Ep33. Their own secret

「狂言誘拐だと?」

 フェリオの声がひっくり返った。

 対するシオンとレオナ十世──アスラと呼ばれた少女は、顔を見合わせていたずらっ子のような無邪気な笑みを浮かべた。あんまり無垢な笑顔を前にフェリオは問い詰める気も起こらぬ。

 シオンから敵意は感じない。

 そもそも、レオナ十世を誘拐したことすら狂言だったとするならば、いったいこの騒動の目的はどこにある。フェリオは眉間を揉んでそれを問うてみた。すると意外にも、少女が先に口をひらいた。

「ごめんなさい──でも、こうするしかなかったの」

「…………」

「アスラを責めるな。オレが、お前とこうして話したかった」

「ま。まさかおれをここにおびき出すだけのためにこんなことを?」

「ちがうの。それだけじゃない……けど、それも大事なことだった」

 と、アスラは泣きそうに顔を歪める。

 女王に泣かれたとあってはバツが悪い。おもわず口ごもるフェリオを見てシオンはしばし慈しみ深い目線を投げてから、中央の祭壇部へと移動し、腰かけた。祭壇のまわりを囲う溝に溜まった水は透きとおって、崩落により欠けた天井の隙間からきらきらと太陽光が降りそそぐ。

 光を受けたシオンは、金色の髪色も相まって、それはそれは神々しく光る。

「フェリオ。よく来たな」

 よく来た──。

 シオンはしきりにそれを繰り返した。

 すっかり戦意をそがれたフェリオも、シオンのそばに歩み寄る。アスラは溝を跳び越してシオンの横にちょこんと座る。

 対面に座るようなかたちでフェリオは腰を下ろした。ゆっくりと首をめぐらせる。ここレオナの神殿にたどり着いてから、初めてこの場所を見る余裕ができた。

「ほんとうにここが、始祖レオナ降臨の場所なのか」

「むかしはこんな天井もモチーフも、なにもない……向こうの森と地続きにあった、ただの大石だった」

「見てきたかのような言いぐさだな」

「見たぜ。サンレオーネが見せてくれた」

「…………」

「お前のお仲間もその力で、この地に起こった悲喜交交を視てきただろう」

「な、なんでそれを」

「ずっと見ていたからさ」

「……あれは、やっぱりサンレオーネの力なのか」

「いや──ちがうな。力はもともとその人間が持ちうるものだ。ただ、サンレオーネという場所はそういったものを引き出す力がある」

 といって、シオンは口角をあげた。

 つまり汐夏はもともと『過去視』ができる潜在能力を持っていたということか。ロードは『感覚共有能力』を。そんな馬鹿な──と一蹴するには、フェリオもこの目でいろいろなものを体感しすぎた。

 石壁が消える現象も、身体が浮上する感覚も。

 口ごもるフェリオを横目にシオンはつづけた。

「この場所をことばで表すのはむずかしい。が、あえて言うとするなら、ここはもっとも神に近い場所──」

「神?」

「人が死んだあとに行き着く世界さ。この世にありながら、限りなくあの世に近い。だからこそ、人はここでさまざまな力に目覚める。代償はあるがね」

「…………」

「躯を脱ぎ捨てたらその意味もわかる。魂だけになってしまえば、人は過去も分かるし、何が起きているのかも手に取るようにわかる。意味、分かるか?」

「……どうにも、神だなんだって話が出るとアレルギーが出ちまう身体だもんで」

 ハハッ、とシオンはのけ反ってわらった。

 ふしぎな青年だ──とフェリオは彼をとっくりと観察する。

 一見するとただの若い小僧のようなのに、時折見せる表情の端々に、ふしぎな年輪を感じることがある。サンレオーネはもちろんながら、この青年もたいがい謎である。

 そこがいい、とシオンは上機嫌に答えた。

「フェリオはそれでいい。地に足つけて、生きてきたんだろ。ここの民たちが必死こいて求める神のことばなんざ──聞きもせずに」

「…………エンデランドの風習をどうこういうつもりはない。ここの者たちは、それが常識なんだろう」

「ああ。おかげで、こんな子どもが一身にすべての民の未来を背負わされる」

 といってアスラの頭を撫でる。

 彼女はさみしそうにほほえんだ。

(レオナの啓示か)

