第18話 神牧の章
『かあ様、今日、ねえ様は来る?』
師走は葉月と共に日向の家で暮らし、普段は離れ離れだ。しかし、滴と師走は常にチャンネルがあっているのでお互いに不安はない。思惟で繋がっているからだ。
長月と師走の兄弟と葉月は仲が良い。長月は学校が早く終わると、必ず師走や葉月に会いに来る。
仲良しのタヌキと一緒に湖畔の遊歩道とは反対側の獣道を歩いて、二人の元に立ち寄る事を楽しみにしている。
『行くはずだよ』
『タヌ公と一緒?』
『そのはずよ』
【藤代の家には】
さつきの祖父のひいおじい様とおばあ様、滴に小学校一年生の長女、長月が住んでいる。
長月が生後二か月で藤代家デビューして以来、ひいおじい様とおばあ様の興味はすべて彼女に集中している。藤代家の遺伝子をそのまま受け継ぎ感取放がほとんどない長月は、特別な事もなく普通に通学している。
滴は、毎日、藤代家で悪戦苦闘していた。大人びた師走は、現状を把握していつも滴を気遣う。
『かあ様、疲れた?』
『ありがとうね、師走』
藤代の家で唯一、感取放の使い手の滴は、言葉を発する生活に慣れるのに随分と時間がかかった。
伝えることの難しさ、向き合っている人の要望や嫌う事を言葉で聞き取らねばならない。
思惟を発していないから、感情の動きが読み取れない。言葉だけでのコミュニケーションの難しさに戸惑いながら生活をしている。
しかし、反面、藤代家では感取放がないがゆえに、自分の事以外を考えなくて良いという事に気が付いた。滴は思う。
人を殺し、殺されて、一族を守り、繁栄、滅亡する事を強いられていた時代は、きっと、感取放がない方が心を揺さぶられなくていい。
人々が発している感情や念のこもった思惟をそのまま受け取っていたら、精神錯乱者ばかりになってしまう。
健常人が感取放の刃から解放されるために、出家制度が許されていたのではないかと予測する。
完璧な繕い師は、感取放を自分の意志でシャットダウンも出来る。
環境に振り回されることがなく、さらに姫と出会う事によって、能力が安定した戸和が戦場でも、無事でいられたのはそのせいだ。
日向の持つ力が暴走して地球を壊すかも知れないと心配していたが、子供達は自分の意志で地球を壊す事が出来るのだ。また違った意味で、子供達は自分で力のコントロールをする精神力がいる。上手に子供たちに伝えないと大きな災いを呼ぶ。仙人のような日向が子供達を適切に導いているとしても、滴は心配でしょうがない。
そんな中、集落でただ一人、感放の存在に気が付いている人物がいた。
【沼田の腰巾着だった神牧だ】
沼田がヤマカガシに噛まれて、死んでから集落の温泉施設は大きく変化した。引退同然だったひいおじい様が突然に娘のおばあ様と一緒に事業に戻って来た。それによって、神牧の管理の着服も発覚したが、他人に罪をなすりつけて難を逃れていた。
閉ざされ隠れるように暮らしていた集落が劇的に積極的に全国的な告知をはじめ、開放された温泉施設と宿泊施設へと、事業展開に踏み切った。
今まで脚光を浴びる事の無かった温泉地が注目され客足が急激に増え、地域住民の雇用を確保し潤った利益は配分された。
沼田・
集落全体が生き神であるうぶすな神の存在を忘れ、操っていた人間がすべていなくなってしまったのだ。
神牧は自分と同じ感取放の使い手の存在がある事を知っている。
またこの地域は伝説的な存在である繕い師と不死身の豪族、落ち武者の伝承が途絶えた地域でもある。もし、繕い師が存在するのであれば、利用価値は高い。
今の起こっている現象を考えると、感取放が使える繕い師が存在していると考える方が適切に思われる。ここ数年の状況で自分より強い感取放の使い手は必ずいると確信を得ていた。
