おじゃましますハックイン

「アンリ殿下が来られるというのは本当なのね?」

「ええ。ただいま向かっておりますと、先触れが申しておりました。如何なさいますか、マリンカお嬢様」

「お嬢様はやめてちょうだい! いつまでもそうやって、子供扱いして!」

 甲高い声で女伯爵マリンカ・アレクシア・ジャーダイは彼女に答える壮年の男性に答えていた。

 男性の背格好はローブに杖、腰には宝珠を埋め込んだベルトを巻いているなど、一目で魔法使いと分かるものだ。灰色に近い薄い金髪にこれまた灰色の目が知性の輝きを感じさせ、年齢以上に老けているようにも、若作りであるようにも見せている。

「失礼しました、マリンカ様。ですが、長らくの辛抱の成果がでたのではありませんか。そう思うと、あなたの家庭教師として長く勤めている私には、我が事のように喜びに堪えませんよ」

「ほほほ、忠信厚い者を傍に置けて、私も鼻が高いわ、ルオキーノ先生。でも、まさか本当にうまくいくとは思わなかったわ」

「領内の厄介者だった盗賊グループに渡りを付ける事が出来たのはまことに幸運なことでございましたな」

「下賤な輩に金貨を握らせるのは進まなかったけど、愛のためにお金に糸目はつけないわ」

 言葉を裏付けるように、マリンカ・ジャーダイ女史の容貌にはふんだんにお金が掛かっているのが一目で分かった。濃い金髪の髪は豊かに巻き上げられ、無数の色の宝石が使われた装身具が身体の至る所にあるし、着ているドレスも貴族の格式を思えば破格のものといえるでしょう。

 天井裏に張り付いて私は二人の会話を聞いていた。二人はいかにしてか、この舘へアンリ殿下をお招きすることに成功したみたい。

 でもどうしてかしら? 殿下は私が拉致されたことをご存じではないのかもしれない。そうだとしたら、悲しいことだわ。

「あの赤毛のワーディンの娘、ウラーラといったかしら? 今どうしてるの」

「盗賊たちのアジトに留め置いております。生かしておき殺すなと申しつけてありますよ」

「ふん。くびり殺してやればいいんだわ! 大公家に嫁ぐなんて、ワーディンの癖に生意気よ」

「ですがマリンカ様、スプリングガルド候は英雄です。諸侯には彼に好意を持つ方々も多数おられます。係累もあの娘一人ですし、傷物にするのはいかがかと」

 ワーディン、ワーディンと、私と父のことを繰り返すマリンカ女史の目は鋭いわ。ワーディンとは古いノーランドーの言葉で異邦人のこと。遠いホーライ国から来訪した父とその娘である私を余所者だと言っているのね。

「トゥールーズ大公家に誼を結び嫁ぐべきはこのジャーダイ家であるべき、そうよね? ルオキーノ先生」

「ええ、ええ、そのとおり。亡きお父上もそのように仰せになり、死後もお嬢様を御支えするように私に言い残されましたから」

「お嬢様はおやめったら! はぁ、お化粧を直しに行くわ。貴方は下の者たちに歓待の支度をさせておきなさい」

「かしこまりました」

 つかつかと靴音高く、マリンカ女史は部屋を出ていき、ルオキーノ師もそれに着いていった。


 しっかりと戸口が閉ざされたのを確認して、私は天井板を外して室内に降りた。室内には濃厚な香水や化粧の匂いが残っている。こんなに厚化粧してもアンリ殿下の歓心を得られるとは思えないけれど。

 それはさておき。私は室内を一瞥する。どこかに盗賊に拉致を依頼した事を示す証拠の品がないものかしら。

 この部屋は煙草室、煙草を楽しむ為の部屋ね。テーブルや炉には刻んだ煙草の葉が飛び散っていて、吸いかけの煙管が置かれているくらいで、大事なものはなさそう。

 戸口に張り付き、廊下の様子を探ってから開く。廊下に出たら、人の気配を辿って別の部屋を目指すわ。

 ジャータイ屋敷はどこを見ても豪華な造りで、床には毛足の長い絨毯が敷かれているし、壁にもそこここに絵画が飾られ、天井もこれでもかというほどに装飾がされている。はっきり言って悪趣味だわ。

 廊下を進むと、曲がり角から光が漏れている野が見えた。注意深く覗くと、そこは階下を見下ろせる張り出しになっていたわ。

 絨毯の毛足の中に潜り込むように張り付いて近づくと、階下のざわめきが聞こえてきた。

「御舘様ぁは行儀良くしてろっていうけどよぉ、本当に大公なんて偉い奴がくるのかねぇ」

「大公じゃない、大公の息子だ。それでも俺たちとは比べものにならないほど高貴って奴よ」

「宿六暮らしから拾い上げて貰ったんだろ、貰ってる金の分くらいは働けよ」

 がやがやとうるさく、本当に公爵配下の兵隊なのかと思うほど素行が悪いわね。

 外聞を整えるだけのために、数合わせのためによろしくない人間を抱えているといったところかしら。

 張り出し廊下を、絨毯に埋もれるように通り過ぎる中で、私はマリンカ女史へどのような成敗をしてやればいいかを考えていた。はっきり言って、女史は蒙昧で、自分の願望ありきで今回の陰謀を仕組んだとしか見えない。