 フェリオはおもわず呻く。

 年始に一度、代々レオナはここサンレオーネの神殿に入って、啓示をおろすという。彼女の口からこぼれることばが、島民たちの生活の道しるべとなる。神の後継として担うその重責は計り知れない。

 フェリオは視線をアスラへ移す。

「レオナ十世はいつからレオナの名を?」

「こいつはアスラだ。レオナ十世なんてさびしい名を呼ぶもんじゃねえ」

「ああ──そうか。じゃあ、アスラさま」

「……わたし、わたしは十歳のときから。先代レオナが病に倒れてしまって」

「いまはおいくつですか」

「十三歳です」

「じゃあ女王様になってから三年になるんだな」

 十歳のころの自分を思いかえしてみる。

 当時はひどい貧民窟のなかで、母とふたり細々と過ごしていた。決して楽な暮らしではなかったけれど、近所の荒くれものたちが教えてくれた喧嘩のやり方は、傭兵時代にずいぶん役立ったものだった。

 しかしおなじ立場になれ、と言われたら死んでもごめんだっただろう。

 自分の人生を背負うのだっていっぱいいっぱいなのに、他人の道しるべなど冗談じゃない。フェリオはあらためてアスラの境遇に道場した。

「大変なお役目だ。現代レオナなんて……」

「そうだとも。馬鹿げているとおもわんかね」

 と、シオンの声色がわずかに変わった。

 これが本題か──とフェリオが居住まいを正す。

「それが此度の狂言誘拐の目的?」

「ひとつではある」

 嗚呼、とシオンはぐったりとのけ反った。

「お前に話したいことがたくさんあるのに、いざ話すとなると、何から話せばよいのか分からんな!」

「そうだずっと疑問だった。なぜおれなんだ?」

「…………」

「おれが大陸からこの島へ来ることを知っていたのか」

「知っていたとも」

 シオンはのけ反ったままつぶやく。

 となりに座るアスラと目が合った。そういえば彼女と初めて顔を合わせたとき、彼女はこういった。

 ──あなたの来訪は、黙示にて予言されていた。

 と。

 アスラとシオンがいったいどういう関係なのかは不明だが、これほど仲睦まじいようすを見るかぎり、アスラからシオンに秘匿黙示が流れたと考えてもおかしくない。

 しかしアスラがそれを否定した。

 それから柔くちいさな手のひらで、節くれだったフェリオの右手を包むように握った。その手はわずかにふるえている。

「フェリオ、あなたに聞いてほしい話があるの」

「うん?」

「わたしたちの秘密。……代々レオナと、シオン、それからあの人たちだけの」

 というアスラの瞳からポロリと一滴、涙がこぼれた。

 そのときである。


「!」

 

 とつぜんシオンが勢いよくからだを起こした。

 ジッと虚空を見つめ、やがて視線が宙をさまよう。つられて視線を追うもフェリオにはわからない。しかしアスラには分かったようだ。彼女は悲痛な顔でシオンを見る。

 フェリオ、とシオンはうわ言のようにつぶやいた。

「──お前の友達が死んだぜ」

「なに?」

 突然なにを言い出すかとおもえば。

 嘲笑気味に聞き返したとき、フェリオの手を握るちいさな手にぎゅうと力がこもるのを感じて、胸に焦燥が走った。

「と、友達ってだれのことだ。まさか、シーシャか。ロードか?」

「いや?」

 といって、シオンは細く口笛を吹く。

 静謐な空間にひびくうつくしい旋律。音は掠れず鮮明に空へのぼった。

 なにをしている、とフェリオが尋ねる。

 呼んでやってるのさ、とシオンはほくそ笑んだ。

「お前をとても心配しているようだからな」

「心配って」

 シオンは人差し指をくい、と曲げ、なにかを招く仕草をした。

 静謐な空間。

 音はない。

 が、直後。

 背後に突如気配を感じて振り返る。


「な。……あ?」


 そこにはいつの間にか、由太夫が立って居た。

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