異世界コロッセウム~あらゆる異世界が繋がれた世界で闘技者は頂を目指す~
天音たかし
第1話 プロローグ
――準備は良いかよテメェら! 用意が出来てない奴は置いてくぜ?
「うおぉおおおおおおおおお」
青く澄み切った夏空に、雄叫びが響き渡る。ぎらつく太陽の光さえも生温く思えるほどの熱狂。円形の闘技場は、今、情熱に燃え滾っている。
それは、闘技場のフィールドに佇む二人の男が火種となって巻き起こしているのだ。
片や二メートルはあるだろう巨漢の男。頭をスキンヘッドに丸め、太くごつい指が大型のアックスを握っている。
片や、相対する男。彼の名は、永礼 ヒューリという。巨漢の男と違い、彼の細く長い指には禍々しい黒の光を放つ刀が握られ、戦いの火ぶたが切って落とされるのを待っている。
観客の誰かが言った。勝負は一瞬でつく。あの巨漢の男を見ろ。上半身が裸なのは、筋骨隆々の肉体を纏う服がなかったからだ。一方、あの刀を握っている男は、まるでお姫様のようだ。艶のある黒髪、白い肌、黒いスーツ越しからもわかるほっそりとした体。まったく、あれで次元闘技者ディメンション・ファイターだってんだから、冗談きついぜ。
――クスリ、と笑みが弾ける。観客の声を聞いて、愉快そうに笑う女。背が高く、しなやかな四肢と引き締まったウエスト、豊満な胸、それらは紫の和服に包まれている。青く長い髪をハーフアップにまとめ、愁いを帯びた瞳が女の美貌に更なる輝きを添える。
女は、観客席の通路にひっそりと立つ。しかし、女の輝かんばかりの美が、存在感を消すことを拒む。その証拠に、彼女の姿を視界に入れた観客たちが、驚きの声で囁き合う。
「お、俺声かけてみようかな」
一人のチャンレンジャーが、観客席から腰を浮かした。だが、残念。女の綺麗な瞳はただ一人の男にのみ注がれている。――具体的には、眼下の闘技エリアにいるヒューリに。
「ねえ、ヒューリ。馬鹿にされてるわよ。一瞬で負けちゃうって」
彼女は鈴の声で、インカム越しに語りかける。
「言わせておけよ小鞠。俺がこいつをぶっ飛ばせば、黙り込むだろう」
「……そうね。いい、ヒューリ? 我が社とラーラ・キューレ社の戦績は五分。この一戦で、『オールワールドフェスティバル』へ出場できるかどうかが決まる」
「わーてるよ。それよか」
「はいはい。ここからあなたの戦いをサポートします。いつも通りね。どうぞご存分にお力を振るってください。あ・な・た」
「うっせ。ボケかましてる場合かよ」
何かをまだ幼馴染兼【株式会社エンチャント・ボイス】の社長である小鞠が話していたが、ヒューリは無視を決め込んだ。
※
――もう、始まる。
会場の熱気は最高潮だ。ヒューリの眼前にいる男は、見下したような瞳で彼を睨む。
ああ、この瞳には覚えがある。
まったく、観客もお前も、まるでなっちゃいない。
人を見た目だけで判断するなど馬鹿げている。特に戦いでは……。
「――と、ルールの説明は以上だ。ボナー選手、ヒューリ選手。両者、健闘を祈るぜ?」
闘技場の観客席は段々畑のようになっており、その上段の一角はガラス張りの実況席が設置される。次元決闘の名物アナウンサー『赤毛のミリー』は、マイクを手に取り、ガラス越しに両選手を指差した。
ヒューリは、頷いて覚悟を示すと、刀を左手で逆手に持ち、腰を落とす。体がソワソワとする。ああ、今にも暴れだしそうだ。――しかし、まだ、まだだ。
ボナーも同じ気持ちなのだろうか。太い腕をグルグルと回し、舌なめずりをした。
「よーし、お前らの覚悟は伝わってきたぜ。オラ、猛ろ観客ども、沸けよ闘魂! 構え……」
ボナーが下品な声で笑う。アックスを握る手に力を込め、上半身の筋肉が隆起していく。
観客は、その屈強な見た目に歓喜した。
ヒューリは瞳を閉じて、頭に相手の行動パターンを思い浮かべる。試合前、何度もボナーの対戦映像を確認して対策を練った。きっと、奴は――。
「ディメンションファイトレディ」
ヒューリは、長く息を吐く。
――熱い。額の汗が煩わしい。しかし、心を沈める。身構える。心せよ。次元闘技は、あらゆる戦いが集約された魔物だ。飲まれてはいけない。
「三、二、一」
ミリーはそこまでカウントすると深く息を吸った。
「ゴォオオオオオオオオオオウ!」
開始! それと同時に、
「ぬうぉおおおおおおおお」
とボナーの叫びが木霊する。巨体からは想像のできない速度で、五メートルの距離を潰す。息つく間もなく眼前に現れる筋肉の壁。
身体強化魔法? それとも純粋な技能か?
