第16話 もう一人のテオドーシス
ガン、ガン、ガンッ!
裁判を取り仕切る木槌の打撃音が法廷に響く。その後に、裁判官が威圧的な調子で言葉を放った。
「被告、ステラ・テオドーシス」
「はぁ」
「貴殿は半世紀の魔女アズ・オルディンガーの封印を解いた。間違いないか」
「まぁ。結果的には」
ゴンッ、ゴゴゴゴゴゴ……
ステラの言葉の後に背後で轟音が鳴った。彼がため息交じりに振り返ると、その先には巨大な時計の針、のようなものが。針が乗った盤は左右で白と黒に分けられていた。
「ふむ……『神意の針』が指したのは白か。嘘ではないと」
裁判官が針を見つめて告げる。ステラは緊張感の伴わない様子だ。
「こんなとこで嘘つく訳ないでしょ~」
ゴゴゴゴ、ガゴンッ
神意の針と呼ばれたソレは、再び中央へと戻った。ステラは小さく「テンポ悪いなぁ」とぼやいたが、法廷の誰もそれには反応しなかった。
裁判官が続けて訊ねる。
「アズ・オルディンガーを魔女と認めるか」
「それは本人に聞いた方が良いんじゃない?」
「質問に答えろ」
「ん~、じゃあ認めない」
ガゴンッ、と鈍い音が背後で鳴る。今度も針は白を指した。ステラは嘘をついていない。
「貴様はアズ・オルディンガーの術に惑わされ、復活の手伝いをした。間違いないな」
「なんか嫌だなぁその言い方。無理矢理やらされたみたいな――」
「質問に答えるんだ」
「――あぁ、そうだよ」
ガゴン、と再び白を指す。
「アズ・オルディンガーは弱体化していると思うか」
「それは本人に……いや、弱いよ。弱い弱い、もうひとひねりって感じ」
「……ふん」
そうして何度目かの質疑応答の末、針が白ばかりを指していたのに傍聴席の皆が退屈していた頃。ステラがふと困惑の表情を見せた。
「どうした。答えられないのか? もう一度問うが、貴様は魔術師ディア・テオドーシスの関係者か?」
「ディア、でぃあ……? 覚えてない……でも下の名前が同じだよな。どんな人だったかなぁ……」
ゴゴゴゴ、ゴゴゴゴ……
神意の針はそれまで見たことのない挙動を示していた。白と黒をいったりきたり。どちらか片方を指すなんてことはなく、轟音を響かせながら左右に揺れていた。次第に傍聴席もざわざわと騒ぎ出す。
「どっちなんだ……くっ、もういい! やはり『最速のディア』本人に聞くしかあるまいな」
「うん? 今『最速』って言った?」
「五月蠅い! 貴様の真偽判定は終わった。はやく去るんだ!」
「へいへい、分かった分かった。こんなとこ一秒でも長く居たくないですよ~」
裁判官のみならず、この宗教都市クレルモン全土において『神意の針』とは絶対的なモノであった。
それは技術と魔術の粋を尽くし、人の脳波を感知して発言の真偽を判断する、
ステラが腹の底からため息を吐き出して、法廷から退散する。その姿を捉えたナギが、彼の下に駆け付けた。
「あ! お疲れ様です、ステラ」
「ナギ! そっちはもう終わったのかい」
「えぇ。ここの建物、幾つか部屋があるらしくて。僕は別の法廷で質疑応答を済ませました」
宗教都市クレルモンの裁判所は一風変わっている。『神意の針』で発言者の真偽を判定し、その判定に沿って事実確認を行う。そしてイエスとノーの積み重ねの先に罪状が決定されるのだ。
聞かれたことに答えるだけだが、たったそれだけで自分の罪が確定してしまうため、どんな者でも神経を擦り減らすのには充分だった。
「ステラ、相当長引いてたみたいですね」
「なんか大きな針が白と黒を行ったり来たりしててさぁ。皆ざわざわするし裁判官はイライラしてるし……」
それを聞いたナギの様子は怪訝なもので、それを受けたステラはやはり自分が直面した状況は異常だったのだと再認識する。
「どんなことを聞かれたんです?」
「確か、ディア? 魔術師ディア・テオドーシスと関係があるかって聞かれたんだよね」
「下の名前がおんなじですね……。そういえば、ここに来るまでステラの名前に驚いている人が何人か居たような」
かく言うナギも、初めてキャラバンの船で出会った頃から『最速』という異名には耳馴染みがあった。しかしその馴染みがどこから由来するものか分からず、今日に至っている。ナギはモヤモヤと霞がかった事実にやきもきしながら、心当たりを探す。すると——
「『神意の針』については……」
「うおっ!?」
「わっ! コウ君、いったいいつからそこに」
