♰Chapter 11:リスクとリターンの境界
中央病棟の一室を開くと消毒薬の匂いに紛れてかすかな花の香りがした。
見れば花瓶にはすでに見舞いの花が活けてあった。
「――ああ、ほんとについてないわね。あんたたち二人がお見舞いに来るなんて」
純白のベッドにはゆっくりと身体を起こす東雲がいた。
その頬には大判のガーゼが貼られており、病院服から垣間見える鎖骨部分や左腕部にも包帯が巻かれている。
オレが想像していた以上に苦戦したことが伺える。
「朱音、身体の方は大丈夫なの?」
「あんたに心配されるほど落ちてないわよ。これだってほん掠り傷だし。あー喉渇いた。八神、お見舞いに飲み物持ってきたでしょうね?」
威圧的に言い放った東雲が右手を差し出してきたので、オレは飲料水のペットボトルを渡すが、なかなかキャップを開けられないようだった。
その原因は抑えになるはずの左腕に包帯が分厚く巻かれているせいだろう。
オレも鬼ではない。
「貸してくれ」
彼女から一時的にボトルを貰い受けるとキャップを回し、それを再び返す。
「最初から気を利かせなさいよね」
……訂正しよう。少しは鬼になるべきだ。
「掠り傷と言ったのはお前だ。左手が使えないならそれは掠り傷じゃない」
「……ふん」
水を一口飲むと再び突き返され、オレはキャップを閉める。
ふと隣を見れば水瀬の視線と交錯した。
それはオレの方から話のきっかけを切り出してほしいという意思表示でもあった。
「東雲、お前に何があったのか教えてほしい。『盟主』からの指示でもある」
「……分かってるわよ。でも正直、あたしも何が起きたのかまでは分からなかったのよ」
「というと?」
「人気のない夜道を哨戒してた時にフーデットケープを被った奴に襲われたのよ。それで何回か打ち合いをして気付いたらあたしは斬られてたってわけ。あたしが固有魔法を使おうとしたらそそくさと逃げて行ったわよ」
包帯やガーゼを指し示し、感情の波立ちを露わにする。
「後で聞いたけど、別の場所でも〔幻影〕の諜報部隊とあたしの私兵が数人丸ごと殺されたのよ。それだけじゃない。一般人にも〔ISO〕にも被害が出てる。絶対に許せない。見つけたら必ず報いを受けさせてやるわ」
「息巻くのも当然だが魔法の傷は治りが遅いんだろう? 今回はオレたちに任せてくれ」
「はあ……? 見境なく人を巻き添えにするそいつと魔法に全く慣れてないあんたに任せられるわけないじゃん。この件は東雲傘下の人間で対応するわ」
水瀬に関して、『見境なく人を巻き添えにする』という言葉には引っ掛かりを覚えるが今は疑問を挟むべきではないと判断する。
「朱音……重ねるけどこれは『盟主』からの命令でもあるのよ。怪我人は今回の件には参加させられないの」
それを聞いた東雲は歯噛みし、シーツがしわになるほど固く握りしめる。
彼女からすれば一般人だけでなく、自身の仲間が殺されたことにも責任を感じているのだろう。
以前の立合いからも分かるが、何でもかんでもまっすぐに捉えすぎなのだ。
よく言えば裏表がなく、悪く言えば直情的と言える。
だからこそ、奇襲や搦手を使った戦いには無類の弱さを発揮する。
「必ずオレたちが解決する。だから大人しく待ってい――」
「八神、ちょっと来て」
東雲の顔には貼り付けたような笑みが宿っている。
突如として浮かべられたそれは明らかに負の予兆だった。
「……水瀬じゃ駄目なのか」
「八神、ちょっと来て」
先程と寸分違わない声音で同じセリフを口にする。
オレはやむなくベッドの傍まで身を寄せる。
すると東雲は[迅雷]に相応しい速度でオレの襟元を掴んで引き寄せる。
「絶対に、失敗するんじゃないわよ?」
「ああ、分かっている。これ以上の犠牲は容認できないからな」
それを言うためだけにオレを引き寄せたのかと思うと頭が痛い。
オレは服の乱れを正し、水瀬と共に場を後にしようとする。
「……ああ、そうそう。そういえばあたしを襲った奴も八神と同じだったわよ」
「……どういう意味だ?」
「足場の悪い狭い路地なのにまったく態勢を崩さないし、何より音が無かったのよ。そんだけ」
それ以降はむっすう、と開け放たれた窓の外に視線を移してしまう。
「情報、感謝する」
――……
病室を出たオレと水瀬は院内を歩きながら会話を重ねていた。
「東雲と交戦した敵は正面から堂々と、っていうタイプじゃなさそうだな」
「そうね。そもそも最近になって報告に挙がっている『心喰の夜魔』の件かもしれないわ。噂程度じゃ動けないのが組織だから、十分に対処できていなかったんだけど……」
