第13話 オルディンガータウンへようこそ

「訴えてやるーー!!」


 ナギが怒髪天を衝くほどの絶叫を放ったその時。彼の大声に森中がざわついた。


「ナギ! あんまり大声出したらモンスターが……」


 はたと自らの口を抑えたナギだったが、その時にはもう遅い。ざわめきは徐々に強くなり、何かの気配がどんどん強まっていく。

 二人は思わず身構えた。霧が蠢き、少しずつ眼前の景色が露わになっていく。ごくりと息を呑んで、前方を睨み続けた。そして——


「ステラ、町……町ですよ! 門が見えます!」

「ホントだ!」


 霧が払われ、それまでの獣道とは違う幅広の道路が見えてくる。その道が続く先にはかすれた看板があり、辛うじて読める文字でこう書かれてあった。


『オルディンガータウンへようこそ!』





 二人が石の門をくぐり町の中へ入ると、そこで最初に目にしたのは石レンガ造りの家々だった。少々町並みを背景に、時折走り回る子どもやそれを叱る大人の姿がまばらに見える。

 商人ベラ爺の誤りにより意図しない町へと訪れた二人だったが、目にする穏やかさ、賑やかさはそれまでの旅の苦労を癒してくれた。そこは実に平和的な場所だった。


「ステラ、早く行きましょう! 宿を探してその次はご飯です!」

「ナギ、この町大丈夫なの? さっきまで人気すらなかったのに、いきなりこんな所が見つかるなんて……」


 ステラの不安を煽るように、さっきまで少しも顔を覗けなかった太陽と青空が、清々しい程にその身へと降りかかる。心地よさに思わず欠伸さえも出そうになるも、それでもここは鬱蒼とした森の中だということを忘れることはできなかった。


「モンスターなら大丈夫ですよ! 人が居る所には寄り付かないと言いますから、心配するようなことは何もありません!」

「うう~ん、それなら良いんだけど……うおっと!」


 ドンッ! ステラが町並みを眺めていると、彼の腹部に突然の衝撃が走る。下を見ると、そこには活発に汗を流す少年が居た。どうやら先程まで走り回っていた子どものようで、ステラに衝突する形でその脚を止めていた。


「あっ、えっと……ごめんなさい!」

「はは、いいよいいよ。ボク、宿屋がどこにあるか教えてくれないかな」

「……!」

「あれ、逃げちゃった」


 少年はステラが屈んで尋ねたと同時に、足早にその場から失せてしまう。


「ステラったら、身体大きいんですからもう少し気を遣わないと! ビックリして逃げちゃいましたよ」

「そっかぁ。それじゃあナギは小さいの担当だね」

「んな! それどういう意味ですか!?」


 無遠慮な言葉で暗にコンプレックスを刺激されたナギは、怒って彼に飛びつくと彼の束ねた後ろ髪を引っ張った。


「いたたたたっ! ごめん、ごめんって!」

「気にしてるんですからね! もうっ!」

「あはは! 旅人さんが暴れてる!」

「はははっ!」


 闘牛のロデオの如く、彼の赤い後ろ髪を手綱にしながら乗りこなすナギ。

 するとその光景を面白がって幾人かの町の子ども達が集り、彼らを囲うようにして人だかりを作った。


「あの、貴方達は……?」

「ん?」

「お母さん、この人だよ! ヘンな人!」

「ヘン!? ぼぼ、僕たちは不審者じゃないですよ!」


 子どもは母親と思しき女を連れて、ステラの方を指さす。焦った二人だったが、女が子どもの手を軽く叩くとすぐに食い気味になって歓迎の笑顔を向けてくれた。


「あら、旅の方かしら! お疲れでしょ? 宿はもう取ってある? 良かったら紹介するわよ?」

「あ、ありがとうございます! ……どうやら歓迎されてるっぽいですね」

「良かったぁ、遠路はるばるここまで来て捕まっちゃうのかと思ったよ~」

「うん、その杖は……」

「これですか? 実は、僕はこう見えて魔術師なのでこのような戒杖を持ち歩いているんですよ。ふふん!」

「ま、……?」


 ナギの自慢げな物言いとは裏腹に女の反応は芳しくないものだった。子ども達は言葉の意味を理解していないのか聞いていないのか、変わらずナギの周りで騒ぎ立てている。


「あ! 俺も魔術師だよ!」

「ステラは黙っててください! あの、何か……?」


 女は黙りこくる。目から生気が抜け、彼女だけがそこに居ないような空白の時間が訪れた。そして——


「——あらあら、旅の方! 森で迷っていたのかしら? 宿はもう取ってある? 良かったら案内するわよ?」

「え、あの……えっ?」

「……!」


 なんと、女はしばらくの沈黙の後、まるで何事も無かったかのように振る舞い始めた。

 ステラもナギも突然のことに困惑していたが、女は構わず先ほどと同じ話を繰り返し、そして「さあ」と言いながら宿屋までの道の案内をしようとする。

 二人は余りの異様な光景に押し黙っていた。そんな彼らを取り囲む子ども達も、町の空気も、青空も、先程と比べて何一つ変化は無い。ただその女だけがおかしくなり、そして正常に戻った。奇妙な胸騒ぎを抱きながら、二人は黙って彼女の後ろをついていく。