どちらでも構わない。目を見開いたヒューリは笑う。
「予想どおりだぜ」
「ぬう!」
上段から振り下ろされた巨人の一撃を、逆手に持った刀で逸らす。耳障りな金属音、斧が地面を爆ぜさせる音、驚きに沸く歓声。そこに、鈍い音が加わる。ヒューリの拳が、ボナーの腹部に突き刺さった音だ。
「ぐ、は!」
「おいおい、こんな程度も耐えられねえのか? 意地見せろよ」
「黙れええええええ」
顔を真っ赤にしたボナーが暴れた。何百キロもある斧が、縦横無尽に乱舞する。常人ならば、腰が抜ける迫力だ。
しかし、ヒューリの顔に焦りはない。刀で逸らし、時に躱し、一定の距離を保ちながら拳を叩きこんでいく。
「う、ううう。剣を防御に使う戦い方。タートルの奴らが得意とするカラパスの型か! ぬぬうう、小賢しい小僧が! なら、こうだ」
距離を取ったボナーは、手をかざす。体内のマナが魔力に変換され、それは瞬く間に火を生み出す。
宙に描かれる火の玉の群体。初級魔法【オウファ】だ。威力は低いが連射が効く。
「焦がして食ってやるぅう」
一、十、百……。空を焦がすように増えていく火の玉は、堰を切ったようにヒューリへ殺到する。
「魔法も使えるのかよ。器用だな、オッサン」
ヒューリの眼前に迫る赤景色。チリチリと肌を焦がす熱量に、喉が鳴った。舞うように炎を避け、切り裂くがあまりの量に、数発が二の腕や太ももを掠める。
(いずれ、もらってしまう。……あんま、舐めんなよ)
「ヒューリ、防御の型【舞姫】じゃ駄目。ボナーは、攻撃主体の戦い方が得意よ。勢いづかせないように、主導権を握りなさい」
「簡単に言ってくれる。――ああ、けどよ、言われるまでもない。そのつもりだったからよぉ」
柄を逆手から順手に。右手に刀を握り締め、左手をジャケットの内側に突っ込む。
訝しむボナーの顔は、瞬時に驚愕に変じる。百を超える火の玉に向かって、ヒューリは自ら突っ込んだのだ。とんだ自殺行為。そのままでは消し炭に……ならない。
ヒューリは獄炎の世界で、ショルダーホルスターからハンドガンを引き抜くと、引き金を引いた。マジック・キャンセラー加工が施された銃弾が、触れた火の玉をかき消していく。
鳴り響く銃声、鼻につく硝煙の香り、排出され地を跳ねる薬莢。――刮目せよ。
ヒューリは、ボナーの懐へと入り込んだ。
「馬鹿なぁ! この攻撃の中を」
「潜れる。数は多いが、軌道を見極めつつ、穴を開ければ簡単だ。――覚悟は良いかよ?」
ヒューリはハンドガンを投げ捨て、両手で刀を上段から振り下ろす。手に伝わる衝撃。斧と刀が鍔迫り合いを演じる。
ボナーは茹でタコのように顔を真っ赤にしながら、力任せにアックスを押し付けていく。
「ハッ、見掛け倒しかよ」
「ぬうう」
刀を腕力だけで支えるのではない。足を踏ん張り、腰に力を込め、全身で押すのだ。
ヒューリの細く見える体が魅せる全力全霊。それが、拮抗を生み、観客の歓声を呼び起こす。
「うぉおおお」
「ヒューリ! やるじゃんか」
「ボナー、気合見せろ!」
「筋肉ダルマ負けて! ヒューリちゃーん」
歓声が、闘技場に轟く。赤毛のミリーは、唾を飛ばすのも構わずマイク越しに叫ぶ。
「やべええええええぜえええ、迫力のある試合だあ! 面白い、最高。――だけど、本番はまだまだだ。だって、ファーストタイムが終了だからだぁ。こっからは、セカンドタイムのお時間。特殊武器、重火器、中級魔法の使用もオッケェなんだな!」
