第9話「ハード・コミュニケーション」
(なんで、……なんでこんな事で簡単に死ぬとか言えるんだよコイツはッ?)
全裸土下座を続ける黒髪の美しく若い女に、思わず拳を握りしめて震わす。
良く知った後輩で、その肢体の隅々まで知ってしまったというのに。
真衣は、今の秋仁にとって未知の存在に見えた。
(怯えてるのか、真衣ちゃんに……それとも)
選択を突きつけられている、答えを出さなければならない。
望む方向に受け入れれば、彼女は喜ぶだろう。
(だが、俺の意思はどうなる? 拒んだら? それで本当に死を選んだら?)
更生させる、それが本当に真衣の為になるのだろうか。
どの答えを選んでも、悪い結果しか出ない気がして。
(でもさ、――俺は今ここで真衣ちゃんを突き放さない)
あの時、確かに救われたのだ。
海恋のフリをして抱かれた行動が、例えドロドロとした愛欲に塗れていたとしても。
秋仁は確かに、救われたのだから。
「…………お前を誰かの身代わりなんかにしたくない」
「じゃあ先輩――私のご主人様になってくれますか?」
「それをイエスって言ったら、お前は俺を恋人って見てくれるのか?」
「きっと私は……、先輩を恋人ではなく己の欲望を満たすご主人様と見るでしょう」
「そう言うと思ったぜ、だからさ――」
離れないと決めた、恩義がある、情に流されたのかもしれないし、色香に惑わされてるまである。
けど、秋仁にだって譲れない一線はあるのだ。
「――ちょっとは妥協しろよアホ女、何でテメェの望みを全部聞かなきゃいけないんだ」
「ふぇっ!?」
「お前の俺への執着や性癖とか好意はよーく理解した、俺を逃がす気はないし断ったら目の前死んで心に傷を残す気だろう? ――ふっざけんなよ真衣!!」
この時、秋仁は初めて彼女を呼び捨てにした。
真衣もまた、それに気づいて。
次の瞬間、秋仁はベッドから降りてしゃがみ込むと彼女の顎をぐいと強く掴み上げた。
「もががががががっ!! もがーっ!!」
「一度や二度セックスしたからって、簡単に俺の女になれると思うな、道具なんて以ての外だ意思を持つ道具なんて道具じゃねぇんだよオナニーなら一人でやってろ!!」
「もがっ!!」
「俺はお前と今は離れる気はない、惹かれてるのは確かだし他の男に触れさせる気もない、けど同時に恋人になる気もしない」
はぁと溜息を一つ、秋仁が手を離すと真衣は恨めしそうに睨み。
「先輩もたいがい我儘じゃないっすかっ!」
「よくもまぁ土下座したまま言えるなソレ、まぁいいや――妥協しろ擦り合わせしろよ真衣、俺を……惚れさせてみせろ、ご主人様を望むなら骨抜きにしてみせろ」
「っ!?」
「だが覚悟しろよ、俺もお前が性癖を無視してでも恋人になりたいって思わせてみせるからな」
そう言って秋仁は立ち上がり、再びベッドに座り込む。
それを真衣は呆然と見ながら、ぷるぷると震えて。
(そ、そんな事って――――、さ、最高っす先輩!! 思い通りにならない!! それでこそ秋仁先輩っす!!)
