了.八咫烏は烏を導くか
「ごめんなさい、矢崎さん、奥山さん。私もう、限界です」
いつものウィンド株式会社の入っているビルオフィスの、いつもの会議室。V WINDの2次オーディションの時から数えて、何度この部屋に出入りしただろうか。
2人を前にして、私は素直に伝えた。
「そうか」
矢崎はあっさりとそう言う。奥山は静かに聞いていた。
「君が来てからは本当に、色々大変だったよ。むしろ1期生の3人が大人しすぎたのかな?」
矢崎が笑いながら続ける。
「まぁ良い。君が辞めるというのなら止める理由も無い。今までありがとう、お疲れ様だった」
「今までお世話になりました」
「最後に卒業ライブでも企画するかい?」
「いえ、普通にいつも通りの配信をして終わりたいです」
「そうか、分かった。やりたい日が決まったら奥山さんへ通しておいてくれ」
「分かりました」
「君には30日程の有給休暇を取る権利が残っている。そして必要なら病院……精神科とか心療内科に通える保証もある。活用しろ」
「ありがとうございます、本当に」
そう言い、優は部屋を後にした。
それから私は1ヶ月ほど再び配信を休む事にした。“夏休み”と銘打って。世間の会社員達の言う有休消化とはこういう物か、と私は感動していた。世間は東京オリンピックで盛り上がっているのかいないのか分からない。私はそんな東京を離れ、実家の福岡へ行く事にした。凛と一緒に。
「ただいま」
玄関を上がり、居間でテレビを見ていた父と母にそっけなく言う。
「おう……」「あら、おかえり」と2人とも驚いている様子だった。
「あ、あの、お邪魔しますッ!」
ガチガチに緊張している凛が、私の後ろから横に並び立ち挨拶する。
「優ちゃんがお友達連れてくるなんて何年ぶりかしらね。お名前は?」
母は嬉しそうに言う。父はどこか居心地悪そうにソワソワしていた。
「あ、はいッ。相川凛と言います!」
「まぁまぁ凛ちゃん。暑いのによう来たねぇ。お茶出すけ待っとき」
「ありがとうございます!」
「あらま元気良いわねぇ〜」
そう笑いながら母は台所へ消えていった。私はボストンバッグとキャリーバッグを居間の端っこに投げ捨て、その横に凛も自分の荷物を置いた。
「……どうなんだ、東京の方は」
テレビに目線を向けたまま、父がぶっきらぼうに聞いてくる。
「凛と一緒に働いてる。そして今月辞める」
「……そうか」
そこで会話は終わる。私は両親と普段から口数が少ない。いざこうやって居間のテーブルに座らされるとどうして良いか分からない。それに約6年ぶりの帰宅とあって、私はほぼ客の様なものだ。
凛は凛で、相変わらず緊張したまま言葉も発せず周りをキョロキョロしている。ほんとこういうトコ可愛いな。
「はいはい、お待ちどうさん」
母が氷の入ったグラスの麦茶と、雑に茶菓子をトレーに載せて戻って来た。「ありがと」とグラスを貰い、一口飲む。暑い体の中に冷たい液体が気持ちよく染み込んでいく。凛は一気に飲み干していた。
「急にどうしたん戻って来て」
「いいじゃん、私の家なんだし」
「そりゃあ良いし嬉しいけど、何かあったの?」
「今月で今働いてる所辞めて、新しい事をまた始めるの。凛も一緒に」
「あ、ハイそうなんです」
「へぇ〜。優も東京でようがんばっとぉねぇ。大きぃなった……」
母が急にしみじみと言う。
「その事を、まぁ別に言いたくて来たんじゃないんだけど……」
「?」
「私、凛と付き合ってるの」
母が一瞬凍りつく。当然の反応だと思った。
「あ、あのッ! 私は優、さんの事を本気でこう……愛していて、大好きなんです!」
凛が立ち上がり大声で言う。そのストレートすぎる言い方に湯気が吹き出そうなほど顔が、全身が熱くなる。
「あらあら〜」
母も反応に困っている。
「わ、私も本気で凛の事が好きで、真剣に付き合ってるの」
「わッ、だからその……! 優さんを私に下さい!!」
「はぁ!? それじゃ私達今から結婚するみたいじゃん!?」
「え、しないの?」
「イヤ、将来的にはするかも……イヤそういうんじゃなくて今日は挨拶って……」
「あっはっはっははは!!」
「「え?」」
母は涙を拭きながら大笑いし始めた。