「ステラ。明らかに様子がおかしいです……今のは……」

「そうだねぇ。やっぱりこの町も怪しく見えてきたよ」

「旅人さん! ここはその昔、勇者様が訪れて工場を建ててくださったのよ! だからこうして機械工業で栄えているの。もうすぐ豊穣祭が近いから、是非楽しんでいって欲しいわ」


 女が手を広げた先には、機械仕掛けのドアベル、雑音だらけのラジオ、近代工業的機構を備えた鍛冶屋やパン屋、各家庭の煙突から控え目に立ち上る蒸気の姿があった。町の賑やかさの影に機械の存在を思わせる。

 子ども達が二人に群がり、女はその光景の和やかさに微笑みを浮かべる。町の人々は窓から顔を出して、新たな来客に微笑みを向けた。


「オルディンガータウンへようこそ!」




 二人は宿に荷物を置くと、おずおずとした様子で町を出た。女の言動は気掛かりだったが、まずは買い物や次なる目的地、宗教都市クレルモンへの道のりを尋ねる必要があった。

 そうして町をきょろきょろと見て回る二人の下に、小さな足音が忍び寄る。


「お姉ちゃん!」

「わ! ぼ、僕のことですか?」

「うん、これ手伝って~!」


 ナギに勢いよく声を掛けたのは、おさげを揺らした小さな少女。両の手に作りかけのヤギのぬいぐるみを持っていた。


「ぬいぐるみですか……僕、刺繍はあまり得意じゃないんですよね……」

「お祭りで配るんだよ。でも沢山作らなきゃいけないから、お姉ちゃんにも手伝ってほしくて……」

「それって、例の豊穣祭ですか?」

「うん……だめ?」

「う、うう……!」


 少女のいたいけな様子に、ナギは断り切れずにとうとう首を縦に振った。


「分かりました! なんたって僕は天才ですからね。不可能はありませんよ!」

「ナギってぬいぐるみ作れたの? 聞いたことなかったけど」

「実家に居た頃、姉たちに裁縫を無理矢理やらされましたからね。基礎はばっちりですよ! ……多分」

「やったあ!」


 悩まし気な快諾にも関わらず、少女は跳ねあがって喜んだ。そしてナギの手を無理矢理引っ張ると「こっちだよ」と駆けだした。


「ステラ、僕ちょっと行ってきますね!」

「気を付けてね~」

「あ、あと! 魔術師ってことはあまり明かさないようにしましょうね。もしかしたら魔術師嫌いの町かもしれませんから……機械工業が主流のところだとけっこー疎まれがちなので……って、うわわ!」

