Ep31. The Blue Tragedy

 午前九時ごろ。

 サンレオーネ西側、通称迷いの森と言われる『ビートルの森』に迷い込むは、ノトシス地区兵団の地区長ハオと士長虞淵。サンレオーネ遺跡の東側へいけばレオナの神殿がある──というアバウトな情報のみをたよりに、決断力のある虞淵が率先して遺跡内を先行。西へまっすぐ進んだことよる結果であった。

 かれこれ一時間半。

 ふたりはひたすら森のなかを走っている。どうも道を間違えているらしい、と虞淵が気が付いたのはつい十分ほど前のこと。もはや自分たちがどの方角へ向かっているのかも分からず、ハオと虞淵はただひたすら、目の前に伸びる道なき道をノンストップで駆けていた。

 こんなことなら、と疲れをおくびにも見せずハオがさけぶ。

「はなっからシャムールに声かけて連れていってもらえばよかったかな!」

「そんなの元も子もないでしょ。そもそも北の奴らが怪しいってんで、あとを追って来たんですから」

「だからよ。あとを追う、なんざ性に合わねえことをせずに、真正面から聞いてやりゃあよかったんだ」

「北の奴らがわれわれ南にそう簡単に話をすると思いますか。そんなんだからシリウスさんに馬鹿にされるんすよ」

「オレをいちばん馬鹿にしてるのはおまえだ、グエン。いやしかし方向音痴のグエンなんぞに道案内を任せたオレはほんとうに馬鹿なのかもしれない……」

「っあーもう、虫が多い!」

 と、虞淵が手で払う。

 これまで行き止まりにぶち当たっていないあたり、きっと前には進んでいるはず──とふたりは根拠のない希望だけを胸に抱き、一心不乱に森を進む。彼らにはそもそもネガティブ思考というものは存在しない。

 ふたりがサンレオーネへ繰り出した理由は、ハオの言うとおりシャムール地区長シリウスと副官ノアにある。彼らはずいぶん前、人知れずサンレオーネへと向かったという。

 いつもならば、閣府からの命令が下るまでは地区として待機姿勢を貫く北地区だが、今回ばかりはだれに告げることもなく、あの別邸調査ののちすぐに閣府を発った。別邸で話した際のシリウスに違和感をおぼえたハオが、虞淵に指示。北の動きを追った虞淵が手にした情報である。

 ただでさえ出足が遅れたというに、この迷子。

 傍から見れば、もはやシャムールに追いつくのは絶望的であるが、ふたりは迷いなく『迷いの森』を駆ける。しかしふいにハオが虞淵を呼んだ。

 およそ一時間半、サンレオーネに踏み入ってから初めての静止である。

「ハオさん?」

「獣がいる」

 ハオが声をひそめる。

 視線の先には、ネコ科の大型猛獣がこちらを見ていた。とくに身構えるでもなく、凛とまっすぐにこちらを見据えている。

「見たことないですね」

「獣自体、そうそう見ねえが……敵意はなさそうだな」

 戦闘民族の嗅覚は伊達ではない。

 生きとし生けるモノたちが殺気を出せば、一発でわかるものである。しかしこの獣はこちらを見据えたまま動かない。試しにハオが一歩近づいてみた。

「……うごかねえ」

「置物?」

「いや生きてはいるぜ」

 もう二歩、三歩と近づく。獣はうごかない。

 しまいには手を伸ばせば届く距離にまで近づくことができた。

「へえ。けっこうかわいいすね」

「この森に棲んでるのかおまえ」

 と、ハオが腰をかがめたときにようやく獣が動き出した。

 くるりと身をひるがえし、奥の分かれ道を右へゆく。ちら、とこちらを振り返る。まるで「こっち」と言っているかのように。

 ハオと虞淵は目を合わせた。

「ついて来いって」

「行ってみますか」

「たぶんサンレオーネが道案内を寄越してくれたんだろ。あんまりオレらがひでーから」

「ははは。ホント、散々っすよ」

「だれのせいだッ」

 と、小突き合いながら獣のあとを追う。

 一定の距離を保って進むと、そう時間も経たず景色に変化がおとずれた。先ほどまで空の色まで見えないほど鬱蒼と生い茂っていた木々が減り、木漏れ日が射し込むようになった。

 道も、獣道からちゃんとした林道に変わっている。

「グエン」

 ハオが足を止めた。

 遠くに耳を澄ませ、音を聞く。それにならって虞淵も呼吸を浅くした。

(声がする)

 と、ハオが身振りで伝えてきた。

 虞淵もそれを確認してちいさくうなずく。ふたたび前を見ると、いつの間にか先導してくれた獣のすがたはなくなっていた。

「道案内は終わったようですね」

「目的地はもう間近ってことだ」

 ふたりの足はふたたび歩みをはじめる。

 やがて早足から、駆け足に。無尽蔵な体力を存分に生かして、とうとう彼らはまだ知らぬ目的地へと全速力で向かう。

 まもなく見えた光──森から抜けた。

 出た場所は、すでに石塀に囲まれた禁足地のなかである。サンレオーネ西側にあるはずの『ビートルの森』は、東側奥にあるサンレオーネ神殿『石舞台』の裏側に通じていたらしい。

