辺境の虜囚 第二十七話 眷属

 シルヴィアの切迫した声に、他の者たちはすぐに立ち上がり、自分たちの衣服を引っ掴んだ。

 エイナが魔法で小さな明かりを出す。


 ユニが低い声でささやいた。

「うちのライガは何も感じないって言ってるわ。

 吸血鬼は近いの?」


 すかさず頭の中に、カー君の声が響く。

『近くはないけど、動いている感じがする。

 多分だけど、まだこっちのことをはっきり掴んではいないんだと思う。

 片っ端から、こっちの居場所を探しまわってるんじゃないかな?』


「おい、何だ今の声は!」

 カメリアが周りを見回しながら、声を殺して叫んだ。


 シルヴィアは小さく舌打ちをした。

 カー君が人間と意志疎通できると、帝国側に知られたのはまずかったが、この状況では仕方がない。

「その件は、後で説明します。

 それより、村の中で戦闘になるのはまずいわ。外へ出た方がよくないですか?」


 ユニがうなずいた。

「そうね。最悪人質を取られることもあり得るもんね。

 見つかるのを黙って待つ手はないわ。広い場所で迎え撃ちましょう!」


 彼女たちはそっと扉を開け、外へと出た。

 カー君とライガが待ち構えていた。

「裏門の方角に敵の気配は?」

『そっちの方は大丈夫。でも急いで!』


 シルヴィアとカー君が先導し、最後尾にはライガがついて、後方を警戒をする。

 エイナは外に出る前に明かりを消していたが、晴れた夜空には半月が出ていて、薄っすらと地面が見えた。


 村の正面にある大門には、常に門番が詰めている。

 一方、裏門は夜間無人で、分厚い扉には、内側から頑丈なかんぬきがおろされていた。


 二人がかりで重い閂の端を持ち上げ、わずかに開いた隙間からユニとカメリア、ライガが外に出た。

 あらかじめライガが呼びかけていたらしく、外には群れのオオカミたちが集まっていた。

 外に出た者たちが扉を閉めると、エイナとシルヴィアは閂をおろし、カー君の背中に飛び乗った。


 カーバンクルは身体をぐっと沈め、四肢で地面を蹴り、ふわりと浮き上がった。

 そして、二人の娘を背に乗せたまま、軽々と高い柵を飛び越した。


 カー君が着地して、エイナが背中から滑り降りると、ユニがライガの背に飛び乗る。

「できるだけ距離を稼ぎましょう!」

 エイナはロキに、カメリアはヨミに乗り、走り出したユニの後に続いた。


 だが、一分も経たないうちに、全員の頭の中にカー君の声が響いた。

『まずい! 奴ら気がついたみたい。

 一斉にこっちに向かってきた!』

「何で見つかったのよ!」

 背中で激しく揺られながら、シルヴィアが怒鳴った。


『こっちが邪悪な気配を感じるように、向こうも僕のことが分かるのかも。

 さっき塀を越えるために飛んでしょ? その時に精気を使ったからだと思う』

「そういうことは、先に教えてよ! それよりあんた、さっき〝一斉に〟って言わなかった?

 ひょっとして、吸血鬼は一人じゃないの?」


『あれ、言ってなかったっけ?』

「聞いてないわよ、バカ!」


『癇癪起こしてる場合じゃない、本当にまずいよ!

