第2話 突然の求婚

「お父様、失礼します」

「おや帰ったかね。あの自惚れは花くらい寄越したか?」

「その自惚れのことですが…婚約は破棄して欲しいと」

父は吸っていた葉巻を落としそうになり、慌てて持ち直した。


「前公爵様より、ご令息がどうしてもと言うからと結んだ縁談だぞ!?それをなぜ今になって…」

「お父様もご存じでしょう?あの悪態ぶりですもの。恋焦がれる方は別にいるのですって」

「何を今更…」

父は拳を固く握る。


「お父様、また血圧が上がってしまいますわ」


ため息を深くついて目を瞑って言う。

「お前はそれで良いのか?」

「良いもなにも、縋り付くほどニール公爵をお慕いしてませんもの」

微笑みを湛える。

本当は大笑いしたいところだ。

初めから、会うたびにあの態度。

正直辟易していた。

それがもう、婚約者と呼ばなくて良いのだから。


「うら若き娘の2年を無駄に奪っておいて、人違いだと!?…これから後悔することになるぞ」

「お手柔らかにする気はなさそうですわね」


「勿論だ。それ相応の報いを受けてもらわねばな」


父の怒りを鎮めるには時間がかかりそうだ。

夕食までそう時間がないので、まずは着替えてきますと言ってその場を離れた。





✳︎ ✳︎ ✳︎





「私より怒っていたわ」

ことの詳細を侍女のレーラに話していると、雑に結った私の髪を解いていた彼女の手がプルプルと震えているのに気がついた。

「レーラ?」

「お嬢様が受けた数々の嫌がらせを思うと、うまくできそうにありません…!申し訳ありません!」

と頭を下げた。

ふうふう言って呼吸を整えている。


「まあ、酷かったわね」

「誕生日の贈り物なんて、その辺の野花を引っこ抜いて渡してましたよね…」

「あったわね」

抜かれた花がかわいそうで、花瓶に入れたけどすぐに枯れてしまった。

月に四度と決めていたデートも一回になり、それもやがて2ヶ月に一回となった。

「指折り待ち焦がれていたわけでもないけれど、たまのデートだって挨拶したら帰ろうとするのだもの。お久しぶり、さようならですもの。おかしかったわ。なら最初から会わなければ良いのよ」


会える日を指折り数えるほど恋焦がれる相手がいると言うのはどんな気持ちなのだろう。

ニール公爵はその気持ちを知っている。

それが、少しだけ羨ましい。


レーラが落ち着くのを待って髪を解いてもらう。

私は重たい眼鏡を外し、母のお下がりのドレスを脱いだ。


湯浴みの心地よい香りは全てを忘れさせてくれる。


「今日は特別良い香りだわ」

「このオイルはラベンダーを抽出しておりまして、気持ちをリラックスさせる効果に優れているのです」


(今の私にぴったりだわ)

あまり好きになれない自身のお腹をさする。


「婚姻が成立するまでは、他の男の目に触れるのすら許せないからと、あまり目を惹かない格好でいろと言ったのはニール公爵ご本人でしょうに」

湯番が私を磨きながら怒りに燃えているので、笑って答える。

「自分のお願いも覚えてないのよ。3歩歩いたら忘れちゃうのかしらねえ」


それから私は薄く化粧をし、髪を結い、流行りのドレスに着替えた。

「ああ、本当にセレンお嬢様はお美しいですわ。ニール公爵にお会いになるときは、お支度をする度に美しさを消さなければならなかったので、本当に悲しい仕事でした」

「レーラの完璧な仕事のおかげで私は自由になれたわ、感謝しなくちゃ」


薄紅色のドレスはこの国一番のデザイナーが仕立てたものだ。

貧乏子爵家ですって?

笑わせてくれる。

望めばこの国の宝石一つ残らず買い占めたってお釣りがくるわ。


けれど、私は輝く宝石よりも大好きなものがある。

美しく煌めく満天の夜空。

駆ける流れ星、飲み込まれそうな天の川。

一つとして手の届かない、夜空に縫い付けたようなスパンコール。

そして、私の心の内を見透かすような月。


誰のものでもない、穢れのない輝き。


私は夜、空気の良い日にこうやって星を眺めるのが好きだ。

百合の花咲く見晴台で馬車から降りる。

この見晴らし台は父が整備を手がけたもののひとつだ。


星が一つ流れた。

(願い事を唱える純真な心は、もう忘れたわ…)


カツンと足音が響いた。

「願い事をしました。貴方にまた会えるようにとーー」

聞きおぼえのある声に振り向く。

侍女達が警戒した。


「こうやって貴方に会えた。星に感謝です」

そう言って、今まで見たことのないような美しいお辞儀を見せた。


「覚えていらっしゃるでしょうか、以前ここで一度お会いした…」

「ニール様、ごきげんよう」

私も丁寧なお辞儀で返した。


「ああ、覚えてくださったのですね!なんという幸せでしょう。あの日、貴方が馬車で去ってから追いかけましたが見失ってしまいました。今日はとりわけ星が美しく、きっと貴方にまた会えると思って…」

公爵は先ほどの悪態とは打って変わって、人懐っこい笑みを浮かべた。


「失礼ですが、なぜ私に会いにきたのです?」

さっき私にテーブルの席を離したいとまで申し出たその口で。


「貴方を妻に迎えたく、このガレリアン・ニール、星に幾度も願いました。どうか、私の愛を受け取って頂きたい。"月花の君"」


さっき私に婚約破棄を突きつけた、その口で今度は愛を語るのか。

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