隙だらけの二人の間に、突如割って入るようにして現れたのは、黒い神父服のキャソックに身を包み、機械仕掛けの大剣を背に負った青年。タツガシラ白十字騎士団のコウ・カマタであった。
「だ、誰がコウ君だ! ――ゴホン、いや、それよりも神意の針についてだ。アレがあのような動きを示すのは、恐らくお前が記憶を失っていることと関係があるだろう。ステラよ」
「あぁ。やっぱりそうなのか。知らない訳でもないんだけど、知ってるかって言われると、な~んか思い出せないんだよねぇ」
「コウ君は知ってるんですか? オルディンガータウンでステラの名前を聞いた時もビックリしてましたよね」
ナギが訊ねると、直後にコウは憂鬱そうな表情に変わった。それが聞かれて欲しくなかったことかのようにも見えたが、しかしどこか既に観念していた様子でもあり、彼は少ししてから素直に口を開いた。
「……まぁ、あんな『速さ』を見せられて疑う者もいないだろう。本来は口外無用なのだが、特別に教えてやる」
「ご、ごくり……」
昔から、この世界には不思議な力が存在した。
それは人間が幸福になる為の可能性の力であり、人間が進化する為の
ある時代の人々は、それを『魔法』と名付けて体系化させた。時代が進むにつれて人間以外の生物も持つようになったその不思議な力は、四人の人物によってさらに発展されていく。
その四人の人物は今もなお正体不明だが、魔法を高度に発展させ、現代に続く『魔術』へと昇華させたという伝説から、『魔女』と呼ばれるようになった。
東の魔女、西の魔女、南の魔女、北の魔女。それら総称して『四方の魔女』。性別、人相共に不明の彼らだったが、強大すぎる魔力を持つために、争いを避けて四方に別れ生活していたことから、そんな呼び名がついたという。
「四方の魔女……世界で最も有名な魔術師ですね。本名や顔、所在地から性別まであらゆることが謎に包まれているので、それを騙る詐欺も横行した時期があった程ですが……。——ま、まさか!」
ナギがはっとした顔でステラを見つめる。一方のステラは初めぼうっと話を聞いていただけだったが、やがて二人の視線が物語る事実に気付いて、大きく目を見開いた。
「トルーサーは気付いたか。この四方の魔女達は今も尚生きている。そしてその内の一人が……」
コウはずばっ、と服をはためかせながら、ステラに向かって指をさした。
「お、俺が四方の魔女ー!?」
「ちがーう! 法廷でも名前が呼ばれていたように、ディア・テオドーシスがその内の一人、『南の魔女』なんだよ!」
「なっ、なっ……!」
束の間茶番が行われたが、それでもナギは驚きのあまり言葉を失っていた。口をパクパクと開けて、出掛かった言葉を探しているようだ。代わりに一周回って冷静になったステラが疑問を投げかけた。
「ん? でも待ってよコウ君。俺とそのディアって奴にどんな関係があるのさ。たまたま名前が一緒なだけかもよ?」
「コウ君って言うな! それについてだが……実は、ディア・テオドーシスはお前と同じく『最速』の異名を持っている」
「ああ! 思い出しました! 魔術書の初級編巻末にある豆知識コーナー! 四方の魔術師はそれぞれ異名を持っていて、南方を守護する南の魔女は『最速の魔術師』だと呼ばれている……確かそう書いていましたよ!」
「お、ガリ勉だねえ」
ステラの余計な一言に付き合わず、ナギは依然として有り得ない、という表情だった。ステラには魔術師と呼べるような素養は備わっていない。それこそ全くと言っていい程に。
コウ自身も初めステラの名前を聞いた時、偶然の一致か、あるいは四方の魔女の真似事をする痛いファンだと考えていた。しかし、彼が目の前で『最速』の異名に相応しいスキルを発揮したこと。そして自分の大剣を一瞬にしてガラクタ同然に破壊してみせたあの超人技を思えばこそ、コウは否応なしに彼のことを本物と認めざるを得なくなったのだ。
「四方の魔女は長命のため生殖能力を失っているから子孫という線はまずありえないだろうが、師匠筋かそこらへんだというのは確かだろう」
「そ、それにしても悪い冗談ですよ。あの魔術からっきしのステラが南の魔女の弟子だなんて……!」
「大マジだからこうしてこっそり教えてるんだぞ」
ナギは「しかし」、と先ほどの大声について突っ込もうとしたが、いい加減認めろ、というむすっとした表情のコウを確認して一度その口を閉ざした。
「……分かったらさっさと去るんだな。もうお前たちはここに用が無い筈だろう」
「待ってください、判決はどうなるんですか? 僕達の裁判の結果は……」