しかし、繕い師ではない神牧は感取放の使い手であるがうえに、感放をかけられても自らシャットダウンは出来ないし、自ら解く方法はない。
【神牧は】
車で温泉客の送迎の為に、湖畔の道路を走っていた。時々見える湖畔の遊歩道に目をやりながらため息をついた。
探し始めて、十年になろうとしている。一番怪しい藤代家を見張り続けているが感取放の使い手、繕い師は見つかりそうもない。手がかりさえ見当がつかないのである。
温泉施設の送迎バスの運転をしている神牧は、一時間ほど離れた駅から観光客を送迎バスにのせて温泉施設に向かっていた。
湖畔を通ってもうすぐ、温泉施設に到着しようとしていた時に、湖畔の遊歩道とは、反対側を見てい乗客の一人が「あらタヌキだわ」と声をあげた。
夜行性で臆病なタヌキは、生きた姿を昼間人前に見せる事は少ないが山には沢山いる。珍しくもない。
凍りついた真冬の道路でボロボロになったタヌキを車で轢くことはあっても気にもしない。カラスが跡片付けをしてくれるからだ。
『子供と一緒に歩いているのか?飼われているタヌキかしら?』
その観光客から流れて来る思惟に、何気なくバックミラーに映った子供の思惟を合わせた。しかし、子供の思惟はなく、タヌキの思惟が流れてきた。
『連れて行くよ、待っていて』
神牧はタヌキにこんな思惟がある事にハンドルを握る手が震え、汗ばんだ。
「これは…」
同時に、そのタヌキとのチャンネルが途絶えないように、合わせたまま車を走らせた。神牧は仕事を早退してタヌキの思惟を追いかけた。
神牧は人間以外とチャンネルを合わせた事が無かった。
タヌキから楽しい、嬉しいなどの思惟は飛んでくるが、子供の思惟は全く感知できない。
迷いながらもタヌキの居場所を追いかけて、温泉施設の近くの別荘地の奥に入り込んだ。道もほとんど認識できないところを進んでいくと、子供の声が聞こえて来る。
木々に隠れて様子をうかがっていると、木々の間を三人の子供とタヌキが追いかけっこをしている。
一人が手から何かを飛ばし、それに当たらないように、二人の子供とタヌキが歓声をあげて遊んでいる。
飛ばしているものは、他の子供達に当たらないようにわざと外しているように見える。
神牧の知る幼い子供がする行動ではない。
そのうちに、女の子が転んだ拍子に飛ばしているものが腕に当たると、女の子が大声で泣き出した。
【木々の合間から】
男が走って来た。気が付かなかった。
どこにいたのだろうか?気配さえ感じなかった。
男は女の子の傷を見ていたがすぐに、手袋を外して女の子の手を掴んだとたんに、みるみる傷がなくなっていく。
そして、男は子供達を連れて、去って行った。
タヌキは彼らから離れた。
遠目であったが、確かに傷はなくなった。しばらく茫然としていた神牧だったが悟った。
「彼らは繕い師だ。いた、実在した。あれは繕い師だ」
神牧は考え込んだ。
『こんなところにいたのか、タヌキが彼らとコンタクトを取っているのなら、タヌキの風上に立つのは考え物だ。相手に警戒させないためにも、ここはタヌキに見つからないように退却がいい。この周辺にはタヌキがきっと沢山いて、警護の役割をしているのだろう。こんなに近くにいても、気配さえみせず千年以上も隠れ住んで来た一族である、簡単に接触できるわけがない。男は誰だろう?男の顔や子供達を思い出せない。唯一覚えているのは、女の子だ。あの女の子は、たしか、さつきの娘だ。あの娘が繕い師なら藤代一族は繕い師の一族なのだろうか?今まで、そんな素振りは見せなかった。見間違いなのか?』
疑問は膨らむ一方だった。
【神牧は、集落の人間ではない】
十年ほど前に引っ越してきたが、他者を寄せつけない集落の人間に交わるには、感放を使って集落生まれと誤認させている。