赤毛のミリーの宣言が皮切りとなった。円形会場の壁が光り、観客たちの席を覆っていた不可視の防御フィールドの厚みが増す。より強固に、何者の攻撃さえも弾けるように。これならば、どれほど闘技者が暴れても観客たちは無事だろう。
「荒れ狂う炎の化身に俺は成りてえ! やああああ、【ゴーヴァ】」
ボナーの体が炎を纏う。かなりの熱量だ。肌がチリチリと焼かれ、咄嗟にヒューリは距離を取る。
「小鞠、あれはなんだ?」
「データ照合……。身体強化と炎のエンチャント魔法ね。彼の出身世界【ウォーリア―】の中級魔法。炎の神、ゴーリアの力を体内に宿し、高速移動と炎による攻撃を可能とする。……温度は摂氏千度。ヒューリ、生身で近寄っては駄目」
「はいよ」
ヒューリは、ポケットから小さな種子を取り出すと、口へ放り込む。カリッとした食感、味はない。無反応の味覚と同一化するように、肌を焼いていた熱がまるで感じなくなった。
「ウォーターライフによる防護時間は、一分。ファイナルタイムに移行するまであと二分三十秒。次のタイムに移行するまで待ってられない。戦闘不能、もしくは魔力切れに追い込んで。ヒューリ、気をつけて。水の加護があるとはいえ、万全ではないから、むやみやたらに炎に突っ込むのも禁止よ」
「了解。……おい、あいつを出す準備を進めておいてくれ」
「もうできてる。修理費が高いから、あまり使わないのが理想だけど」
「世知辛いぜ。ま、ここで勝つつもりだから安心しな」
と、強気な発言をしたはいいが、どうする?
ボナーの体から発せられた炎は、刻一刻と空間を侵食し、勢力を拡大していく。ヒューリを取り囲む形で広がる炎。徐々に、確実に。とうとう彼は壁際まで追い込まれてしまった。
「テメエは俺の斧で直接殺してやるぜ」
「へ、自分の狙いを敵に話す馬鹿がいるとは驚いたな」
「ぬぁあに? 減らず口を。グヘへ、けど、許してやる。俺様は寛大だからな。もう、貴様は俺に殺される以外、選択肢がねええんだよおお」
――ボナーが消えた。
炎に侵食されていないエリアは、恐らく半径三メートルの円くらいの広さしかない。この狭いエリアでのみ活動が許されたヒューリに対し、ボナーのなんと自由なことだろう。
炎の中でさえも自由自在。それも高速でだ。
ヒューリは、特注のベルトに固定された鞘に刀を収め、自身を取り囲む炎の壁を睨む。
――ヒュン、ヒュン、と。時折、音が鳴り、地面にこぶし大の穴が開く。
(右、左……チ、目で追えるようなもんじゃねえな。だったら)
瞳を閉じる。人は情報のほとんどを目から得ているものだ。しかし、時にそれが枷となる。見えないものを見ようとして、惑い、最後は敗北を喫する。ならば、見なければ良い。
耳で音を、肌で空気の流れを察する。――察して、探って、予想して、おぼろげな気配を求めて……そこだ。
鞘から放たれた刃が煌めく。十二分に体重を乗せた一撃。ヒューリの手に硬い感触が伝わる。
「俺様を見つけられただと?」
血が地面に滴り落ちる。ヒューリの刃は、分厚い斧に防がれているが、僅かばかりボナーの脇腹に接していた。
「動きが単調すぎるぜ。せっかくの速さも、脳まで筋肉だと無駄になっちまうみたいだな」
「お、俺様を愚弄するな。俺は、俺はなぁ! 頭脳プレイもできる男だぁ!」
ボナーは斧を手放すと、ヒューリを両手で抱きしめ拘束した。まるで万力のよう。力で振り解こうにもビクともしない。