 あいつら、こっちオオカミよりも速い。じきに追いつかれそう』


 ユニはやむを得ず、オオカミたちに停止を命じた。

 まだ村から一キロ余りしか離れていない、小麦畑の中である。


 南部のキルト村では、もう春蒔き小麦の収穫が終わっており、広い畑には刈られた麦株が列をなして並んでいた。

 本当はもっと郊外の牧草地で迎撃するつもりだったが、作物被害の恐れがないこの場所なら、村人にそう迷惑をかけないだろう。


 エイナとカメリアは、すでに呪文の詠唱に入っていた。

 オオカミたちは姿勢を低くして毛を逆立て、村の方角を睨みつけていた。


「来た!」

 夜目の利くエイナとカー君が同時に叫んだ。

 暗闇の中を、もの凄い勢いで近づいてくる人影を捉えたのだ。


 エイナが手を高く上げ、強烈な明かり魔法を放った。

 まばゆい光が上空で輝き、周囲を昼間のように照らす。

 そのお陰で、エイナ以外の者たちにも、迫ってくる三人の吸血鬼の姿が見えた。


 魔法の明かりは太陽光ではないので、彼らはまったくひるまなかった。

 オオカミたちが一斉に飛び出し、吸血鬼に向けて牙を剥いた。

 だが、吸血鬼たちは走ってきた勢いを活かし、大きく跳躍してオオカミの頭上を跳び越した。


 彼らは人間ではあり得ない、五メートルもの高さから襲いかかってきた。


 そのうちの一人が突然方向を変え、物凄い勢いで垂直に落下した。まるで目に見えない手で、上から叩きつけられたかのようだった。

 その男は、畑の土に顔面からめり込み、そのまま沈黙した。

 カメリアの魔法によって、凄まじい重力がかかったのだ。

 自重が数千キロにも増加しては、いかに怪力の吸血鬼と言えども、指先ひとつ上げることができない。


 二人目の吸血鬼には、エイナの放ったファイア・ボールが迎撃する。

 地上から射出された光球を、男は空中で身体を捻り、奇跡的にかわした。

 大跳躍からの降下中のことで、これまた人間離れした身のこなしである。


 しかし、吸血鬼と交差した光球は円を描くように方向を変え、目標の追撃に移った。

 そして、それに気づかぬ男が着地した瞬間、背中に光球が直撃し、爆散した。


 球体の結界が発生して吸血鬼を包み込み、その内部で灼熱の炎が激しい渦を巻いて荒れ狂った。

 皮膚が紙のようにめくれ上がり、灰となって散った。

 肉が燃え、炭と化した。

 脂肪は液化する間もなく蒸発し、酷い臭気の白煙が結界内に立ち込める。


 暴虐の限りを尽くした炎は、十数秒でいきなり消滅した。

 もうもうとした煙の中から現れたのは、白い骸骨だった。

 それは意思を持つスケルトンのように、エイナに向かってきた。


 虚空を掴むように伸ばされた腕。その骨の表面を、しゅうしゅうと蒸気を上げながら薄い肉が覆っていく。

 この姿になってなお、吸血鬼は再生を試みているのだ。


 だが、よたよたと歩く骸骨の背後から、白いオオカミが無情にも襲いかかる。

 ロキは骸骨を押し倒すと、巨大な顎で頭部を咥え、もぎ取った。

 〝パキン〟という乾いた音をして、オオカミが頭蓋骨を噛み砕くと、その口から熱で固まった白い脳みそが、ぼたぼたと流れ落ちた。


 三人目の吸血鬼は、シルヴィアに飛びかかってきた。

 カー君が火球を吐いたが、この男もどうにか直撃をまぬがれた。

 だが、そのせいで着地の際にバランスを崩し、男は飛び出すように前につんのめった。


 頭から突っこんできた敵を避けるため、身体を開いたシルヴィアが、すれ違いざまに長剣を振り下ろす。

 彼女は差し出された吸血鬼の首を刎ねようとしたのだが、相手の勢いの方が勝り、剣速がわずかに遅れ、長剣は男の脇腹を深々と切り裂いた。

 それと同時に、傷口から爆発的な炎が噴き出した。


 普通の傷ならあっという間に再生するのに、燃え上がる炎がそれを許さない。

 彼女の振るった長剣は、ドワーフから贈られた、炎魔法を付与した武器だったのだ。


 吸血鬼は悲鳴を上げて地面を転げまわった。

 その頭が、ごつんとシルヴィアの軍靴に当たった。

 ハッとして顔を上げた吸血鬼の額を軍靴が踏みつけ、その目に剣の切っ先が映った。


