第4話 忘却
第4話 これがトルーサーの流儀です!
その日の晩、ナギは隊長のヴァンドーから砂漠の寒さに耐えられるよう、質の良い二人分の毛布を受け取った。
始めは彼なりの親切かと感心したナギだが、同時に託されたある『頼み事』を知ると、なるほど、と静かに合点がいってしまった。
「あの、ステラさん、起きてますか」
「……寒いよぉ~」
「あはは、毛布持ってきましたからこれ使ってください。ほら、これ隣国の専門店から取り寄せたものなんですよ」
コートで全身を包んでいたステラは、震えながら「ありがとう」と毛布を受け取った。このような状況でも、自前の水や食料どころか、寝具にあたるものさえ持たずに彷徨っている彼を見て、砂漠に慣れていないことは容易に見て取れた。
「ステラさんは一人で旅をしているんですよね? 一体何のために……」
ナギが言い切らない内に、彼はキャラバン船の客室の窓から覗く星を見た。砂漠の空は雄大だった。夜になれば満天の星空が頭上を戯れている。
「星……光……そう、光だ。俺は光を探してるんだ。その為にずっとずっと走り続けて、でもその度に色んなものを置いていってしまった」
「えーっと……?」
「訳あって忘れてしまってね……旅の目的は正直なところ分からない。ただ幼い頃に見た光を目指してる。あれはなんだったのか。俺の出自は、故郷は……って感じ。まあ、あてもない放浪の旅だね、ハハ」
「はあ……」
ナギはその質問のとっかかりのなさに苛立ちを覚えた。これに限らず、今日一日を通して分かったことは、ステラ・テオドーシスという男は真剣な話となると一日中ずっとこの調子ではぐらかすのである。初対面には余程言いづらい話なのだろうか。軽薄な笑顔を見透かそうと暫く見つめたが、その横顔からナギは何も窺い知れなかった。
魔術師でありながら師匠の名前も思い出せず、挙句自分が何のために旅をしているのか分からない。具体性を伴わない雲をつかむようなこの男を前に、ナギはつい意地の悪い言葉を吐く。
「じゃあホントに何にも分からないまま砂漠を一人で歩いてたんですか。全く……とんだ『大馬鹿』ですね」
同じ魔術師ならばもう少し理性的に行動してほしいものだ、とナギは説教の意味も込めてそう告げた。しかしそれでもステラの顔から笑みは消えない。
「はは、一応護身用に銃は持ってるよ」
「そんなものでどうにかなるのはそこらの動物か、サンドルージュみたいな特殊なモンスターくらいです!」
「ヒトもいけるだろ?」
「……!?」
その言葉に思わず身を
「逆に聞くけど、君はどうなのさ?」
「ぼ、僕ですか」
「昼の様子だと、君にもやりたいことがあるように思えたけど。こんな所で道草食ってていいのかい?」
「うぅっ……。そりゃあ、早く旅に戻りたいのも山々ですけど、キャラバンに命を助けてもらった恩がありますし……魔法修行の旅も家族の反対を押し切って無理やり始めたから、今更家にも戻れないし……」
「それでもどうにか達成するのが目的って奴だろ? 君は後回しにしてばっかりじゃないか」
「……で、でも! ほら、ここには頑丈なキャラバン船があります! その上この旅団は世界中を旅してるんです! 昼の活躍を見たでしょう? 僕、ここじゃ結構頼りにされてるんですよ! はは……」
冷ややかな目で見つめるステラに、ナギは変な汗をかきながら言い訳を続ける。
「ほら、僕って人の為に何かするのが好きなんで、やっぱりこういうの向いてるっていうか、ここに居るのも案外悪くないかなーって――」
話している途中にステラは、体をごろんと横に向けて素っ気ない態度を取った。
「くっ、くう……! なんですか!」
「別になにもないよ」
「これが僕のやり方ですよ、生き方ですよ! 何か文句あるんですか!?」
「だからないって。――ただまぁ、もしも僕が君なら、例えばその体を『調速』で速くさせてでもここから逃げ出すだろうけど。そして自分の冒険に戻る、とかね」
