・4-15 第128話 「巫女とキツネ:1」

 さよかぜ。

 おそらくはそれが、そのキツネに与えられた名前なのだろう。

 ただ、源九郎はその生物が本当にキツネなのかどうか、まったく自信がなくなってしまっていた。

 見た目は、地球の北半球、日本も含んだ範囲に生息しているアカギツネにしか見えない。しかし、━━━小夜風さよかぜは四肢から青い燐光をまき散らしながら空中を駆け巡り、そして、大太刀を背負っていた。

 大太刀というのは、その名の通り通常の刀よりも大きな太刀だ。

 刀剣の研究者によっても定義はまちまちであるのだが、90センチよりも長い刀身を持つ日本刀の一種で、特に大きな150センチにも及ぶ長大なものをさす。

 小夜風はそんな、自身の頭から尻尾の先までの長さの倍近くもあるものを背負いながら、建物の上から飛び降り、勢いよく宙を蹴って突っ込んで来る。

 実際にその身体に大太刀を保持しているわけではなかった。

 少しだけ浮いている状態で、どうやらなにか源九郎にとっては未知の力、たとえば魔法とか霊力とか、そういうもので自身の動きに連動させている様子だった。

 ━━━そして大太刀の間合いに目標をとらえると小夜風は大きく身体をのけぞらし、振り下ろす。


「チィッ!!! 」


 狙われたのは、ラウルだった。

 建物の上から飛び降り、空中を蹴った加速を上乗せし、重力も利用して振り下ろされた大太刀。

 彼は舌打ちをしつつ横に大きく飛び、身体のどこに当たっても間違いなく致命傷となったのに違いないその一撃を回避する。

 地面の上を転がりながら飛びのいた勢いを殺しつつ、まだ抜いていなかった方の短剣も鞘から引き抜き、立ち上がってかまえを取った犬頭だったが、しかし、反撃はできなかった。

 小夜風はまた宙を蹴って空中に駆けあがり、とても短剣では届かない距離にまで移動してしまっていたからだ。


「ま、魔獣だ! アイツ、魔法の力を持っているッ!!! 」


 地上から小夜風のことを見上げていた鼠人マウキーが、パニックを起こして叫んでいた。

 どうやらこの世界では、ああした、不可思議な力を使う生物全般のことを魔獣などと呼んでいるらしい。


「ぐへっ!? 」


 キーキーわめき散らし、絶対に届くはずもないのに威嚇なのかナイフを振り回していた鼠人マウキーだったが、くぐもった悲鳴をあげるとその場に倒れ伏し、静かになった。

 いつの間にか背後に接近した巫女によって、辺りの家で炊事にでも使われていたらしい薪で強めに殴られたらしい。


「これ、魔獣などとひとくくりにするでない。それは人に仇なすモノも含んだ呼び名ではないか。小夜風は善狐ぜんこ、善良なモノじゃぞ。第一、かわいらしいであろうが。邪悪なモノどもと一緒くたにするでないわ」


 薪を足元に捨てながら、巫女は呆れと少しの怒りが入り混じった言葉を吐く。

 ━━━さりげなくトパス一味の一人が無力化される一方で、小夜風とラウルの戦いは続いていた。

 ほとんど一方的な戦況だ。

 不思議な力を持ったアカギツネは空中から、短剣では決して届かない位置から攻撃を続けている。


「ええい、こっちの間合いまで下りて来い! そしたら、その毛皮をはぎ取って、売り飛ばしてやるっ! 」


 犬頭はいら立って叫ぶが、当然、無視される。

 もしも小夜風が普通のキツネと同じように地上で行動するしかないのであれば、リーチで圧倒的に負けていたとしてもいくらでもやりようはあっただろう。

 ここは路地裏の奥まったところで、幅4メートル、奥行きが10メートルほどもある空間だった。大太刀を自在に振り回せるだけの広さはない。

 そこに付け込んで戦うことができれば、むしろ、取り回しの良い短剣で戦う方が有利なはずだった。

 しかし、小夜風は空中を移動することができる。

 横ではなく、縦に広く開けた空間を使って、大太刀を振るうことができるのだ。

 もっとも、縦にしか攻撃することができないから、すばしっこく回避するラウルをなかなか捕らえることができないのだが。


「おい、タチバナ! 」


 空中から鋭い視線で攻撃の隙をうかがっている善狐と睨み合いながら、犬頭が唐突に源九郎のことを呼ぶ。


「お前も加勢しろ! 」

「嫌だね」


 サムライは体の前で両腕を組んだまま、即答した。


「なんでお前ら悪党のために協力してやらなきゃなんねぇんだよ? そうだろ? なぁ」


 さすがに鼻や耳をホジるまではしていなかったが、投げやりな態度だ。

 なにしろ、どこの誰かはわからないが、巫女とキツネがこのままラウルたちを退治してくれれば、こちらにとってはこれ以上ないほどにありがたいという状況なのだ。

 厄介ごとには関わらないと決めていながら、マオのことを見捨てられずにこうして割って入ってくれているということは、彼女たちは少なくとも善の側にいる存在に違いなかった。

 犬人ワウ鼠人マウキーを倒してもらいさえすれば、事情を説明してフィーナの救出に協力してもらえるかもしれない。

 手を貸してもらえなかったとしても、悪党をメイファ王国の当局に突き出して警察(この世界に警察という組織があるのかはわからなかったが、それに類する役割を果たす人々はいるはずだった)に動いてもらえばいい。

 そうなればトパス一味を壊滅させることも、村娘を無事に助け出すことも不可能ではないはずだった。

 そういうわけで、源九郎にはラウルたちを助けるつもりなどまったくない。


「馬鹿なことは考えるな、タチバナ! ここはまだオレたちの縄張りだ! お前が裏切ったら、すぐに知らせが行く! そしたら、人質がどうなるか、分からないのか!? 」


 犬頭は再び振り下ろされた大太刀をギリギリのところで回避しながら、苦しそうに叫ぶ。


(苦し紛れの、出まかせさ)


 サムライはそう思ったが、しかし、それを言葉にはしなかった。

 絶対にそうである、という確信を持てなかったからだ。

 自分たちはこの街に来たばかりで、トパスたちに捕らえられたのは今朝のことだ。

 悪党たちが実際には何人いて、その組織がどこまで巨大であるのかはまったく知らない。

 街のあちこちに手先がいて、ラウルが言うように、裏切った瞬間にそのことが露見する、という可能性は、否定できなかった。


「くそ……っ! 」


 サムライは悪態を吐き、それから、犬頭に奪われ、その背中に預けられていた自身の刀に駆けよって柄に手をかけていた。

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