佐々木迷宮-4 肋/蜘蛛

 夕暮れ。


 天は槙の部屋に入った。彼は布団に包まって寝息を立てている。


「……大丈夫」


 ぼそりと呟いてから近づく。横向きになっている顔。何か夢を見ているみたいだった。


「……あれ」


 天はふと槙の頬に触れる。違和感。見張っていたはずの少女の気配がない。すっかり彼から消えてしまっている。自然に祓われた? 否。依存性が強いあの呪いがそう簡単に無くなるはずがない。ただ寝ていたというだけで。


「違う、違う」


 天の頭に過ぎる、嫌な予感。夢を見ているだけ。寝ていただけ。それが、何もかも終わった後の結果だとしたら。


 彼女は槙の母親に挨拶し、すぐさま家を出て行った。あの廃屋に向かって全力で走る。

 実体のない腕。幽霊。眠り。夢。

 あの少女が持っていったのは、人形にしてきたのは、肉体ではなく。


「中身の方……!」


 身体は生きながらも精神なかみが抜かされてしまった。槙はこのままだと植物人間になってしまう。彼の精神が完全に囚われる前に救出しなくてはならない。



 日が落ちた頃に佐々木家に着く。隔絶された雰囲気は相変わらずで、昨日と何の変化も感じられない。

 天は背負っていた袋から鞘に納められた刀を取り出す。その瞬間、意識が朦朧とし、視界は暗転した。


「……」


 それまでの状況は既に頭に入っていた。するべきこともわかっている。

 また面倒ごとを、と呆れつつも家に入っていった。

 一階には何もないことは昨日の時点で調べがついている。無視して二階へ進んでいく。

 階段を進む。先に見える暗闇が一層黒くなっているのは夜だからか。否。奥で群体がぎっしりと詰まりながら蠢いているためである。ぎしぎしと歪な音を立てていてとても耳に悪い。彼女は苦々しい表情を浮かべ、片耳を抑える。そして肉の壁の方へと歩を進めた。

 道程を簡単に要約する。剣女は次々と襲い来る腕の虫を払いのけ、壁を突き破って廊下を走っていった。なんて脆弱な防衛機構。あの幼子が置いたものなら結構な出来栄えだが、それまででしかない。人形にされかけている近衛槙の元に辿り着くのにさほど時間はかからなかった。


—————————————————————————————————ざくり。


 振り下ろした一刀を何重にも重なった腕が押しとどめた。ぐちゃぐちゃと潰れる音と血粉を撒き散らして消えていくが、瞬く間に新しい腕が四肢を掴まえようと迫ってくる。

 その全てを切り刹那の間に切り裂いた。剣をヌンチャクのように振り回し、一匹一匹を的確に叩き落としていったのだ。


「デテイケ、デテイケ、デテイケ……!」


 反響する恨み言。床から腕が湧きでて足に迫ってくる。指を使ってかさかさと移動するそれは百足のようだった。


 剣女は右の壁の方に跳ぶ。そこから生えていた腕を刀で串刺しにしながら壁に突き刺し、またもう一本生えていた腕を足場にして身体を固定した。そのまま数秒、状況打開の策を思案する。一番手っ取り早いのは本体を叩くこと。しかし肝心の黒幕の姿が見えない。蠢く腕の海に埋もれてしまっているのか、それともここに居すらしないのか。


「……」


 渦の中央には半透明な近衛槙が今にも落とされようとしていた。今は彼を救出することを最優先しなければならない。しかし無限に増殖する手腕の群れはそう簡単に押し通してくれないだろう。一瞬のうちに壊滅させて、その間に助けるか。

 しかし湧き出るまでの時間を考えるに、それはあまり得策ではないように感じた。目視で距離を測ったが瞬時に到着できるほど近くはない。例え着いたとしても、脱出するときにはまた復活した腕を相手にしなければならない。