「それは……僕のスキルは極端なんですよ。数字を刻むみたいにちょっとずつ操作することは難しいんです。いくら手足を動かせても、普段使わない脚の薬指は上手く動かせないでしょう?」
「なるほど、そう言われると大変そうだ」
「そういうものなんです」
ステラは寒さに負けて、顔の半分を毛布に埋めていた。二十代半ばのそれとは思えないあどけなさが、ナギの心をくすぐった。
「……ま、まぁ? 無名魔術師のステラには分からないかも知れないですけど? なんたってスキルは魔術師の中でも選ばれた者しか授かることができないんですからね」
心の落ち着かなさを誤魔化すように、小馬鹿にしながらつい呼び捨てになってしまう。しかしステラはそれを気にかけずに反論した。
「あーっ、言ったな! 俺だってちゃんと持ってるんだぞ!」
「えぇ!? う、嘘ですよね? どんなスキルなんですか、一体――」
「……絶っ対、おしえないもんね~」
「はぁ!?」
やはり見た目にそぐわない、子供のような言葉で返すステラ。ナギは思わず舌打ちしそうになるのを必死でこらえて、あくまで大人として振る舞った。
「……いっ、いいですけどね。どうせ明日には出ていってもらいますから。こっちだって備蓄に限りがあるんですよ」
「あぁ、いいよ。俺もそのつもりだったし」
「えっ」
僕の漏れた声には何も応えず、ステラは星を見つめていた。満天の星空が、その黒い瞳に宿っている。
「ほ、ほんとに旅に戻るんですか? 行く当てのない旅に――」
「行く当てがあるのに留まり続けるよりマシだろ。それに例え君のスキルがあったとしても、このキャラバン船は俺には遅すぎる」
ナギには彼が何を言い出したのかすぐには分からなかったが、それでもこの胸に残る気持ちが『寂しい』という感情だということはすぐに理解できた。
たった半日、それも忙しなく顔を突き合わせて言葉を交わした程度の男にこんな思いを抱かされるとは思ってもみなかったので、ナギは困惑の内に強がりを決め込んだ。
「そ、そぉーですか。別に止めはしませんよ。まあ、良い旅を願っていますので……」
「ああ。ありがとう」
ステラは最後に付け足すようにして「おやすみ」と呟いた。狭いキャラバンの客室で窮屈そうにしながら、男は静かになった。
「……ごくり」
「え、なに、まだ居るの!?」
「いやっ! えっと、そのー、僕も一人で寝るのは嫌ですから、それで」
「俺は別にどっちでも良いんだけど……てか用心しなよもう少し。可愛い見た目してて大胆だね~」
「なっ!」
彼は自分の投げた言葉の強さに気付いていないのか。平然と「可愛い」という言葉を口にして、再び寝る態勢に戻るステラ。ナギは顔を引っ込めるカメのように身を縮めた。
――それから十分程経ち、とうに寝静まっても良い頃合いになると、ナギは覚悟したように毛布の中のモノを握り締めた。
『でも、その前に……』
「こ、これは寝言ですけど」
「……」
ステラからの反応は無いが、それでも続けた。
「明日、貴方がこのキャラバンを去る時、その、もし、よければ……なんですけど――」
どくどく、と跳ね上がる心臓が自らの胴を揺らしているのを実感する。
「――僕も一緒に連れて行ってくれますか」
しばらく、しかし今度は一分も待たずに男の体が、ごそっ、と動いた。
「これも寝言だけど……」
「へっ?」
唐突に。男の言葉は意趣返しから始まった。ナギは思わず間抜けな声が出てしまう。
「いいよ。覚えていたらね」
「覚えていたら……? や、約束ですよ……!?」
それからステラの返事は無かった。「ぐー、がー」とワザとなのか本当なのか分からない大袈裟なイビキを鳴らしているだけだ。
ナギは小さく「やった」と赤面しながら、ガッツポーズをした。ごそごそと毛布に身を包み、逸る気持ちを落ち着かせて自分の勇気を称えた。そして自分が過ちを犯さなかったことに心底安堵した。
――彼に突き立てるはずだったナイフを、懐へと隠しながら
☆
次の日の朝、甲板をばたばたと踏み歩く騒々しさに目が覚める。
「今すぐ出発の準備をしろ!
