第40話 イスラム世界の奴隷

 俺の名前は奥洲天成。

 俺の晩年はあまりにも残酷なものだった。

「和美! 和美ー!」

 誰よりも愛していた和美を病で失い。


「慎ちゃん、慎ちゃんまで俺を置いていくのかー!?」

 俺は最愛の二人を失い、生きる気力を失い、抜け殻のように死んだ。


『ペットロスの気持ちは分かるけどさぁ、犬や猫には、もう少しペットらしい名前をつけた方がいいと思うわよ』

「それがどうした? 俺にとっては、和美と慎ちゃんが全てだったんだ」

『はぁ。で、次の話だけど……』

「二人のいない世界など興味はない。俺はこのまま永遠に二人を想いながら霊魂としてさまよいたい」

『そういうわけにもいかんのよ。まあいいわ。ペットを失って苦労したのなら、今度はペットとして愛される側になりなさい』

 何……?

 ひょっとして、また動物転生なのか?

 最近、ネタが本当にないんじゃないのか?



 ……そして、俺は目覚めた。

 手足を見る。どうやら人間のようだ。

 周りを見渡す。目につくのはモスクだ。

 俺はどうやらイスラム世界に転生したらしい。


「おう。目覚めたかテンセー」

 髭面の強面が入ってきた。

「あんたは……?」

 尋ねた途端、パンチが飛んできた。

「貴方様は? だろうが! これから奴隷に売られる奴が、何すかした顔で言ってやがるんだ! ちょっとだけいい顔しているからって調子に乗るんじゃねえ!」

 なるほど。

 女神が言っていたペットというのは、奴隷となるということか。

 奴隷商人の言葉を信じるなら、まあまあ見栄えのいい奴隷ということか。


 うん?

 ちょっと待て。

 買うのは99%男だよな。

 ということは、BL展開とかになるのか!?

 あの作者にBLが書けるのか!?


 どうやら、それは杞憂に終わったようだ。

 俺を買ったのは、この国の名将アル・ナシアル・ナシアルナシーだった。

 どうやら、名将ゆえにスルタンから警戒されているらしい。

 そこで、見栄えのいい俺を買って「アル・ナシアルはBLに耽っている」とスルタンを安心させようとしたというのだ。

「おまえは見栄えはいいが、俺の下では近衛兵としてしっかりと戦ってもらう!」

 かくして、俺は地獄の猛特訓に課せられた。

 それは辛いものであったが、ペットロスを抱える俺は、抜け殻のような存在である。抜け殻は文句など言わない。日々淡々とこなすうちに、俺は理想的な細マッチョになっていた。

「中々やるな。俺の地獄の特訓を平然とこなすとは……」

 何故か一緒に特訓しているアル・ナシアル様との間にそこはかとなく友情が芽生えていた。


 二年後、アル・ナシアル様は辺境への赴任を命じられた。

 表情が暗い。無理もない。スルタンは暗殺する前に、辺境に飛ばすことが多いからだ。

「いよいよ、俺もこの時が来たか」

「ご主人様、こうなったからにはやられる前にやってしまいましょう」

「やられる前にやるだと?」

「はい。ゴニョゴニョゴニョ」

「むむう。よし、やろう」


 かくして、俺達はやられる前にスルタンをぶっ殺す作戦を立てた。

 と言っても、たいしたものではない。

 アル・ナシアル様の有力な商人などを先に任地へと派遣し、油断したところに俺達奴隷部隊が首都へと殴りこんで、一気に血祭りにあげるというものだ。

 見ろ、この地獄の特訓を切り抜けてみた者たちを。文字通り面構えが違う。

 アル・ナシアル様の破滅は俺達の破滅でもある。

 やるしかない!

 てっぺん取ってやる!


 俺達は勝った。

 スルタンは首都でさらし首になり、変わってアル・ナシアル様の名前が毎日の礼拝で読み上げられるようになった(イスラム世界では毎日の礼拝時に主君の名前を読み上げる)。

「おまえたちのおかげで、スルタンになれた」

 アル・ナシアル様も大喜び、俺達全員出世してウィンウィンだ。


 更に時が経ち、アル・ナシアル様が重病になった。

「うぅぅ、テンセー。おまえたちは私の息子には従わんだろう」

「……」

 アル・ナシアル様の息子アル・アルアルは自前の奴隷を持っている。こいつらが俺達を目の敵にしているから、俺達も良く思ってはいない。

「息子が死ぬのは忍びない。おまえがスルタンになり、息子の奴隷共を殺しても構わんが、息子だけは生かしてやってくれ」

「分かりました」

 かくして、俺がスルタンになった。

 早速、アル・アルアルの奴隷を皆殺しにしたが。

「すんません。うっかりアル・アルアル様も……」

「……仕方ない」


 かくして、俺の権力基盤は安泰となり、豪華な即位式が開催された。

「ハハハハハ、天下泰平。よいことだ」

 式が終わり、俺は機嫌よく宮殿へと戻っていく。

 俺を待つイヌとネコがいた。

 その目を見た途端、俺はハッとなった。

 二人は、プイッと俺に背を向けて、そのまま駆けだしていく。

「待ってくれ和美! 慎ちゃん! これは違うんだ! うわぁ!」

 二人を追いかけた俺は足を滑らせて、階段を落ちてしまった。

 そのまま意識がフェードアウトしていく俺に、二人から「浮気者!」という罵声が浴びせられた。



"女神の一言"

 多少強引なところはありますが、奴隷というのは東洋や西洋では身分でした。

 イスラム世界でももちろん身分ではあるのですが、それとは超えて君主の個人的所有物というようなところがありました。だから、ペットに近いと言っても間違いではなかったと思います。


 人間よりもペットが好きという人は大勢いますし、何よりも他の貴族や上流階級の面々と比べて、自らの奴隷とは意思疎通がしっかりと出来ています(相性がいいケースのみ)。後継者風を吹かせて生意気なことばかり言う息子よりも、言うことに従う奴隷の方が頼れる存在でした。


 また、本文中にもあります通り、奴隷にとっても主人の破滅は自らの破滅でもありますから、ちゃんとした主人の奴隷は必死に働く傾向がありました。


 中世イスラム世界では高い身分につく奴隷が多くいましたが、こうした事情を考えればさほど不思議なことではなかったのかもしれませんね。

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