「オレも聞いたことはあるな。狙われたが最後、心臓を一突きにされるなんていう都市伝説じみたものだ」
オレはℐから受けた忠告を思い出していた。
『心喰の夜魔』なんていう噂など関わることがないと思っていたがその可能性があると分かった以上、なおのこと警戒しなければならない。
「私もそれは聞いたことがあるわ。でも朱音の心臓あたりには傷がなさそうだったと思わない? もしかしたら噂を模倣した魔法使いなのかもしれないわ」
「そうだな。東雲自身も正体を看破できていないうえに彼女の情報によれば恐らく相手は〔幻影〕のことを知っているんじゃないのか?」
「それは――固有魔法を使おうとしたら逃げたっていうところから?」
「ああ、もし内部に潜伏している敵がいるならそれは少しまずい状態だ」
「なんだかとてもじゃないけど信じたくない推測ね。なんにせよ〔幻影〕と〔ISO〕、民間に実害が出た以上、噂じゃ済まされないわ」
そこで水瀬が病院内でする会話に相応しくないと判断したのか、話題の転換が図られる。
「ねえ八神くん。踏み込んでいいのか分からないから今までそうしなかったけれど、私も気になっていたのよ」
「何がだ」
病院の廊下を歩きながら水瀬はそんなことを言う。
「こうして一緒に歩いていても一人分の――私の足音しかしない。貴方の足音がないのよ。言い方は悪いけれど、何だか影みたいというか」
一瞬東雲の『あんたと同じ』という言葉からオレを疑っているのかと思ったが、水瀬の顔には純粋な疑問の意図しか含まれていなかった。
あらぬ疑いは要らぬ不和しか生まないため、彼女が一定程度信頼してくれている現状に満足する。
だからこそ、話せることもあるからだ。
「それは正しい。オレは暗殺者だから」
もちろん、リスクとリターンの両方がある。
オレの正体を知れば、警戒されるかもしれないが今後動きやすくなるだろう。
一人で行動する時も暗殺者だったのならそういうものだと判断してくれるかもしれない。
一方でオレが正体を隠匿していた場合、警戒はされないが今後動きづらくなるだろう。
いずれバレてしまった時にどうして隠していたのか、という面倒事を招く可能性もある。
なら一定のところで線引きし、オレのことを知っておいてもらった方が良策だろう。
「だから戦いに慣れている雰囲気があったのね。ふふ」
「やはり時代錯誤だと思うか?」
暗殺者は今でも確かに存在する。
だが日常を平和と定義づけるこの国では場違いも甚だしい存在だろう。
現状は暗殺者の需要と供給がマッチしているがいずれこの手の日陰者は減っていく。
そんな予感がオレのなかにはあった。
「私には分からないわ。ただ八神くんのことを一つ知れて嬉しかったから笑ったのよ。これからも貴方のこと、教えてくれる?」
「オレが水瀬を知って、その上で気が向けばな」
受付まで戻ってくると小型デバイスを端末にかざし、面会を終了する。
その時、少し先で老婆が躓くのが視界に映った。
そしてそれにいち早く気付いた医師が支えに入る。
「すみませんねえ。この歳になると足腰が立たなくて……」
「いえ、それよりもお怪我の方がなくて何よりです」
そういえば東雲は医師に噛みつかなかったのだろうか。
俗にいうツンデレは需要があるそうだが、彼女の場合はツンツンツンにツンを重ねただけだからな。
「あれは……」
視線を切ろうとしたそのとき、医師と目があった。
理知的で小難しい顔をしたその人は結月という少女の担当医師の一人だったはずだ。
どうでもいい情報だから以前にこの病院に来たことをすっかり忘れていた。
彼は小さく会釈をするとそのまま去っていった。
そんな光景を後にし、院外に出た直後に水瀬が緊迫した様子で告げる。
「八神くん、予定変更よ。たった今第二十一区で心臓を貫かれた遺体が見つかったみたい」
「〔ISO〕もそこにいるんだろう。彼らの本部に行って情報を貰う手間が省けたというべきか……オレが〔幻影〕に来るまでもこんなことが連続していたのか?」
水瀬はオレが発した正体不明の殺人鬼に対する皮肉を流しつつ応える。
「いいえ、ちょうど八神くんが来るのと同時期にこの奇怪な事件が起き始めたわ。災難ね?」
「まったくだ」
つくづく神はオレに手厳しい。
そうは言ってもオレは無神論者だが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます