第16話「パーフェクト」



 今、どうしてこうなっているのか真衣には理解できなかった。

 完璧な海恋にしてやる、目の座った秋仁がそう宣言したのも束の間。

 有無を言わさず洗面所でメイクを勝手に落とされたかと思えば、今度はシャワーで体を洗われている始末。

 そして。


(なんで一緒にお風呂入ってるんですかっ!? え? なんで?? どうしてっ!? こんな熱々の恋人っぽい事というか新婚さんみたいに一緒に湯船の中って、ええっ!?)


(いやー、暖まるなぁ……思考が澄み渡るようだ)


(がっしり押さえられてて逃げられないしっ、ていうか意味分かんないっ、なんで、なんでこんな事に??)


(やっぱさ、余りに俺に都合の良い海恋だったんだよ真衣は。その洞察力ってーの? スゴいと思うんだが……だからこそ、俺はまだ正気を保っていられる)


 ずっと、ずっと考えていた。

 何故、真衣の望み通りにしてはならないのか。

 何故、真衣は身代わりでも愛されようとするのか。

 何故、真衣は己を苦しめるような快楽を選ぶのか。


(――答えは出なかった、だからさ)


 秋仁は湯船の中で真衣を強く抱きしめて、耳元で囁いた。


「覚悟しろよ、俺も苦しむから……お前も苦しめ。お前を苦しめて苦しめて、心の奥底まで全て剥き出しにしてやる」


「ひぇっ!?」


「楽しみだなぁ、今からお前が海恋として完成するの。ああ、肌の移植も必要か? 海恋はお前より少し色が濃いからな」


(なんかヤベーこと言ってるううううううううっ!? 違うっ、全然違うっ、私が言い出すのと秋仁にこうして言われるのって全然違ううううううううう!!)


 頬を撫でる彼の手つきが、まるで研究材料を解体するようなマッドサイエンティストのような気がして。

 真衣はあくまで行動に愛があるつもりだ、だが秋仁のそれは何か違う気がする。

 むっと無機質で、おぞましい何かすら感じる。


「――――嗚呼、怖いヒトっすね秋仁先輩はっ」


「ダメだぞ真衣、暗く悦ぶな。そこは『バカなんじゃないのアキ君?』って言うんだ海恋は、アイツは俺に対して辛辣な所あるしな」


「あ、あの……秋仁? 嬉しいんですけど、ちょっと怖いかなぁって、私の意志とか、その~~」


「ははッ、何言ってるんだ真衣。お前が始めたんだろう? その性格が丸ごと海恋になるまでやり遂げるさ俺は、そうそう、コピーすんならレズにもなって貰うからな?」


「そこまでっ!?」


「ああ、――お前自身が真衣という事すら思い出せないぐらい海恋になりきる、それでこそ身代わりで愛される意味があるだろう?」


 一緒に裸になって湯船の中にいるのに、真衣はとてつもなく寒さを感じた。

 逃げ出さなくては、こうなってしまった責任はあるが。

 今の秋仁は予想の斜め上というか、とても悪い方向へ行っているとしか思えない。


「そろそろ上がるか、……そうだな、最初は下着から選ぶか、んー、海恋のタンスから借りてくるか?」


(どこまで手段を選ばないっすか先輩っ!? それ海恋先輩が怒る奴っていうか、――そうだ、海恋先輩っ!!)


 真衣は閃いた、今の秋仁に唯一勝ち目がある存在。

 普段なら絶対に手を借りないが、今は助けて貰うしか軌道修正できない。

 なんとしても、海恋に助けて貰わなくては。


「あ、秋仁? 勝手に持ってくるのは海恋先輩だって流石に怒るでしょうし。お風呂を上がったら許可を取りに行けばいいと思うの」


「そうするか、アイツも話せば分かるだろ」


「そうですよ、さ、そうと決まればお風呂から上がりましょうっ」


 着替える瞬間もまた、秋仁から逃げ出す絶好の機会だ。

 それがダメでも、海恋に許可を取る瞬間に。

 希望が見えてきた、真衣はそう思ったが。


「…………あの、なんで首根っこを掴まれてるんです?」


「愛しい真衣、お前を片時も離したくないんだ分かってくれるな? だって一緒に地獄に堕ちてくれるんだもんな?」


「は、はぃっ、そ、そーですっ!!」


 自業自得とはこの事だろうか、今までの言動が全てブーメランとなって帰ってきてる気がしてならない。

 だが諦めたら全てが終わる、秋仁から逃げ出しつつ、秋仁を元に戻さないといけない。

 真衣は甲斐甲斐しく体を拭かれる羞恥心を必死に飲み込んで、機会を伺った。


「じゃあ行くか、たぶんリビングに居るだろ」


「先輩? 秋仁? つかぬ事をお聞きしますが……服は??」


「どーせ部屋で着せかえするんだから要らないだろ?」


「そっ!? そうかもしれないけどっ、秋仁には必要なんじゃないかなーって! 風邪ひくといけないですし??」


「……ふむ、それもアリだな。俺が病気の時、海恋がどう行動してどんな事を言うか調教するチャンスだ」


(調教って行ったああああああああっ!? 嬉しいけど嬉しくないいいいいいいいいっ!!)