「知ってるんだ俺はぁ! 貴様、さっきウォーターライフを口にしたろ。あれは便利なアイテムだよな。けど、効果時間がいただけないぃ。こうやって動かなくしときゃ、キ・サ・マは俺の炎で黒こげよ」
「ち、うぜえ」
「ヒューリ、防護時間のリミットが迫ってるわ。急いで! 十、九……」
考えろ。どうすれば良い? 焦る思考に拍車をかけるように、熱さをジワリジワリと感じる。
次元決闘では、相手を殺しても罪には問われない。勝てない状況では、降参するのが賢いだろう。
――だが、負けるだと? ヒューリは、内心首を振った。
七、六……無慈悲に迫る敗北の足音。ボナーの顔に、勝利の笑みが広がっていく。
「グハハ、終わりだあ」
「……クッソ、いや、そうか。おい、お前も死ね」
――ゴトリ。
重々しい音が鳴り、ボナーが地面に視線を落とす。次の瞬間、彼は悲鳴を上げてヒューリから離れた。地面には、手榴弾が落ちている。
「バッカ野郎がぁ、心中するつもりかあ? ……く、あ、ど、どうすれば。炎で弾いて。いや、もう爆発する……あ、ああ? 爆発しない……」
「へ、野郎と心中するつもりはねえよ。単なるフェイクだ」
「ぬううう、騙したなあ」
ボナーは、手のひらから炎を吐き出す。摂氏千度の紅色の魔法。ウォーターライフによる加護はとっくに切れている。生身のヒューリが触れれば、たちまち散華することだろう。
――だが、彼の顔に鉛色の絶望は広がっていない。
ヒューリは、右手に持った刀を大上段に構えた。その刀の刀身は、光を否定するが如く禍々しい漆黒のオーラを放っている。黒く深い宇宙に溶けるように、オーラは存在感を増していく。
「おせぇんだよ寝坊助。お前が本気出さないと、俺はまともに戦えないだろうが」
紅が視界を覆いつくす。全身を撫でる熱気が、死を予感させる。ならば、その予感ごと切って捨てようか。
「もう一度聞いとくぜ? 覚悟は良いかオッサン? 決まってなくても斬るけどな。――【放浪永礼流 奥義の型 雲散霧消ノ刃】」
振るう。縦に一直線の軌跡。斬撃は熱気を断ち、そして魔法を無へと帰す。
赤熱の世界。それは、万物を斬れる魔剣 業魔とヒューリの前に敗北する。――しかしまだだ。まだ、次元決闘の戦いそのものは終わっていない。
「俺、様の魔法が」
「さっきからずっといじめてくれたな。今度は……俺の番だ」
地面を滑るように駆けるヒューリ。火の粉舞う闘技場の中で、それは一陣の風を思わせる動きだ。
顔を引きつらせていたボナーは、数瞬遅れて斧を構える。ショックを受けても、それだけの反応を見せられるのは、彼が歴戦の勇士である証明。ヒューリは、口笛を吹き、ボナーまであと一歩のところで足を止めた。
「何を」
「こうする為さ」
瞬時に懐へ入り込む。単なるストップ&ゴー。しかし、あまりの緩急差があれば、姿を見失うのは必然だ。
ボナーの視線が姿を求め彷徨っていた。その姿は迷子に似ている。可哀そうだから答え合わせをしてあげよう。――ただし、優しい声の代わりに闘技者の流儀で。
「はああああ!」
地面からすくい上げる斬撃で顎を切り裂き、返す刃で袈裟に斬る。さらに、体を回して胴を裂き、掌打をボナーの鳩尾に放つ。
三つの斬撃に一度の打撃。これすなわち【放浪永礼流 基本の型 三頭剛掌打】。――基本の型とはいえ、決まればただではすまない。
「あ、ああ」
ボナーは、仰向けに倒れる。
殺してしまったか、とヒューリは目を見開くが、巨人のような体が上下しているのを確認し、吐息を漏らす。