「動けなくすればいい、か」


 倒さず、動きを封じる。策は決まった。剣女は降りて刀を顔の前に、切っ先を天井に向けるようにして構える。


『翻り、』


 声が二重に重なる。


『穿ち、迸り、裂かれ、定め、増え、茂り、無き、謳い、乞う』


 刀身に周囲の光が吸い寄せられていく。


『———流るるは、あばらの蜘蛛』


 瞬間、刀から幾つもの白い直線が放たれ、腕の一本一本を撃ち抜いていく。線は幾重にも枝分かれし、全ての腕を捉えていく。剣から引かれる光の線の形は蜘蛛の巣のようで、骸骨のようでもあった。

 撃たれた腕はばたりばたりと倒れて痙攣している。指の足をがちがちと音を鳴らして震わせている。


 肋の蜘蛛。

 剣女の持つ外法の一つ。効果は単純、複数の対象に向けて光の糸を放つことでその動きを封じる、もしくは支配する。つまりは向こうと同じ人形操術である。


 しかし同時に、この技には欠点がある。


「ぐっ……」


 幾つもの相手を同時に抑えるため、それ相応の負担がかかる。つまりは、動きが鈍くなる。

 天は前の方へと倒れ掛かる。しかし寸前で片足を踏み入れて刀を床に突き刺すことでなんとか体勢を保った。


「はあ……はあ……」


 苦しげな肺呼吸を五回繰り返す。腕を封じている今のうちに彼を救わなければ。

 重い足取りで少しずつ前へと進んでいく。周囲にはびくびくと蠢く肉塊。あまりに醜悪で気分を害してしまうのも自然なことだった。


 天には近衛槙を助ける感情的な理由はない。ただ対処すべきモノがあって、彼は偶然それに巻き込まれただけなのだ。それでも、今天の目には槙の顔だけが映っている。それが歩を進める原動力になっているのは。


「待ってて……今……」


 巻き込んだことに対する罪悪感なのか。ただ当たり前の義務なのか。


「助けます、から」


 天にはわからない。しかし今目の前で消えかけている命を散らしてはならないと心が訴えている。そんな抽象的でふわふわとした理由のために天は彼の元へ向かっていった。


 そして、半透明なままの彼の手を掴む。朝とは違ってほのかな温もりがあった。近衛槙はここに確かに存在する。この温かさこそ生きている人の証。


「ぐっ……ふぅう!」 


  腕の殻から彼を引きずり出す。腕はセミの抜け殻みたいにボロボロと落ちていく。そのまま救出して、背負う。


「重……い……」


 精神体なのにどうして質量があるのか。そもそもどうして触れるのか、なんてことはどうでもいい。このまま連れて戻る。

 まだ腕の群が痺れている間に進まなければ。そして次にあの少女をどう処理するかを考えなければ。


「くっ……うあ!」


 耐え切れなくなり前に倒れ込む。同時に痙攣していた腕が徐々に復活していこうとする。


「まずい……」


 振り向いた天に一本の腕が襲い掛かる。咄嗟に頭を伏せるが、しかしその腕が彼女に届くことはなかった。

 その腕を、また別の腕が抑えている。すると互いの肌を爪で激しく引っ掻き始めた。同様のことをする腕が段々増えていく。

 爛れていく肌。飛び散る血液。まるで、共食い。

 何が起きたのか天はすぐに察した。

 肋の蜘蛛の支配能力が動いたのだ。全ての腕をその場で殺し合わせて全滅させる

 そういう風に働いているのだろう。

 操っているのは天の意思ではない。どちらかというとそれは自動的な防衛機構として動いている。


「ウアアアアァァアアアアアア!!??」


 少女の悲鳴。痛みに悶えているように聞こえる。快楽で哄笑しているようにも思える。

 床には血だまり。飛沫を上げて落とされていく腕。地獄絵図。慣れたつもりであっても、天は目を背けざるを得なかった。

 そして、全ての腕が消える。すると天の身体にかかっていた負担は消え、普段通りの状態になった。


 意識の最奥でスイッチが切り替わる。交替が行われた。

 

