『人喰い妖魔と』

橘紫綺

第1話『異変』

 バラバラと激しく打ち付ける雨。

 ぎしぎしと家屋を揺らす強い風。

 稲妻が大地に突き刺さり、轟音を響かせ、誰もが家屋が倒壊するのではないかと不安を抱いた嵐の夜に、私は生まれた。


 破滅をもたらすもの――として。


   ◆◇◆


「じゃあ、父さん、コレを売って来るから、決して外に出たりしてはいけないよシェリル」

「はい。父さん」

 にっこりと笑みを浮かべた父を、私も微笑みを浮かべて見送った。

 パタリと木のドアが締められると、ガチャリと言う重い音。

 父がドアの鍵をかけていった音だ。

 父は毎日、私が一日かけて魔除けの刺しゅうを施した商品を売りに行く。

 途端にシンと静まり返る家の中。

 あるのは色とりどりの布と、色鮮やかな糸たちと、複雑な魔除けの図面たち。

 私は一人、ただ黙々と刺しゅうをして過ごす。

 誰と話をすることもなく、どこかへ出かけることもなく。ただただ一人で作業をこなす。

 思えば、一体誰から刺しゅうを習ったのかも覚えていない。

 普通は母親から教わるものらしいけれど、私には母親が居ないから。

 私の母は、私を生んだ数日後にこの世を去ったのだと聞いている。


『破滅をもたらすもの』


 私を生んだせいで、母は死んだのだと村の人たちは言っていた。

 父は、そんな村の人たちの言葉を懸命に否定した。

 でも、村の占い師が告げたのだからそうなのだと、村の人たちは父の言葉に耳を傾けたりはしなかった。

 その度に私は思った。

 私は『破滅をもたらすもの』なのかと。

 私のせいで母は死に、父は孤立しているのかと。

 だから私は、父に謝ったことがあった。

 そのとき父は、泣くか悲しむか動揺するのかと思っていたのに、ハッキリとその顔に怒りの感情を浮かべて言ったのだ。


『謝るな! お前は何も悪くない! 何が破滅をもたらすものだ。下らない。激しい嵐の夜に生まれただけで、どうしてそんなことを言われなくちゃならない?! 何が、そのせいで妻が死んだ、だ。お産は常に命懸けだ。我が子と引き換えに命を失う母親がどれほどいると言うんだ!

 良いか? お前はあいつと私の大切な娘だ。誰にも決して傷つけさせたりはしない。だから、二度と自分を否定するようなことを言ってはいけないよ!』


 私は頷くことしか出来なかった。

 だからこそ、私は従った。父に言われた通り、この世に生を受けて十数年。独りで勝手に家の外に出ることも、誰かと話をすることもせずに、ただただ毎日同じ生活を繰り返して来た。

 それでも時々、思うことはある。

 不吉な二つ名を与えられた私の家には、好き好んで近づいて来るものはいないから、遠くで行き交う人々の営みを見て、友人たちと談笑している様を見て、楽しそうな様を見て、少しだけ、ほんの少しだけ、羨ましいと思うことが。

 だからと言って、勝手に家を出ようとは思わなかったけれど。

 だから私は知らなかった。

 村の中で今何が起きているのか。


   ◆◇◆


 その日、父が起きて来なかった。

 窓から見える木々が赤や黄色に彩られる季節。

 いつも通り朝食の用意をしていたというのに、声を掛けても父は部屋から出て来なかった。

 どうしたのかと、改めて部屋のドアを叩いて呼び掛けてみても反応がない。

 ぞわりと背筋を悪寒が走り抜け、吐き気にも似た嫌なものがせり上がった私は、呼びかけながらドアを開けた。

 父は、ハッキリと分かるほどに顔を赤くし、玉のような汗を生み出しながら、浅く荒い呼吸を繰り返していた。

 弾かれたように私は父に駆け寄った。

 父さん。父さんと、異様に熱い手を握り締めて声を掛けるも、父は目を覚ますことなく、言葉を発することなく、ただ呻き声を挙げた。

 私は動揺した。どうすればいいのか分からなかった。

 誰かに助けを求めなければと言う思いはある。

 でも、誰に助けを求めればいいのか分からなかった。

 私は、村の人たちの名前を誰一人として知らなかった。

 それ以前に私が助けを求めたところで、一体誰が助けてくれるだろうか?

 私のせいで父まで失いたくはない。

 とにかく冷やさなければいけない。

 台所の水瓶から水を持って来て、濡らしたタオルで――と考えていると、


 ドガン!