 もしご主人様力というのがあるなら、今の彼は天下を取れるかもしれない。

 抗う術はない、そんな気がしてくる。


(海恋先輩っ、頼みますから秋仁先輩を叱ってくださいっ、止めてくださいいいいいいっ!!)


 真衣は必死に祈った、全裸のまま短い廊下を通りリビングへ。

 そこには、ソファーでイチャイチャしている二人が居て。


「――おわッ!? ま、真衣ッ!? 兄さん!?」


「あらアキ君、わたしコッチには来ないでって言わなかったかしら?」


「そこか海恋ッ!? もっと言う所あるだろうッ!? なんで首を掴んでるとか、素っ裸だとかッ!!」


「すまんな邪魔して、実は頼みがあるんだ。――お前の下着、いくつか使っていいか? 金は真衣に払わせる」


「外道ッ!? 見損なったぞ兄さん!! よく分からないが真衣を離したらどうだ!! 凄くビビってるではないか!!」


「好きにすればいいわ、後でどれを持って行ったか教えてね」


「海恋ッ!?」「海恋先輩っ!?」


 あっさり承諾した海恋に、葵と真衣の視線が突き刺さる。

 特に真衣は助けを求め縋る必死な目で、葵はとても不憫に思ったのだが。

 海恋は首を横に振って、ため息をひとつ。


「言っておけば良かったわね、――本当にヤバいのはアキ君よ。こうなったら目的を遂げるまで止まらないし手段も方法も選ばないから……頑張ってね?」


「助けてくださいよ海恋先輩っ!? このままだと豊胸手術とか受けさせられちゃいますよぉっ!?」


「安心しろ真衣、声帯とケツもだ」


「兄さんッ!? 真衣をどうする気なんだ!?」


「真衣が始めたんだぞ? 身代わりになるってんならさ、どんな手を使ってでも海恋のコピーにすんだろ。後悔も懺悔も後でするから気にするな」


「そういう男よコイツは、はぁ……少し寂しいわね、アキ君の暴走を対抗するのに、これからはわたしも暴走しなくてもいいなんて」


「あわわわわわわっ、へーるぷっ!! 助けて義姉さん!?」


「今は助けなくていいわ、まだ傷は浅いだろうし」


 葵は真衣と海恋の顔を何度か見た上で、大きな溜息を吐き出し諦める。

 今は、と愛するヒトは言った。

 そしてよく見ると、海恋もうっすらと冷や汗をかいていて。


「…………不甲斐ないアタシを許せッ、ここに誓う、真衣よお前がどんな姿になっても家族だ!!」


「って事で行くぞ真衣、さー、どんな下着を選ぶかねぇ」


「見捨てられたッ!? ぬあああああああっ、逃げられないっ、ううっ、なんかヤバいですってコレぇ!!」


「頑張ってね、真衣ちゃん~~」


 全裸の二人が騒がしく二階に上がる、そして扉が閉まる音を聞いた後。

 海恋はソファーの背もたれに、ぐったりと寄りかかった。


「…………不味い、これは本当に危ない事態よ葵ちゃん」


「そう思うなら、何故、今は見逃したんだ?」


「経験上ね、初動で止めるとアキ君はもっと燃え上がるの。止めるならもうちょっと後ね、あー……もう、手遅れギリギリを見極めて真衣ちゃんを助け出して、それから、殴っても止まらないから、止まる理由を見つけないと……」


「…………一つ聞くが、幼馴染みとはいえ、なんで兄さんと恋人になったんだ?」


「方向さえ間違えなければアレは頼れる男だし、わたしも似たもの同士だし。……男で一緒に居て安心できるのって、アキ君だけだったから」


「…………なるほど、アタシにとっても兄さんは強敵、か」


 今は二人を見守るしかない、海恋と葵は肩を寄せ合って。

 そして秋仁と真衣といえば、部屋の中でまだ全裸。

 しかし真衣にとって以外だったのは、彼は海恋の下着を取りに行かず。


「――嗚呼、忘れてたな。どうせ最後になるんだし、改造すんのは明日以降にして今日は真衣らしい格好にしてみるか」


「………………はい?」


 等と急に方向転換した彼に、彼女はとても困惑していたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る