49 コウテイペンギン




「コウテイペンギンの子育てってきついよね。」


と二人で仲良くした後、

布団の中でいちゃいちゃしながらお前は言った。


「あれだろ、クッソ寒い中で卵を温めているんだろ。

もっと環境の良い所で子育てすればいいのにな。

馬鹿だよな。」

「雌が卵を産んだらそれを雄が温めるの。

雌は卵を産んだら雄を置いて海に行ってエサを獲るんだよ。

帰って来るまで雄は一羽で子育てする。

大変だよね。」

「ずっと絶食だろ。」

「4ヶ月ぐらいね。」

「雌はずるいよな。」

「ずるくないよ、卵を産んでるし。大仕事だよ。

だけど戻ったら雄と交代するよ。

がっつり二羽で協力して子育てするんだよ。」

「じゃあカップルは一生そのままか。」

「そうでもないみたいだけど、

自然は過酷だから相手が死んだりするだろうし

変わる事もあるみたいだよ。」

「ふうん。」

「でも南極の寒い所で子育てだから

相手を信用していないと子育てできないよね。

帰って来なかったら下手すると雄も子どもも死ぬし。

ある意味動物の中で一番夫婦の絆が強いんじゃない?」


とお前はにこりと笑った。


「じゃあ、二人で子育てするか。」

「どうしようかな。」

「子ども作ろうぜ。」

「協力する?」

「するよ。」


と言うのが俺のプロポーズだ。

そして結婚して3年後に子どもが生まれた。

仕事も順調で忙しい部署だったが花形部署だ。

毎日やりがいがあり、私生活も充実していた。


「ごめーん、マヨネーズ買い忘れた。」


と言ってお前は家を出て行った。

このマンションから歩いて数分のスーパーだ。


「俺、買って来ようか。」

「良いよ、気分転換に行ってくる。代わりに子ども見てくれる?」

「分かった。気を付けてな。」


子どもはちょうどつかまり立ちを始めた頃だ。

すぐ後ろ向きに倒れて泣く。

目が離せなかった。


そして10分ほどした時だ。

スーパーの方から大きな音がした。

交通事故らしい。


俺は唐突に嫌な予感がした。


その方向から大勢の声が聞こえて来る。

俺は慌てて子どもを抱いて家を出た。

心臓の音がやたらと大きく聞こえる。


そして道路に誰かが倒れていた。

その人はお前が着ていたカーディガンと同じ色の

服を着ていた。


それからお前は帰って来なかった。


俺の親は既に亡くなっていて

お前の父さんと母さんが近くに住んでいた。


子どもは毎日にこにこと笑っている。

一応それなりに今まで子育てはしていたからそれほど困りはしなかった。

お前の両親も手伝ってくれた。


すぐに保育所に子どもは預ける事が出来た。

毎日仕事が終わると子どもを迎えに行き、世話をした。


子どもは可愛い。

でも大変だ。

そして俺は一生懸命だった。


だが4ヶ月ぐらいして俺は会社でぶっ倒れた。


すぐに気が付いて周りを見ると同僚が心配そうに俺を見ていた。

その時に俺は覚えていないが、


「女房が帰っているから家に電話してくれ。」


と言ったらしい。


救急車で運ばれてそのまま俺は3日ほど入院した。

その間はほとんど寝ていた。

考えてみたら毎日3時間ぐらいしか寝ていなかった。


そして退院してすぐに会社に行った。

すると今までの部署からいわゆる閑職に回されていた。


「勝手に悪かったが見ていられなくてな。」


と上司は気の毒そうな顔をしていたが仕方がない。

会社で倒れたのだ。

上司の善意だろう。

むしろ時間に余裕が出来たので

子どもの送り迎えは楽になるだろうと思った。

その後自宅のマンションに戻ると

子どもの物は義両親の家に移されていた。

入院中は子どもは見てもらっていたのだ。


少しばかりがらんとした部屋には義父がいて俺を見た。


「無理しすぎだ。

君の気持ちは分かるがこちらに引っ越した方が良い。」

「でも、あいつが帰って来た時に家が無いと。」


義父が泣きそうな顔になった。


「……実家だから分かるはずだぞ。」

「ああ、そうか。」


と俺は笑った。

そう言えばそうだ。


そして俺と子どもはマンションを引き払い義実家に引っ越した。


それからは義両親に手伝ってもらいながら子育てをした。

食事などは用意してくれる。

でも送り迎えはよほどの事がない限り俺がやった。


小学生になってずいぶんと楽になったが、

それでも行事には絶対に顔を出した。


だがあいつはなかなか帰って来ない。

どうしてなのかよく分からなかったが、

あいつはコウテイペンギンの話をした。


雌が卵を産んだ後はエサを取りに海に行くのだ。

その間雄が子どもを守る。

だからあいつが帰るまでは俺は子どもを守らなくてはいけない。

大事な子どもだからだ。


そして子どもはどんどん大きくなった。


子どもが大学生になった時に義両親が次々と亡くなった。

二人には本当に世話になった。

その二人のおかげか子どもはとても優しいしっかりとした性格だった。

義両親の葬式の時も子どもが手伝ってくれた。


「でもあいつは来なかったなあ。」


とぼそりと言うと子どもがさっと背を向けた。


やがて子どもは大学を出て働き出した。

その頃は俺の会社では週休3日制を導入する事になった。

そのテストパターンに俺が選ばれた。


俺より若い上司が


