木登り勇者は英雄に嫉妬する


屈強なその男が里に入った途端、道行く人たちは皆、親し気に挨拶をしてきた。

短く刈り込んだ金髪に、樽のようにがっしりとした体つき。それだけ見れば威圧感があるのだが、そうならないのは普段から人好きのする笑みを浮かべているおかげだろう。

男の名はジャック、王国のA級冒険者だ。


「うん、懐かしいな……しかし、少し変わったか?」


里の様子を見て呟く。

彼がいるのは里の広場。定期的にやって来る商隊について彼はやって来た。

桁違いの戦闘力を有する彼ならばたった一人で大森林を突き抜けて里へ到達することも難しくない。むしろのその方が早くつくほどだ。だが彼がそれをしなかったのは粗末なりにも少しでも旨い食事にありつくためだ。そういった理由で商隊についていったのだが、だからこそジャックはすぐに里の変化に気がつくことが出来た。


「よお、久しぶりだなぁ」


ジャックは目当ての顔を見つけると片手を上げる。すると相手の男は嬉しそうに相好を崩して近づいて来た。浅黒い肌に日に焼けて傷んだ黒髪の青年はガンボだ。


「え!? ジャックさん!!」

「おう」

「どうしてここに??」


驚きながらも二人はガッシリと握手する。ジャックが里にやって来たのはかれこれ3年ぶりのことだった。

大森林は概ね平和だ。たまに魔獣が現れることもあるが森の民の男達は皆、屈強な戦士のために、そうそう負けてしまうことがない。そのため本来ならジャックが『神の木』を登る以外に里を訪れる必要はない。

本来ならばもう訪れることはないと彼自身思っていた。そんな彼が里へやって来たのは、偶然にも薬師のババアに頼まれていた、とある品物を入手することが出来たからだ。


「それにしても一回りデカくなったなぁ」


広場に泊まっているのとは別に石材を積んだ馬車が里の奥へと向かっていく。その馬車とガンボを見比べてジャックは言う。


「そうですか?」

「まぁ、毎日見てると分からないよな」


自分の身体を見てから首を傾げるガンボにジャックは笑って言うと、背中に背負っていた荷物から小さな包みを取り出した。


「ところで薬師の婆さん、まだ生きてるかい? だったら頼まれてた品物を渡したいんだが?」

「品物?」

「ああ、薬の材料だよ」

「そうなんですか? オババなら相変わらずです。あと100年は健在でしょうね」

「そいつは重畳ちょうじょうだ」


ジャックは安堵する。何しろジャックが前回、里を離れた時点でババアはかなり高齢だった。万が一のことも想定はしていたのだ。

もっともガンボの言う通り、ジャックの中ではあと100年経ってもババアは生きているのではないだろうかという予感も同時にあった。

それほどに、A級冒険者のジャックをして、あのババアは妖怪じみている。


「わざわざありがとうございます」

「なぁに、十分元は取れてるから大丈夫さ。これで作った薬の一部を報酬としてもらえることになってるからな。もっともさすがにあの婆さんとはいえ、神薬エリクサーが作れるってのは、俺も懐疑的ではあるんだがな……」

