第26話 次の旅路へ
「ストロベリ……ジャーニー……?」
朧げな記憶を呟きながら目を覚ますと、そこは見知らぬ天井だった。
健康的な純白の景色が、ステラに視覚的な違和感を訴えている。
「な、なんでこんなところに! ナギ達は――って、いってぇ!」
「ステラさん、あんまり激しく動くとお体に触りますよぉ」
傍らから声を掛けたのは、白衣を来た黒髪の男性。状況に気付いて辺りを見渡すと、広々とした病室に三つの寝台が並んでおり、残り二つの寝台も何者かで埋まっていた。
「ステラ、やっと置きましたか。なんで一番重傷の僕が一番最初に回復してるんですかねぇ」
「あぁ、それはナギさんの体が何故だかとてつもない成長力を蓄えていたからですよ。まるで今まで何かに抑えつけられていたかのように、空いた傷口がどんどん回復していきましたからね~」
「ぎ、ぎくぅ! ちょっとお医者さん、ステラには内緒にしてくださいって言ったでしょ!」
「あれ? 奥にいるのは……ラズベリ?」
ステラはその慌て様を素通りし、ナギが寝ていた寝台の更に奥、向こう側の患者を見遣る。顔は見えなかったが、それがこちらに背を向けて寝るラズベリだと分かった。
「ラズベリ、大丈夫だったかい?」
「え、ええ……わたくしは皆さんよりは軽傷でしたので……それに、先に倒れてしまっていましたし……」
役に立てないまま戦闘不能になったことを悔やみ、ラズベリは申し訳なさそうに返事をした。しかし、であれば誰がここまで自分達を運んだのだろうか、とステラは呟きながら疑問を抱く。
「私だよ、諸君」
「わっ! びっくりしたぁ。誰? このヒゲのおじさん!」
突如病室の扉を開けて現れたのは、凛々しい口髭にぴん、とした立ち姿の、気品を感じさせる中年の男。ステラ以外の誰もが、その男の正体を知っていた。
「ステラ、失礼でしょ! この人はベネディクト・エルディン、カルティアナくんのお父さんです!」
「え! あ! この街の市長の……」
「如何にも。先日、私はアルルカンに『神意の針』についての情報を明け渡すよう脅され、カルティアナとの交換を条件にあの大渓谷へと呼ばれていたのだ。しかし、私が駆け付けた頃には彼らは居らず、代わりに君達三人と我が息子、カルティアナ、その友人のスーラント君が居た訳だ。丁度私が到着した頃にはそこのお嬢さん、ラズベリ殿がマインパンサーを蹂躙した後だったようで、それ以外の者は皆気を失っていたので急いで救急を手配した……という顛末だ」
「君が倒したのかい、ラズベリ!」
「わ、わたくしはそんなんじゃ……」
「詳細についてはラズベリ殿以外で唯一意識があったスーラント君が知っているだろう。ラズベリ殿は困惑しており、あまり覚えていないとのことでな……」
「ああ! そうそう! そのスーラント君とカルティアナ君はどうなったんだ。二人とも怪我はなかったのかい」
「安心しなされ。これといった外傷もなく、今は健康体だ。しかし心の方は……」
ベネディクト・エルディンは言葉を濁しながら俯いた。その神妙な様子と、ステラ達が助けた時にはずっと気を失っていたことから、深刻な事態は想像できていた。胸騒ぎに駆られて、三人が口を閉ざしかける。が――
「ジャジャーン! この通りカルティアナはピンピンしておる!」
「いえーい! いえい、いえい!」
「へっ?」
「はっ?」
「な、なんですの……?」
ベネディクトの背後から飛び出してきたのはカルティアナ少年本人だった。陽気な笑顔で「どっきり大成功~」と父親の周りをくるくると回っている。
「どういう訳か我が息子カルティアナは、一連の事件の記憶だけがすっかり抜けていてな。この通り普段通りの明るい子どものままだ」
「あ、あはは……それは良かったですね」
「あぁ。元気なのが一番だ」
「あ、あの……スーラント君についてはどうなんですの?」
「彼にはつい昨日も話を伺いにいった。しかし、部屋に閉じこもって顔を合わせてくれなかったのだ。なんでも、自分のせいで皆が危険な眼にあったから申し訳ない、と。カルティアナが何も覚えていないだけに歯がゆい思いだ。一言、息子の為にありがとう、と伝えたかっただけなのだが」
今度はステラ達の顔を見て、言い淀むことなく話していた。冗談の気配はなく、三人はスーラント少年のことを気に掛ける気持ちが一層強まる。
