おやすみなさいグリーンミスト

 夜の帳が、深くジャーダイ伯爵邸を抱くノザン山麓に降りた。廊下の辻や階段の踊り場、出入り口には油断なく兵士が立っているし、無用の部屋は確認の上施錠され、厳戒態勢が敷かれてアリ一匹這い出ることができないように見える。

 でも、それをしているのはあくまで人間である以上、限界はあるわ。人は寝る間もなく動き続けられない。緊張と集中を強いられていれば、なおさらのこと。

 家来たちを厳しく指揮し、自身はどの出入り口からも素早く移動できる広い客間に陣取って構えるマリンカ・ジャーダイ女史は、隣に控えさせたルオキーノ師と相談しているわ。

「まったく。これでは大公閣下やアンリ殿下をお迎えなんて到底できないわ。宵っ張りじゃ肌に悪いし、お化粧も髪も崩れちゃうわ。どうしてくれるのよルオキーノ先生。あんたがきちんとウラーラとかいう女ワーディンを片づけてくれないからこうなったのよ!」

「いや、まぁ、そう、なのですが、ええ、まったく、はい、困りました・・・・・・」

 しどろもどろに答えるルオキーノ師は哀れに見えるわね。自分の雇い主が相手では強く言えるわけもなく、頭ごなしに使われて可哀想だわ。

 せめて彼は痛めつけることなく眠らせてあげましょう。ええ、そう。眠らせるの。

 私はこの時間まで、屋敷で放置されていた蒸留室スティル・ルームに残されていた薬剤を調合して各種の丸薬を作った。これらは口に含んでよく噛んで吐き出すことで効能を発揮するようになっているわ。

 私は床や壁に隠された通路や天井裏から屋敷内の人員配置を確認し、行動を開始する。まず、マリンカ女史からもっとも遠い位置に配置された兵士のところに行く。兵士は裏口の前に椅子を置き、そこにどっかりと座って周囲を睨んでいるわ。

 私はちょうど、そんな兵士の真上にいた。天井板の上で私は丸薬を一つ口に含み、かみ砕く。そうしながら蒸留室で入手した小さなナイフで天井板に小さな、本当に小さな穴を開けた。

 板にあいた穴から、薄明かりの中に座っている兵士の頭が見える。私はその穴から、口の中にある丸薬と唾液の混合物を、ふっ、と吹き出す。

 穴から吹き込んだものは、「眠りの毒」。吸引するものを強烈な眠気に誘い、その場に昏倒させるものよ。自分の頭上というまったく意識していない場所から掛かった毒霧を浴びて、兵士は椅子の上でがっくりと頭を垂らしていびきをかき始める。

 私は毒がしっかり効いているのを確信して、その場を離れた。急がなければいけないわ。毒の効果はせいぜい夜明けまでしか続かないからね。

 

 

「・・・・・・ねぇ、先生。なんだか廊下が静かすぎないかしら? あいつらちゃんと見張っているの」

「はてさて。確認して参りましょう」

 ルオキーノ師が戸口を開いて廊下に出た瞬間、待ちかまえていた私は眠りの毒霧を彼の顔に吹きかける。

「んな! なにをっ・・・・・・す・・・・・・ぐぅ」

「先生っ! 一体どうしたの」

 驚き声を荒げるマリンカ女史の前に、私は悠々と現れた。

「ひっ! ま、魔女!」

「ひどい言い草だわ。私は魔女じゃなくて、ニンジャよ」

「なによニンジャって! どうせワーディンの怪しい邪教の技なんでしょう! いやらしいわ!」

 まったく酷い言いようだわ。まぁ、たしかに、今の私はちょっと見栄えはしない。溜まった埃と蜘蛛の巣が張っている天井裏や壁の中を這い回ったから、それらが体中に張り付いている。口元はなんども毒霧を吐き出したことで丸薬の濃い緑色が滴になって胸へと垂れている。何も知らなければ魔女怪人の類と見られてもしかたないかも。

