第5話 猫寺 その二



 その奇妙な光景。

 百に近い数の猫が、みんな片目。それも右目がない。真魚華がカラーコンタクトを入れて悪魔に取り憑かれているふりをしていた目。結果、美代の猫につぶされたほうの目だ。


 今日の寺内は異様な気配に満ちている。妖気だ。何かがひそんでいる気がした。


(おかしいな。この前と空気が違う)


 しかし、ひるんではいられない。何かがいるというのなら、その何かをさぐるまでだ。どう言って敷地をくまなく見せてもらおうかと龍郎は思案する。


「今日はこの桜の話でもしましょうかねぇ」と、住職は勝手に話しだす。


「お願いします」

「見事な大桜じゃろ? 島のなかでも随一だが、本州でも、なかなか、これほどの桜はないもんだ」

「そうですね」

「じつは昔、この寺には若い絵描きが逗留とうりゅうしておった。島の外からやってきてな。まだ絵師としては名もない男だったが、見栄えがよくてな。島じゅうの娘がさわぐほどのイケメンじゃった」

「イケメンですか」


 いつまでこの話を聞いていなければならないのだろう。理由をつけて境内を見てまわりたいのだが……。


 だが、そんなふうに思ったことを、龍郎は後悔した。住職の口から美代の名前が出たからだ。これは思わぬ収穫になるかもしれない。


「イケメンだったからなあ。人妻や年頃の娘に迫られることも多かったが、絵師にはひそかに恋人がいたんだ。それが、美代でな」

「えッ? 美代さんですか? 下井家の美代さん?」

「宗太郎に見そめられた美代だよ。ほれ、恋人がいるというウワサがあっただろう」

「ありましたね。そのせいで、けっきょくは自殺に追いこまれた」


 たしか、二人で密会していることがバレて、美代の恋人は島から追いだされたという話だ。


「なるほど。その絵師って、なんて人だったんですか?」

「本名はもう誰も知らんよ。雅号がな。月島秋玲つきしましゅうれいと言った。そのほかのことは、どこの出身だとか、何歳だったとか、何もわからん」

「絵師として芽が出なかったんですか?」


 有名な絵師になっていれば、江戸や室町時代じゃないんだし、本名くらいは伝わっているはずだ。


「……」


 なぜか、住職は黙りこんだ。妙な間が二人のあいだをただよう。


「月島さんですか。その絵師さんと、この桜が何か関係でもあるんですか?」


 問いかけると、住職は我に返った。


「ああ、うむ。そうだ。そもそも、この島に逗留とうりゅうしていたのは、この桜を描くためだった。寺の屏風びょうぶを見てみなさい。素晴らしい絵が残っておる。雅号はその絵に書かれているのでな」

「見てみたいですね。その絵」

「うむ。よかろう」


 これで、とりあえず本堂を見に行ける。それに美代の恋人だったというなら、その絵にも興味が湧いた。その絵師が今、この寺のなかに充満する妖しい邪念に関連している可能性はすてがたい。


(まったく、なんだって小さな島なのに、こんなに悪魔がたくさんいるんだろう? どうもおかしいな)


 悪魔はもともと神として生まれたものか、邪念を持つ人間や霊が悪魔化するかのどちらかだ。人間が変化するものは低級悪魔にしかならない。魔物としては、それほど強くない。


 本来、そうとうに強い思いがなければ、悪魔に変質することはないのだ。人工の多い都会でなら、ストレスや不満、妬みや憎悪など、負の感情が蔓延まんえんし、一種の霊場になっていることがある。そういう事情がなければ、せまい区域内で複数の悪魔が出現するのは不自然だ。


(霊場か。そう言えば、前に六路村に行ったとき、ここと似た状況だったな。あっちにもこっちにも霊があふれてて。あそこは六道に通じる霊場だったからだ)


 もしかして、この島も霊場になっているのだろうか?

 だから、悪魔がウヨウヨいるのか?


 考えながら、住職のあとをついていく。なんとなく足元がユラユラする。妙な感覚をおぼえて、龍郎が顔をあげたときには、本堂にたどりついていた。


 手前の木の階段をあがる住職のあとを、猫たちがついていく。片目の猫が従者のようにつきしたがい、そのせいか、あたりはイヤに獣くさい。


 寺はどうやら浄土真宗のようだ。キラキラした飾りが目につく。本堂なので当然、仏像が真正面にあり、大きな木魚や香箱のようなものも置かれている。


 しかし、何より目をひくのは、左手に立てられた屏風だ。墨絵だが色つきかと錯覚するほど見事な桜が描かれていた。墨の濃淡が花の陰影をたくみにとらえ、まるで現実にそこに桜の大木が咲き誇っているかのようだ。


「わあ、スゴイですね。これはキレイだなぁ。でも、この傷は?」


 それは絵師の才能を存分に発揮した華麗で趣深い絵ではあった。が、残念なことに一点、傷がある。しだれ桜の枝に黒猫が一匹、座している。その猫の右目に誰かがキリかナイフでも刺したように穴があいている。絵として、もっとも要の部分だ。


「もったいないなぁ。せっかくキレイな絵なのに、これじゃ猫もかわいそうだ」


 龍郎がつぶやくと、まわりの猫たちが、みんな、うなだれる。お寺の本堂なのにノラ猫たちがあがりこんでも、住職は追いたてもしない。


 屏風のすみには絵師の雅号が記されていた。達筆だがたしかに月島秋玲と読める。これだけの画力があれば、いずれは成功したはずなのに、なぜ、まったく無名なのだろうか?


「ほかに月島さんの絵はないんですか?」


 長く逗留していたのなら、これ一枚ということはないはずだ。住職の答えはこうだ。


「その絵のあと、もう一枚だけ描いていたはずだ。あの桜のもとに女が立つ美人絵だった」

「美人絵ですか。モデルがいたんですか?」

「美代だったよ」


 やはりか。そうではないかと思った。

 若くして不幸に亡くなった美少女の生前の姿を描いた絵。

 ふと、龍郎は寺のふもとの廃墟で、今も誰かを待っている風情の女の霊を思いだした。


「美代を描いた絵、今はどこにあるんですか?」

「さてね。絵師がいなくなったあと、誰も行方を知らんよ。おおかた、どこかに隠したんだろう。宗太郎に見つかったら燃やされてしまっただろうからな」


 あの女の霊は美代だろうか?

 だから、恋人の残した絵を探しているのかもしれない。

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