「――とにかく! 君らには感謝してもしきれん。まずはカルティアナ捜索依頼報酬を支払わなければな!」
「ああーー! そうでした、確か言い値で支払ってくれるんですよね!」
「勿論だとも。街の財政を逼迫させなければいくらでも!」
「お父さん! この人達に『英雄』の称号も上げましょうよ! 討伐こそは出来ませんでしたが、結果的にあの勇者クラスのアルルカンを退けることができたこの三人は、十分『英雄』の資格足り得ると思いますよ!」
両の手を握りながら、父を見上げて提案するカルティアナ。私情は一部あるだろうが、その提案はとても合理的なものだと父のベネディクトは納得した。
「ま、マジ!?」
「ぼ、僕たちが英雄!」
「そんな、初クエストでいきなりすぎますわ……!」
「ああ。そしてこの功績は直に街中、いや大陸中へと広がるだろう。大悪党の戦争屋『アルルカン』を退けた未来ある冒険者達、とね……」
ナギは歓びのあまり布団を抱き、ステラは両手をあげて万歳をした。
「おめでとう。君達三人はクレルモンの『英雄』だ」
☆
退院当日。ラズベリが姿を消した。
ナギは困惑していたが、ステラにはその理由がなんとなく理解できた。
英雄の称号を授与された時も、一人だけ落ち込んだ表情で、いつできたかも覚えていない自身の傷をぼんやりと眺めていたのだから。
「あぁ? ラズベリ? あいつなら自分から退職願いだして辞めていったよ」
「な、なんでですか……!」
早朝に訪れたギルドで彼女の行方を尋ねたが、その返事に二人は戸惑ってしまう。
「良く分からねえけど、受付嬢も冒険者も半端だから、自分を鍛え直す為の旅に出るって……そんな感じのことを言ってたかなぁ」
「ラズベリさん、思いつめていたのでしょうか……」
「とりあえず、用事だけ済ませようか。おじさん、エルディン市長から連絡は届いてるかな」
「ああ! アンタらが『英雄』なのかい! ラズベリの奴も一緒に授与されていたみたいだけど、ありゃどういう冗談だ?」
「冗談でもなんでもないよ。彼女も立派だった。だから俺達と一緒に授与されたんだ」
「ふぅん、そうかい……妙な話もあるもんだ。雅か本当にあのラズベリがねぇ」
「……ラズベリはどんな奴だったんだい? つい最近知り合ったばかりだから、知らなくてさ」
「そりゃオメエ、うちの看板娘になるくらい優秀な奴さ。てきぱき働くし、程々に気も強いから人気もんだしよ。しかも格闘家みてえな冒険者にしょっちゅう求婚を申し込まれては突き返すってのが一時期頻発してて、これが噂を呼んだんだ」
「噂?」
ギルドマスターの男は慣れた手つきで書類を処理し、一枚の紙きれと五枚の紙幣を取り出す。
「実はラズベリは腕利きの冒険者じゃねえかってな。本人は違う違うって必至に否定してたけど、腹の内じゃ冒険の楽しさを分かってた筈だぜ。なんせ『英雄』になっちまったんだからな」
「へえ。面白い話をありがとう」
「にしてもあんたら、なんでこんなに半端な報酬の受け取り方を……」
「色々事情があってね。使い道があるのさ」
「ふぅ~ん、まあなんでもいいけどよ。ほらよ、今回のカルティアナ少年捜索クエストの報酬だ。995万の小切手に5万の現金……変な受け取り方だねえ、全く」
「ありがとう。それじゃ行こっか、ナギ」
「はい!」
半端な額の、しかし身の引き締まるような大金を片手にステラ達が次に訪れたのは、スーラントの家だった。
早朝だというので、失礼を
「失礼します。ご挨拶にと思って」
「ああ! その節はどうも……貴方たちも朝早い出発ですか。ご苦労様です」
「いえいえ……って、も?」
「ええ。ギルドの受付嬢の方が直接挨拶に来られましたよ。でも殆ど説明もなく頭を下げられただけで、名前を伺う暇も無く街の外へ行かれたのですが……」
「それって……!」
「きっとラズベリさんですよ、ステラ!」
「……ナギは先に行ってて、俺はお父さんと話すことがあるから」
「わ、分かりました!」
ナギは戒杖を抱えながら、はつらつとした様子でクレルモンの外へと走っていく。
「スーラント君は……」
「まだ寝ていますよ。精神的なショックもあってか、ずっと部屋に籠り切りなのですが……いやはや、貴方達にも多大なる迷惑をおかけしました。まさかマインパンサーだけでなくあのアルルカンまで……」