「こ、これはぁあああああ! 勝負ありだぜぇ! 勝者は株式会社エンチャント・ボイスの次元決闘者ひゅ、あ、あれえ!」
闘技場のざわつき方が変わった。ヒューリは、泡立つ背中に従うように上を見た。そして、納得した。
「ハア? 馬鹿かよ」
赤き影が青空を隠している。正確に言えば、巨大なケンタウロス型の赤いロボットが、落下してくる。全長二十メートルもの巨体。威風堂々とした姿。
ヒューリは、あれが誰のものであるのかを知っている。異世界ハーヴェスト産のカスタム機【ファイヤ・ホース三世】。――ボナーの所持機だ。
赤毛のミリーは、マイクを掴むと、ハウリングするのも構わず叫ぶ。
「ボナー、テンメェ、勝負がついたのに巨大兵器を勝手に発進させるなぁ! お前は、セカンドタイムで負けたの。あ、れ、は! ファイナルタイムで使用して良い兵器! おいコラォら、聞いてんのか」
(いや、違うな)とヒューリは、首を振る。ボナーは白目をむいて気絶しており、とてもではないが、発進要請を出せる状態ではない。ならば、考えられるのは――
「クソ、今はどうでも良いか。……闘技場の入り口は、フィールドで塞がれちまってる。おい、小鞠! 入り口だけ解除できねえのか。出れねえぞ」
「無理ね。観客の安全を考えれば、解除なんてするわけない。でも、大丈夫、手は打っているわ」
「ん? ああ、はいはい。そうかよ」
ファイヤ・ホース三世の姿は、先ほどよりも大きく見えた。近づいてきている。着陸のためのスラスターをふかしていないところを鑑みれば、敵の意図は明白。
防護フィールドに守られている観客は無事で済むかもしれない。だが、このままではヒューリは死ぬだろう。
耳に痛い落下音、大気が震えている。ヒューリは、フラフラと壁際まで歩くと、どっかりと座った。
「――ああ、疲れたな。まったく、闘技をこんなふうに騒がすんじゃねえよ」
観客席から絶叫が聞こえる。防護フィールドに守られているとはいえ、隕石が落下してくるようなものだ。恐怖で逃げ惑う人々も大勢いた。
「ちょっと、押さないでよ。まったく」
「おい、小鞠。お前は避難しないのか?」
「するわけないでしょ。防護フィールドは、一流の大会専属魔法師たちと技術者が組んで編み上げた超一級品の盾よ。その気になれば、ドラゴン百匹のブレスさえ防げる代物に守られて逃げるなんて臆病すぎるっての」
「……ハア、勇ましいぜ。昔はもっと可愛かったのに」
「ちょっと、もう可愛くないみたいな言い方しないでよ。……傷つくでしょ」
「ぬ、急に可愛げだな。はいはい、冗談だよ。――っと、来たか」
ヒューリは、瞳を閉じてニヤリと笑う。
怯え我先に逃げ出していた観客たちが動きを止め、西の空を眺める。
飛行機が空を斬り裂くような甲高い音。黒き流星が、空に一つ筋の線を引いてやってくる。
「あれは、フェスティバルギアか?」
「私、あのフェスギア知ってる。確かヒューリのギアよ」
観客たちが、そう口々に語る。
――フェスティバルギア。あらゆる異世界の垣根を超えて、最高の技術の粋を集めて開発されたワールドギア。それを次元決闘用に改良したモデル。
ヒューリのフェスティバルギア【乱神】は、黒武者と呼ぶべき風貌をしている。見る者を威圧する鬼の面具。血管のような赤いラインが走る漆黒の甲冑。腰には巨大な鞘が装備されているが、不思議なことに刀が収められていない。