「うわあ! ま、まずい!」
大砂蛇、それは昨晩の蛇たちの親玉『ナーガルージュ』である。龍に見紛うほどの巨体と驚異的な破壊力、そしてスピードで、多くのキャラバン船を破壊してきた砂漠のヌシだ。
ナギはキャラバン船員の声に驚いて飛び起きると、隣で涎を垂らして寝ている男を揺らした。
「ステラ、起きてください! ナーガルージュが来てますよ! 昨日の奴より何倍も大きい砂蛇です!」
「んえ~、それヤバい奴……?」
「おいナギ、ヴァンドー隊長が呼んでるぞ! 早くいけ!」
ステラは鈍くさそうに、寝惚け眼でゆったりと起き上がるので、ナギは彼を放って一目散にヴァンドーの下へと向かった。
ナギがヴァンドーの下に着くと、甲板と地上では船員達が必死の形相で荷物を積み直している様子が見えた。オアシス付近で展開していた拠点を大急ぎで畳んでいる最中である。
「ナギ、ようやく来たか! 今すぐ船の機関部に『調速』を付与しろ! 加速して逃げ切るぞ!」
甲板に上がって聞いた第一声は、緊張感に満ちた命令だった。ナギはその言葉を聞き入れる前に、大砂蛇が向かってくる方向を確認する。
「あっ、あれが……!」
「おーおー、滅茶苦茶早いねあのデカイ蛇。いやドラゴン?」
「うわ! ステラ、いつの間に……」
昨日同様、突如現れては自然と会話に混ざってきたステラ。しかし、隊長のヴァンドーはこの男がここに居ることを歓迎しなかった。
「て、テメエ、なぜここに!? おいこらナギ! しくじってたのか!」
「ひっ! いや、これは、そのっ……!」
しくじった。その言葉を聞きステラは納得したような顔をした。
ナギが懐に隠していたナイフは、食料を食いつぶしてばかりの邪魔な客人、ステラ・テオドーシスを殺して口減らしをするよう、ヴァンドーが手渡したもの。
ナギがその大役を任されたのは、ひとえに『
――しかし、昨晩のナギにそれは出来なかった。殺すはずのステラと約束を結んだことで、恐れるヴァンドーに対し反旗を翻す勇気を得てしまったからだ。
「そういうことだったのね~」
ひょい、とステラが自身のポッケから取り出して見せたのは、ナギが懐に隠していたはずのナイフである。
「ぼ、僕のナイフ!? いつの間に――」
「フンッ、何の話だか分かんねえな! 変な言いがかりはするなよ、そいつが勝手にナイフを持ってただけなんだからよ。だよなぁナギ!?」
「はっ、はい……」
「ふ~~ん……まぁなんだっていいけどさ。それよりアレがやばいんだろ」
ステラが指さした先には、いつの間にか日の出の太陽に覆いかぶさりそうな程に接近した大砂蛇と、それを取り囲むように散らばる砂蛇たちが居た。距離にして数キロメートルだったが、ちょっと目を離せば目前まで迫りそうなほどのスピードと巨体である。
「ナギ、とりあえず逃げるぞ! こまけえ話は後だ!」
「で、でもヴァンドー隊長、このまま逃げるのはマズイです。いっそ戦った方が――」
「なに言ってんだ! 自分の力を過信してんじゃねえ! あんなデカブツを相手に出来る程の武器も火薬もねえんだよ! 大きさだけでこの船の倍はあるんだぞ!」
「で、でも逃げたって……」
「ハッ! テメエのケツがテメエで拭けるなら大した事じゃねえ。だが俺達全員の命が掛かってるんだぞ? それにお前が船を加速させてあの蛇を減速させれば済む話じゃねえか、ええ!?」