「忠告を無視して危険地帯に入ったのは俺達の方ですよ。貴方が気負う必要はありません。それに、スーラント君は今回のクエストの一番の貢献者です。友を助ける為に命を賭して、更には仲間の窮地を自らの手で救ったのですから」
「あの子がそんなことを……一体何があったのです」
「詳細は積もる話になるので、ご本人から。今はもう一人の小さき英雄を称えて、これを」
そう言うと、ステラは先程ギルドで受け取った995万ベラドの小切手を差し出した。
「こ、これは……!?」
「勿論、貴方にではありません。今回のカルティアナ少年救出クエストにおけるもう一人の立役者、小さな英雄スーラント君に向けた報酬です。これを煮るも焼くも使うも、スーラント君の権利ですよ」
「しかし、これは貴方たちが受け取るべき報酬のはずでは……そもそも何故995万ベラドも」
「市長にも話は通してありますから、所有権についてはご安心を。額は……市長にコンデラルタから名医を呼び寄せた時の諸費用を尋ねたところ、この額になってしまっただけですよ。後の5万は、貴方が張ったクエストの報酬です」
「ああ……! 何から何まで、どうお礼を言っていいやら……!」
「ははっ、何も泣かなくたって。『セイ・ピース』ですよ。スーラント君にもそう伝えてください」
「ええ、分かりました……」
☆
ステラに先陣を任されたナギは、ラズベリが通ったであろう街の外へと通じる街路を、小刻みな脚運びで駆ける。
やがて街の出口にて、朝陽が登るのを佇んで待ち受けて、茶の短髪をそよがせている一人の女を視界にとらえた。
その女の背負う荷物の仰々しさと、僅かに背負い鞄から覗かせる白銀のガントレット、そしてギルド指定のメイド服を見て、ナギはその女がラズベリ・ジャーニーであるとすぐに分かった。
「ラズベリさん!」
「! ナギ、さん……」
「どうして行っちゃうんですか。受付嬢の仕事も辞めて、いきなり一人でどこかに行くだなんて……『仲間』じゃないですか、僕たち!」
「そう言って頂けるだけでも、わたくしは幸せ者ですわね。でも先日のクエストでも思い知ったように、わたくしは何の役にも立たなかったただの受付嬢ですわよ。本来ギルドの中で引きこもって、笑顔を振りまいて玉の輿を狙い続けるだけの人生を送るつもりの、いやそうした方がいい人間だったのですわ。貴方達を危険に晒してまで身の丈に合わないことをして……」
「そんなことないですよ! 市長さんも言ってたじゃないですか。ラズベリさんが一人でマインパンサーの群れを一網打尽にしたって――」
「そんなの信じられませんわ! 私はあの時トッコ・グレイという女に敗れて気を失い、足を引っ張り続けただけに終わったのですわよ。その後の記憶もあの病室に至るまでは一つもありません。ありえないじゃないですの」
記憶に無い。ただそれだけで悲観に暮れ、自分を責め苛む彼女の後姿を見て、ナギは声を張って訴えた。
「駄目ですよ! 覚えていないからってなんなんですか! 僕の近くにも色んなこと忘れてきた変な人がいますけどね、それでもずっと前向きに生きてますよ! 覚えていないなんて些細なことなんです。誰かが貴方を賞賛してくれているなら、必要としてくれているなら、せめてそれだけでも受け止めないと! じゃないと何も信じられないでしょう!」
「……っ! ステラさんもナギさんも、立派な力があるからそれだけ自信を持って言えるのでしょう。覚えていないけど、自分なら可能だから納得しよう、と。しかしわたくしには何もありませんわ。この拳以外、何も……何も……」
「――ストロベリ・ジャーニーさんッ!」
「!」
ナギはその名前を叫びながら、微弱な火球をラズベリに向かって射出した。突然の攻撃に驚いて振り向いたラズベリだったが、身体がそれを認識する前に、潜在的な記憶が迸り、いつの間にか拳を前に突き出していた。
拳は火球に直撃し、ボウッ、と火花を霧散させて空中に消えていく。始まりと結果だけしか認識できなかったラズベリは、自身が咄嗟にやってのけた早業にただただ愕然としていた。
「い、今のは……」
「いきなりすいません。ステラが病室でその名前を呟いた時から、少しだけ気になっていたんです」
「ストロベリ・ジャーニー……」