 とはいえ、そうは言っていられないわ。

「館内の人間はすべて眠らせたわ。後は貴女だけよ、マリンカ。すべてを白状して、大公閣下に下って沙汰を受けるならよし、そうしなければ」

「・・・・・・そうしなければ、なによ」

「このウラーラ・スプリングガルドが、世の理に変わって成敗するわ。領民を荒ませ、他家の縁談に横やりを入れ、子女の誘拐を教唆する、傲慢不遜の振る舞い、許し難いわ」

「言ってくれたわね! ワーディンの娘が偉そうに! ジャーダイ家は代々この地を支配してきたのよ。ポッと出の、侯爵家が物を言える道理などないわ!」

 言うが早いか、マリンカ女史が脇に置かれた杖を掴んで魔導衝撃波マジックブラストを放つ。私はその動きを既に読んでいたわ。

 以前はとっさのことでブリッジ動作で回避してしまったけど、今度は違う。私は逆に、自分に向かって飛んでくる霊光に向かって駆けだした。

 目の前に迫る魔法の光弾に対し、私は床に張り付くように滑り込み、すれ違った。背中の上で髪の端がチリチリと弾けている。

 後に残ったのは、魔導衝撃波を撃つには近すぎる間合いに立つマリンカ・ジャーダイだ。私は腕に巻いていた聖霊銀のリボンを解き、放った。

「キエェイ!」

 投げ出したリボンは彼女の構えていた杖に絡みつく。私が素早くリボンを引き戻すと、マリンカ女史はあっけなく杖を手放してしまった。

「あっ! 私の杖が!」

「これで魔導衝撃波は使えないわね」

 杖を奪われたマリンカ女史は、はっと、目の前に私がいる事に気づき、かと思うや、やおら懐からナイフを出して私に飛びかかった。

「きゃあぁっ!」

 奇声を上げた破れかぶれの行動。私は胸をめがけて突き出されたナイフの切っ先をつかみ取った。

 しっかり握られた切っ先が押しても引いても動かないことにマリンカ女史が毒吐いた。

「この、この、離しなさいよ! この、魔女!」

「だから魔女じゃないって言ってるでしょ」

「魔女じゃなければ、どうしてあんたが、アンリ殿下の許嫁なんてなれるのよ! どうして、どうして!」

 怒りと悲しみがせり上がった声で、マリンカ女史は叫んでいたわ。まぁ、マリンカ女史はアンリ殿下のことをそれほど想っていらしたのね。

「あんたなんかにアンリ殿下はふさわしくない! アンリ殿下、いえ、トゥールーズ大公家はノーランドーで指折りの名家よ! 私のような名族の女こそがふさわしいはずなのよ!」

「分からないわ、マリンカ・ジャーダイ。貴族の婚姻は家同士のつながりのためのもの。私自身の意志ではないのだから、私を恨むのは筋違いではないかしら。恨むなら、私の父スプリングガルド候よ」

「それができれば苦労はないわよ! あんたには分からないでしょう! 父が亡くなって、未婚のまま領地を継承した私の苦労なんて! 後見の付かない女は見合いの相手さえ現れないのよ! それが、こんな、父親が英雄だからってちやほやされるような、娘に・・・・・・!」

 燃えるような悲しみが彼女の心をこんな行動に向けている。哀れを催すところだけど、鉄心の私は決心が揺らぐことはない。

 私は掴んでいたナイフの切っ先を離す。もちろん、手には一切の傷はないわ。

「なに・・・・・・?」

「突いてみなさいな。マリンカ・ジャーダイ。貴方の意志が強固なものなら、私の胸を貫けるかもしれないわよ」

 手を広げ、胸を晒して彼女の前に私は立つ。マリンカ女史は手にあるナイフと私を見比べると、意を決したのか、私を睨みつけて、構える。

「いやぁ!」

「んっ」

 悲鳴のような声をあげて、ナイフが私の胸へと突き込まれた。しかし、鉄心の術を決めている私の肌はナイフを受けても傷一つ突かず、切っ先がほんのわずかに肌の上に食い込むくらい。毛筋ほどの痛みもない。