「お母さん、反対しないの?」
「どうして? 凛ちゃん、気に入ったわぁ! いい子じゃないの〜」
「あ、ありがとうございます!」
「ホラお父さん! この子、優の彼女さんなんだってよ、こっち来なさいよ!」
面倒臭そうな顔で父がソファを立ち上がりこっちに来る。凛を一瞥し、それから優を見る。
「お前変わったな」
そう一言言い、部屋を出ようとする。
「まぁ……これからも頑張れや」
そう言い残し、自分の書斎へ消えてしまった。
「ほんと不器用な人ねぇお父さんは」
母は笑いながら凛のグラスに麦茶を注ぐ。
実家には1週間程滞在し、久しぶりにお母さんの料理を食べ、初めてお父さんとお酒を一緒に飲み、心身共に大いにリラックス出来た。
大学での事、今までVTuberとして東京でやって来た事、凛との出会い、巻き込まれた事件……家を離れてから体験してきた事を全て吐き出した。両親はその話を優しく聞き、受け容れてくれた。
そして、今までやって来た事に、一度終止符を打つ事も。
8月15日、再び東京に戻る日。玄関で2人が送り出してくれた。母はぐしゃぐしゃに泣きながら、それに釣られてか、父も少し泣いていた様に思う。
「じゃあ、また行って来ます」
「元気でね」
「たまには母さんに連絡してやれよ」
「分かった」
「優の事、お願いね」
「ハイッ!」
帰りの飛行機の中で、最後の配信を8月31日にすると決めた。
七海ハルは、その日で居なくなる。私が1年半で築き上げて来た架空の人格が消える。それだけの筈なのに、私は寂しくて、悲しくて堪らなかった。ここに来て初めて七海ハルは私の一部だったのだと気付いたのだった。
そうしてあっという間に31日を迎えてしまった。特別な事はやりたくなく、私は普段の雑談配信と変わらない配信にしようと努めた。
「もーそんな寂しい寂しい言わないでよー。ただのオタク女が1人配信しなくなるだけでしょ〜?」
私はまるで通夜の様なコメント達へ笑いながら答える。
「別に私が死ぬ訳じゃないんだし、多分君らと一緒に他のVTuberの配信をどこかで見てるよ」
その時だった、急にDiscordに着信が来た。3期生、舞波メロンからだった。
「メロンちゃーん! どうしたの急に」
『せーの…』『『『先輩! ご卒業おめでとうございまーす!』』』
「え? え?!」
『実は今、3期生3人でメロンの家から先輩の配信見てました』
『ぜんばい……本当に卒業しぢゃうんですか……』
『もーリンゴがずっと泣きっぱなしですよ』
『どうにかしてやって下さいよ〜』
「マジか〜。いやリンゴちゃん。私は一般リスナーに戻るだけだからさ、ずっと君の配信も見てるよ。だから泣かないでおくれ〜」
『せんぱああいいああぁぁあ……えっぐ……あぁぁ〜〜……』
『り、リンゴはウチらでなんとか宥めときますんで』
『ほんとハル先輩、お世話になりました!』
『お疲れ様でした! ほらリンゴも言っときな』
『先輩、ずっとだいすきですぅぅ〜〜あああ〜〜〜』
「ああ、可愛い後輩達よ、ありがとうね……」
いきなりの通話に面食らってしまい、私もつい涙を溢してしまう。
「あー私も後輩持てたんだなぁ、そう思うと結構長くやって来た感あるね?」
『もっと3期生とのコラボ見たかった』『リンゴちゃんほんとハルさんの事好きやったんね……』
とコメントを読み想いにふけてしまう。
「イカンイカン! 今日はこういうシットリした空気で終わりたくないの!」
と、そこへ再びDiscordの着信音が響く。
「うわ、ちょっと待って!? ミズリン先輩からも通話来たやん」
そう溢しながら通話に出る。
「センパーイ……?」
『ハルちゃん〜……卒業……おめでとうとは言いたくない!』
「何ですか先輩! 素直に可愛い可愛い後輩を見送って下さいよー!」
『だって、だってぇ〜〜……!』
ミズホが泣き出し、私も釣られて泣いてしまう。
「先輩……。本当、先輩が先輩で良かったです……。ミズリンは私の永遠の憧れです……」
『リスナーの前じゃ言った事ないけど、本当最初はハルちゃんの事どう扱って良いか分からなくて……』
「いや、オタクを拒絶する反応は最初から出ていたので、多分みんな分かってましたよ」
