思い出②

 ラウト・ソノダ


平彩党の幹部役員を務めるその人の若い頃の写真を、侑子は見たことがあるという。


彼女曰く、エイマンを少し柔和にし感じだったそうだが、成程侑子の表現は的確だったらしい。


 今紡久の前に立つスーツ姿の男は、エイマンと同じ色の髪と瞳を持っていた。


顔つきが息子にそのまま受け継がれたのだと一目で分かるが、微笑を浮かべたその頬と目尻に細かな笑い皺が年齢相応に並んでいるところを見ると、普段からよく笑う人なのだと想像がついた。


淡い水色の瞳と相まって、親しみやすそうな雰囲気を纏う男だった。


「初めまして。君はスギタ・ツムグくんですね。そしてそちらのお嬢さんが、イカラシ・ユーコさん」


 低く深い声だったが、威圧感はない。紡久は素直に頷いて、差し出された手に応じた。大きな手は暖かく、僅かにかさついていた。


 隣を見ると、侑子も自分と同じ印象を持ったらしい。握手をしている彼女の顔にも、愛想笑いとは違う微笑が浮かんでいた。


 政治家の、しかも幹部という肩書を持つ人の自宅と聞いていたので、てっきり堅牢なセキュリティで固められた大豪邸なのかと勝手に想像していた。


しかしそんな紡久の予想はあっさり外れたのだった。そこは元いた世界の紡久の自宅――逃げ出してきた引き戸の玄関の家――と変わらない大きさの民家だったのだ。


紡久が鹿児島で暮らしていた家は、父親の会社が借り上げている小さな古めかしい一戸建てだった。流石にあの家と同じ3Kという間取りではないだろうが、それにしても意外な程に普通の民家だった。


 案内された部屋はラウトの書斎だろうか。自宅には応接室がないんだ、と始めに断られたのでそういうことなのだろう。


 壁一面に作り付けの書棚があるようで、そこには一冊分の空きもなく、沢山の本が礼儀正しく背表紙を此方に向けて整列していた。


さっと背表紙に目を走らせた紡久は、殆どの本が歴史書であると理解した。趣味なのだろうか。政治に関する本は、見たところ並んでいないようだった。


「狭い部屋だけど、どうぞ寛いで」


 紡久たちにソファを勧めて、ラウトは部屋の片隅に置かれた背もたれのない丸椅子に腰掛けた。


彼の傍らにはエイマンが立ち、長方形のローテーブルが彼ら親子と紡久達三人を隔てていた。


「今家内がお茶の準備をしているから、それまで簡単に自己紹介をさせてもらって構わないかな」


 にこやかに微笑む仕草に不自然な様子はなく、僅かに残っていた警戒心すら吸い込まれていく。


「ラウト・ソノダ。エイマンの父です。いつも息子がお世話になっていますね。私は現在、政権与党の平彩党で仕事をしています」


 彼は簡単に自分が携わる仕事について説明を加えた後、一冊の小さな文庫本のような物をテーブルに置いた。


侑子が「あ、これ」と声を漏らした。見覚えがあるようだ。


「二十年前……もう年が明けたからに二十一年前になるのか。昔の私の日記のようなものです。貼り付けてある写真に写っているのは、君たちと同じ世界から来た人々ですよ」


 見て構わない、と紡久に手に取るように促すと、ラウトは侑子に向けて言葉をかけた。


「エイマンから、もう仔細は聞いているそうですね」


「はい。教えてもらいました。研究施設でのこと、オゴセ・マサヒコさんとチエミさんのことと、それから襲撃事件のことも」


 侑子の声が少しだけ震えた一瞬を紡久の耳が捉えた。


人名を発音した時だった。


オゴセマサヒコ、そしてチエミ。彼らは夫婦で、共に来訪者――紡久と侑子と同じ並行世界からやってきた人間だった。


二十一年前に二人共突然亡くなってしまったという。その話は襲撃事件と研究施設についての説明と共に、紡久も既に聞き及んでいた。


 手に取った冊子を捲ると、いくつもの写真が目に入った。カードサイズの小さな写真だったが、画質は上質でまるで古さを感じさせない鮮明なものだった。


侑子が話していた通り、そこに写る人々は皆金色のバッジを身に着けている。


「マサヒコとチーちゃん……チエミさんの名前もご存知でしたか」


「チーちゃんって呼んでいたんですね」


 微笑んだ侑子にラウトも砕けた笑みを返す。


「彼女が言い出したんですよ。チエミさんって呼ばれるの、あまり慣れてないとか言って。明るくて元気な女性でした。私が彼女と知り合った頃、まだチーちゃんはこの世界にやってきて間もなかったけれど、魔法にもこの国の風習にもすっかり馴染んでいました。魔法が使えるなんて夢みたいだと、よく笑っていてね」


 ラウトは紡久が開いていた冊子の写真の一つを指し示して、「彼女がチーちゃんだよ」と言葉を添えた。


そこには大きな笑顔をこちらに向ける若い女性が写っていた。華やかな桜色に染まった髪は、きっと魔法で変えたのだろう。


「マサヒコはきっと、あっという間に彼女に恋したのだと思う。彼と会う度にチーちゃんの気をどうやって引いたらいいだろうかとか、どんな言葉が女性を喜ばせるのだろうとか、そんな相談ばかりされましたから」


 過去を振り返りながら、ラウトは楽しげに笑った。

彼の話し方は息子のエイマンよりも随分柔らかい。耳あたりの良い声音だ。

政治家という職業柄が影響しているのだろうか、彼本来のものだろうか。


「二人は王都で出会ったんですか? 研究施設で働く前に?」


 侑子の質問にラウトは首を振った。


「研究施設です。私とマサヒコが知り合ったのも研究施設でした。私が彼の働いている現場を見学で訪れたのがきっかけだったんですよ。年齢が同じで気も合ったから、あっという間に仲良くなりました。チーちゃんがやってきたのは、私とマサヒコが知り合ってから一年程経った後でした」


 ラウトは書棚の片隅から一冊の薄い本を引っ張り出した。開くと中には日本地図――そっくりのヒノクニの地図が描かれていた。


ラウトはその地図の一点を指差す。そこは鹿児島県で、紡久の住んでいた町のある辺りだった。


「チーちゃんはこの場所からやってきたそうです。彼女がこの世界にきた時には既に研究施設が稼働していて、空彩党は全国各地で暮らしていた来訪者達を、秘密裏に王都の研究施設に集めていたところでした。チーちゃんも漏れなく、すぐに王都へと連れて来られたんですよ」


 侑子も新たに知る情報だったようだ。目を見開いてラウトに質問を重ねている。


 一方の紡久は侑子とは別のことを考えていた。


チーちゃんという女性は、紡久と同じ鹿児島にいた人なのだろうか。

元いた世界から繋がったどこかの扉から、彼女も出てきた。彼女がいた場所はもしかしたら、紡久が父親とあの女と暮らしていた古い家と同じ場所なのだろうか。


今となっては確かめようがないが、そんな予感がして紡久は過去へと思いを馳せた。


写真の中で眩しい笑顔をした女性があの暗い家の中に立っている光景がどうしても思い浮かべられない一方で、自分があの場所で暮らしていた記憶は簡単に思い起こせる。


そんなどうしようもない空想に、紡久は小さく絶望を味わったのだった。


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