「くっ! くぅっ! こ、この! このぉっ! どうして死なないのよっ!」

「・・・・・・残念、マリンカ・ジャーダイ。時間切れだわ。はっ!」

 懸命に押し込むマリンカ女史のナイフを、私は体のバネではじき返した。その衝撃で、ナイフの刃がバキンと折れ、壁に突き刺さった。

「はぁ!? あんた、なんで!?」

「これがニンジャよ」

「ニンジャってなんなのよぉ!? この魔女! 狂女! 化け物女ぁ!」

「うるさいわね。貴女は終わりよ、マリンカ」

 私は口の奥に残しておいた丸薬をかみ砕き、眠りの毒霧を口に作って吹き付ける。

「ふっ」

「あっ!? か、なに、を、すぅ・・・・・・」

 毒霧を吸い込んだマリンカ女史の目が、どろりと明後日を向いて倒れる。

 貴女の気持ちを汲むことはできないわ。報いは受けてもらいましょう。

 もちろん、私のニンジャの技でね。



 周囲のざわめきに反応して「顔を袋で隠した闖入者ちんにゅうしゃの魔女」が起きた。

「さぁ、魔女が起き出したわよ」

「んんっ!?」

 手足を縛られ暴れる「魔女」に対し、おお、と兵士たちの歓声があがる。

「お前たちの尽力と貢献に報いて、この魔女の処遇はお前たちに任せるとするわ」

「ほ、本当ですかい、御舘様」

「ええ、本当よ。煮るなり焼くなりしなさいな」

「んんっ!? んんっ!」

 「御舘様」と呼ばれた私は気前のよい振りをして鷹揚に頷いた。

 私の顔はニンジャの化粧術でマリンカ・ジャーダイに見えているし、声色も変えている。ドレスはちょっと体型に合わないけど、廊下の張り出しから階下にいる兵士たちからの目には、ほぼ分からないでしょう。

 一方、「魔女」は手足を縛られ、柱に繋がれている上に、顔には袋を被せられている格好で、失礼だけどドレスを失敬するために脱がせてもらったわ。

 屋敷内の兵士たちは「全裸の魔女が屋敷に侵入して隠れているから見つけ出せ」と言われていたから、目の前の裸女が魔女である、と言われれば、そうだと思いこむわ。

 事前に私は興奮作用のある香をロビーに焚きしめ、そこに目を覚ました兵士たちを集合させた。「宵っ張りの仕事のおかげで魔女を捕らえた」と言われれば、眠気も吹き飛んでみんなぞろぞろと集まってくれたわ。

「ふへへ。お、御舘様、この袋をとっちまっていいですかね。魔女の面が見てみてぇ」

「そうだな。こんな恥ずかしい格好で屋敷に紛れ込むような女だ。是非とも顔を拝ませてほしいぜ」

「ええ、いいわよ」

 それを聞いて「魔女」は一層に暴れるけど、多勢に無勢ね。屈強な兵士たちが暴れる体を取り押さえて、顔を隠す袋に手をかけた。

 袋を締める紐が緩められ、無造作にはぎ取られた、その中の顔を兵士たちは見た。

 その瞬間。

「いやぁ〜〜っ!」

 絹を裂くような悲鳴がフロアに響きわたり、兵士たちにどよめきが走った。

「みっ、見るなっ! みないでぇっ!」

「ええっ!? お、御舘様っ!?」

「この馬鹿ども! 本当の魔女はあいつよ!」

 迫り出しから姿を隠しながら、私はマリンカ女史の悲鳴と兵士たちの動揺を確かめ、満足したわ。後は私の手の中にある、人攫いを盗賊に差配した証拠を大公家に渡せば万事解決かしら。


 と、その時。正門扉が外からバンと開き、完全武装した兵士の集団が屋内に流れ込んで、叫ぶ。

「マリンカ・ジャーダイ伯爵! トゥールーズ家令息アンリ殿下誘拐の容疑で逮捕する! 神妙に縛につけ!」

 アンリ殿下が誘拐ですって?!

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