旅立ちの朝

 フェナスが根城にしている木賃宿の一室。外はすっかり陽が落ちて、隙間からそそいでいた陽光は頼りにできない時間だ。壁の灯りだけが、薄暗い室内を照らしている。

 あまり寝心地のよくない寝台の上には、フェナスとランタナで先程買い込んだばかりの旅の荷物が広げられている。

 食料、食器、燐寸マッチ、軽い鉈。寝袋に毛布。他にも細々としたもの。野宿の準備として、ある程度のものは必要だ。

 元々駅馬車を利用するつもりではいたが、必ず空きがあるとは限らない。状況によっては法外な運賃をぼったくられることもある。その場合は野宿になる可能性が高い。旅というのは、何が起きるかわからないのだ。節約できる部分はそうしたいところだ。

 護衛を雇う金が浮くことだけが幸いか。野盗から自分と連れの身くらいは守る自信はあった。

 その連れの一人であるランタナは、椅子に座って興味深そうに荷造りの様子を見つめている。森から出たことのなかった彼女は、旅の準備に何をするべきかのか全くわからないのだ。火起こしすら、魔法に頼っていたのだろう。燐寸マッチを興味深そうに見つめていた。

 その様子に苦笑しながら、背嚢リュックに必要なものを詰めていく。一人旅とは違って、荷物が多い。もう一人、スフェーンの食料なども念のため詰め込んだ。彼の伝手を頼って王都へ行くのだ、これくらいはしておかないと、借りが大きくなるばかりだ。彼に作る借りはなるべく小さくしておきたかった。

 彼のことは実のところ、憎からず思ってはいる。研究に没頭すると周囲が見えなくなるところは放っておくと危ういし、何かしらの保護欲を掻き立てられる気さえする。

 だが貴族という身分差に加えて、女である自分についてこれないだけの体力差がいただけないとは感じていた。痘痕あばた笑窪えくぼとはなかなかいかないものだ。

 彼もそこを察してはいるのだろう、時折、申し訳なさそうに笑う。それがフェナスは嫌なのだ。そこへ借りを作ってしまうと、お互いに引いている境界線が歪んでしまう気がする。

 考えながら、手が止まっていたのだろう。ランタナが不思議そうにフェナスを見ている。


「フェナスおねえちゃん?」


「ん? いや何でもないさ」


 誤魔化すようにそう答えると、最後の荷物を詰めて背嚢リュックの口を閉める。外を見ると、そろそろ日が傾き始める時間だ。

 スフェーンはうまく約束を取り付けただろうか。

 少し心配になる。この木賃宿の場所は彼も知っているはずだ。だが買い出しから戻っても特に伝言等はなかった。件の甘い父親に捕まっているのか、単に約束を取り付けるのに手こずっているだけか。本当のところはわからないが、出立の目処が立たないとこれ以上の動きが取れない。

 塔への到着にタイムリミットがあるのか不明だが、できるだけ早く連れていきたいところだ。


「どうしたものかね……」


「わたし、おなかすいた」


 当のランタナはのんびりと、空腹を訴えてきた。それにくすりと笑ってからはたと気づく。夕食の時間が近いのだ。

 スフェーンのことは気になるが、こうして待っていても仕方ない。


「何か食べに行こうか」


「やったあ!」


 フェナスの提案に、ランタナは両手を上げて喜びの声を上げた。



         *



「やあ、フェナス。ちょっと待たせてもらっていますよ」


 近所の食堂で夕食をとって二人が部屋へ戻ってくると、眩しい金髪が目に飛び込んできた。

 備え付けの椅子に座って、分厚い本を読んでいる。足元には旅の荷物なのだろう、フェナスのものより大分生地の良さそうな背嚢リュックが置かれている。

 今日はここへ泊まる気なのか。少なくとも自分の実家で寝る気はないらしい。


「それは構わないけど、どうだったんだい?」


「叔父からは、快諾をいただきましたよ。父は相変わらずでしたが」


 問題はなかったと、スフェーンは付け加える。

 貴族達かれらの返事の速さにはいつも感心する。貴族間だけで使える通信用の魔法があると聞くが、よくはわからない。かなりの長距離でも通話が可能らしい。

 スフェーンの顔には少し疲労の色が浮かんでいた。足腰の疲れに加えて実家で気を張ってきたのだろう。だが、今から貴族街の端の、研究室にいかせるのも億劫だ。フェナスは寝台を指差した。


「王都への旅も楽じゃないんだから、少しでも寝な。どうせ実家で寝るのは嫌なんだろう?」


 その気遣いに少しスフェーンは目を丸くする。それから嬉しそうに顔を綻ばせた。


「フェナスからそう言ってくれるのは珍しいですね」


「そりゃ、感謝くらいしてるからね。今回は知識も伝手も、あんた頼りなんだ」


 本音だ。頼りきりになる程恩知らずにはなりたくないし、寝台くらいは貸し出す。

 それに、彼の疲れた顔はあまり見ていたくないのだ。


「お言葉に甘えて寝かせてもらいますが……貴方たちは?」


 心配そうなスフェーンに、大丈夫だと片手をあげる。

 だが流石にランタナを同室で寝かすわけにはいかない。多少慣れたとはいえ、ランタナはまだスフェーンに完全に気を許してはいないようだ。今も、フェナスのかたわらから離れない。