 後ろに降ろした少年を一瞥。少しずつだが血色が良くなってきている。安堵して、相対するモノへと向き直る。


「お前が本体か」


 目の前で浮かんでいる屍のような子供。眼球をぎょろりぎょろりと回しながら笑っている。なんて奇怪な口角。口裂け嬢ともいい勝負だ。

 腕が復活する気配はない。蜘蛛を使ったのは無駄足だったかと感じる。


 少女はガタガタと頭を揺らしながら近づいてきた。剣女は再び構えをとる。

 さて。見る限りではとどめを刺すには容易い。一度斬ればそれだけで消えてしまう、その程度の存在だろう。呪縛が厄介でも本体は脆弱。よくある形だ。

 だからこそ、油断はできない。他に何か持ち手があると仮定したうえで動くべきだ。人に対する欲望がきっかけとなった怨念は、そう簡単に剥がせるものではない。数十年……ほんの僅かな期間だが、他者を巻き込むほどの呪いに昇華させるには十分な長さだ。

 その間あの少女は「家族」を求め、その代わりとなる人間を閉じ込めては使いつぶしてきた。叶えられなかった欲求は別のもので代替えするのがヒト。それが死後であっても例外はない。飽きが来るはずもなく、未練は世界に刻まれ続ける。

 永遠に。

 ゆえに、たった一人後ろの男を救っただけでその基盤が崩れるはずがない。


(そうでなくては。私の方が困る)


 滑走する少女は急速に剣女の前に迫る。


「アソボー」


 耳をつんざくほどの嬌声をあげながら亡霊は両手を広げた。すると掌が肥大化し、人一人包み込めるほどの大きさになった。そのまま剣女を、覆うように掴まえた。


「遊ボ、アソボ、遊ぼ!」


 そのまま少女ははしゃぐように手をぶんぶんと振り回す。手の袋の中には小さな玉が反射乱射しているような感覚。少女にとって剣女は家族でなく、異物。本当に壊れるまで玩具として遊び倒すつもりでいるらしかった。しかし。


「……ウゥっ!?」


 手が振動する。中で針がざくざくと手を刺している。あまりに、あまりに痛い。それも愛のある痛みではなく、幼子にとっては恐怖の、無機質な痛撃だった。


「ウアアッ、アア、あああっ!?」


 中で玩具が暴れている。痛みが、手の中で反復していた。


「あああああああああああああああっ」


 両手が内側から何片にも切り裂かれる。肉が霧散して落ちていく。皮も骨もバラバラに。たまらずに泣き叫ぶ少女。しかしすぐ眼前に、あの剣女が迫ってきていた。


「———ッ」


 柄を少女の胸元に押し付ける。瞬間。


「……ごばぁっ!」 


 少女は口から胃液を吹き出した。そしてそのまま廊下の最奥まで、ぎん、と音を鳴らしながら飛ばされていった。


「呪いの濃さなら、到底私に及ばない」


 首を撥ねなかったのは彼女の恩情と思え、と最後に言の葉を捨てた。奥でドスンとぶつかる音が鳴った。

 振り返る。

 近衛槙の精神体は無事に消えていた。とりあえずは少女から引きはがせたのだろうと安堵する。

 今の夜はこれにて終い。明日の夜はまた明日、考えればいい。


「……しかしこの程度なら。瀬古はまたつまらなそうな顔をするな」


 剣女は佐々木家を後にした。


 ……不意に、目が覚めた。たまに夢の中で身体が浮かんだり落ちたりする、ということがある。誰だってそんな経験があるだろう。風船のように飛んだかと思えば、破裂して墜落するような感覚を。

 さっきまで見た夢も、内容は覚えていないけどそんな感じだった気がする。

でも。うまいこと、着地したような。それですごく、安心したような。そんな気がしていた。


 起き上がると目元が痛んだ。擦ると、ピリ、とした冷たさが感じられた。

 俺は……寝すぎたのか、涙を流していた。



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