 シルヴィアはまだ煙を上げてくすぶっている身体から、切断した男の頭部を蹴り飛ばした。

 彼女は冷ややかな目で死体を見下ろしていた。

 肉体がぼろぼろと崩れ、黒い灰と化していく。シルヴィアは吸血鬼の消滅を確認すると、他の者たちの方に向かった。


      *       *


 全員がカメリアのもとに集まっていた。

 その足元には、半分以上地面に埋まっている吸血鬼の姿があった。


「せっかく生け捕ったんだ。尋問してみないか?」

 カメリアの提案を、ユニはあっさりと却下した。


「無駄よ。こいつらは吸血鬼といっても、第三世代って奴だわ。

 出来の悪い出来損ない――粗悪品だと言えば分かるかしら。

 人間としての理性を失った、むしろ獣に近い存在だから、話も通じないのよ」

「では、拘束しておくか? 人質になら使えるだろう」


 ユニは地面に片膝をつき、腰の後ろからナガサ(山刀)を抜いた。

 包丁のような形をした刀身が、ぼんやりと青く発光している。

「こいつにそんな価値はないわ。

 これでも元は人間なのよ。魂を解放してあげましょう」


 彼女はそう言うと、ナガサを敵の首の後ろに当ててすっと引いた。

 たいして力を入れているようには見えなかったが、あっさりと首が切断された。

 吸血鬼は一瞬、びくんと身体を痙攣させたが、すぐに肉体が崩壊を始めた。


 カメリアは〝ふん〟と鼻息を洩らした。

「しかし、吸血鬼と言う割に手応えがなかったな」


 だが、ユニの表情は険しい。

「下っ端は力と身体能力に優れているだけ。再生能力も高くないわ。

 でも、油断は禁物よ。こいつらを生みだした第二世代は、桁違いに強いの。

 それに、もう奇襲作戦は使えないわ」


 悔しそうなユニの顔を、カメリアが不思議そうに見た。

「なぜだ? 村に現れた奴らは全員倒したのだ。

 連絡する暇などなかっただろう」

「吸血鬼は自分の眷属が消滅すると、どんなに離れていても気づくのよ。

 それに、こいつらは斥候だわ。村人を襲うのが目的なら、集団でぞろぞろ出て来ないもの。

 カーバンクルは精霊族だから、闇の眷属からしたら天敵なのよ。多分、上空を通過した際に、何かを感じ取ったんでしょうね」


「その斥候が全員倒されたことに気づけば、当然向こうは警戒する……か」

「そういうこと。奇襲が通じないのは痛いわね」


「作戦を変えるということか?」

「いいえ。攻撃方法としては、あれが最善だわ。

 もっとも、このまま朝まで敵が動かなければ……の話。

 こっちの存在に気づいた以上、吸血鬼が不利になる朝まで待ってくれると思う?」


「つまり、あまり時を置かずに、第二世代が襲ってくるということだな……」

 カメリアが独り言のように、そうつぶやいた。

 その背後から、不意に男の声が響いた。


「そういうことだ」


      *       *


 全員が凍りついて、カメリアの背後を凝視した。


 そこには濃密な〝闇〟がわだかまっていた。

 上空では、エイナの明かり魔法が、眩しい光で一帯を照らしている。

 しかし、その闇は魔法の光を一切受けつけない。


 カメリアは男の声が聞こえた瞬間に、その場を跳び退いていた。

 恐らく重力魔法を使ったのだろう。人間では不可能なほどの素早い動きだった。


「ほう……刹那によく急所を逸らしたな。人間にしては見事と誉めてやろう」


 艶のある泥水のような闇から、ずるりと男が抜け出してきた。

 ごく上等の衣装を身に着けた、見かけは四十代くらいの男である。

 塵ひとつない出で立ちであるが、その右手の先が血に染まっていた。

 男は左手でハンカチを取り出すと血を拭い、汚れた布を惜しげもなく捨てた。


 カメリアは元の位置から数メートルも跳んでいた。

 今はちょうど、ユニの後ろに隠れるような位置に立っていた。

 ユニの耳に、カメリアの荒い呼吸が聞こえる。


 ユニは新たな吸血鬼から目を離さずに、小声でささやいた。

「あんた、やられたの?」


「左肩に穴が空いた。避けるのが少しでも遅れたら、心臓を貫かれるところだった。

 魔法は使える、大丈夫だ。だが、止血をしないとまずい」