「貴方にとってそれが誰なのかは分からないですけど、少なくとも貴方が持つ潜在的な力を引き出す為の、重要なトリガーになっているのだと僕は考えています」
「そんなの私にも分からないですわよ、聞いた事もない……」
「あるいは、覚えていないだけかも」
「ま、また記憶にないことですか……」
ラズベリが気を落として言った後、遠くから「おおーい」と呼ぶ声が聞こえた。街の方からそう呼んだのは、スーラントの父親との所用を済ませた後のステラだった。
ラズベリはその姿を見て殊更に申し訳なさそうな表情を浮かべる。自身の功績を未だに認められない感覚が心の中にあるのに、そうとも知らずに何の気もなしに歩み寄る彼に対して、複雑な心境を抱いていた。
「あの、ラズベリさん。僕たちと一緒に旅をしませんか。きっと長い旅になると思います。でも、貴方と一緒なら僕とステラも……」
「も、申し訳ないですけど、わたくしはやはり――」
「うん? 二人とも何の話してるのー? ――って、うおわ!」
その時、二人の元に歩み寄るステラを追い越して、一人の風の子が街路を駆け抜けていった。
その子どもはラズベリ達の下まであと数メートルのところで息を切らして立ち止まったが、膝を支えにしてラズベリを見遣り、たどたどしく言葉を紡いだ。
「あの、あの!」
「貴方は、スーラント君……」
「アルルカンと勘違いして銃を向けたり、その後もいろいろ迷惑かけたり……その、なんていうか……とにかく、ごめんなさい!」
スーラントは途切れ途切れの呼吸で、精いっぱい叫んだ。ラズベリは思わず雲った表情を忘れて、微笑みながら「大丈夫ですわよ」と返した。
「あと、えっと……ナギお兄ちゃんも、ラズベリお姉さんも、滅茶苦茶かっこよかったよ!」
「……!」
「えへへ、そうですかぁ?」
「うん! ナギお兄ちゃんの魔法凄かったし、ラズベリお姉さんのパンチもちょー強かった! あれ、ストロベリ? どっちだったっけ……」
「こ、こほん。俺については何かないのかなー……」
「わわっ! お兄さん居たの!」
活躍を称えられなかったステラが少年の背後に立ち、わざと咳き込んでアピールする。子どもらしくがむしゃらに走り抜けた為か、スーラントはしばらくその存在に気付かずにいた。
「お兄さんも滅茶苦茶早かった! 最強だよ!」
「ハッハッハ! なんたって最速の魔術師だからねえ!」
「あと、みんな『英雄』おめでとう! 僕、友達に自慢するから、あの英雄達に助けられたって!」
「ああ。沢山自慢しておいで。ああ、それとお父さんも心配してるだろうから、早くおうちに戻りなよ」
「うん。それじゃあまたね!」
勢いよく思いを告げ、それが終ると少年は訪れた時と同じ速さで帰路を辿っていった。
「ふふ、流石は風の子ですわね」
「はい、元気そうで良かった」
スーラントの残した余韻を、南の風が優しく
アルルカンとの決着は叶わず、大敵は闇に消えた。胸にしこりの残る結果だったが、この街に残した功績は『英雄』という箔をつけて称えられることとなった。
ステラはふとラズベリの方を見る。その顔は俯いていたが、それは悲しみではなく、少年に直接称えられたことで喜び、綻んでしまった顔を隠そうとしていたのだ。その様子を見て、心配はなさそうだと心中で安堵する。
「それじゃあ行こうか。南の街『サウスモニカ』へ!」
「え! わたくしもですか!?」
「もっちろん! だって『英雄のパーティ』ってなんか良くない?」
「そんな! そんな軽い理由で……!? わたくし、さっきまで結構悩んでたんですのよ! それをそんな適当に――」
「んじゃあしゅっぱ~つ! いやぁ今日の野宿は賑やかになりそうだなぁ!」
「ああ、それわたくしの武器~~っ!」
ステラはそう言うと、白銀のガントレットをひったくって走り出した。持ち主のラズベリは否応なく同じ旅の道を歩まされることとなったが、しかしその表情はまんざらでも無さそうである。
ナギは微笑ましくその後を歩いて、目に映る景色に思いを巡らせる。白銀は時々朝陽によって強く照らされており、まるで彼女の旅の道標となっているようだった。
拳闘士ラズベリ・ジャーニーが仲間に加わった!
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