「は? 無罪に決まってるだろう。既に上層部もそれで話を進めている」
「えぇ!? じゃあ僕たちはなんの為に、あんな長ったらしい問答をしていたんですか!?」
「おかしいだろー! 時間返せ時間!」
コウは舌打ちを挟んで、腕を組みながら応えた。
「恩知らずな奴らめ。形式主義者を相手にして、無駄になったのが時間だけで良かったと思え。俺の申し立てがなかったら今頃留置所の中でマズイ飯三昧、加えて魔術師ならば師匠に状況が知られ、最悪破門を通達されていたかもしれなかったんだぞ」
「は、破門ーー!? いやぁありがとうコウ君、ほんっとうにありがとう! 君のお陰で俺はまだディア・テオドーシスの弟子で居られるよぉ!」
恐ろしい速さの手の平返しに、それこそ『最速』の為せる技かと、ナギはやや引きながら冷めた視線を送る。
「ステラ、さっきまで師匠の名前すら覚えてなかったじゃないですか……」
「いいや、今なら分かる。俺の師匠はかの四方の魔女の一人、ディア・テオドーシスだと!」
知るや否や、ステラは親指を自身に突き立てて自慢げな表情を見せていた。なんとも調子のいい男だと、コウはため息交じりに突っ込んだ。
「それもまだ確定した訳じゃないけどな……。世間的に、四人の偉大な魔女たちはその名前が秘匿されている。貴様の『最速』と名門トルーサーの名に免じて教えたが、口外はしないようにな」
「えぇ~、自慢しちゃ駄目?」
「駄目に決まってるだろ!」
「何人までならセーフ?」
「一人でも駄目だ! あぁもう、俺はもう帰るからな! こっちは事後処理がまだ沢山残ってるんだぞ、全く……!」
「——ま、待ってください!」
フン、フンと鼻息を噴いて、コウが踵を返しかけたその時、ナギが彼の袖を引っ張って歩みを止めた。
「な、なんだ」
「えっと、アズちゃんのことなんですが……あの子は今後どうなるのでしょうか」
ナギは元半世紀の魔女アズ・オルディンガーの処遇について、ずっと頭の片隅で思慮を巡らせていた。少女は大勢の人々を犠牲に禁忌の魔術を扱ったのだから、それなりの処罰は下るだろう。しかし二人は互いに友人になると誓った仲だ。心優しきナギにはアズの運命を易々と見過ごすことができなかった。
「ううむ……お前たちは本当に答えづらいことばかり聞いてくるな……」
「死刑とかじゃないですよね!? 東の魔女を自称する人がアズちゃんをたぶらかしたんですよ? どうにか、どうにかなりますよね……!?」
問うごとににじり寄るナギの熱意に、コウは顔を逸らしながら後ずさる。ナギの顔立ちは幼いところがありつつも良く整っているので、ぶっきらぼうながら
「僕の大事な友達なんですよ……コウ君だってあのままじゃあんまりだって、そう思うでしょう……!」
「うぅっ、そうだな、うん、そう思うよ俺も……。だから、分かったから離れてくれないか、ナギ・トルーサー……」
「ナギ。コウ君困ってるよ」
ステラの一声にハッとして、ナギは「ごめんなさい」と小さく言いながら距離を戻した。
「……あ、アズ・オルディンガーについては実は俺もいくつか進言している。本部の方でもその処遇について話し合われるだろうから、その時に決まる筈だ」
「本部?」
「魔術師の総本山であるセラフィリア魔術教院のことですね。コウ君もその話し合いに参加するんですか?」
「あ、あぁ。一応そのつもりだが……」
「それでは頼みましたよ、アズちゃんのこと!」
「た、頼んだって言われても俺にそこまで発言力は――」
コウの言葉を遮って、ナギは彼の両手を固く握った。その温もりはふわふわとした心地を走らせ、生真面目で堅物な青年の脳みそを隅々まで刺激した。
「お願いします……っ!」
「う、うぐっ」
涙目、そして上目遣い。限界までバフの施されたナギの愛くるしい姿は、コウにとって決して有無を言わさない勢いだった。固く結んだ口元をゆっくりと解き、少し息苦しそうな声で答える。
「……が、頑張ってみる」
「本当ですか! ありがとうございます、コウ君!」
「良い奴だなぁ、コウ君!」
「うん、あとその呼び方もやめてくれ……」
コウは赤ら顔を俯かせて街中に消えていった。いつもと違い、足取りは背に負った大剣の重さに任せて頼りなく揺れている。「そういえば、わざわざ裁判所まで自分達に会いに来てくれたのだろうか」と、ナギは彼の脱力した背中を眺めてそんなことを考えていた。
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