33 美香と女子会
「やばいわよ、あの子。本気も本気。急に仕事に関して真面目になっちゃって、こっちの課長に転属したいって何度も相談してるもん」
週末、久々に美香と仕事終わりに飲みに行った。
カジュアルフレンチのおしゃれな雰囲気のお店は美香のお気に入りで、二人きりのときに何度か来たことがある。
落ち着いた照明に照らされたゆっくり過ごすための雰囲気づくりが抜群のその店で、テーブルを挟んで向かい合った美香は表情を歪めている。
「さすがに総務の子がいきなり一課に転属は無理だろうなぁ」
「それが、本人もその辺のところは分かっているらしくて、まずは営業二課を狙ってるみたいなのよ。元々あの子入社当時営業希望だったみたいだから上司の方も簡単にノーとは言えなくてね。何だかんだ話が進んでるっぽいのよね」
「へえ、木野さん営業希望だったんだ」
「総務に配属されたときはいつか営業に異動してやるって結構頑張ってんだけどねぇ。時間が経つにつれてやる気が萎んだみたいで半年くらい経ったときにはもう諦めたみたい。無難に仕事とプライベートを楽しむようになったと思ってたんだけどねぇ」
「ふうん」
入社時に営業職を希望する女性社員ははっきり言って少ない。
私は部活の延長戦上の気分でやるからには努力した分の結果が確実に出るところが良いと営業を選んで運よくそのまま営業に配属されたのだけれど、入社後女性社員で営業に配属される子は大概他の部署を希望していたけれど、会社の判断によって配属されたというパターンが多い。
元々営業を希望しているのならその希少性からストレートで配属されそうなものだが、総務の方が向いていると会社が判断したのだろう。
「うちの会社って入社数年で希望出せば配属替えさせる習慣あるし、希望通りそうな勢いよ」
「仕事を頑張ることは良い事だけどね…」
頑張る切っ掛けになった理由が理由なだけに素直に賞賛できないのが微妙なところだ。
それに元々の原因は良也との喧嘩なのだ。
その結果どうして課長に認めてもらって親しくなるために一課を目指すことになるのかがさっぱりわからない。
けれども、噂を聞く限り一課を目指している女性社員の中で木野さんの本気度が一番高い気がする。
ただ意地を張っているにしてはおかしい。
「木野さんってそんなになって頑張るほど課長のこと気に入っちゃったのかな?」
思ったことをそのまま口にしたら、ジロリと正面から睨まれる。
「悠長なこと言ってる場合なの? 全員一課を目指す、イコール陸を目指した上で課長を落とそうとしてるのよ」
「う~ん、確かにうかうかしてられないかも。他の女性社員に営業成績追いつかれたりしたら一課の皆に顔向けできない」
万が一業績を追い抜かれでもしたら追い出され兼ねない。そんな簡単に抜かれるとは思わないけれど、これまで以上に気合を入れて仕事に打ち込まなくては。
ひとりで気合を入れなおしていると、美香にこれ見よがしなため息を吐かれる。
「違う、そこじゃない。私が言いたいのは榊課長が他の女に取られてもいいのかってこと」
「ええっ。私は別に……」
「何が別によ。そっち方面に関しても陸の有利は間違いないけど、恋愛なんて何が起こるかわからないんだからね」
「だから、何で美香はそんなに私と課長をくっつけたがるのよ。もういいじゃない、そっちはそっちで上手くいったんだからさ」
「私と和臣さんが上手くいったのとアンタと榊課長の話は別よ。ていうか、和臣さんもアンタ達のこと応援してるわよ」
和臣さんとは即ち森さんのことで、こちらが旅行の後半から訳の分からないことに巻き込まれている間にちゃっかり付き合うことになったというから、報告を受けた時はかなりびっくりした。
知り合って2日の即決だ。
確かにお似合いだとは思ったし、今でもそう思っているけど、そんな簡単に付き合う相手を決められる感覚は私の理解の範疇を超えていた。
しかも既に名前で呼び合う仲になっている。私が良也と付き合ったときは名前で呼び合うまでに3ヵ月は費やしたぞ、まったく。
そして、旅行中に一緒にビーチで遊んだり二人きりで外で夕食を食べたりした私達を見た美香と森さんは、それからというもの私と課長をくっ付けたがり、今に至る。
「ていうか、アンタ課長の事どうでもいいって思ってるの?」
「えっ」
今までに聞かれたことのない問いに私は固まってしまった。
「課長のことどう思ってんの?」
課長のことをどう思っているのか?
「……はっきり言って、最近自分でもよくわからない」
「あら、偶々同じ課で働いている唯一の女子社員っていう認識からここ数日で少しは成長したのね」
美香は僅かに口元を綻ばせて、満足げに腕を組む。
一方私は背中を丸くして美香と目を合わすことすらできない。
「元々恐いけど嫌いじゃないし尊敬もすごくしてるってことは間違いないんだけど……。杉浦と別れたタイミングで課長とはいろいろ有り過ぎて、すっ好きとかそういうの考えられなくて」
「いろいろってのがもの凄く気になるところなんだけど」
「えーとねぇ……」
美香に話すべきかどうか悩む。思い出すだけで恥ずかしいと思うことばかりなのに言葉に出すなんて拷問に近い。
けれども、今の私は自分の感情を持て余している。
自分で自分がわからない。
私は実はここ最近、仕事と馬鹿な良也とのやり取り以上に頭を悩ませていることがあるのだ。
旅行2日目の居酒屋からの帰り道。
海岸で課長と二人きりで歩いたあのとき――
――あのとき偶々良也達に遭遇しなかったら、私は、私達はどうなってしまっていたのだろうかっ。
お酒が入っていたからといって次の日に記憶がなくなるなんて都合の良いことは起こらず、翌日の朝、私は酔いの醒めた頭で真っ先に前日の中で最も違和感のあったあの場面を思い出した。
そして、冷静な思考は客観的な分析を脳内で作り出した。
――あのままだったら確実にキスしていた。
そう思った瞬間、私は自分の周りに未だ布団の中で熟睡中の同室の皆がいることを忘れ、一人大声をあげて込み上げてきた人生最大級の恥ずかしさを誤魔化した。
勿論周りに何事だと怒られた。
それからというもの、ことある毎にあの瞬間を思い出す。
課長は私にキスをしようとした。そして私はあのとき抵抗しなかった。
酔っぱらってはいたけれど、逃げられないなんてことはなかった。
けれど、私は逃げなかったんだ。
なんで?
普通に考えたら答えはひとつだ。
けれどもそれを認めようとすると私の心はストップを掛ける。
勘違いなんじゃないだろうか?
課長が思わせぶりなことをしてくるからそれに引っ張られてそんな気になっているだけなんじゃないのか。
憧れの人に、社内きってのイイ男に構ってもらって、恋心だと錯覚してるんじゃないのだろうか。
考えれば考えるほど、自分の気持ちがわからなくなる。
こんなことを考えて考えて、答えがみつからなくて、実は少し寝不足だ。
人に話すことによって自分の気持ちが少しでも整理できるなら、美香になら話してもいいかもしれない。
そう思って口を開こうとした。
けれども、最初の言葉を発しようとすると声が出ない。
人に頼って解決したくない。
自分の中のごちゃごちゃの感情を人に曝け出す勇気が出てこない。
「やっぱり秘密」
自分の内心を隠すためにおどけて笑ってみせると、美香は不満そうに唇を尖らせて文句を言った。
けれども無理に聞き出すようなことはしてこない。
そんな美香だから友達になったんだと思った。
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