 きっとはじめは、異邦人の娘、しかも自分より位の低い侯爵の娘が、大公家の息子と結ばれることへのやっかみや不満がきっかけだったのでしょうね。そしてどうやら、それを諫めるべき目上の者がいない環境で増長し、なぜか領内にうろつく盗賊グループとつながっていた家庭教師の魔術師を通じて私を・・・・・・。

 迫り出し廊下を抜けて丁字に延びる廊下に立つ。鼻孔に煙草室に残っていた化粧や香水の匂いをかぎ取りながら進み、一つの戸口にたどり着く。

 戸口がほんの少し、手のひらほどの幅だけ開いていて、中を覗けば、マリンカ女史が鏡台に向かっているのが見えた。傍控えらしき老女が賢明に化粧や髪を直してやっているが、あまり変化はなさそう。

 私は目の前の僅かな隙間に身をねじ込む。一見すれば、この隙間に身体を通すのは不可能と思われるけど、そんなことはない。私はニンジャだから。

 ニンジャには軟体術というものがあるわ。全身の関節を自由に外すことができるこの術を使い、戸口の隙間に身をねじ込むのだ。

 肩から下をまるで蛇のようにのたくらせて部屋に入った私は、背の高い家具の陰に隠れながら続き部屋になっているらしい、マリンカ女史の書斎に進む。

 マリンカ女史の書斎は一言で言えば魔女の部屋だったわ。古ぼけた書物や標本で埋まった棚や、薄紫色の水晶玉なんかが置かれていて、なんとも不気味。でもそんな中でも書き物机だけは楚々として格調を保ち、これだけが伯爵の家柄という重さを主張している。

 手足の関節をはめ直して立ち上がり、机の上を調べはじめた時、腕に巻いていた聖霊銀のリボンに何かが引っかかる感触があるのが気になった。

 聖霊銀は特別な金属で、古くは魔除けや呪い返しの護符にも使われていたと、幼い頃に母が仰っていたわ。

 この禍々しい空気が溜まっている部屋の雰囲気にリボンが何らかの反応を示しているとしても不思議じゃないけれど、今はそれよりも悪行の証拠を見つけたいわ。

 机の上には書き掛けの便箋と帳簿が数冊。マリンカ女史は彼女なりに領地経営をやろうとしているけれど、うまくはいっていない。見れば先代、先々代からの借財がかなりあるらしく、領地収入は右から左に流れるばかりみたい。その上、伯爵家らしい格式を整えるために様々な支出を繰り返しているわ。

 ノーランドーで特に国と呼ばれる領地を持ってる貴族ともなれば、それ相応に他の貴族とのつきあいをしなくちゃいけないし、自分より下位の貴族を懐柔したり庇護したりしなくちゃいけないから、格式を整えるのは大変ね。その点、スプリングガルド候国は外様だし、候爵程度じゃ手下につく貴族もたかがしれているから、身軽なのかしら。少なくとも、そういうことで父があくせくしているところを見たことはないわ。


 さておき、若きジャータイ女伯爵はそのように進退に汲々としていくなかで、アンリ殿下との誼を通じて失点の回復を計りたくなった、ってところかしら。不純、とは言わないわ。貴族の婚姻や友誼に実利はつきものですもの。でも、横入りは頂けないわね。

 帳簿をめくっていくと細目が記載されていない出金をいくつか見つけ、さらに分類別の帳簿からそれらしい項目がないことがわかる。さて、ではこの出金はなにかしら?

 答えは引き出しの中にあった。低廉な石版画とおぼしき人物画に「このものを見つけ次第、巡回する警備兵もしくは村長に報告するもの、以下の褒賞を取らす」云々。

 描かれた人物は視線鋭く、頬は薄く、悪道に落ちた者特有のうらぶれた雰囲気が、しっかりと描写されている。私はこの者を知っている。私を浚った盗賊の大将だわ。そしてどうやら、マリンカ女史は領内にばらまかれたこの手配書をすべて回収するように命じたらしきことが、同じ引き出しにあった伝令書の写しで分かった。

 私は手配書と伝令書の写しを抜き出し、小さく、細かく折り畳む。ニンジャ独自の折り畳み法によって二枚の紙は一目でそれとわからないような紙紐に変わったそれを髪の中に隠して、書斎から脱出しようとしたその時。

「誰!? そこにいるのは!」

 書斎の戸口にマリンカ・ジャーダイが立ち塞がっていた。


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