獄中植物メグルくん

甘酒屋

第1話 巨大な鉢植え

【マンドラゴラ (Mandragora)】

 ナス科マンドラゴラ属の植物。別名マンドレイク。

 茎が短く葉が長い植物で、その根は不気味なほど人間の姿に似ている。



 平成34年、晩秋。

 白峯しらみね刑務所は、古い路地裏のような街の東部に位置している。

 有刺鉄線と背の高いコンクリート塀で囲われた空間は、外界と完全に隔絶されていた。それを象徴するかのように、敷地内には雑多な街並みにそぐわない白くて無機質な庁舎が両翼を広げている。

 その庁舎の管理棟で、今まさに内示を受けようとする1人の男がいた。


 3区長と表示されたデスクに座り、官服に金色のバッジを付けた初老の男は、鉄川顕てつかわ あきら看守長。

 そして、その目の前で気を付けの姿勢をとる若い官服の男が、爪紅仙太郎つまぐれ せんたろう看守。この物語の主人公の一人である。

「来月から0区に異動してもらいたい。お前は魔法士ではないが、俺の見込んだ職員だ。引き受けてくれるな」

 鉄川は、ため息まじりだが有無を言わせない口調で言った。

「はい」毅然きぜんと返事をする爪紅。


 この世はおよそ10人に1人が魔法士である。

 魔法による犯罪は近年増加しており、その被害状況が社会的に問題視されていることから、魔法士の犯罪者を収容する特殊な刑務所の増設が必要とされていた。その代表格の一つが、ここ白峯刑務所である。


「……念のため聞くが、本当に大丈夫か? お前まで辞めたら俺は泣くぞ」

「いえ。自身の職務能力の向上に繋がる貴重な機会だと考えております」

「そう思ってくれるなら頼もしい限りだが」

 鉄川が再び大きなため息をつく。


 白峯刑務所は拘置区が併設されている中規模のB級施設(犯罪傾向が進んだ者を収容する施設)であり、1区から3区までは非魔法士の収容区、そして0区が魔法士の収容区となっている。

 無論、魔法士の処遇は魔法士が行うことが原則である。しかし、若手職員の保安意識や職務能力を高めることなどを理由に、0区には一枠だけ非魔法士の配置が義務付けられていた。

 その白羽の矢が、勤務成績良好な爪紅に立ったのだ。 

 

「お前も知ってるとおり、0区の奴らは自分らが魔法士であることに胡座あぐらをかき、俺たち非魔法士を見下し、卑下し、何人もの若手を辞職に追い込んできた。正直、完全にハラスメント事案だろうが、魔法士の人材はことのほか少なくて優遇されるのが現実」

「問題ありません」

 爪紅は、鉄川の目を真っ直ぐに見据えたまま応えた。

 鉄川はその視線をずらすようにしてブラインドをいじる。隙間からオレンジ色の夕日が差し込んだ。

「俺が出世すれば、こんな配置は即刻中止するんだがなぁ。まぁ、若手の登竜門だと思ってな。頼んだぞ、我が教え子よ」

「ご心配いただき恐縮です。それでは、失礼いたします」

「あ。そうだ」

 ふと思い出したように振り返る鉄川。

「0区の職員が、お前に相応しいバディを付けるとさ。慣れない部分はフォローしてもらえるだろうから、その点は安心だな」


 白峯刑務所では、看守が常に2人1組のバディを組んで勤務にあたる。

 この組み合わせの良し悪しで、仕事人生が大きく変わると言っても過言ではない。

 幸い、爪紅はバディ運に恵まれていたので、あの曲者揃いの0区で組まされたとしても、うまくやっていけるだろうと高を括っていた。


「承知しました」

 しかし、その期待は呆気なく打ち砕かれることを、爪紅は知る由もなかった。


 ドアの外で聞き耳を立てていた用度課の物部ものべサラは、急に開いた扉に反応が追いつかず「ひっ」と後ずさった。

「せ、仙ちゃん0区? 平気なの?」

 扉の前で一礼し閉扉する爪紅。

 サラには目もくれず「聞き耳なんて良い趣味だな」と冷たくあしらい、階段を降りていく。

「だ、だ、だって、急に呼び出されたから心配になって」

「そんな暇があったら仕事に専念したらどうだ」

「そういうわけじゃ……ち、ちゃんと用事もあるんだよ。仙ちゃん宛てに、0区の毒島ぶすじま副看守長から荷物が届いてて。お、重くて大きいから、台車ごと部屋の前に置いたからね」