「えりくさ?」

「ああ――」


首を傾げるガンボにジャックは「死んでいなければあらゆる怪我が治る薬だ」と言おうとして、口をつぐんだ。

知識というのは薬に似ていて、知っていれば毒になることもある。本当に必要なら薬師のババアが伝えるだろう。そう判断したのだ。


「まぁ、凄い薬ってことだ」

「なるほど」


ガンボは分からないなりにも納得する。それを見たジャックは一転して頬をニヤつかせて尋ねた。


「それよりも隣にいるお嬢ちゃんをそろそろ俺にも紹介しろよ」

「え?」

「心配してたんだが、ちゃんと可愛い女の子を引っかけることが出来たんだな」


ジャックは楽し気に笑う。

彼の視線の先には一人の少女がいた。艶やかな黒髪をした小柄な少女だ。

ジャックの視線に晒されてミリアは恥ずかし気に頬を赤らめる。


「見覚えがあるが……誰だったかな?」

「お久しぶりですジャックさん。ミリアです。えっと……里長の孫の」

「孫……ああ、そういえば姉妹だったな…………ん?」

「どうしたんですか?」

「いや……まぁ、そういうのもだな」

「はぁ?」

「まぁ、いいさ。ところで時間があるなら婆さんのところに案内してくれるかい」

「構いませんよ。里長の家に寄ってからでもいいですか?」

「ああ、いいぜ。せっかくだから挨拶もしたいしな」


ジャックは鷹揚に頷くと、歩幅を二人に合わせて歩き出した。





「へえ、じゃあ、この子の名前はガンボがつけたんだな」

「ええ、そうなのよ」

「なかなか決めてくれないからヤキモキしたがな」


そう言いながらガジベとリナリアは笑った。里長の家に着いたジャックは大いに歓迎されていた。里で一番強いガンボを勇者と称するように、もともと森の民たちは強者を尊ぶ気風がある。

すぐに宴が始まり、一同は車座になって酒杯を酌み交わすこととなったのだ。


「ちなみに、その“イラリナ”っていうのは、どういう意味があるんだい?」

「森の民の古い言葉で、美しいとか、綺麗とか、そういう意味ですよ」

「ほう」


ジャックは膝の上に乗っている幼子を片手で器用にあやしながら両親とイラリナと顔を見比べた。最近、ようやく自分の足で歩き回れるようになったばかりの幼児ではあるが、目鼻立ちは母親リナリアに似ているし、耳や輪郭は父親ガジベに似ている気もする。名前のおかげではないだろうが、両親ともに見目の整った顔をしているので美しい娘に育つだろう。


「まぁ、名前なんてのは単純な方が覚えやすくていい。最近の王都にいる貴族の中じゃあ、変な名前をつけるのが流行ってるからな」

「そうなんですか?」

「ああ、だからガンボのつけてくれた名前はいい名前だと思うぜ」


そういってジャックは抱いていたイラリナを隣のゆっくりと手渡す。するとガンボも慣れた手つきで幼いイラリナを抱き上げる。その姿と屈託なく笑い合う三人の幼馴染を見て、ジャックは己の中にあった邪推を密かに恥じた。


「ところでガンボは子どもの方はどうなんだ?」

「え?」

「そ、それは……」


何気なく聞いたジャックの言葉だが、二人の顔が真っ赤になった。


「えっと、あの、わたし……子どもは、子どもはですね」

「あ、あの、ジャックさん、俺たちまだ結婚はしてなくてですね……」

「そうなのか?」

「ミリアはまだ15歳だから、結婚するのは来年ね。だからガンボ。まだ手を出しちゃ駄目よ」

「わ、分かってるさっ!」


リナリアの言葉にガンボはさらに顔を真っ赤にする。

ガンボが16歳のときに『神の木』に登り成人となったように、森の民は男女ともに16歳で成人とみなされる。もっとも婚姻や出産が必ずしもそれに准じているかといえば、実はそうでもないのだが、ガンボの生まれついての臆病な性格が里の比較的緩いはずの掟を神聖不可侵の鉄の掟としてしまっていた。

そんなもじもじと身体を動かす妹の姿が面白かったのか、リナリアはミリアにそっと耳打ちして言った。


「でもミリアが好いなら、別に順番が逆になっても構わないのよ」

「――っ!」

「どうしんだ? ミリア」

「ななな、何でもないです! ガンボさん!!」

「そ、そうか?」


母親になっても相変わらずのリナリアに、あたふたするミリア、ガンボの困惑顔をガジベは仕方ないヤツだと眺めている。

ジャックはそれを楽し気に眺めていた。





里長の家でのささやかな宴が終わった後、ガンボ、ミリア、ジャックの三人は村の外れにある薬師のババアのいおりへと向かっていた。

日はそろそろ落ちかけており東の空が徐々に紫色に変わり始めている。ジャックはそんな空の色と丘の上にある風車を見比べながらガンボに言った。


「それにしてもこの里の勇者様はずいぶんと活躍しているんだな」

「そんなことありませんよ」

「そうか? 里長の家でもそうだし、ここに来るまでにすれ違った連中にしてもそうだが、ずいぶんと好かれてるように見えたが?」

「まぁ、昔と比べると知り合いが増えた気はしますね」

「そうだろう」


ジャックは満足げに首肯する。彼の記憶にある限り、最初に出会ったガンボはパッとしない少年だった。どちらかといつも前にいるガジベの方が強く印象に残っていて、ガジベとリナリアの後ろにいる、その他大勢という印象が強かった。それが何度か里に出入りするうちにどんどん背丈が伸びて来て、ある日突然『神の木』に登る方法を教えてくれと土下座してきたのだ。ジャックの中でガンボがその他大勢ではなくなったのはそれからだ。