「お姉ちゃん早く~!」

「あ~あ。行っちゃった」


 耳打ちに頷く暇も無く、ナギは少女に連れられて家の影に消える。

 ナギの後ろ姿を見送った後、ステラは町の丘を見上げた。その先には町のかなめと思われる『工場』が見え、青空で雲が移りゆく中、不動の面構えである。

 その時。ふと、ステラは町の離れ、森の方から奇妙な視線を感じた。それは悪意も好意も無ければ、ごく自然の視線だった。

 しかし、その方に振り返っても何も居ない。木々がざわめいて木陰を揺らし、それがあたかも人の残像に見えるだけだ。


「旅人さん? 買い物はどうだい、まだ旅の途中だろう?」

「ああ、そうだね。まだ食い物や水に困ってたから丁度いいや」


 突っ立っているステラに雑貨屋の娘が話しかけた。少しの間注意を逸らし、その後再び木々の隙間を見遣ったが、そこにはもう何の気配も無かった。



「えーっとね、ヤギさんはこうやっておなかをつくるんだよ」

「こ、こうやるんですね……」


 少し色褪せた白地の布で小さな袋を作り、そこに綿を詰める。

 次に脚、首を縫い付け、目玉代わりのボタンを取り付ける。尻尾は先を玉結びしたヒモで表現すれば、ヤギのぬいぐるみの完成である。


「できた!」

「ふふっ! ヘンなヤギさん~」

「うぅ……結構難しいや。君のヤギさんはとっても上手ですね、かわいいですよ!」

「えへへぇ、ありがとう。お姉ちゃんも初めてにしては上手だよ!」


 少女の家の庭先には丁度良いテーブルと椅子が置かれてあり、太陽の温もりを感じながら、平和な午後を楽しむことができる。

 そこで二人は仲睦まじく互いを褒め合って、ぬいぐるみ作りに勤しんでいた。


「よし、十個目完成です!」

「はやーい! だんだん可愛いヤギさんになってきたね、さすがお姉ちゃん!」

「えへ、えへへへ……」


『この、なんとも言えないムズムズとした感覚。キャラバンに居た頃とは格別の……承認の快感! 感謝されることへの悦び! た、たまりませんねえ~ッ!』


「でへへ、ぐへへへ……」

「お、お姉ちゃん? なんか怖いよ?」


 ナギが解けるように薄ら笑いをしていると、どこかから誰かの名前を呼ぶ声が聞こえた。


「……ル……『ククル』! あら、ここに居たのね。そこのお姉ちゃんに遊んでもらってたの?」


 呼び声と共に家の角から姿を現したのは、少女ククルの姉と思しき女性。彼女が柔らかな笑顔を向けると、思わずナギの方も背筋を伸ばして会釈をした。


「遊びじゃないよ! お祭りで配るぬいぐるみ!」

「あらそうだったのね。ありがとうございます、うちのククルが無理言って……」

「ぜんっぜん! 大丈夫ですよ、僕も楽しんでますので!」


 手を高速で横に振りながら、ナギはさっきまでの表情をひた隠す。すると、彼女もふと改まって、遠慮がちに切り出した。


「あの、重ねてお願いしたいことがあるというか……旅の方にお願いするのも申し訳ないことなんですけど。ほら、私ってこの通り髪がとても長くて」


 艶のある栗色の髪を持ち上げ、さらりと落とす。


「この後でも構わないから、かすのを手伝って頂けないかしら?」

「分かりました! 是非、僕がやりますよ!」

「本当に大丈夫? 結構時間かかっちゃうかもだけど」

「問題ありません、僕にお任せを!」


 女は遠慮がちなに告げたのに反して、ナギはかなり前のめりに快諾した。彼は少しずつ、感謝と承認欲求の虜になっていたのだ。

 その後、ナギは丁寧かつ迅速にぬいぐるみを仕上げると、少女は満面の笑みでそれらを抱えてどこかへと走り去った。後に残った少女の姉の女性は「それじゃあ……」と腰かけて、束ねていた長い頭髪をゆっくり解く。


「このくしを使ってちょうだい」

「これですか?」


 しかし、手渡されたのはお世辞にも上等な品とは言えないボロの木櫛である。女の艶やかな髪の毛の世話をするのならば、もっと質の良いものを用意すべきだということは、日常的にブラッシングを行わないナギにも理解できた。


「どうかした?」

「い、いえ。なんでもないです!」

「ふふ。優しく丁寧に、お願いね」


 そのことを言おうか言うまいか迷う前に、慌てて体裁を取り繕ってしまったナギは、肩肘を張って女の髪に櫛を通す。

 それは自信無さげな手つきだったが、梳いていく内に次第に櫛の流れは滑らかになり、抵抗を一切受けなくなっていった。


「上手ね」

「そ、そうですか? お姉さんの髪が綺麗だからですよ、きっと!」

「そう言ってくれると嬉しいわ。自分一人だとどうしても大変で。たまに妹にも手伝ってもらってたの」


 ククル、と呼ばれていた先程の少女の存在を思い出す。少女が去った後の景色をちらりと見たが、そこでは木漏れ日がぽつぽつと降り注がれており、少女の足跡だけを日光が照らしているような、そんなのどかさを感じた。


「……すごく、良い所ですね。ここは」

「ふふっ。オルディンガータウンを気に入ってくれたかしら? ここは困ったことがあったら住民皆で助け合う、思いやりの町なの。だからつい旅人さんにも同じ調子でお願いをしちゃうのだけど……」

「そんな! 僕は皆の力になれて嬉しいですよ。人に感謝されるのが好きなので!」

「あら、優しい人なのね。また困ったことがあったらお願いしようかしら。——そういえば、豊穣祭の準備がまだだったわね……」

「それなら是非に任せてください!」


 ナギはステラを巻き込んで胸を張った。二つ返事で快諾するナギの様子に彼女が微笑めば微笑むほど、彼の胸中で欲求はどんどん満たされていった。


『ああ……! なんて良い町なんでしょうか、オルディンガータウン!』


 ナギが恍惚の表情で櫛を動かしていたその時、女がテーブルにことん、と『それ』を置いた。


「これは……さっきのヤギのぬいぐるみ?」

「手が寂しかったからちょっと作ってみたの。どうかしら?」

「すっごく上手ですよ、僕のよりずっと!」

「ふふっ。それじゃああげちゃおうかしら。そのぬいぐるみ」

「いいんですか?」

「勿論よ。また暇なときに妹の相手、してあげてね」

「は、はい!」


 このような町の人々の温かみは、ステラに出会うまで旅の殆どを孤独に過ごしてきたナギにとって深く痛み入るものだった。むず痒いとも言えるほどの多幸感は、徐々に大きなやりがいとなってその善意を燃え滾らせる。

 ナギが町の様々な困りごとをこなしていく中、陽は少しずつ傾いていき、オルディンガータウンには段々と影が生まれる。疲れ知らずの子ども達の遊ぶ声は、段々と大きくなっていった。

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