知らぬ間に、周囲ではその話に耳を傾ける者が増え、口々に「そうだ、そうだ」とヴァンドーに加勢していた。ナギは心の底からキャラバンが憎らしくなったが、この勢いには勝てないだろう、と心中で諦めそうになる。
「そ、それでも……」
「ああ!?」
「『それでも追い付かれる』、ナギはそう言いたいんだろう? ナギの目は速さに慣れてる。このレースの勝者が誰になるのか、既に想像が出来ているはずだ」
「て、テメエ……」
咄嗟にステラが割って入り、ヴァンドーが遮る前に主張を代弁した。ナギは横でこくこく、と頷いて応える。
「それにこの子の魔力も無限じゃない。スキルだって使い過ぎれば『デメリット』ってヤツが出てくるんだ。君達、何も知らないのか?」
「それが何だって言うんだ! キャラバン全体の危機なんだぞ、少しでも安全な方法を取るのが賢いやり方ってもんだ!」
再び、周囲から「そうだ、そうだ」と声が飛び交う。
やはりこの流れには抗うことはできないのか、とナギは諦めて俯いた。
ステラは申し訳なさそうに打ちひしがれた彼を見る。依然罵詈雑言のような否定の嵐が飛び交う甲板で、男は力の限り叫んだ。
「それじゃあコイツが可哀想だろ!」
「な、なんだよいきなり……!」
「お前たちがナギに何かしてあげたか! たかだか一度命を助けたくらいで、お前たちにこの子の冒険を邪魔する権利があるっていうのか!?」
「ふざけんじゃねえ! ナギはキャラバンの人間だ、お前が決めるな! そんな綺麗ごとばっかで商いが務まるかってんだよ役立たず共が!」
「どの口が言う……恩に報いるため、役に立つため頑張るコイツの方が! ただ助けられてばかりのお前たちより遥かにマシだ!」
ヴァンドーはステラの眉間を指さして、声高に言い切った。
「ぐぬぬぬ……そんなに戦いてえならテメエで倒してみろ! ただしナギはウチの所有物だ、戦いはテメエ一人だけでやりな!」
「隊長、やめてください! ステラ、もう逃げましょう、僕はそれでいいですから!」
「いいや、言葉には責任を持つべきだぜぇナギ。責任は信頼、信頼は商売だからなぁ。お前も自分の仕事をこなして俺の信頼をしっかり得るんだぞ」
ヴァンドーの嫌味な笑顔がナギの心を折った。このままでは彼を見殺しにしてしまう。なんとかこの状況を覆す行動を起こせないのか。ナギは一度思案したが、結局答えは出なかった。キャラバンの者達は忙しなく撤退の準備をしており、ヴァンドーだけはステラが無駄死にするのを期待して脚を止めて笑っている。絶望に、涙が出そうになった。その時——
「はぁ、どこまでも他力本願で、救いようがない奴らだ」
気が付けばステラは最前線に立ち、準備運動を始めていた。そして黙々と遠くに居る大砂蛇『ナーガルージュ』とその周囲の砂蛇の大群を見つめると、その表情は不安気なものに変わる。
「ステラ、一体どうする気ですか……!」
「ごめんよ、ナギ。昨晩の約束は守れそうにないや」
「そ、そんな……どうして!」
ステラは辛そうに笑って言うと、それ以上ナギに顔を合わせることが出来なかったのか、ふいと正面を向いて誤魔化した。そして、次の言葉を苦しそうに続けた。
「俺のスキルは、使い過ぎると記憶を失ってしまうんだ」
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