そしてもうガンボをその他大勢だと思っている人間はこの里にはいないとジャックは確信していた。だというのに、当のガンボは仏頂面でジャックを見返してきた。


「でも勇者だなんて言われても、未だにピンときませんよ」

「そうか?」

「はい。俺はジャックさんみたいにドラゴンを倒せるわけじゃないし、ガジベみたいに里を引っ張っていったり、オババみたいに命を救ったりしてるわけじゃありませんから」

「そうか?」

「そうですよ。木に登ってるだけで勇者って言われていると、たまにいたたまれなくなるんです」

「ふむ」


ガンボの言葉を聞きジャックは軽く息を吐く。実際そんなことはないとジャックは考える。だがそれをどうやってこの若者に教えてやるべきか?

そんなときだった。


「そんなことありません」


否定の言葉はミリアのものだった。


「ガンボはさんはこの里にとっての勇者です」


もう一度言う。小さな声だが、それは強い言葉だった。

そのひと言にガンボは思わず黙り込む。それを見てジャックは笑った。


「だとさ、勇者様」

「え?」

「ミリアちゃんにとってはお前は立派に勇者様なんだから、それで納得しとけ」

「はぁ……」


鈍感な類のガンボだがミリアにこのような顔をされて納得しないわけにはいかない。不承不承であるもののその後は弱音を吐くこともなく、ガンボ達はババアの庵に到着した。



「ほら、婆さん。約束の品だぞ」

「うむ、確かに受け取った」


枯木のような顔に喜色が浮かぶ。それは薬師のババアにしては珍しい表情で、弟子であるミリアも僅かに驚いた。


「取って来てなんだが、本当に神薬エリクサーなんて作れるのかよ」

「フン……たわけめ」

「いや、普通は信じないだろう」

「ならば出来た実物を見て判断すればよい」

「スゲー自信だな。まったく婆さん何者だよ」


しわ枯れてはいるが揺るぎない声。その声にさすがのジャックもお手上げとばかりに肩をすくめた。

ただババアは呆れるように小さく鼻を鳴らすのみだ。それにジャックは苦笑いして助けを求めるようにガンボを見た。


「まぁ、俺たちもオババのことは里に古くから居るってことしか知らないから」

「マジか……まさか名前も知らないんじゃないだろうな?」

「アハハ……」

「おいおい」


ジャックは苦笑いを強める。しかしガンボがそういうのも無理はない。

薬で里の皆を守る、まさに守護神ともいえるババアだが、その素性を知っているものはいない。

風の噂では里の外からやって来たのだと言われている。里長からババアの髪が白くなる前は自分たちと同じ黒髪だったという話を聞いているのと、普段は薄く閉じられている目の色が自分たちとは違う黒色をしていることから、その噂が真実なのだろうと辛うじて予想が立つ程度なのだ。


「な、名前は“サユリ”って言うんですよ。私はちゃんと知ってますからね、オババ様」

「……フン」

「おおっ! さすがはミリアちゃんだ。弟子なことだけあるな」

「……フン」

「良かったな、婆さん。名前を知ってる人がいて」

「そろそろ黙らんか、この戯けめが!」


ババアのしわがれた声が雷鳴のように部屋に轟く。その剣幕にミリアの肩がビクリと震え、ガンボも驚いた表情をするのだが、百戦錬磨のジャックには通じた気配がない。その様子にババアは再び鼻を鳴らすとミリアに向かい命令した。