 モジモジと作業着をいじりながら付いてくるサラに構わず、爪紅は施設の玄関口を出ていった。

「じゃあ……」

 ポツンと取り残されたサラ。

 その背後で、爪紅を値踏みするように眺める職員たちがいた。

「あいつか。0区に補充されるやつ」

「本当、超典型的なお利口さんって感じだよな」

 0区の看守である。

 皆口々に爪紅の印象を話してはクスクス、と嘲笑している。

 サラは俯きがちに振り返ると、そのうちの1人と目が合ったので慌ててその場を後にした。

「どうせこの前のやつみたいにすぐ辞めるぜ。持って3ヶ月に一票」

「0区で魔法使えねぇのやばくね?」と笑う声が、外にまで聞こえていた。


 独身寮108号室。

「持って3ヶ月に一票か。よっこいせ」

 官服の上からでも分かるほど筋肉質の爪紅は、自身の半身はある箱を力任せで運び入れた。

「舐められたもんだな」

 蓋を開けると、そこには20号(1号およそ3.5cm)以上ある巨大な鉢が入っており、中央にはロゼット状に広がる青々とした葉が茂っていた。

 爪紅の実家は花屋を経営してるが、馴染みのない植物ゆえに名前が思い出せない。

 土に刺さったラベルには、サインペンで『メグル』と書かれていた。

「あの副看守長、どういうつもりだ?」


 一仕事終えた爪紅はフゥと汗を拭い、鉢のそばで倒れ込んだ。

 鉄筋で囲われた静かな室内で、アナログ時計だけが音を立てている。


 カチコチ カチコチ

「……ざけんなよ」

 カチコチ カチコチ

 カチコチ カチコチ

「うオラぁあああああああ!!」

 爪紅は雄叫びとともに勢い良く飛び起き、猛スピードでパンツ一丁になったかと思えば、脱ぎたてで生暖かい官服のズボンを頭に被り仰向けに寝転がった。

 今日のパンツはピンクのヒョウ柄トランクスだ。

「んなぁにが『俺が出世すれば、こんな配置は即刻中止する』だクソ上司!!」

 叫びながら床の上をのたうち回り、「セイ!」という掛け声とともに宙返りをかます。

「アイター!」

 残念ながらドドンと音を立てて着地に失敗し半ケツ状態となった爪紅は、「ポエム!!」と叫び散らかしながら、さらに激しく転げ回った。

 どうやら爪紅は、仕事とプライベートの顔の使い分けが恐ろしく不器用な男らしい。

 溜まりに溜まった仕事の鬱憤は、思う存分自室で発散するタイプなのだ。

「てめえが出世なんかできる訳ねえだろハゲ! こちとら配置が穴だらけで毎日死ぬ思いしてんのに来月からクズ職員だらけのモンスター部署に異動だァ!? あァ!? 看守長のクセにハラスメント黙認して部下送り込むのかよ。こーなったら見過ごしてやったてめえの不祥事、ぜーんぶ上層部にチンコロしてやるからなッ! んがあああ!!」

「あの、大丈夫?」

「ふが!?」

 何者かの気配を察知した爪紅はピタリと動きを止め、全身の感覚を研ぎ澄ませた。

 警備体制万全の六畳一間には、自分しかいないはずである。

 自分の裏の顔を知っているのは、自分だけのはずである。

 爪紅は、恐る恐る被っていたズボンから顔を覗かせた。

「……」

「……」

 衝撃的だった。

 なんと、鉢の中に素っ裸で土だらけの若い男(15、6歳くらいだろうか)が立っていて、いかにも気の毒そうに爪紅の顔を見つめている。

 しかも面識がないのに、だ。

 そして、背丈の低い男の頭には、なぜか青々とした葉が乗っている。いや、生えているのか?