「そうだね……確か、隣に空きがあったはずだからそっちで寝かせてもらうさ。幸い、臨時収入もあったから今日くらいいいだろう」


「私がそっちに移動しても……」


「いいから。ここならすぐ寝られるんだからさっさと寝な」


 移動しようとしているスフェーンを制すると、ランタナを促して部屋を出る。

 階下に降りて宿の主人に事情を話すと、一晩くらいならと部屋を貸してもらえた。親切にも寝具は二人分だ。その分、料金は取られたが。

 確保した部屋に入ると、ランタナのケープやらを外してやる。


「さ、あんたも寝な。明日は早いんだから」


「わたし、ねむくないよ」


「いいから。寝ないと連れてけないよ?」


「むう、それはやだぁ。ねる」


「いい子だ」


 その亜麻色の髪を優しく撫でてやると、寝台に一緒に寝てやる。ランタナは寝具に潜り込むと、フェナスに甘えるように胸元に顔を埋めてきた。幼子のその仕草は、いつだったか夜中に寝台に忍び込んできた幼い兄弟たちを思い出させる。

 フェナス自身も疲れていたのだろう。ランタナの温もり

に誘われるように、微睡に落ちていった。



        *

 


 翌朝、早くに三人は木賃宿を出た。

 街は飲んだくれが道端で寝ている程度の人出で、普段のざわめきは鳴りを潜めている。

 ランタナは旅中の不安よりも目的の達成に近づいたのが嬉しいのか、弾むような足取りでフェナスたちの先を歩いている。軽快な服装に変えたせいか、動きは以前より軽やかに見えた。

 対するスフェーンは、寝不足がいまいち解消されないのか、生欠伸を漏らしている。旅の為、いつもの長衣ではなく短めのものを着ているが、のそのそと歩く様はとても旅人には見えなかった。


「やっぱり馬を買った方が良かったんじゃないかい? その方が楽だっただろうに」


「いえ、王都での宿代だけでもこっちとは比べ物にならないですし、少しでも節約した方がいいでしょう。私は……ええ、何とかします」


 そう言いながら取り出したのは強制的に体力を回復させる薬だ。自室の薬草からこしらえてきたらしい。

 後からの反動が辛いと聞くが、本当に大丈夫なのだろうか。

――後から泣き言を言わなきゃいいが。

 フェナスは内心呆れたが、彼の自尊心プライドのために何も言わないでおく。

 

 三人は街外れの駅馬車の乗合場に向かっていた。そこから途中のスマラグドゥスの街を経由して、王都アダマスへ向かう。旅程は大体一月ひとつきというところか。ルベウスの街が国の外れにあるため、なかなかの長距離だ。

 子連れの旅としては厳しい距離だが、魔法が使える面子が二人もいる。何とか凌げるだろう。


 これからの道程を頭に思い描きながら街の入り口に辿り着く。

 ちらほらと旅立つ商人やらの人影がある中、きちんと服を着込んだ初老の男がいた。まるで物語から抜け出してきたかのような執事然とした男は、どこかで見た覚えがある。


「モリオン。何故ここに?」


 スフェーンの驚きの声に、記憶が掘り起こされた。スフェーンの父親の屋敷の執事だ。一度だけ屋敷を訪ねた時に、対面したことがある。

 名を呼ばれたモリオンはスフェーンの前に進み出てきた。その手には、二頭の馬に繋がれた手綱が握られていた。

 馬達もモリオンを信頼しているのか、黙ってついてくる。


「当家が管理している馬のうちの二頭です。御入用では?」


「それは、ありがたいけど」


 フェナスはちらりとスフェーンを伺う。当家、とモリオンは言った。これは恐らく、スフェーンの父親が手配したのだろう。フェナスだけならありがたく馬を使わせてもらうが、スフェーンの心持ちもあろう。

 モリオンを見つめた彼は、深々と息を吐く。先回りして支援されることはあまり彼は好まない。眉間に寄った皺を抑えると、仕方なさそうに馬の手綱を受け取った。


「全く……助かる。父上には、よくよく礼を言っておいてくれ」


「承知いたしました。では道中、お気をつけて」


 モリオンは丁寧に一礼してから貴族街の方向へ立ち去っていく。その後ろ姿を見送ってから、スフェーンはフェナス達に向き直った。


「予想外でしたが、少しは楽ができますね」


 少し苦々しそうな顔には、父親に対しての複雑な感情が表れている。黙って頷くと、片方の手綱を彼から受け取った。

 スフェーンの心情は察してあまりあるが、旅の足の確保の手間は省ける。鞍もあぶみしっかりとつけられている馬は、ありがたく使わせてもらうことにした。

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