「うむ、この痴れ者はどうにも耳が聞こえておらんようだな。ミリアよ」

「はい?」

「このうつけの耳を掘って通りをよくしてやれ。ついでに黙らせろ」

「はぁ?」

「さっさとせんか!」

「はいぃっ!?」


ババアに一喝され、ミリアは慌てて準備を始める。その様子にジャックは怪訝に眉をしかめ、ババアはいやらしい笑みを浮かべる。

しかしそれを見るガンボの頭の中はそれどころではなかった。


ミリアがジャックの耳掘りをする。


ガンボの中に思い浮かんだのはジャックを膝枕するミリアの姿だ。自分のものであるミリアの膝にジャックが頭を乗せ、耳を掘られる。その光景に言いようのない不快感と焦燥感を覚える。


「オババ、別にそんなことをしなくても……」

「むっ、何じゃ?」

「うっ……」


普段は細められているババアの目から鋭い眼光が漏れ、ガンボは押し黙った。

そしてこんな恐ろしい視線で射抜かれて笑っていられるジャックは、木登りしか出来ない自分と違い本当の勇者なのだと実感する。


「なぁ、ミリア」

「何ですか?」

「その……耳を掘るの止めないか?」

「はい? どうしてですか?」

「だって……」


自分の女の膝の上に他の男の頭が乗るのが我慢できない。そういう独占欲を言葉にすることが出来なくて、ガンボは口を閉じる。

そんなガンボの心境など知らず、ミリアは小首を傾げる。


「変なガンボさんですね」

「あ、いや……だって、ミリアが……」

「わたしが?」

「ジャックさんの耳を……」

「耳……ああ!」


そこまで言われてミリアは何かに気がついたのか相好を崩すと、座っているガンボの顔に自分の顔を近づける。

ミリアの身長はガンボよりも低いので、彼女が少し屈むだけでガンボの顔がある。

そこへ口づけするように耳元でささやいた。


「大丈夫です。膝枕するのはガンボさんだけですよ」

「え!?」

「じゃあ、ジャックさん。そこに座って下さい」


呆然とするガンボを置き去りにして、ミリアはジャックの隣に座る。

呆気にとられるガンボが見たミリアの横顔は姉によく似た笑顔をしていた。





ミリアの取り出した棒を見たとき、ジャックは胡乱うろんに眉をひそめた。


「何だ? その棒?」

「これは耳を掘るための棒です」

「耳?」

「はい。これから私がジャックさんの耳を掘るんです」

「何だそりゃ?」

「耳の掃除です」

「耳の?」


初めて見る不可解な道具にジャックは首を捻った。

ミリアの持ち出した道具。木で出来た手の平に載るほどの細い棒だ。

ジャックも始めて見るものだが「耳掘り」という言葉からして耳に入れるものなのだろう。


(あれを耳の中に入れるのか?)


考え難いが直前の薬師のババアの言葉から考えても、その可能性が高い。

何のために?

そう考えたときジャックは以前、訪れた極東の国でそういう文化があったことを思い出した。あのときは「おかしなことをする連中がいるものだ」とだけ思ったのだが、まさかこんなところで出会うとは思ってもいなかった。


(面白い)


我知らず頬が緩んでいた。ババアがどういうつもりでこんな余興を始めたのかは分からないが、つき合ってやるのも悪くはない。

そう思い、ジャックはミリアに促されるままにどっかりと腰を下ろした。


「それじゃあ、始めますね」

「ああ」


胡坐をかきながらジャックは横目でミリアを見る。そうして木製の棒がゆっくりと自分の耳に近づいているのを確認した。

ミリアの構えた細い棒がゆっくりとジャックの耳孔に潜り込んでいく。

木で出来た匙の先が柔らかな皮膚に触れた。


(うおっ!?)


同時に背筋に電流が走る。

声を出さなかったのは僥倖だろう。

それはこれまでジャックが感じたことのない感覚だった。

そこにいるのはかつてのミリアではない。3年間ガンボを実験台にして、みっちりと薬師のババアに技を仕込まれたミリアだ。

彼女が繰り出す妖しい技にジャックは困惑した。


(何だこれは??)


樽のような身体がブルリと震える。

ジャックはこれまで冒険者として様々な猛者と相対していた。

鉄をも熔かすドラゴンの火炎や、大岩を砕く巨人の拳すら受け止めたことすらある。

大魔女が繰り出す妖術も、妖精族の長の使う幻術も、その鋼の精神力で打ち破って来た。

だがこれは知らない。未知の感覚だ。

ミリアの手首がクルリとひるがえった。

すると孔の周辺を舐めとるように匙が垢を掬いあげていく。


(うぉ……耳が、耳の中が!?)


