一章
魔女の噂
「それ、本当なのかい?」
女は懐疑的な表情のまま、目の前の人物に質問をぶつけた。三白眼気味の金色の目が、じっと相手を見ている。値踏みするような視線だ。
相対するのは、薄汚れた男だ。何の染みかもわからないほど汚れたフードを目深に被り直すと、男は肩を竦めてみせる。
「俺だって与太だと思ってるさ、フェナス」
二人が話をしている場所はルベウスの街の、場末の酒場だ。穴の空いた壁に、傾いた
品があるとは到底言い難いこの場所は、騒がしいが故に密会にも適している。二人が密会をしている理由は、情報の売買だ。
男は情報屋だった。細々とした話を仕入れては、女――フェナスに売りつけている。彼女が興味を持ちそうなものを仕入れては、取引を申し込んでくるのだ。
今回もまた、そんな情報の一つだった。
森に住む、魔女の話。
森の奥に住居を構えた恐ろしい魔女が、日がな一日スープを作っている。そのスープを食べればたちどころに傷も病も癒えるという。
フェナスは先程男から聞いた情報を反芻しながら、
「いくら
フェナスは呆れたように目の前の男を見つめた。フードの影になっている表情はいまいち読めない。
魔法は万能ではない。
それは、魔法の使えない平民でも知っている事実だ。
攻撃や治療、土地の回復。一見万能のように感じるが、使用するには自身の命の根源たる
だからこそ、魔女の話が眉唾だと疑うことになる。
フェナスの否定の言葉に男は軽く頷く。否定するつもりはないらしい。
「そりゃあ、そう思うわな。
だが、真に受けて森に向かった奴等が二度と帰ってこないのも事実だ。
おまけにその魔女には懸賞金がかかってる」
生死問わず。そう触れが出ていると。
男の言葉に、フェナスの金色の瞳がきらりと輝く。その続報を品定めするように、目が細められる。
金は大事だ。人の生存戦略において一、二を争う重要なものなのだから。勿論それが全てではないが、あればあるだけ人生においては有利になる。
黒い革製の
「その触れ、平民には出てないだろう? どこからの情報だい?」
フードの奥で男が笑う。フェナスがそう推察することを予想していたかのようだ。秘密の話をするように人差し指を口元にやると、ほんの少し上がった口角が覗く。
「御明察。《教会》だ」
出てきた名称に、フェナスは眉を顰めた。
嫌な名前だ。出来れば関わりたくないほどの。
「《教会》……? また、きな臭いところから拾ってきたもんだ」
男の情報網には呆れるものがある。こんなところで情報を売り買いしている癖に、国の深部に関わりかねない情報を持ってくることもあるのだ。
ただ出どころは兎も角、情報がガセだったことは一度もない。だからこそ、信用して金を払うのである。
「賞金はどのくらい?」
「聖金貨百枚だとよ」
「なんだ、その阿呆みたいな金額は!」
思わず目を剥いた。破格どころの話ではない。
聖金貨は一枚で金貨十枚にも相当する。金貨一枚で平民の家が建つ金額だ。聖金貨百枚は国家予算並みだ。
長く伸ばした黒髪をかきあげ、天を向く。余りの金額の大きさに眩暈がしそうだ。
「本当に貰えるか怪しいもんだね」
思わず、そうぽつりと呟く。その呟きを拾った男は口元だけで笑いながら後ろを指差した。壁の向こう、北の方角には、貴族の屋敷ばかりが建つ貴族街がある。
ルベウスの街の貴族連中は基本的には貧乏貴族だ。だが気位ばかり高い者が多い。税をふんだくることにも余念はなく、大して税収の期待できないこの街の貧富の差を広げていた。とどのつまり、強欲なのだ。
「目が眩んだ貴族連中が血眼で探してる。それなりの信憑性はあると思うぜ」
男は相変わらず飄々と言葉を連ねる。疑うなんて心外だ、とも言いたげだ。その声音に手を振って、彼に向き直る。
「疑ってるわけじゃないさ、ジャスパー。
むしろ信用している。男の二つ名を重ねて言うことで、それを示した。
金に汚い貴族連中が血眼になるなら、本当に触れが出ているのだろう。
他ならぬ《教会》から。
《教会》はここ数十年で急激に勢力を伸ばしている組織だ。
従来
だが《教会》はその神々を邪神として忌み嫌っている。
唯一神ビスマスをこの世界を統べる神として崇め、それに傾倒する人々を集めて一つの集団となった。それが《教会》だ。今ではこの国――オルナメントゥムの国教に近いものにまでなっている。国王までもを信徒としているほどだ。
表向きは医療福祉に力を入れ、慈悲深い神の御心に従うと言う体裁をとっている。裏では異教徒を殺し、妙な人体実験までしているという噂だ。確証はないが。
そこに目をつけられていると言うことは、魔女は忌まわしいものと認識されている。しかも懸賞金の金額から見ても相当に、だ。
フェナスは思考する。
これは、得か損か。もしくは己の中の何かに触れるか。
酒場の騒めきを他所に、顎に手を当ててじっと考える。それを男――ジャスパーは興味深そうに眺めていた。
暫しの沈黙の後、フェナスが口を開く。
「手弁当になる可能性は?」
「ゼロじゃねえな。寧ろ貴族じゃねえなら手柄を認めてもらえるかさえ怪しい」
「よし乗った」
「は? 今のはやめる流れだろ!?」
今度はジャスパーが目を剥く。その様子を愉快そうに眺めると、フェナスは指折り理由を数えた。
「ひとつ、金は正直どうでもいい。手に入るに越したことはないがね。
ふたつ、魔女なんているわけない。そんな都合のいいことあってたまるか。
みっつ、あたしは貴族も《教会》も嫌いだ」
至極単純なことだ。
《教会》も貴族も嫌いなだけなのだ。
彼らの得になることをひっそり阻止して溜飲を下げるくらい、許されていいと思っている。
ジャスパーは暫く絶句していたが、やがて諦めたように嘆息した。
「正直、乗るとは思わなかった。《教会》の動きの分だけ金を貰うつもりだったからな」
ジャスパーのその言葉に肩を竦める。《教会》に関する事なら玉石混交なれど何でもくれ、と最初に言ったのはフェナス自身だ。だからこそ、こうして眉唾に近い情報も仕入れてくれる。
「情報料は少し上乗せしてやるさ」
「そいつはありがたいが、そこまでして《教会》の鼻を明かしたいのかね?
おまけに金がどうでもいいとか、あんたらしいのからしくないのか」
呆れるばかりの声音はどこか楽しそうでもある。フェナスは懐から金の入った袋を取り出すと、ジャスパーに投げ渡した。はしと袋を受け取る彼を確認すると、ひらと手を振って席を立った。
「あたしはいつもやりたいようにやってるだけだよ」
そのまま、酒場を後にする。
外の雑踏を縫って歩きながら、魔女について考える。
魔女など、御伽噺でしか聞いたことがない。少なくとも実際に見たと言う話など、老人連中もしていなかった。
とどのつまりジャスパーの情報だけでは足りないのだ。
「仕方ないな……奴に聞いてみるか」
古い伝承に狂った男が知り合いにいるのを思い出す。
彼に会えば、何かしらの情報は掴めるかもしれない。
だが。
「奴は苦手なんだよな……」
心底うんざりした口調でフェナスは呟く。その言葉は雑踏に飲まれ、消えていった。
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