神牧の一族は人の思惟を利用して代々、巫女や祈祷師、占い師などの職業につく。武士が世の中を支配していた時代も、敵の動向を察知し伝える役目を担っていた。
政治的にも必要となる存在だった。時よりその能力をはるかに上回る能力者が生まれる。
そのことに恐れを抱き、はるかに上回る能力を発揮し始めると、感放をかけて親や感取放の使い手たちの記憶を封じ込めて、山に捨てる風習があった。
捨てられた子供達が一族の保護を失くして生きられるとは思わないが、生き残れば自分たちよりも、強いはずである。
神牧は全身に鳥肌が立つほど身震いがした。
神牧の手札は、繕い師が自分達と同族であることを思い出させるキーワードだけだ。
最終的にはそれを使って、うまく立ちまわり、うまく取り込むことを考えなければならない。それが無理なら今まで通り、神戻しをするまでだ。
最悪の場合、感取放の戦いになる。
対峙した場合、殺される訳じゃないが、悪くすると廃人になる可能性もある。
さらに以前に起きたように大地震を誘発してしまう事もある。
繕い師がどれくらい強いのか、予測が出来ない。もし、本当に繕い師なら自分よりはるかに上の能力があるはずだ。
人が怪我をするほどの武器を持ち、それを治す事も出来る人間が実際に存在してはならないのだ。逃がすわけにはいかない。
十年もかけて、神牧がやっとつかんだ情報だ。よく考えると今まで尻尾を捕まえられなかった事に腹立たしさを感じる。屈辱的だ。
【夜になって】
「ふざけるな!化けの皮を剥いでやる」
神牧は殺気立って藤代家の前に立っていた。
さつきが玄関口に出てきた。
「神牧さん、どうしたの?今日は早退したのでしょ?」
「村長さんに話が合って…」神牧は緊張した。
おばあ様も出て来たが、夜の温泉施設の受付のサポートに出かけるからと入れ違いに出て行った。
「いってらっしゃーい」
長月が鞠のような勢いで走り寄って来て、さつきの腕に抱きつき、おばあ様の後ろ姿に声をかけた。
さつきは、そんな長月を当たり前のように嫌がる風もなく抱えた。
何か特別な様子もない、元気な女の子だ。
さつきはなんの動揺も見せずに「まあ、上がって」神牧を誘い、玄関口横の居間に通された。
「お客様だからお茶を入れて~」
そう言いながら奥に入って来たさつきは滴を見た。
滴はうなずくとキッチンに立ち、お茶を入れる支度をし始めた。そんな滴を嬉しそうに追いかけ、抱き寄せて頬すりしながら、さつきは
「おーい、ひいおじい様お客さんだよ」と声をかけた。
「さつき、聞こえる訳ないでしょ、行ってきて」
「おい、長月、ひいおじい様を呼んできて!あれ?いない。長月はどうした?仕方ないな~」
さつきは滴から離れて奥の部屋に向かった。
さつきは、徹底的に甘えん坊だ。まだまだ、母親が必要な時期にいなくなった母親代わりのように、滴に甘えてばかりだ。滴は日向のように繕いが出来ない為に、さつきの言動で彼を理解するしかない。
相手に伝える思惟が使えないために、さつきの言動はストレートだ。その言動を見て、気持ちが通じる気がするのが新鮮で楽しい。常に子供はいつも三人だと思っている。
それも一番、手のかかる子はさつきだ。それでも今では一番心の支えになっている。さつきの後ろ姿に思わず微笑んだ。
【一方】
神牧は感取されないように、慎重に感放をかけながらひいおじい様を待った。
十年近く前に沼田と一緒に直談判した記憶がさまざまとよみがえる。やはりこの部屋に通された。
沼田が死んでから、ひいおじい様が村長に返り咲き精力的に動いているので、訪れる用事も無くなった。
壁には、当時と同じ
『子々孫々うぶすな神を絶やさず、仙才鬼才に託し縁を背負ふ』
