腰を揺らして毒の海に誘った。
「そなたのなかは熱い……それに引き締まっていて吸い込まれるようだ」
主上は気づいていない。それに安堵しながら、夏木は必死になって暴虐の嵐に薙ぎ倒されないように自我を保った。
この程度、少将のときと比べれば明確な目的があるだけに、ずっとましだ。姫君をこの男の腕から取り戻す。叶えば自由にしてさしあげられる。
「あ……主上……」
烈しい動きに、うまく息継ぎができない。夏木は喘ぎながら主上に応えた。
「まだ……もっとだ……」
主上は何度も貪婪に夏木を求めた。食い荒らされ、だんだんと痛みが麻痺してゆく。主上の男根が毒を塗り込めた秘所を犯す度に、夏木は生理的な嫌悪感を忘れて喜びに震えた。
これで、姫君は解き放たれると。
「──気に入った。また折があれば呼ぼう」
永劫に続くかという責め苦にも終わりはくる。夏木から体を離した主上はご満悦な様子だった。あとは毒がまわるのを待つだけだ。
「はい……かたじけのうございます……」
夏木は怠い体を叱咤して衣を着直し、深々と頭を下げてから夜の御殿を後にした。かろうじて弘徽殿まで辿り着くと、最奥で姫君が寝ずに待っていた。
二人、ひどやかに几帳の奥へと隠れる。
「夏木、体がよろめいているわ……」
どのような無体を強いられたのかと、帰ってきた夏木を見るなり姫君の面がさっと青ざめた。夏木は平静を装っているが、足許が覚束なかった。
「大丈夫でございます……ご心配にはおよびませぬ。主上はご満足であらせられました」
「そう……早く私の臥所へ。休んで……」
「畏れ多いことでございます。私ならば局で休みますので……」
「いいえ、朝まで一緒にいて欲しいの……お前を看させてちょうだい」
「清様……」
「お前には辛い思いばかりさせているわ……せめて慰めたいのよ……お願い」
姫君が有無を言わせず夏木を寝かしつける。手をとり、そっと両手で押し包んだ。その手は冷えきって震えている。
「清様、お手が震えております。清様こそお休みに……」
「いいえ……いいえ、夏木。私はお前に恐ろしいことをさせてしまった……苦痛を味わわせてまで……」
姫君が沈痛な表情に美貌を翳らせてうつむく。夏木は半身を起こし、姫君の手を力強く握り返した。
「私は大丈夫だと申し上げましたでございましょう。清様が恐れることは何もございません……朝になれば……」
「分かっているわ……けれど……」
「清様、繰り返し申し上げますが大丈夫でございます。もう、何人たりとも清様に害を及ぼさせはいたしませぬ」
夏木の自信と確信をたたえた言葉に、姫君は誘い込まれてゆく。そこは何が出るのかも知れない鬱蒼とした迷宮だ。引き返す術はなく足を踏み入れるしかない。けれど──。
「……そうね、お前が共にあるのなら……」
姫君は独りごち、夏木に顔を近づけていった。唇が触れあう寸前に目と目が見つめあう。互いに光を宿していた。これからどうなるのか、一寸先も見えない先を照らす光。
「……はい、共に……」
でも、地獄に堕ちるのは自分だけでいいと夏木は心の中で呟く。姫君には何の罪もないと、断罪されながらも業火に焼かれながらも言い切ろう。
触れあった唇は渇いていた。互いにそれを潤し、補いあうように唇を重ねていった。
翌朝、主上が不調を訴えた。急ぎ、あまたの寺社で平癒祈願がなされたものの主上の容態は悪化するばかりで、その日のうちに身罷った。確かめるものはなかったが、主上の男根はどす黒く爛れていた。
好色に走った主上への、これが報いだ。夏木は宮中のもの達に合わせて嘆く素振りを見せながら胸中で高らかに嘲笑った。溜まった膿を想いきり押し出すような、それは昔に少しずつ毒に馴染むのを自覚するたび覚えたものと同じ、後ろ暗い喜びだった。
姫君は放心していた。まだ自由になった実感がわかない。主上の呪縛は長すぎた。時折、訳の分からない不安に駆られて泣き出す。周囲は主上を喪った悲しみによるとみて共に泣いた。けれど、夏木が根気よく傍で励ましていると、次第に落ち着きを取り戻していった。
後宮では、しばらく主上の後を追って出家するものや里へ退出するもので騒然としていた。
だが、それも一時のことだ。全てが終わると、女達のいなくなった後宮は静まりかえった。
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