「んじゃあ寝るか、あ、セックスはしねーぞ少なくとも今日はな」
「んんんんんんんんっ!! 大好きっす先輩!! 愛してるっすーーーー!!」
「おわッ!? 飛びかかってくるんじゃねぇ!!」
「ね、ね、セックスしましょ先輩。今……すっごく愛されたい気分なんですっ」
「するかアホ!! テメェなんて一晩中抱きまくらにしてやる!」
「きゃっ、やーんっ」
秋仁は馬乗りになっていた彼女を、ガバっと抱きしめて宣言通りに抱きまくらの構え。
だが、愛と性欲に溢れた真衣にとって障害でもなんでもない。
「わかったら早く寝ろ」
「実はオナニーしないと寝れないっす、このまま秋仁の感触と匂いでオナニーするっすけど気にしないで先に寝てください、――――秋仁が我慢できるなら、の話ですけど」
「テメェよぉ……!!」
真衣もまた、先輩と付けず秋仁とだけ呼んだ。
(絶対に堕とします、私の、私だけの秋仁――、誰にも渡さないっ)
(こんにゃろめぇ……、早速誘惑しやがって)
秋仁は真衣を睨みつけた、目の前の白い首筋と長い黒髪のコントラストが妙な色気を出している。
恐らくこのままだと我慢できない、布団で簀巻きにしてしまえば解決だが。
それをしたら実質的に秋仁の負けである、ならば。
「ったく……俺を抱きしめて寝ろよ真衣、じゃないと海恋か葵に夜這いしに行くぜ」
「ふぬっ!? ひ、卑怯な……っ!! どうせ私がこの提案を拒否しても夜這いなんて本当にしない癖にっ、拒否できないって分かってて~~~~っ、秋仁ってホントご主人様の才能あるっすよねぇ!! いいっすよ私が先輩を抱きしめて寝ます!! これで勝ったと思うなよ!!」
「はいはい、んじゃ寝るぞー」
腕の中の彼女の体温が、少し嬉しくて。
静かに目を閉じ、秋仁は苦笑を浮かべる。
きっと彼女もまだ眠っていない、彼もまた、眠れそうにない。
(バカだな……なんで泣きそうになってんだよ俺はさ)
海恋より、少し低い体温が。
海恋の甘さが心地よい髪の匂いとは違う、どこか落ち着く香りが。
違う、違うから嬉しくて。
(まだ、愛してるんだよ)
違うから、悲しく切ない。
心臓が締め付けられ、ぽっかりと穴が開いた様。
秋仁はもう二度と、海恋を異性として抱きしめる事はないだろう。
(コイツが目を閉じててくれて助かった、泣いてる所なんて見られたくない)
涙が勝手に溢れだしてくる、嗚咽が漏れ出しそうになる。
隣に居てくれて嬉しいのに、この温もりが、彼女の好意が幸せなのに。
だからこそ、喪った事を突きつけられている気がして。
(秋仁……、やっぱりまだ)
静かに涙を流す彼の気配を、目を閉じていただけの真衣は感じ取った。
嬉しいのに、辛い。
幸せにしたくて、笑ってほしくて、自分だけを見て欲しくて。
(私じゃ……変わりになれませんか?)
このまま隣に居れば、時が解決してくれるかもしれない。
けれど、彼は今この瞬間に悲しんでいるのだ。
身代わりになって抱かれても、心は満たされない。
(だから私は、私が――――)
きっと秋仁の心を癒すには、今はそっとしておくのが最適解なのだろう。
でも、そんな事なんて出来ない。
真衣の内側から溢れる衝動が、不安が、欲望が、それを許してくれない。
(ごめんなさい、先輩。秋仁先輩、秋仁……、どれだけ時間がかかっても、幸せにするから、私に夢中になってもらうから、だから、こんな私を)
寝ている時で良かった、と真衣は震えながら静かに呼吸した。
もし起きている時だったら、自分は何を言っていたか分からない。
(――すまない、真衣)
秋仁もまた、同じ気持ちだった。
もし二人とも起きて、向き合って目を合わせていたなら彼女を傷つけていたかもしれない。
失恋の痛みは新しい恋が癒すとは、誰が言い出したのだろうか。
(真衣に惹かれてても、まだアイツに未練があるなんてな)
未練があっても、もう道は分かたれた。
愛するが故に、別れる事があるのだと知ってしまった。
真衣ともまた、そんな日が来るのだろうか。
(…………駄目だ、思考が悪い方向に行ってる)
(ねぇ秋仁……、いつか、いつか私だけを見てくれますか?)
(今は……この温もりだけを感じて)
(ずっと、ずっとこうして貴方の温もりを感じていられればいいのに……)
いつしか秋仁の涙は止まり、深い眠りに落ちて。
真衣も気付ば、彼の心臓の音を聞きながら眠ってしまい。
そうして二人は仲良く熟睡し、そして翌日の事である。
取っている講義の関係で、真衣よりひと足早く帰宅した秋仁であったが。
リビングには誰もおらず、何故か彼の部屋に葵の姿が。
真衣の変装かと警戒する秋仁の前で、彼女は。
「待っていたぞ兄さん、――少し、秘密裏に相談があるんだ」
ポニテなイケメン美少女に義妹はとても真剣な顔で、しかしどこか恥ずかしそうに。
秋仁は戸惑いながら、首を縦に振ったのだった。
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