ファイヤ・ホース三世が、円形闘技場に接するまで五秒もない所まで迫っている。大気の震えは、今や随分と騒がしい。闘技場の小石が振動で子気味良くダンスを踊る。
ヒューリは、慌てず、けれども素早く正確に左手首に巻かれた腕時計を操作し、刀を空高く放り投げる。
「も、もう駄目だぁああ」
「落ち着け、フィールドが守ってくれる」
「いや、けどよ」
そんな叫びが木霊する。
ヒューリは、ゆっくりと首を振った。
「いや、俺が守ってやるよ」
魔剣 業魔は、クルクルと回転しながら徐々に巨大化。遂には八メートルほどに達する。
乱神は、巨刀と化した魔剣を手に取り、ファイヤ・ホース三世に肉薄した。
一の太刀で胴を薙ぎ、二の太刀で頭から下まで真っ二つに、三の太刀で逆袈裟に薙いで……。剛なる斬撃によって生まれしソニックブーム。会場の皆が耳を手で覆う。
鉄の赤き風と評されたファイヤ・ホース三世。あらゆる攻撃を鋼のボディで弾いてきた誉れ高き機体。
されど刹那の間に振るわれた計二十の斬撃は、あまりにも無慈悲であった。修理不能なほどに解体され、残骸は動力炉の爆発に飲まれ塵と帰す。
「え、あ」
「俺たち……」
観客たちは、戸惑った様子で空を見上げていたが、やがて一人が歓声を上げ、さざ波のように伝播していく。
ヒューリ、ヒューリ、ヒューリ。
自らの名前を呼ぶ声に、黒髪の闘技者は片手を上げて応じた。
※
――クソ、忌々しいガキが。
観客席の中でも、大会関係者しか座れぬ席に褐色の女が座っている。
彼女は、ラーラ・キューレ社の社長で、名をシルビア・バルファッソという。
胸元が大胆に開いた金のドレスは眩しく、スラリと伸びる手足は煽情的。バラのように真っ赤な髪は、簪でお団子状にまとめられている。誰が見ても掛け値なしの美女。その狐のような細い瞳に見つめられてしまえば、どんな男も、いや女でさえも蕩けてしまうかもしれない。
しかし、芸術的な美貌も苛立ちを心身に宿してしまえば、台無しというもの。周囲に座っていたラーラ・キューレ社の社員は、こっそりと彼女から距離を取った。
「ああ、役立たずの決闘者め。せめて、憎い小僧一人くらい道連れに出来んのか? おい、そこの! 今回の騒動は、全てボナーが仕組んだことにして処理を。あやつに金を払う必要はないわ」
指を差されたスーツ姿の女は、神経質に何度も頭を下げて立ち去っていく。
――ああ、ままならない。あの生意気なヒューリという決闘者も、小鞠とかいう経営者も気に入らない。この敗北で、ラーラ・キューレはオールワールドフェスティバルに出られなくなってしまった。
五年に一度しか開催されない次元決闘の祭典。全ての異世界を股にかけての大規模なイベントだ。ここに出場することは、闘技プロデュース社とその社員たる次元決闘者にとって大いなる栄誉であると同時に、後の成功を約束されたに等しい強力なネームバリューを得られる。
あと一歩、手を伸ばせば届くはずだった。しかし、閉ざされてしまった。
「……口惜しいが、正攻法では無理であったか」
シルビアは、地面を真っ赤なハイヒールで蹴り飛ばし、ヒステリックに首を振った。
「違う、まだ終わりじゃないわ」
ありえない、終わりにしない、絶対に。これまでの人生を振り返ればわかる。腐った沼の底に沈んでいても、立ち上がりさえすれば何度でも上へ登れるのだ。
「敗北は負けじゃない。ようは、最後に勝てばいいのよ。それでチャラになる」
「――それが、貴様の世渡りというやつか」
