変わるものと変わらぬもの
カナフが突然ショーシャナに求婚し、皆を驚かせた、その次の週。
これまで通りに、ショーシャナとカナフの勝負は行われた。
その日の勝負は二対一でショーシャナが勝利した。
今でもまだショーシャナのほうが強いのだろう。
だが、それ程実力差があるわけでも無い。
今はもう、どちらが勝利してもおかしく無い状況になっている。
勝負を終え、その場を離れようとしていたカナフを、ショーシャナが呼び止めた。
「カナフ、先週は……どうして、あんな事を言ったんです?」
「あんな事?」
「……私を妻に迎えたいと、そう言っていたでしょう?」
「ああ、それはただ単にそれを望んだからなんだが……もしかして、何か打算があると思われているのか?」
「そう言うわけでは無いですが……余りに突然だったでしょう? 理由を知りたいんです。私はあなたに嫌われていてもおかしくないと思っていましたから」
そのショーシャナの言葉に、カナフは少し困ったような表情を浮かべる。
「突然……か。確かに、言われた側からするとそうなのかもしれないな。お前に敗れた事は、俺にとっては耐えきれない程の屈辱だった。敗れたあの日から、お前の事ばかりを考えていた。怒りと悔しさに
そう言って、カナフは自嘲するかのように笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「何度挑んでも、お前には勝てなかった。時間が経って、クラウスに言われた言葉で、初めて自分の目がどれだけ曇っていたのかに気付く事が出来た。それからは、お前が何故強いのかを考えた。お前の強さを知り、どう対抗すれば良いのかを考えた。お前と手合わせする度にお前を観察し、その技を分析し、対処方法を考えた。そんな風に、ずっとお前の事ばかりを考えていた。そうしているうちに、いつの間にかお前の事が頭から離れなくなってしまっていた。気付けば、お前に会えるのを楽しみにしていた。ずっと側に居られたらと、そんな事を考える様にもなっていた。まあ……お前からすると信じられないのかも知れないが、俺は自分の心に従った。ただそれだけなんだ」
そのカナフの告白を、ショーシャナは少し呆気に取られたような表情を浮かべながら聞いていた。
彼が話し終えてしばらくはそのまま動かず、戸惑いの表情を浮かべていたが、ようやくといった
「そう……ですか」
「答えは急がなくてもいい。気が向いたらで構わない」
「私が断ったら、どうするつもりなんですか?」
その問いに、カナフは笑みを浮かべ応える。
「その時は仕方が無い。潔く諦めるよ。ああ、安心してくれ。決して恨んだりはしないから」
そう言って、カナフは再度その場を離れようとする。
その背中にショーシャナが再度声をかけた。
「カナフ!」
カナフは足を止め、振り返る。
対してショーシャナは、カナフに向けていた視線を一度外し、大きく息を吐いてから、再び視線を戻した。
「あなたのその申し出を、受け入れようと思います」
「受け入れる? それは……」
「私を妻にしてくれるのでしょう?」
そのショーシャナの言葉を聞いたカナフは、少しの間驚きの表情を浮かべていたが、やがて微笑み、その言葉を噛み締めるかのような表情を浮かべる。
それから、ショーシャナの前で膝をついて
「ありがとう」
そこまでの二人のやり取りを聞いていたのだろう。
二人の近くにいた者たちが歓声を上げ、それを聞いた他の者達も何事かと寄って来る。
そうしている内に、二人を祝福する歓声はどんどんと大きくなっていった。
「……こんな事になるとはな」
亜人たちが騒ぐ様子を眺めながら、クラウスは呟く。
隣に立つアディメイムに目を向けると、彼はその顔に楽しげな笑みを浮かべていた。
ショーシャナを鍛え、カナフに挑ませた。
ショーシャナと勝負させ、その実力を知って貰う事で、他の者たちの意識が高まれば良いと思っていたが、そううまくは行かなかった。
ショーシャナの相手としてカナフを選んだのは間違いだったのではないかと考えたりもした。
だが二人を対戦させたことが切っ掛けとなり、こうやって結ばれる事になったのだとするならば、結末としては悪くない物であるように思える。
なおも騒ぎ続ける亜人たちを見る。
その場にいる誰もが、二人を祝福していた。