「ゆっくり仕事出来ますよ。」


と言った。

俺はそんなに忙しそうに見られていたのかなと思ったが、

子どもが働き出したのだ。

生活を助けなくてはいけない。

俺は快諾した。


そして子どもが社会人になって5年ほどすると

結婚すると相手を連れて来た。

俺は驚いたが年齢的にはちょうどいい頃だ。


俺は二人を祝福した。


「そう言えば俺もちょうどその頃に結婚したなあ。

あいつにも子どもが結婚するって言わないとなあ。」


そしてやっぱりあいつは帰って来ない。


子ども夫婦はこの家に住む事となった。


「あいつが帰って来たらびっくりするぞ。

子どもが結婚しているからなあ。」


あいつの話をするとみんなは優しく笑ってくれる。

みんなあいつの帰りを待っているのだ。


やがて孫が生まれた。

年子で3人もだ。

とてつもなく忙しい。

子ども夫婦も必死だ。


「車には気を付けろ。」


家族が出掛ける時は俺は必ず言った。

車は怖いものだからだ。


その頃は俺はもう会社は定年退職をしていた。

会社にはずいぶんと世話になった。

みんな優しくしてくれた。

退職したら付き合いは無くなってしまったが、

そんなものだろう。


そしてある日、子ども夫婦は出かけていた。


「車には気を付けろ。」


と出がけに俺は言った。


春の暖かい日だ。

居間には日光が差し込んでいる。

留守番の俺はソファーに座りテレビを見ていた。


その時、隣に人の気配がする。

俺はそこを見た。

するとそこにはあいつがいた。


俺は驚いた。


「お前、どこに行っていたんだ。」


あいつは少し笑った。


「ごめん、遅くなった。」

「遅いよ、ずっと待っていたんだぞ。

子どもは結婚して孫まで出来たぞ。3人だぞ。

ペンギンは4ヶ月ぐらいで帰るって言ったじゃないか。」


俺は少し怒って言った。


「ごめんね、でもずっと見てたよ。大変だったね。」

「大変って、その……、」


なぜか言葉が続かない。

そして涙が出た。


「本当にごめんね、

でも、どうしてずっと一人でいたの?」

「一人?だってお前がいるから、」


あいつは俺をそっと抱いた。

いいにおいがする。

俺はしばらくあいつの胸に顔を寄せて泣いた。

なぜか初めて泣いた気がした。


「私がコウテイペンギンの話をした時に言ったでしょ?

ペンギンのペアは毎年一緒じゃない事が多いって。

相手が死ぬ事もあるから。」


そんな話はしただろうか。

憶えはないが一生懸命考えているうちに

俺の心にある情景がふっと浮いた。

道路に横たわった人が着ていたカーディガンと同じ色を。


そして俺は唐突に思い出した。


あいつの葬式をした事、

そして死亡届を出した事、

俺は無理をして倒れてあいつの実家に引っ越した事。


まるでしまっておいた入れ物の蓋が突然開いた感じだ。


「お前、死んだのか。」


あいつは俺をぎゅっと抱いた。


「そうだよ、忘れてた?」


俺もあいつを強く抱く。


「うん、忘れてた。」

「そしてずっと私を待っていたの?」

「待ってた。それで今やっと帰って来たな。」

「誰かと再婚すれば良かったのに。」


俺はあいつを見た。

あいつも俺を見る。


「バカ野郎、俺はお前が良いんだよ。」


それを聞いてあいつの目が潤み花のように笑った。


「あなたもバカ野郎だよ。

コウテイペンギンだから二人ともバカなんだよ。」

「でも絆は強いんだろ?」

「そうだよ。」


そして俺はあいつをもっと強く抱いた。


お前は昔のままだ。

とても優しい俺の女房だ。






「今日はわざわざ来ていただいてありがとうございました。」

「いえ、私は大変お世話になりましたから。

私が歳の若い上司でしたからどうなるだろうと思っていましたが、

お父様は大変優しくて色々と教えていただきました。

感謝しかありません。」

「そうですが、会社の事はあまり話さない父でしたが、

そう言って頂けると嬉しいですね。」

「お父様は何かあると奥様とあなたの事を話していましたよ。

でも最後まで奥様の事は……。」

「そうですね、家でもいつも早く帰って来ないかなと言っていました。

現実を理解したくなかったんだと思います……。」


祭壇の写真の顔は性格を表しているような

穏やかな白髪の男性だ。


「……奥様とは会えたでしょうかね。」

「多分、会ったと思います……。」

「ですよね……。」


訪問客はほとんどいない。

その時子どもがペンギンのぬいぐるみを抱いてやって来た。


「これね、おじいちゃんが買ってくれた。」


子どものお気に入りだろう。

訪問客にそれを見せた。


「大事なの?可愛いねえ。」

「うん、おじいちゃんはペンギンが大好きだって言ってたよ。」


そして子どもは走って行った。


「お孫さんですか?」

「そうなんですよ、年子で3人産まれてすごく大変でしたが、

父が助けてくれて。

あの子は一番下の子ですね。

父はどの子も可愛がってくれました。」

「そうなんですか。何だか目に浮かぶなあ。」


斎場には静かな音楽が流れている。

遺影は綺麗な花に囲まれていた。


優しい顔が笑っていた。





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