 ここまでくるとはっきり聞こえた。

 争う声、刃がかち合う金属の音──。

 ハオと虞淵が石舞台の表側へ向かったときである。


「!」


 ふたりは衝撃の光景を前に目を見開き、足を止めた。



 ※

 ウォルケンシュタインを追ってサンレオーネにやってきた比榮と由太夫。ふたりは周囲の音や足跡などの些細な痕跡をたどって、レオナの神殿近くまでやってきた。周囲に散らばる近衛師団の目を避けるように動き、ふたりの足は自然とサンレオーネの町周囲にめぐるビートルの森へ向かった。

 大回りにはなるが、鬱蒼としげった森を抜ければ人目につくこともない。

 ふたりは森のなかを駆ける。

 視界がひらける。

 うわさに聞く、深層への入口──石舞台。

 禁足地とされているだけあってか、遺跡内では散見された近衛師団も、この周囲にはぱったりすがたはない。

 比榮がアッと石舞台の裏を覗き込む。

「由兄ィ、この階段から下に行けそうです」

「おかしいな。ウォルケンシュタイン一団が先に到着しているはずだけど」

「もしかしたらすでに下へ降りたのかも。我々よりすこしはやい出立でしたから」

「それもそうかもしれない、いこう。……」

 ふと。

 由太夫は気配を感じた。

 比榮の背後、迫る影を見た。

 比榮ッ、とさけび、腰元の刀を抜く。

 迫るはアーマーを着こんだ師団兵ひとり。

 とっさに兵の首を斬りつける。

 が、直後響きわたったのは乾いた発砲音。

「ぐ、」

 とうめいたかとおもうと、由太夫がぐらりと前に倒れる。

 からだは石舞台上に投げ出され、たちまち血液があふれ出す。これらはあんまり一瞬の出来事で、比榮は反応が遅れた。

 あわててうしろを振り返る。

 由太夫を撃った近衛師団兵がこちらに構えていた。比榮は目にも止まらぬ速さで師団兵のもとへ飛び掛かる。プレートアーマーに身を包んだ兵がすかさず銃を構えるも、即座にうしろへ回り込み、体格差などものともせずに首元へかじりつき、ヘッドアーマーの隙間から首を掻っ切った。

 師団兵は声もあげずに倒れる。


「野蛮なネズミだ」


 と。

 背後からした太い声。

 比榮は振り向きざま、手中の苦無を振りかざす。体格差的に比榮の視界には相手の胸元──師団の紋章だけが目に入る。そこに切っ先を突き立てんと振り下ろしたときだった。

「!」

 横から割り入る剣があった。

 比榮の目が見開く。

 目前に立ちふさがるは、長い黒髪をなびかせて細剣を構える色白の少女──。

「ノア」

「比榮。いけない」

 シャムール地区兵団副官のノアが、そこにいた。

 ノアのうしろ、太い声を出したのは近衛師団長のレオナルト・ウォルケンシュタイン。彼はゴミを見るような目で比榮を見下ろすと、つかつかと石舞台の上にあがった。

 その動きにつられた比榮。

 ノアはその隙をつき、比榮を強く押し返す。それから足元にころがる由太夫など見もせずに、石舞台の上を覆う屋根部分へと身軽に上る。

 そこにはシャムール地区長シリウスが立って居た。いつもは沈着な顔を歪め、息を切らしている。

「シリウスさんッ」

 比榮の絶叫が禁足地に響き渡る。

 シリウスとノアは、だまっている。

 レオナルトは肩口についた汚れを手で払い、ゆっくりと口角をあげた。

「あきらめろ、青のネズミよ」

「こ、近衛師団長──」

「そこの黒いカラスどもは、レオナを裏切るそうだ」

「は、……?」

 比榮がおもわず北地区兵団を見上げる。

 レオナルトはめずらしく饒舌になった。

「先ほど俺にこう言った──『教祖シオンのもとに下る』と。そうだな、北の!」

「…………」

 シリウスは動かない。

 ノアもまた、沈痛な面持ちで由太夫の死骸を見下ろしている。

「どう、いうことですか。それでなぜ由太夫をころす必要が?」

「……ころしたのは近衛師団だ」

「おなじことだ」

「…………」

「裏切者ッ」

 と、比榮がシリウスに向かって駆けだす。

 しかしその周囲は、どこから沸いたか数人の師団兵によって囲まれた。彼らはためらいもなく比榮に向けて剣を振りかざす。比榮の動きがいっしゅんひるむ。

 瞳に涙を浮かべ、彼は咆哮をあげた。

 そのいのちも惜しまず目前の敵へ腰の短刀を抜き、苦無を投げる。背後に敵が迫る気配がする。比榮はかまわず前へ駆けた。

 敵の刃が背中で風を切るのを感じる。

 しかし、その刃先が比榮に届くことはない。

 なぜならそこには、すでにノトシス地区兵団士長の虞淵が、数人の敵を一度になぎ倒していたからである。

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