クラウスは彼らに声を掛け、今日の鍛錬はもう終わりにするようにと告げた。
騒ぎながら帰っていく弟子たちを、クラウスとアディメイムの二人は、笑みを浮かべながら見送った。
それ以降、ショーシャナが一人で丘の上にやって来る事は無くなった。
太陽が中天を過ぎた頃、彼女は他の者たちと一緒に丘の上へとやって来る。
大勢の男の中に女は彼女一人だ。
未だ彼女の存在を良く思わない者も残っている様だったが、クラウスとアディメイムを含む大多数が彼女を認めている中で、それを口に出すような者は居なかった。
それから数年もすると、丘の上にやって来る者達の中に、幾人かの女が混ざるようになっていた。
彼女らは皆、中々の腕前の持ち主だった。
どうやら丘の上に来る前に、ショーシャナが稽古を付けているらしい。
「お前はあれだな。将来、最初の女戦士とかって呼ばれる様になるんだろうな」
そうからかうような口調で言ったクラウスに対して、ショーシャナは困ったような表情で笑みを浮かべる。
「私が最初の戦士……お二人の最初の弟子と同じように語られるって事ですか? 流石に分不相応だと思いますけどね?」
「そうか? 何だろうと最初に道を作った奴ってのはそれだけで賞賛に値すると、俺はそう思うけどな」
「アディメイムもそう思われますか?」
その問いに、アディメイムもまた楽しげな笑みを浮かべて頷きを返す。
それを見たショーシャナは苦笑を浮かべる。
「それは光栄な事なんでしょうけど、少し気恥ずかしいですね。まあ、もしそんなふうに呼ばれるようになったとしても、ずっと先の事でしょうから……気にしてもしょうがないとは思いますけど」
そう言いながら、ショーシャナははにかんだような笑みを浮かべていた。
それからさらに数年が経った、ある日の事。
ショーシャナとカナフが連れ立って丘の上へとやって来た。
まだ午前中で、いつもの鍛錬よりも随分早い時間だ。
やって来たショーシャナは、その胸に赤ん坊を抱いていた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
弟子がこんな風に子供を連れて来るのは、何度目になるだろうか?
最初の弟子が、この丘に生まれたばかりの赤ん坊を連れてきた日のことを懐かしく思い出す。
それももう、三百年近く前のことになる。
それからこれ迄の間に、数え切れない程の赤ん坊をその手に抱いてきた。
ショーシャナが近付いてきて、抱いている子供を前に差し出した。
「この子を抱いていただけますか?」
「ああ、いいとも」
クラウスも応え、子供を抱こうと手を差し出す。
それを見たショーシャナは嬉しそうに笑みを浮かべながら、子供をクラウスに預けてきた。
腕に抱いたその赤ん坊は、うーうーと唸りながら、手足を元気良く動かしている。
その顔は無表情だったが、せわしなく動き回る様はとても楽しげに見えた。
「この子はいつ生まれたんだ?」
「五日前ですね」
「お前は、もう歩き回っても大丈夫なのか?」
「ええ、鍛えていますから」
そう言って楽しげに笑うショーシャナの隣で、カナフは苦笑を浮かべている。
カナフからすれば、まだショーシャナには安静にしていて欲しかったのではないだろうか。
クラウスは抱いていた子供を今度はアディメイムに預けた。
アディメイムに抱かれた子供は、先程まで激しく動かしていた手足を止めていた。
そして目を見開き、口をまんまるに開いてアディメイムの顔をじっと見つめていた。
子供と見つめ合うアディメイムの笑みが深くなった。
それを見たショーシャナが楽しげに笑う。
「あら? 急におとなしくなって……アディメイムを気に入ったんでしょうか?」
皆が笑みを浮かべ、その様子を眺めている。
しばらくしてアディメイムがショーシャナに子供を返すと、また手足を激しく動かし始める。
それを見たアディメイムが、楽しげに笑いながら地面に文字を書く。
『元気な子だ』
「ああ、本当にな」
きっとこの子は、元気に逞しく育つのだろう。
そしてすぐに大きくなって、この丘の上にやってくるに違いない。
それからもカナフとショーシャナの夫婦は、数年おきに丘の上に子供を連れてきた。
最終的に、二人は五人の子を成した。
五人目の子供が生まれて数年後、今度は二人の最初の子供が自身の足で丘の上へとやってきた。