「大丈夫?」

 再度聞かれたが大丈夫なはずがない。

「のああああああああ!!」

「めぎゃああああああ!!!!」

 爪紅が叫ぶと、それに驚いて男が悲鳴をあげた。

 しかも、その男の悲鳴たるや気絶しそうになるほどものすごい声量で、爪紅は一瞬ぐらりとしながらも、どうにかスマホに手を伸ばした。

「もしもし、警察ですか? 今部屋に見知らぬ変態が」

 すると男は、「ちょっ!!」と大慌てで鉢を乗り越えてきた。

 土がうまいことモザイクの役割を果たしているが、どう見てもフルチンである。

「変態じゃないから!」

「いや、その格好はないだろ!」

 爪紅はスマホを奪い取ろうとした男の勢いを利用し鮮やかに投げ飛ばすと、すぐさま絞技で落としに掛かる。

「待って、ギブギブ! ギブ!!」

 爪紅はジタバタもがく男を離さない。

「てめえ何者だ!」

 男は苦しそうに言った。

「僕はマンドラゴラのメグル! キミの……」


 暗闇に電話のベルが響く。

 オレンジ色のランプを灯し、ふわふわのナイトキャップを被った毒島が受話器を取った。

「おまっとさーん、0区温室毒島です。今寝るとこなんだけど、うっ」

 相手方に電話越しで大声を出され、思わず受話器を離す。

「爪紅くん、元気そうで? 無事届いた?」


 一方の爪紅は風呂場で通話をしていた。

「届いたも何も、どういうことですか! ゴホゴホ」

 爪紅は取り乱したのを咳払いで誤魔化した。しかし、今にも発狂しそうである。

「この変態がバディって」

 茶色い湯が張った浴槽の中で「こんなに飲めない」などとボヤくもう一人の主人公、メグルの胸(主根?)あたりを、爪紅は束子たわしでやけくそにこすっていた。

「飲むんじゃねえよ! 洗うんだ身体をよ!! ……ゴホゴホ」

「あ、早速面倒みてくれてんだ」

 受話器から嬉々とした毒島の声が漏れる。相変わらず早口である。

「マンドラゴラ・オフィシナルムって品種の、オスのマンドラゴラだよ。キミご実家が花屋さんだし、バディにピッタリだと思ったんだよね。お店の名前なんだっけ。『婿入りチューリップ』だっけ」

「『むなくそチューリップ』です」

 爪紅は、メグルに束子を投げ付けながら「それはそうと」と続ける。

 できる限り礼儀正しく、事務的に。

「マンドラゴラは魔法植物のたぐいでしょうが、これほど人間に寄った個体がいるとは興味深いです……しかし、自分は魔法士ではございませんので。0区で働くのであれば、魔法士かつ人間のバディでないと職務に支障が出るのではと」

 メグルは脇の下を擦っている。

「ごめんごめん。メグルはウチの温室で超個人的に栽培してたんだけどさ。人間社会の憧れが強いみたいで、人手が足りないなら働きたいって聞かないんだよねぇ。やる気はあるし良いやつだから一緒に働いてやってよ。あとほら、割と整った顔してるでしょ?」

「『割と整った顔してるでしょ?』」

 ご機嫌で身体を洗うメグルに苛立ち、爪紅は束子を奪い取って顔をゴシゴシと擦る。

「アイター、ポエム」

「返品できませんか」

「うーん、受け付けてないかな。まあこれも何かの縁と思って。よろし……」

 爪紅は話の途中でスマホを切り、勢い良くブン投げた。

 風呂場の窓がパリーンと音を立てて割れる。


「俺は認めないからな。お前がバディなんて絶対認めん」

 爪紅は自分の服を着せたメグルと向き合っていた。

「そこをなんとか!」

 メグルはパンと両手を合わせて「ね!」と首を傾げてみせた。

 完全に人間社会を舐めきっているだろう態度に、爪紅は眉をしかめる。立ち上がり、窓をガラガラと開けた。

「おい草。悪いこと言わねえから野生に帰んな」

 雑草でもわかる、出てけのサインだ。

「頼むって。僕、人間みたいに生きたいんだ」

「あ? 人間みたいに生きたいだ?」

「そうそう!」と興奮気味に言うメグル。「人間みたいにさ!」

のお前にできる仕事なんてねぇよ……あと俺が転げ回ってたことは忘れろ。じゃあな」

「頑張るからぁ、お願い!」

 爪紅は、深淵しんえんにでも突き落とされた気分だった。

 0区という特異な異動先。頼みの綱だったはずのバディは、風呂も知らない草。

 少しでも期待させた上司たちを大いに恨んだ。

 メグルは籠城ろうじょうでもするかのように、「僕もう疲れたから寝るね! おやすみ」と、せかせか植木鉢の中に潜ろうとする。

「待て待て! 出てけってんだよ、ああもう!!」

 こんなやつとバディなんか組んだら、自分の看守人生はここで詰む。

 爪紅は植木鉢に片足を突っ込んだメグルを羽交い締めにし、籠城を阻止しようとした。


 そのときだった。

 ジリリリリと激しいベルの音が、部屋の中で鳴り響く。

「非常ベルだ」

 爪紅は嫌な予感がした。

『ジリリリリ 非常ベル 0区 0区 ジリリリリ……』



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