「分かった。

 シルヴィア、あいつの相手をしてちょうだい」


 シルヴィアがうなずいて前に出る。

 〝相手をする〟とは、戦えという意味ではない。時間を稼げということだ。

 ユニは一歩下がって背負っていた背嚢を下ろし、さらしと軟膏を取りだした。


「あなたが吸血鬼の、その……指揮官ですね?」

 シルヴィアが男に話しかけた。

 彼女の前にはオオカミたちが壁を作り、牙を剥き、低く唸っている。


 男は静かに笑った。

「ふふっ〝指揮官〟か。人間らしい表現だな。

 私は偉大なる真祖の忠実なしもべ、ジルドだ。

 君の名を訊こうか」

「シルヴィア・グレンダモア少尉です」


「君は召喚士だな……。カーバンクルを呼び出したのか、凄いな。

 そいつの正体を知っているのか?」

「何のこと? カー君はカー君だわ」


「ふん、知らぬのならそれでよい。その方が幸せというものだ。

 後ろで治療しているのも召喚士、残りの二人は魔導士か。

 王国に狩猟者ハンターはいないはずだ。なぜ、私たちを探っていた?」


『この吸血鬼は、オークとあたしたちの関係を知らないんだ』

 シルヴィアは確信した。

 人質救出が目的だということは、決して覚られてはならない。


「ベラスケスが王国を狙っていることは知っています。

 吸血鬼の入国は許さない。追うのは当然でしょう」

「ほう、我が君の名まで……。

 だが、その言い方には敬意が足りんな。せめてベラスケス様と呼ばんか!

 ……まぁ、いい。そういうことなら止むを得ん。君たちにはここで死んでもらおう」


「やれるものならやってみなさい!

 あんたの手下どもと、同じ目に遭わせてあげるわ」

「元気のいいことだ……」


 ジルドと名乗った吸血鬼は、笑いながら顔を上げた。

 その視線の先には、エイナが魔法で発生させた明かりが輝いている。

 吸血鬼の喉がカエルのようにぼこりと膨れ、口から何か黒い塊りが吐き出された。


 黒い物体は明かりに向かって飛び、当たると同時にべちゃりと弾け、広がった。

 ねっとりした黒い泥水が明かりを包み込み、周囲の闇に溶け込むように消滅した。

 急に照明が失われ、シルヴィアの視界が一時的に失われる。

 彼女は反射的に踏み込み、ジルドがいた辺りを抜き打ちに斬り払った。


 しかし手応えはなく、炎の剣は何の反応も示さない。

 吸血鬼は消えていたのだ。


 夜目の利くエイナだけは、ジルドの行動を捉えていた。

 彼は、空中高く跳び上がったのだ。

 エイナはその瞬間を待ち構えていた。


 吸血鬼が目の前に出現したため、彼女は攻撃魔法も防御魔法も出せなかった。

 距離が近すぎて、攻撃すれば巻き込まれる。防御はその結界に敵ごと取り込みそうだった。

 敵の方から動いてくれたのは、千載一遇の好機である。


 エイナの手の先に白く輝く光球が発生し、矢のように飛んでいく。

 だが、宙に舞ったジルドは避けようともしなかった。

 ファイア・ボールは当然に直撃した。しかし、何故か爆発は起きず、光球も掻き消えてしまった。


 吸血鬼はねっとりとした闇を、身にまとっていたのだ。

 エイナは自身の魔法が、その闇に吸収されてしまったことに気づいた。

 彼女は愕然としながらも、治療を行っているユニに向け、警告の叫びを上げた。


 ジルドはユニの目の前に、音もなく降り立った。

「せっかくの治療が無駄になったな」


 彼はそう言うなり、腕を振り上げて手刀を振り下ろした。

 ユニは渾身の力でカメリアを突き飛ばし、その反動を利用して、自身も後ろに跳んだ。

 だが、吸血鬼の攻撃の方が、わずかに速い。


 刃物のように鋭い爪が、ユニの衣服を下着ごと切り裂いた。

 彼女の白い胸がはだけ、控えめな膨らみが露わになった。

 そして、その両の乳房の中央に赤い縦線が浮かび上がり、鮮血が噴き出した。

 血を見た吸血鬼の顔に歓喜の表情が浮かび、歪んだ唇からにゅっと犬歯が伸びる。


 その瞬間、ユニの胸のあたりで爆発が起きた。

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