 これまで聞いたことのない大きな音が玄関の方から聞こえて来た。

 びくりと肩が跳ねあがり、何が起きたのかと顔を向けると、どかどかと複数の乱暴な足音が聞こえて来て、

「ああ。いました」

 ゾッとするような冷たい笑みを浮かべた白いローブ姿の見知らぬ男が、背後に武装した男たちを従えて現れた。

「あ、あなたたちは誰ですか?」

 初めての来客。到底お客様とは呼べない登場の仕方ではあるけれど、それよりも何よりも、

「お願いします! どこのどなたか存じませんが、父を、父を助けてください!!」

 私は、バクバクと今にも破裂しそうなほどに脈打つ心臓の鼓動を聞きながら、生まれて初めて他人に心からの懇願を試みた。

 対して、白いローブ姿の男は、フッと表情を緩めると、

「ええ。そのために私たちはここに来たのですから。精々役に立ってもらいますよ? 破滅をもたらす娘さん?」

「え?」


 そして私は、聞き返す暇もなく父から引き離されると、家の外へと連れ出された。


 ◆◇◆


 私が連れて来られたのは、村の広場のようなところだった。

 そこに待ち構えていたのは、交流など一切なかった村の人たち。

 私が寒気を覚えたのは、何も風の冷たさのせいばかりではなかった。

 村の人たちの、私を睨み殺さんばかりの殺気の籠った眼、眼、眼。

 本能的に身の危険を感じた。異様な禍々しい気配に、自然と歯の根が合わなくなった。

 ガタガタと体が震え、吐き気が込み上げて来る。

 眼には涙が溜まり、自然と父に助けを求めている自分が居た。

 一体何故、こんなことになっているのか。

 一体何故、これまで関わることのなかった人間に恨まれなければならないのか。

 問い掛けたくとも、言葉など発することなど出来なかった。

 助けを求めるように、村人たちの顔を見るが、どれもこれもが、私に対する憎悪一色に染まっていた。

 そんな中、口を開いたのは私の背後に立っていた白いローブ姿の男。

「この子で間違いはないですか?」

 対して、黒いローブ姿に様々なアクセサリーを身に着けた老婆が、歯のない状態で聞き取りにくい声で、それでも唾を飛ばす勢いで認めた。

「ああ。そいつで間違いない。私の占いは当たった。その娘のせいでこの村は今、呪われている!!」

「え?」

 と、思わず疑問の声を上げた私に対し、白いローブ姿の男は告げた。

「ああ。君は何も知らないんだったね。少し前からこの村では原因不明の病が流行っていてね。どうもこれは普通の病とは違う。それも当然でね、これは呪いなんだよ」

「呪い?」

「そう。呪い。君、これに見覚えはないかな?」

「っ!!」

 そう言って、白いローブ姿の男が懐から取り出したのは、とても見覚えのある刺しゅうの施された手ぬぐいだった。

「どうもこの刺しゅうが呪いの媒介になっているようでね。こことは違う場所でそのことに気付いて、呪いの元がどこにあるのか探ってきた結果、この村に辿り着いてね」

「でも! これ、は、魔除けの、刺しゅうで。呪いなんかじゃなくて」

「うんうん。そうだろうね。呪いや魔術の類に精通していなければ違いは分からないだろうけれど、この村の近くには『人喰い妖魔』が今でも居座っていて、数々の賞金稼ぎが訪れては帰らぬ人となっているとか」

ああ、そうだと答えたのは村人の誰かで。

 でも、そんな妖魔が居るなんて話は私は初耳で。

「ああ。その顔は、そんな妖魔が居ることも知らなかったみたいだね。

 でもこれは、その妖魔と強い結びつきがあるみたいでね。君が知ってか知らずか知らないけれど……というか、そもそもその様子だと本当に全く知らなかったみたいだけれど、残念ながら関わりがあるものでね」

「じゃ、じゃあ、私は……」

 知らない内に呪いをバラまいていたということになるのかと察した瞬間、血の気が引いた。

 朝にも関わらず、目の前が真っ暗になった。

 もしそれが本当ならば、確かに私は『破滅をもたらすもの』と言われても仕方のないことをしたことになる。

 たとえそれが、父がどこからともなく図面を用意したのだとしても。魔除けなのだと疑問にも思わずに刺しゅうしていたのが自分で、結果、父まで呪いに倒れたのだとしたら――それが、この村以外にも影響を与えていたのだとしたら。

 確かに私が『破滅をもたらすもの』と言われても仕方のないことで。

「だからね。君にはその償いをしてもらおうということになったんだよ?」

 肩に手を乗せ、ことさら優しい声音で告げられたなら、私は縋るような思いで白いローブ姿の男を見上げた。

「たとえ知らなかったことだったとしても、君の刺しゅうによって苦しみ命を落としたものが居る以上、君にはやってもらいたいことがあるんだ。いや、やってもらわないと困ることがある。君が自分の父親を助けたくて、自分のしでかしたことに対して償いをしたいと言うのなら。君に断る権利はないけれど、やるかい?」

 その提案に、私は『やらない』と答える権利はなかった。


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