突如投げかけられた言葉には、嘲りの色が混じっている。
シルビアが放つ怒気は、周囲を隔てる壁のようだ。しかし、まるで意に介さぬ様子で、声の主は、人々をかき分け彼女に歩み寄る。
――その男、いや女かもしれない。どちらにせよ、異様な恰好をしている。煤けたローブを身に纏い、隙間から僅かに見える麻布のズボンは、所々が裂けて小汚い。そのくせ、両手につけた黒手袋や手首にはめられたアンクルは、いずれも超一級品。庶民が十年働いても届かない高価な物を、惜しげもなく陽光の下へ晒している。
顔は、深くかぶったフードのせいで隠れており、まるで幽鬼のようだ。
「……そうよ、リベンジマン。わっちが、あの殺戮の異世界から生き残り、こうやって社長にまでなれたのは、この考えがあったから。果物一つ分の価値さえない、偉大なる教えよりも、よっぽど信頼しているわ」
「ほう、浅ましく生きることに固執する人らしい考えだ。ああ、いや。今や我も同じことか」
ゆらゆらとリベンジマンのローブが動いている。笑っているのだ。シルビアは顔を歪め、人差し指を彼に突き付けた。
「貴様……随分と他人事なのね? そもそも貴様が出場していれば、あの小僧如きに負ける醜態は晒さなかった。
わっちと契約を交わした貴様は、いわば一蓮托生。なのに、わっちを裏切り、出場を断った。なぜなの?」
「なぜ? 簡単なことだ若き人よ。貴様が世界を憎悪しているように、我は放浪永礼流を憎悪している。だが、あいつを殺すのは早い。殺めるのは、もっとあやつが放浪永礼流を極めてから、絶望を添えて殺してやるのだ。この気持ち、わかるか? 炎だ。それは永遠に消えぬ暗黒の焔」
リベンジマンは、手袋に包まれた手で己が胸を叩いた。何度も何度も。あまりに強い力で叩くものだから、近くにいた社員が驚いた顔をする。だが、止まらない。彼は、壊れたように自傷行為を続けた。
「炎が、この身を焦がすのだ。貴様でいうならば、そうさな……。その独特の一人称を直せないのと同じだ」
シルビアは、苦々しい顔で胸の辺りに手を置いた。――血と汗の臭い。笑う男達。痛む頬に歪む視界。全てが汚らわしい。
記憶に浮かんだそれらを、シルビアは首を振って消す。今は干渉浸っている暇はない。
「そう、ね。言われるまでもない」
「それにな、このあらゆる世界が接続された状況において、我が正体を民衆の下に晒すのは自殺行為というもの。勇者・英傑と呼ばれし者が幾人いよう。編成軍など組まれてしまえば、いかに我とて虚しく消し炭よ」
「フン……分かった、リベンジマン。本当はもっとエレガントな方法を選びたかったけど、もう手段は選べない。貴様の望む結果となるように、策を考えるわ」
「ほう、どうやって?」
「何とかしてみせる。わっちにはその力と美貌があるのだから」
「……ならば、我は貴様からの朗報を待つとしよう」
リベンジマンは、ローブを翻しどこかへと去っていく。シルビアはその背を見送り、思案に耽った。苛立ちを帯びていた顔は、思考が加速するほどに笑みが広がっていく。
――待っていなさい。わっちは勝者になる。そのための立ちふさがる敵は滅する。
千島 小鞠、永礼 ヒュウリ――そして、永礼 イワサ。
風がフワリと吹いた。シルビアは手を伸ばし、手のひらで風を受け止め、それから強く握りしめる。まるで風さえも手中に収めるように……。
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