Ep23. Memory of stone lanterns
サンレオーネにもどる。
結局、聖域にたどりつくまでさらに一キロ歩いた。『レオナの神殿』と聞き、豪奢な彩色が施された石造りの宮殿を想像したが、実際はおおきく異なる。広大な敷地を囲む石塀のほかは、敷地奥に大きな石柱と屋根のついた石舞台があるくらいの簡素なものだった。ロードいわく神殿の本丸は地下にあるという。石塀に設置された門からは見えないが、石柱の足もとに地下へつづく階段があるとか。
外観の質素さは地震による崩落のせいもあるだろう。
神殿というよりはもはや跡地である。
この門から、とロードが石造りの門をぺちぺちと叩いた。
「あの石舞台まではおよそ七百メートルあります。ここサンレオーネを解放する日はいつも、この門前に近衛師団兵が見張りとして立っているのですが──今日はいませんねえ」
「この門の先から禁足地指定なのか」
「ええ。とはいってもこの辺りまで一般客が来るのはまれですよ。入口からは遠いですし、道中の近衛師団兵があまり人を近づけさせませんからね」
「…………」
ここまで、アルカナの影はない。
まるでフェリオがここへ来るのを歓迎しているかのように。くわえて神殿敷地内からは、おそろしいほどの静寂と威風が襲う。人間が立ち入ってよい場所ではない──と、現実主義のフェリオですらそんな思いが脳裏をかすめる。
そのとなり。
汐夏がふたたび動きを止めた。彼女はここに来るまでにも幾度かもの珍しいものを見る目で周囲を観察した。その感想を口にすることはなかったが、おそらく大浴場で見たような光景を目にしていたのかもしれない。
「また、なにか見えるのか」
「あそんでる。子ども、おとなも、あっちの石舞台に寝そべってる人がいて。……」
言いながら彼女はふらふらと門のなかへと足を踏み入れる。
ロードとフェリオもそのあとにつづく。
「みんなたのしそうヨ。花もいっぱい咲いて、動物も多いネ」
「興味深いですね。いまだ『レオナの神殿』についての研究は進んでおらず、当時がどういう景色だったのかなどは不明のままなんですよ」
「それを、シーシャはいま見ているってのか」
「おそらくは。ここまでの道中でも、きっと当時の人々の生活を垣間見てきたのだとおもいます」
「…………」
フェリオには理解しがたい事象である。
汐夏はいま、しっかりと石積がなされた神殿を目の当たりにしている。石柱には赤い花をつけた蔦が伝わり、極彩色のペイントが施された神殿屋根がまぶしく光る。まさしく神がおわす場所にふさわしい──うつくしい建造物だ。
もっと近くで見ようと石舞台へつづく道を駆ける。うしろから、なにかを腕に抱えた婦人がふたり、パタパタと汐夏の横を駆け抜けた。そのあとを追おうと汐夏も足を早める。その拍子、なんの気なしに両脇を飾る石燈籠に手を触れた。
その瞬間であった。
とつぜん地面が激しく揺れはじめた。
あまりの大きさに立っていられず、汐夏はよろめき石燈籠にしがみつく。すでに婦人ふたりのすがたはなかった。ロード、とさけぶ。しかし気づけばフェリオもロードもいない。
──独りだ。
とおもった瞬間、汐夏のからだがこわばった。怖い。こわい。地のふるえは止まらない。やがて目前の石舞台を飾る神殿屋根にヒビが入った。
屋根が、柱が、バキバキと音を立てる。
「くずれるッ」
さけぶ。と、同時に無数の破片がこぼれ落ち、やがて石造りの建物は大きな音を立てて崩落した。
「ワァッ」
目をつむる。
拍子に、堪えていた涙が目蓋に押し出されるようにしてこぼれた。その瞬間、頬に強く痛みが走った。
「!」
目を開けた。
眼前には心配そうな顔をしたフェリオが、汐夏の頬に手を添えている。彼は、頬を伝った涙のしずくを指ですくった。
「シーシャ、大丈夫か!」
「…………」
「いきなりわめき出すからどうしたのかと──なにが見えた? 怖かったな、かわいそうに」
といって、汐夏をあやすように胸のなかへ抱きしめる。嗅ぎ慣れぬ大陸の匂いに包まれて、汐夏の胸はドッと安堵した。とたん、とめどなく涙が溢れだす。
おまけに押し殺していた嗚咽まで漏れると、たまらず咽び泣いた。
「うぁ……ヒ、うぁーーーーーんッ。うえぇえええ」