ズルズルと音を立てながら救った垢が引きずり出されていく。そうして抜き取られた耳掘り棒の先にはびっしりと耳垢がこびりついていた。


「ほら、こんなに汚れてました」

「お、おお……すげぇな」


自分の耳から取り出されたものを見せられジャックを目を皿のように開く。

先ほどまでの軽口も完全に消え去っていた。

そんな静かになったジャックを見て、ババアの口元が楽し気に歪む。


「じゃあ、次はもっと奥の方までいきますね」

「お、おお……」


言葉少なになったジャックの耳に木製の匙が再び侵入してきた。

しなるような動きで耳の孔の入口近くにある窪みに入り込む。

そこにあるのは宝箱に入った金銀財宝だ。

それを根こそぎ奪いとるようにザクリと大きな音を立てて略奪者は邁進する。



ザクッ――耳の深くまで匙の先が埋没する。


ズゾッ――捻じるような動きで匙が張り付いた耳垢を引きはがす。


ゾボボッ――引きはがされた耳垢が一気に外に排出される。



(グゥゥッ、何だコレは? 何なんだ??)


歴戦の雄姿が目を白黒させる。

A級冒険者というのは王国における最強の称号の一つだ。

まさに英雄。ジャックに勝てる人間など、それこそ世界中探さなければそう見つからない。その屈強な益荒男ますらおが膝を屈し、心をへし折られようとしている。

ババアの魔技には未だ及ばないものの、三年の年月を積み研鑽されたミリアの技は巧みな動きでジャックの耳道を責め立てた。

そしてついにジャックの喉から弱々しい声が漏れる。


「くぅっ……ぁぁ」


巨人の拳を受け止めるジャックの鋼の筋肉から硬さが消えていく。

ズルリと大きな塊が抜き取られたジャックの顔は魂でも抜き取られたかのように呆けたものだった。





「それにしても恐ろしい体験をしたぜ」


ババアのいおりからの帰り道、ジャックは言った。

その言葉とは裏腹に顔には恍惚とした表情が色濃く残っている。

ミリアはそのままババアの庵に残っていた。おそらく今頃、ジャックを骨抜きにしたことを褒めているところだろう。

そんなジャックの珍しい姿を見ながらガンボは言った。


「A級冒険者も形無しですね」

「まぁな。大抵のことは経験したつもりだったが、世の中はまだまだ広いな」

「でも、これで来年ここに来る楽しみがひとつ増えたんじゃないですか?」

「そうだな」


ジャックは笑う。

ババアに薬の材料を渡したジャックであったが、当の薬の精製には半年もの歳月を要するのだ。それは偶然にもミリアが結婚出来る年齢に達するのと時期を同じくしていた。


「まぁ、そのときの祝儀は奮発してやるさ」

「ありがとうございます」

「気にすんな。薬のついでだよ」

「えりくさ……ですね?」

「そうだな。さてさて、本当に出来上がってるかどうか………………楽しみだ」


ニヤリと笑う。その表情にガンボの背筋に悪寒が走り、全身が粟立つ。

そこには先ほど年下の少女に腑抜けにされてしまった男の顔はない。獲物を狙う狩人の貌だ。

それを見てガンボは思う。やはりこの男は自分とは違う種類の生き物だ。

そんな顔色の変わったガンボに気がついたのかジャックは表情をコロリと変えて言った。


「そう言えば、ガンボ」


表情はすでにいつもの人好きのする笑顔に戻っていた。


「な、何ですか?」

「そう言えば“サユリ”ってのも森の民の古い言葉なのか?」

「多分違うと思いますけど……どうしたんですか?」

「いや、あまり聞き覚えのない語感だったんでな」

「そうですか?」


ガンボはどうにかして首を傾げる。ジャックもそれほど気にはしていないのか、ひと言「そうかい」とだけ答えて笑う。

木登りの勇者とドラゴンを倒す英雄。

風車を背景に、登り始めた月が二人を照らしていた。


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