第9話 世界ⅱ封書

 リリーの家の調査といっても、何処をどう調査すればいいのか分かる者は誰もいなかった。


 侑子の姿が複数の人の前で忽然と消えた現象は、誰にも説明はつかない。彼女が消えた直後、エイマンとラウト、居合わせていた政府関係者や研究者達が、直ちに現場を隈なく調査した。


 魔法で侑子の魔力を探知したり、不自然な魔力の流れや空間の歪みが生じていないか、全員で調べ尽くしたのだ――しかし何も分からなかった。


 侑子と同様並行世界からやってきた人間である紡久が、彼女と同じようにリリーの部屋のドアを通った時――誰もが緊張した――も何も起こらなかったのだ。


 それからほぼ毎日のように、政府関係者や専門機関がリリーの屋敷を訪れていたが、何も収穫はない。


皆頭を抱えるばかりだった。


 当然である。


一度こちらの世界にやってきた来訪者が、再度消えてしまうなんて事例は前代未聞だったのだから。



***



「私、部屋を移動するわ」


 ユウキがリリーの自室を訪れて間もなく、彼女は宣言した。


「お兄ちゃんが使ってた部屋に移動する。毎日毎日、知らない調査員たちが部屋に入ってくるんだもん。全然寛げないわよ」


 ため息まじりに「もうウンザリ」という手振りを加えたリリーに、隣に座るエイマンは苦笑した。


「すまない。まぁ、彼らももうどこを調査すべきなのか分からないくらいに行き詰まっているようだから、近いうちに来なくなるとは思うけど。いいんじゃないか? 家具を運ぶのは手伝うよ」


「でもリリー、他の部屋の電気壊れてるんじゃなかった? 空調使えないとキツくない?」


 ユウキのその質問に、リリーはふふんと胸を張った。


「大丈夫! 今日ようやく修理業者が来るのよ。繁忙期らしくて結構待たされたけど、ようやくね。だから今日中には全部直る予定。そうだユウキ、修理の立会お願いしていい?」


「別にいいけど」


 ユウキに手伝える調査はなかったし、毎日のようにこの家に来てはいるものの、やることは特になかった。何の気なしに承諾する。




***





「大丈夫かな、ユウキくんは」


 ユウキが出ていった後、二人きりになった部屋でエイマンは呟いた。


「かなり堪えているのが分かる。そういうのは外に出さない子だっただろう? そんな彼があそこまで憔悴しているのを見ているのは、本当に辛いな……」


 リリーは大きく溜息をついた。

完全同意である。


 ユウキがこんな風に表にまで感情を出してしまうことは滅多にない。彼本来の気質か、生い立ちのせいなのかは分からないが、いつも無意識に飄々とした人物でいたはずだ。


 しかし今回はその無意識が働かないほど、心にダメージを負っているらしい。


 そしてユウキがそんな状態になってしまうことには、リリーを始めエイマンや周囲の人物は簡単に納得できてしまうのだった。


「ただ行方が分からなくなっただけじゃないもの……目の前で。ユウキの目の前でユーコちゃんは消えたのよ。そりゃあショックよ」


 その光景を思い出しただけで声が震える。


 あっけなさすぎる消滅は、得体のしれない巨大な恐怖を残していった。


「ユーコちゃんはどこへ行ったのかしら?」


 縋るような視線をエイマンに向ける。


「消えたのではなくて、今もどこかにいるんだと思う?――――例えば、並行世界に」


 眉間に皺を寄せて考え込むエイマンに、リリーは更に畳み掛けた。


「ユーコちゃんはこの部屋のドアからやってきたのよ。並行世界のユーコちゃんの部屋から、この世界の私の部屋に」


 それに、とリリーは更に言葉を紡いだ。


「エノコログサはユーコちゃんの家の前から、うちの畑にやってきたわ。この場所と、ユーコちゃんの家の周囲が何らかの力で繋がっているとは考えられないかしら。だとしたら……だとしたらユーコちゃんは、元々彼女が暮らしていた世界に帰っているってことは考えられない? ユーコちゃんはこの部屋から消えたのだから」


「可能性はなくはないな。というか、それしか他に仮説として立てられそうなこともない。ユーコさんの存在がこの世界にも、並行世界にもどこにもなくて本当にただ彼女の存在が消滅してしまったという、仮説以外には」


 エイマンはリリーの方を見ずに淡々と返答した。


 リリーは大きく頭を振る。


「そんな最悪な説、私は信じない。きっとユーコちゃんは今頃、並行世界の家族の元で元気でいるはずよ――私達のことも思い出したりしながら」

 

 言葉尻に悲壮感を出してしまった。


 しかしこの後、リリーは自分が立てた仮説が正しかったことが判明しようとは、思いもしていなかった。





***





 その部屋は聞いていた通りに埃っぽかった。


 ずっと使われていないのだし、家主のリリーはそれなりに忙しい人だ。

性格もどちらかといえばズボラ寄りだし、定期的に掃除しようという考えに至りにくいのも理解できる。


「やっといてやるか」


 本当にやることは他にないのだ。あったとしてもやる気は起きない。


 以前はちょっとした空き時間にも曲を書いたり、侑子と過ごしたりしたものだが。今は侑子はいないし、創作しようという気にならなかった。


 ユウキはその部屋――かつてリリーの両親の寝室として使われていた、大きな和室全体にざっと目を走らせる。

両手を目の前の空間に翳した。


 風が起こってユウキの灰色の髪を揺らしたが、埃が舞い上がることはなく、辺りには静謐な森のような香りが漂う。


ユウキが一歩も動かずとも畳の床は綺麗に磨き上がっており、調度品の上に積もった埃はすっかり跡形もなくなっていた。


「次はここだな」


 押入れを開けて、手をかざす。

 部屋と同様、あっという間にその場所から埃臭さが消え去った。


 空っぽの押入れに身体を入れて、上段に上ってその天井板の一部を取り外した。


そこに、リリーの家の魔石ソケットがあるのだ。


 屋根裏に続く板を外したユウキの目にまず入ってきたのは、ソケットの上に並ぶ四色の光。


 各色五つずつ丸く光っているはずの中で一つだけ、完全に光を失っている魔石があった。


――――切れてる。後で交換するようにリリーに伝えなきゃ


 ユウキは空の魔石を外そうと、その場所へ手を伸ばした。


 と、腕に何か硬い紙のような物が触れた感触があった。


 カサリ。


 僅かな音がしたのと同時にユウキが手にしていたのは、一通の封書である。


「手紙……」


 呟きかけた彼の言葉の続きが唇から出ることはなかった。


 桜色の可愛らしいデザインのその封筒に記された文字を目に捉えると、みるみるうちにユウキの表情は驚愕に塗り替えられていった。

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