「大丈夫。だいじょうぶだ」
兵団の副官とはいえ、まだ齢十二の少女。
『過去視』という力で過去を覗く──ということすら理解に苦しむというに、ましてそれがこの悲惨な歴史を抱える聖域にて発動したのだ。
映像を受け止めるには時間もかかろうものである。
ものの一分もせぬうち、汐夏はフェリオの上衣で涙をぬぐい顔をあげた。大きく泣きわめいたわりには、さっぱりした顔をしている。
「大丈夫か」
「ウン。ちとビックリした」
「なにを見た?」
「……えーっと」
汐夏が石舞台を見る。
見て、おどろいた。先ほど映像にあったような崩落した瓦礫の山がまったくなかったからである。いまいち現実と過去の境があいまいだ。汐夏は首を振って石舞台を指さした。
「地震。そいで、そこぜんぶ崩れて、あっ。あと女のヒトふたりがそっち走ってった」
「女の人? ……地震っていうと、ロード」
「ええ。サンレオーネに過去地震が起きたのは二度、いずれもレオナ二世が亡くなったころ、短期間に起こったとされるもののみです。おそらくシーシャが視たものは、そのときの地震でまちがいないでしょう」
「サンレオーネの町が閉ざされた原因のヤツだな。それで、その女の人はどこに行ったんだ」
「ワカンナイ。石舞台のほう、行ったけど。消えちゃったヨ」
といって汐夏は閉口した。
おそらく、とロードが太い石柱に近寄る。
「この下にあるらしい聖域の深層部に、何かあるやもしれません。どうします、フェリオ」
「どうって」
「つまり、アルカナ教祖シオンがいるかも──ということですよ。いまさら準備もなにもないでしょうが、一応心の準備は必要かとおもいまして」
ロードはおどけたようにわらった。
いまさら、とフェリオが鼻をならす。
「このサンレオーネに踏み入れると決めた瞬間から、そんなものはとうに万端だ」
「ダイジョブ。おフェリの背中、ワタシたちが守るヨ」
「ありがとよ」
「いい男ですねぇ、フェリオ」
では参りましょうか、と。
ロードを先頭に一行は石柱の足元、地下への入口に足を踏み入れる。
※
中央閣府事務方執務室。
両側面の壁には天井の高さもある本棚が据え付けられ、息が詰まるほど、一分の隙もなく、本がきっちりと並べられている。が、部屋の中央には床板の上に藺草の床が敷かれ、丈の低い文机がちょこんと置いてある。
藺草床の上で胡座をかき、一心不乱に文机へ向かうひとりの男がいる。──名を蓮池千昭という。
中央閣府長スカルトバッハの秘書兼閣府勘定方兼事務方として、あらゆる難題がある閣府会議を取りまとめる、いまや閣府にとってなくてはならない金庫番なのである。
彼はもともとアナトリアにて出生した。
代々地区長を担う統治貴族でもなければ、兵団に所属するわけでもない。この東の地区にしてはむしろ貧民層にあたる一庶民であった蓮池家。彼はアナトリア民らしく、ふだんは柔和な性格ではあったが、こと金に関してはうるさかった。
金勘定がわずかでもずれていれば逐一指摘、金を貸せば地獄の果てまで取り立てる、どちらかというと
同時にかなりの読書家でもあった。
『知恵は万代の力』。
これを座右の銘とし、千昭は来る日も来る日も金勘定か読書に明け暮れた。
中央閣府と縁ができたのは、彼が二十も半ばの頃のこと。当時すでに閣府長をつとめていたパブロ・スカルトバッハが、アナトリア視察に赴いたことがあった。千昭は同地にて家業の花屋を営んでいたのだが、そこにパブロが入店したのである。
その頃、ちょうど閣府の次期金庫番を探していたパブロ。千昭の花屋経営における金勘定の正確さが目に止まり、パブロ直々にスカウト。
給金が弾むと聴いた千昭も、ふたつ返事で承諾し、いまに至る。
この馴れ初めはいまでも、アナトリアのなかではちょっとした伝説であり、あのスカルトバッハに見初められた唯一の人間として、彼の地元ではある種の伝説となっている──。
そんな彼の作業の手が止まる。
ゆっくりとメガネを外し、天井を見上げて微笑んだ。
「コラ、ねずみ小僧ども。こそこそ隠れていないでお出でなさい」
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