『え〜〜! そんなバカナー!』
「ミズリン先輩はほんとかわいいなぁ〜〜」
『聴け! 名誉ミズホリスナー、七海ハルよ! 君は私達の常識をぶち壊し、見事に我が道を築いた! 君はV WINDの宝だ! それを誇れ! そしてまた会おう! じゃあな!!』
そう一方的に言い切られ、通話を切られてしまった。
「先輩……ほんとうに……ありがとうございました……」
私は耐え切れずそのまま号泣してしまった。
「はい……じゃあいい時間なので、この辺りで終わっとこうか!」
一頻り泣き終わり、言葉を絞り出す。
「1年半という期間でしたが、私に夢を見させてくれて本当にありがとうございました! みんな大好きだぞ!! おつハル〜〜!」
V WINDは、2期生全員が同時に“卒業”という異例の事態となった。私と凛は同時に辞めたが、古谷あかりについては運営も連絡が取れなくなり、同じタイミングでの実質クビである。
その後結局矢崎は社長職を追われ、V WINDの方針も180度変わってしまった。当初のアイドルっぽい方針でのイベント活動や、それに企業案件の配信ばかりが目立ち、ファン離れも加速していった。結局、見切りをつけた六聞ミズホの卒業を皮切りに1期生3人とも11月には居なくなってしまった。3期生もVTuberよりも本業の方が忙しく配信をあまりしなくなり、ウィンド(株)はバーチャルYouTuber、及びタレント事業から撤退した。
そこで私は、兼ねてより計画していたVTuber専門のタレント事務所を矢崎竜と共に設立した。タレントがより自由にネット上で活躍出来る場を作る。ただそれを今は追い求めてみたいと思った。
先駆けとして、六聞ミズホの中の人・木古内葉子を専属タレント第1号として雇い入れた。
また奥山優子、ミーちゃんこと宮村美里(ミヤムラ ミサト)もマネージャーとして迎え入れた。まだ小さなスタジオしか持っていないが、その音響主任に同じくウィンドの音響スタッフだった清水さんも迎え入れ、新生V WINDとも言える布陣となった。
元VTuberの中の人が代表で、一時代を築き、そして消えてしまったVTuberの事務所の人間達が再び立ち上げた事務所という事で、瞬く間に私達の名前は知れ渡った。
今回募集した一次オーディションの応募総数は4,500通にも及び、選定にかなり時間を要した。
喋りが上手い者、歌が上手い者、マニアックな趣味を極めている者、ちょっと前まで普通に働いていた者まで。この世界にはまだまだ面白い人間が眠っている。既に数千、数万人が存在しているバーチャルYouTuberという存在。確かにその中で成功を掴むのは難しいかもしれない、だが、その夢を掴む為の手助けは出来る筈だ。嘗て私がそうやってトップを目指したように。
× × ×
那賀見優は公園のブランコに腰掛けていた。青い支柱に二つぶら下がったブランコ。の、右側。
正面から観ているアンタからすれば左側。平日の昼間に成人女ひとり。GUで買った黒いシェフパンツに、GUで買った黒いパーカー。下品に股を広げ鎮座し、ハイネケンの缶を左手に握り、無駄に青い12月の空をぼけーっと眺めている。白い吐息が、空色に溶け混じる。
私は、何をしていたんだっけ。
「優!」
凛の声が聞こえる。
「何公園で黄昏てんだ」
「今ね、私の目の前に七海ハルが立ってたんだ」
「なんじゃそりゃ」
「ま、多分彼女なりに応援してくれてんだよ」
「……優、お前何かクスリでもヤったか?」
「オメー、“社長”に向かってそんな事言うなんて中々いい度胸してんじゃねぇか。気に入った。雇ってやってもいいぞ」
「いやいや、もう働かせて貰ってますから。んな事よりもうすぐオーディション始まるんだからちゃんと席に座って待って、ろ!」
そう言いながら私のハイネケンを奪い取る。
「あー私のハイオク〜〜!」
「うるせぇ酒飲み! 働け!!」
「カァー、横には奥山さんみたいな優しい人を置くんだった!」
凛は私の飲みかけのビールを飲みながら走り去っていく。そんな彼女を笑いながら追い、私は自分の事務所へ戻った。
終
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