十五歳になり、戦士としての鍛錬を積むためにこの場所にやってきたのだ。
「初めまして。リモンといいます。今日からよろしくお願いします」
「ああ、よろしくな」
緊張した面持ちで挨拶するリモンを、クラウスとアディメイムは笑みを浮かべながら歓迎する。
あの二人に相当に鍛えられているのだろう。
リモンは一緒に丘の上へとやってくるようになった同い年の他の者たちと比べると、その実力は頭一つ抜けていた。
生まれたばかりの彼を抱き上げた日のことを思いだす。
あの小さな子供が、立派に成長し戦士としての鍛錬を受けるためにやってきた。
本当に時の流れの速さを実感させられる。
さらにその翌年には、カナフが新しい長に選ばれたと言う話が聞こえてきた。
その話を、当人が丘の上にやって来たところで聞いてみた。
「カナフ。新しい長になったんだって?」
「はい。ずっと俺よりも相応しい者がいると主張していたんですが、聞き入れてもらえませんでした」
そう言って、カナフは妻であるショーシャナに視線を向ける。
その視線を受けたショーシャナは顔をしかめる。
「ええ、そうですね。カナフは私を長にしたかったようなんですが、断りました」
ショーシャナはそう言って苦笑を浮かべる。
カナフは自身の妻がいかに長となるにふさわしいか、それを皆の前で力説し、何とか皆を説得しようとしていたらしい。
だが当の本人の意思もあって、最後にはそれを断念したそうだ。
そうして結局皆に推されて、カナフが長となったらしい。
「まあ、なんて言うか、酷い言い様でしたけどね。私のほうが強くて、自分は頭が上がらないからとか、私の事をまるで怪物みたいに語ってたんですよ?」
そう言ってショーシャナは睨むような視線をカナフに向けながら、楽しげに笑う。
「お前は長になりたいとは思わなかったのか?」
尋ねるクラウスに、ショーシャナは笑顔で答える。
「ええ。色々と面倒そうですし、特になりたいとは思わないです。私はただ戦士になりたかっただけなので。優れた戦士が長になるというのもよくわからないですし。皆を纏めて導いて行く力と、戦士としての強さは別物ではありませんか?」
「まあ、別物だろうな」
「ですよね?」
そう言って彼女は笑う。
その頃には、この丘の上へと通って来る女の亜人の数も随分と増えていた。
そのほとんどが、ショーシャナに憧れて戦士になりたいと思ったのだと、そう言っていた。
ショーシャナは男女関係無く、若い亜人達の中では人気者で、よく手合わせを求められたりもしていた。
そのことについて本人に聞いてみた事がある。
「ただ単に女の戦士の数が少なくて珍しいからだと思いますよ。ただの興味本位でしょうから、多分すぐに飽きられるでしょう」
本人はそう言っていたが、彼女を慕う者が減ることは無かった。
かつてのように、彼女を女だからと侮るような者は、もう一人として居はしない。
誰もが彼女の戦士としての力量を認めている。
今のショーシャナと互角に戦えるような者は、片手で数えられる程度しかいない。
結局彼女はその実力で、周囲に自身を認めさせたのだ。
ショーシャナと出会ってからのことを思い返していると、その当人に声を掛けられた。
「どうしたんですか?」
「ああ、ここにやって来る女も随分と増えたと思ってな」
「そうですね。私のような物好きがこんなにいるとは思っていませんでした」
「物好きなのか?」
「ええ、わざわざキツい鍛錬を積んで、その上痛い思いをしなきゃいけない場所にやって来るなんて、物好き以外の何ものでも無いでしょう?」
「まあ、確かにそうかもな」
クラウス自身、物好きどころか狂人などと呼ばれていた。
戦士などというのは到底まともな存在では無いのかも知れない。
だが、元いた世界でもそうだったが、それになりたいと欲する者は多いのだ。
「お前がいなければ、こうはなってなかっただろうけどな」
「私のせいだっていうんですか?」
「いや。お前は選択肢を増やしただけで、選んだのはあいつら自身だからな」
「そうですよ。私のせいじゃありませんからね?」
そう言って彼女は楽しげに笑う。
その笑顔は今も変わらない。
初めて会った時と同じ、明るく快活な笑顔だった。
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