ダミー・レポート
渡貫とゐち
ダミー・レポート
夫婦の間に隠し事はなしだ。
相手に渡す情報を選別しているからこそ、前後が繋がらない不自然な隙間が生まれ、違和感として現れてしまう。
空いた隙間を埋めるように嘘を挟むから、統合性が取れなくなり、一部が浮いて見えてしまう……、パートナーはそういうところに敏感に気づくものなのだ。
『教えること』と『教えない』ことがあるからトラブルが発生する。
夫婦で揉めるのだ……やがて溝が広がれば、関係性も悪くなり、契約によって結ばれた関係は破綻し、離婚の選択肢が近づいてくる……。
結婚した時は、あんなにも幸せだったのに……。
今は人生で最低なほど、最悪な気分だ。
第二の人生が始まるというわくわく感もないわけではないが……、互いに、できることなら一緒にいたかった、と思っているだろう。
結婚したことを後悔していると思っても、それは問題が発生したからであり、トラブルがなければ今もまだ、夫婦生活を続けていたはずだ……。
だから原因があるわけで、その原因さえなければ――、
事前に取り除いてしまえば、こんな結末にはならないのだ。
原因が分かっていれば対処ができる。
つまり隠し事をしなければいい――……簡単に言えば、だ。
もちろん、全てを明け透けに話せる者も少ないだろう。
夫婦だからこそ話せないこともあるかもしれないが……、そういう隙間が、トラブルの元となるなら、『相手のために話さない』ことも考えなければならない。
上手く伝えられない、誤解されるかもしれない、という危険があるのだろう……、口で上手く伝えられないことは多いのだ。
『君のためを想って言っている』と主張しても、言葉の裏の真意に、少ない情報で気付けというのは無茶ぶりだ。
なかなか、理解はされないだろう……――言葉なら、だ。
言葉は真実を語れるし、虚構も語れる。相手を喜ばせることもできるし、傷つけることもできる……、便利なものは大抵、武器にも変えられるのだ。
コミュニケーションが上手な者ほど、その使い方を少し捻るだけで、詐欺に転用できる。じゃあ口下手が安心安全かと言えばそれも違うだろうが……、喋らない人ほど不気味だろう。
……自身の情報を出さない者は、人としての輪郭が分からない。
分からないということは良い人かどうかも分からないわけだ。
これ見よがしに『良い人である!』と主張している者も怪しいが、かと言って一切の情報を開示しない人も同じく怪しい。
中間の、ちょうどのところが最も安心できるだろう……、ある程度のコミュニケーションを取ってくれて、自身の情報を出してくれる人……――だけどそういう枠を作ってしまえば、悪用する者はそこに当てはめてくる。
言葉は武器であり、その形は到底、外からでは武器には見えないものなのだ。
――言葉は信用できない。
なら、なにが信用できるかと言えば――思考である。
情報。
脳の記憶――、冒頭の話に戻るが、夫婦間で隠し事はなしだ。トラブルを回避するため――つまりは、離婚を回避するために最も信用できる、言葉のいらないコミュニケーション……。
お互いの記憶を、同期する。
一日の終わりに額を合わせ、一日の行動と感情、情報を共有する。
膨大な情報に気持ち悪さを伴うが、これは慣れである。
毎日やっていれば、次第に気持ち悪さもなくなってくるし、脳も膨大な情報を受け入れるカゴを作るだろう。人間は適応する生き物だ。
「便利ね。頭にチップを埋めただけで、お互いの記憶を共有できるなんて……」
「科学の力って、すごいんだよ。詳しいことは分からないけどね、僕たちには理解できない数字と記号の羅列で会話をしているような人たちの、天才的な発想と発明なんだろうね……、一般人からすれば、インターネットがどういう構造で動いているのか分からないみたいに、この技術も『なんだか分からないけどすごいことができている』って感覚になるんだろうね」
額を合わせた妻と夫がついでとばかりに頬をこすりつけ合って、愛情表現をしている。額を合わせることが同期のスイッチになっている、と開発者に言われたものだが、実際は遠隔でできたりするので、この行動は不要だったりするが……、
まあ、コミュニケーションとして、含めてしまっている。
実際、額を合わせて急接近することで、仲がさらに良くなる夫婦もいるようだ。
「ふふ、私たちの間に、隠し事はなしね」
「もちろん。だって隠し事なんてすぐにばれるじゃないか」
それもそうね、と笑う妻と、そんな彼女の唇を奪おうとする旦那……しかし。
開発者は知っている。
記憶をチップに保存し、それを共有しているだけであり――だからこそ、事前にチップに入れる記憶を選別できるのだ。
つまり、
共有する記憶を事前に選ぶことができるし、抜けた穴を埋めるように、前後が不自然にならないように記憶を『ならす』ように改竄もできる……、妻も夫も、渡す記憶には手を入れており、知られたくないことは隠しているのだ。
まだ開発段階なので、風の便りにもなっていない裏技である。
だからこそ、まさか妻が、夫が、同じことをしているとは夢にも思っていない。
互いの記憶に手が入っており、相手を騙しているだなんて……――それでも。
嘘が混じっているとは言え、相手が清廉潔白であるという確信がこれで得られているのであれば、嘘であることを悪と決めつけるのは、どうだ……?
隠し事があるかもしれない、と思い込むことで仲が悪くなるのであれば、じゃあ偽造された記憶でもいいから、『彼に後ろめたいことはない』という確信を得た方が、仲は維持できるのではないか……。
少なくとも、偽造がばれない限りは、トラブルは起こらない。
実際、幸せそうな二人に真実を教えるのは野暮である。
いずれ『ばれる』とは言え……――そう、ばれることだ。
風の便りになれば、どうせ相手を疑う。
共有している記憶が偽造であるかもしれないと疑えば、元通りだ。
嘘か真か。
データのやり取りでこそ、疑念は言葉以上に膨らむだろう。
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