と、掛け軸がある。あの時は深く考えなかったが、掛け軸にある、仙才鬼才とは繕い師の事ではないだろうか?神牧は携帯で掛け軸の写真を撮った。
「なにをしているの?」
引き掴まれるように突然の声の方を顔を向けると長月がじっと神牧を見つめている。
【気配がしなかった】
神牧は緊張した。
「おじさん、どこの人?」
「なんの写真を撮ったの?」
「お茶を飲む?」
「今日はどこに行ってきたの?」
文月たちと同じに感取放がほとんどない長月は、場を読めずに質問攻めにする。立て続けに質問が飛んできた。神牧は心臓が飛び出しそうになった。
『今日の事を知っているのか?』
思わず神牧の思惟が流れた。その思惟に気が付いたのは、滴だった。滴は明らかに善意のない思惟に硬直し、滴は日向に緊急に繋げた。
【日向も顔を硬直させ】
飛び出すようにウッドデッキに出て全神経を神牧に向けた。
文月は日向の行動に不安を覚えた。出会ってから初めて感じる不安だ。
「もし、このまま、あなたの花婿に日向を選ぶなら、あなたの役割はとても大きい。
私たちは、一見能力があっていいようだけど、決して環境に適合しやすいわけじゃない。感取放の使い手や繕い師が危機に瀕した時は、あなた達の助けがなくては死滅してしまう」
琴絵ママンの最後の言葉を思い出していた。
子供達も落ち着きがなくなった。
文月は『私が慎重に対応しないといけない』と冷静に子供達と地下室に入って日向を待った。
【神牧は長月に注目していた】
『繕い師ならなぜ言葉で質問するのだろうか?風上にいてタヌキも気がつかなかったのに、なぜ私に気がついたのか?』
【青ざめた滴は】
ひいおじい様を連れて戻って来たさつきを呼びとめた。
「どうした?」
「お客さんのところに、長月がいるの、こっちによこしてくれる?」
「いいけど、顔色が悪いぞ」
「あの人、繕い師を探している」
「えっ?」
さつきとひいおじい様は顔を見合わせた。
「さつき、来ているのは、神牧一人だろ?」
「ああ、沼田の腰巾着だった奴だ」
「とにかく、先に行って、長月をこっちに戻す、さつきも同席しろ」
「わかった、滴は来ない方がいいから、オレがお茶を持って行く」
ひいおじい様はうなずいて、応接室に向かった。ひいおじい様と入れ違いに、返って来た長月を抱きしめたまま滴は震えている。
完全にうろたえている滴に変わって、さつきはお茶を入れ、優しく二人の頭を撫でると、お茶をもって応接室に行った。
応接室ではひいおじい様と神牧が仕事の話をしていたが、さつきが入って来るとひいおじい様は仕事の話を切り上げた。
「ところで、神牧。今日の用事はなんだね」
神牧は、さっきからひいおじい様とさつきを感取しているが、まったくつかめない。
慌てていた。
『シャットアウト出来るのか?』
神牧は
『ポチィタスにささげるテュシアーの子』
記憶を呼び起こすキーワードを解放したが、ひいおじい様もさつきも無反応だ。そんなはずはないと、神牧はあせりうろたえた。
「どうした?」
その様子を見ていたひいおじい様が尋ねると
「いや、今日はこれで帰ります」
神牧は慌てて藤代家を出た。帰っていく神牧を見送った、ひいおじい様とさつきは顔を見合わせ
「なんだ、急に帰ったな」
「よくわからない」
ふたりが話しながらキッチンに行くと、滴はキッチンのはじで座り込み目をむいて、口に手をあて、震えている。
その横で長月は知らん顔で遊んでいる。こんな滴を見るのは初めてだった。
慌てて、さつきが滴に駆け寄り抱きしめた。滴は激しく動揺したまま、さつきの胸を掴んで離さない。
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