第5話
省吾が定年退職して年金生活に入っても、貸金問題には解決へ向けて何の進展もなかった。義兄からは梨の礫だった。それは省吾の気持に重くのしかかってきた。定年後にこれが一大問題になるとはな、と彼は慨嘆した。順調に滑り出した定年後の生活に影を落す忌わしい災厄と思われた。しかし放ってはおけなかった。貸金は老後の生活資金として何としても取り戻さなければならなかった。環もそれを求めるのだった。月々数万円ずつでも返せないものかなと省吾は思った。必要な金の請求に対する環の抵抗に苦しむ省吾は、苦肉の策として百円玉貯金を始めていた。財布に残る百円玉を使わずに貯めるのだ。一日百円として、半年で一八〇〇〇円。それを半年毎の月刊誌の誌代に充てる計画だった。そんな省吾の経済状況からすれば、毎月数万円の金が入ることは有難いことだった。いわばもう一つの年金だった。
省吾は義兄に電話を入れることにした。先方からは何の連絡もない。不誠実で無責任な男だ。よく知らん顔ができるな。俺だったら早く負債を返してサッパリしたいがな。省吾は義兄についてはそんな思いを繰り返していた。不快な思いだった。そんな相手と交渉しなければならないのは気塞ぎなことだった。しかし放ってはおけないのだ。重い気持で番号を押す。出たのは姉だった。この人も信頼できないと省吾は内心で思う。知らん顔をしている片割れだ。「義兄さん、居る?」と訊くと、「出ている」と答えた。省吾は帰ってきたら電話をもらいたいと告げた。電話をかけてくるかなと半信半疑でいると、一〇分程して電話があった。本当は家に居たのじゃないかなと省吾は思った。そちらが何も言ってこない以上、こちらから言う他はないのだと省吾は自分を励まして、返済の件を切り出した。返済計画はどうなっているのかと訊くと、義兄は売り上げが減って毎月の支払いにも困っているという話をして言葉を濁した。「月々数万円でもいいんだけど」と省吾は言った。義兄は「うーん」と唸って、「もう少し状況がよくなれば」と答えた。だめなのか、それでは困るな、と省吾は思った。「年金形式で月々数万円でも返してもらえれば助かるんだけどね」ともう一度言った。義兄は答えなかった。「一度そちらの状況をきちんと聞かせてもらいたいんだけどね」と省吾は言った。「まぁ、売り上げが上がれば何とかなるんだが」と義兄は答えた。省吾はもう一歩踏み込んだ話が必要だと思ったが、相手に抵抗の雰囲気があるのを感じて諦めた。「まぁ、月々の返済、考えてください」と言って電話を切った。また何の解決もない日々が続くのだろうなと思った。
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