6 商談は滞りなく


ロビーに乗り込み、受付で用件を伝えて案内を受ける。


5階の小会議室が商談の会場になるらしい。


課長を先頭に、私たちは胸を張って颯爽と歩く。


会議室に入ると、そこには二人の男性。


一人はシンプルなブラックのスーツにワインカラーの柄ネクタイをした頭髪の薄い年輩の男性。おそらくこっちは今年から商談に加わった渡辺部長。


そしてもうひとり――


私は予想していた「坂上課長」像とまったく違う印象の男性の姿に正直驚いた。


長身にしっかりワックスでセットされた髪。色黒で彫りの深い顔。口元で輝く白い歯。


うちの課長もイケメンで有名らしいが、こちらの課長も負けてない。


年は40代くらいだろうか。榊課長よりも渋い大人なイメージ。


普通の女性なら、笑顔を向けられたら頬を染めてしまいそうな男性なのかもしれないが、今の私にとってこの坂上課長はただのターゲット。見た目も私の好みではない。


課長がまず代表として挨拶をする。


次いで、上原さん。


課長はここ数年毎年、上原さんは一昨年、S社の商談にあたっているみたいで坂上課長と少し親しげだ。


そして次は私の番。


「お初にお目にかかります。同じく営業一課に所属しております川瀬陸と申します。今回私が主に新商品のご案内をさせていただきます。どうぞよろしくお願い致します」


女らしさを意識して普段より大人しめな笑顔を作り名刺を渡す。


すると、坂上課長が少し驚いた顔をしている。


「営業一課? 榊さんのところは男性しかいないと有名な課だったような気がしたけど」


「ええ、私は入社から所属させていただいておりますが、女性社員が長期で我が課で働くのは珍しいことのようですね。今年でやっと3年目です」


「へえ、すごいなぁ」


本気で感心してくれているらしく、目を丸くしてこちらを見てくる。


その視線を笑顔で受けると、坂上課長ははっとして私たちに席を勧めた。


プレゼンは私を中心して滞りなく行われた。


質疑応答の会話にも積極的に関わり、出来る限りの熱意を伝えつつお淑やかに前に出過ぎないように気をつける。


渡辺部長も坂上課長も熱心に話を聞いてくれているという手応えはあった。


一時間半という時間をフルに使って交渉は終わった。


「いや、非常に良いお話を聞かせていただきました。一度持ち帰って検討する形を取らせていただきますが、きっと良い返事ができるでしょう」


交渉が終わって第一声、渡辺部長の言葉にちょっとだけほっとする。


「ありがとうございます、何卒よろしくお願い致します」


私達3人は課長の言葉に合わせて、頭を下げる。


「では、上原はこれで失礼させていただきますが、引き続き本日はよろしくお願い致します」


うっ。


とうとうこの時が来てしまった。


商談はこれでおしまい。


そしてこれからは接待。


私の本日二回目の本番が始まる。




私たち三人は一度ロビーに下り、S社の二人が準備をして下りてくるのを待つことになった。


ガラス張りの壁面から外を見るともう日が沈みかけている。


上原さんは今回の商談の報告書を作成するためにここで会社に一人戻ることになっていた。


「あー、ここで帰るのは本当に気が引ける! 川瀬さんここからが本番だよ! マジで気をつけて!」


S社のロビーだから小声だけど、私の両手を掴み心の底から訴えてくる上原さん。


そんな風に言われると、本当に何か起こりそうで恐い…。


課長と上原さんに事前に聞いた話によると、坂上課長は商談中は対しておかしな行動を取らないが、お酒が入ると豹変するらしい。


豹変というか、内に隠していた本性が出てくるとかなんとか。


上原さんの様子を溜息混じりに見ている課長。


「お前はさっさと戻って報告書作れ」


「わかってますよ。だから課長は絶対あの人から我らが川瀬さんを死守して下さいよ! 俺一課の皆から散々頼まれたんですからね!」


「我らがってな…」


上原さんが仕事中にも関わらず課長に強く念を押す。


皆私を娘か何かと勘違いしてるんじゃないか。


一人苦笑する私の肩に課長がポンと手を置いた。


「わかった、わかった。川瀬は俺が責任持って護衛するから、お前はさっさと仕事終わらせとけ」


その言葉を受けて少しは安心したのか、上原さんは子供みたいに大きく手を振ってロビーを出ていった。


「なんなんだ、あいつは」


課長は疲れた声で唸る。


「あはは、心配されているこっちが不安になるようなことを言って去って行かれましたね」


私の脳天気な口調に課長は低い声のまま言う。


「何油断してんだ。お前の仕事はここからだぞ。いかに相手を不快にさせずに、いかに自分を守るのか」


「そこに関しては自信ないんですけど…、こればっかりはそういう状況を体験したことがないので練習のしようがないですからね。ぶっつけ本番あたって砕けろですね」


「砕けられたらこっちは困るんだが…」


課長のツッコミは敢えて無視。


「それに商談をした感じだと坂上課長は大して私に興味なさそうでしたよね。話も真面目に聞いてくれたていたし。去年まで来ていた女子社員とかなり印象違うだろうし、きっと接待でも変なことは起こりませんよ」


「それならいいんだがな…」


不安気に私を見下ろしてくる課長。


そんなに不安そうな顔をしなくても良いのに、と少し不満に思ったが、その後課長の不安はしっかり的中してしまった。

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