第56話 鉄鎚
メグレズの里はまだ無事だった。
岩山をくり抜いたかのような砦は、以前見たときと変わらぬ姿である。
一行は小高い丘に陣取ると、グルイーザが索敵を、ロカが精霊魔法で里の様子を窺う。
「里の中は問題ないようじゃ」
「こっちも問題ない……と言うべきかな。ワームが地中に三体。モリアから聞いた通りに里を包囲している」
グルイーザは里の周囲を一望しながら、更に言葉を続ける。
「なんだって里を襲うんだろうなあ……。メグレズ、アリオト、メラク、ライシュタット。全て襲われている。まあ多分、それぞれ襲われた理由は違う。モリアはどう思うよ」
その言葉を全て理解できたのは、事情を知るモリアとレミーくらいだろう。
ライシュタットが襲われたのはセルピナの意思なのか、それも迷宮守護者とはそういうものなのか、判別し難いところがある。
セルピナの意思だけならあんな大事にはなっていない。
だから迷宮守護者の性質に理由があるのだ。
そこに、セルピナの思惑が
メグレズとアリオトを襲っているのは魔物だ。
もしかしたら、背後に迷宮守護者がいるのかもしれない。
メラクは例外。
通りすがりの冒険者に喧嘩を売ったら、想像を絶する反撃を受けた。
それだけのことであろう。
「そりゃあこんな環境だからね。魔物が里を襲うくらいはあると思う。でも降魔石の結界で守られた場所を狙うのは変だっていうし、やっぱり迷宮活動期だからなのかな」
「仮にセトラーズが迷宮にとって必要な存在だったとする。活動期だから新たなセトラーズを取り入れる。これは分かる。でも、迷宮守護者に襲わせるのは分からねーな」
言いたいことは理解したが、所詮は仮説の上の想像だ。
腹が減ったから、喰っているだけかもしれないではないか。
「まあいいや、始めようぜ。なーに、役者は揃ってんだ。すぐに終わるさ」
道すがら聞いたグルイーザの作戦はこうだ。
魔法で先制攻撃をする。
モリア、レミー、ザジが三体のワームそれぞれに止めを刺す。
誰かがしくじっても、他の二名が補助をおこなう。
特に問題は見当たらない。
ただ、如何なる魔法を使うのか、問われてもグルイーザは答えなかった。
魔術師というものは詮索を好まない。
「吾輩は何か、することはないのかの」
「ロカは道中ずっと魔物避けしてただろ。いいから休んでな」
グルイーザはその辺で拾った樹の枝を手に持つと、地面にガリガリと図形を描き始めた。
続いて図形の中央に、やはりその辺で拾った石を積む。他にも草木や石を適当に配置する。
それらがなんであるか、完成が近付くに連れはっきりしていった。
レミーがぼそりと言う。
「メグレズの里と周囲の地形か」
「あ、なるほど。魔法に必要なんですかね」
ある程度のところで作業を切り上げると、今度はローブの袖から何かを取り出した。
白い、ぬめぬめとした物体である。
身を乗り出すようにして観察していたミーリットが、それを見てスッと身体を引く。
「それ、ワームの肉?」
モリアの発言を聞いたミーリットがやや後ずさった。
グルイーザとレミーがワームの死骸を調べていたのはこのためか。
レミーは肉を切るために連れて行かれたのだろう。
グルイーザは周囲の疑問を無視してその肉を図形中心の近く、すなわちメグレズの里に当たる部分の近くにボトリと落とした。
更に袖から追加の肉を取り出し、里を囲むように落とす。
肉はべちゃりと湿った音を立て、地面にシミを作った。
じっと見ていたザジが口をひらく。
「里の周りにワームの肉片が三つ。つまりこれは、三体のワームに見立てているんだな」
「こんな魔術もあるんじゃな」
ロカたちは興味深げにその様子を眺め、ひとりミーリットだけが引きつった顔をしている。
「あの……これ邪法か何かの類なのでは」
「…………」
グルイーザはその言葉も無視して、樹の枝で地面に呪文らしきものを彫っていく。
やがてその作業も終えたのか、枝を放り投げた。
「こんなもんか……。ミーリット」
「はいっ!」
急に名前を呼ばれ、ミーリットはびくりと肩を震わせた。
「この肉片は地中で待ち構えているワームの位置を表している。つまり手前側の肉片に相当するワームは、あたしらに一番近い位置に居るわけだな」
「ええ……まあそうだろうとは思いました」
「ちょっとそのハンマーで、この手前の肉片を潰してくんね?」
顔を見ずとも、ミーリットの表情が凍り付いたであろうことは皆に分かった。
「ええ~? 嫌ですよ、そんなの叩くだけなら私じゃなくてもいいじゃないですか」
「これは、この術に対して直感的に嫌悪感を抱ける人種じゃないと効果が無いのろ――」
何か言いかけて咳払いするグルイーザ。
「……魔法なんだよ。該当者はお前しかいない」
「今
「言ってない」
少し可哀想になったが、グルイーザの言う通りであればミーリットに代わることは出来ないのだ。
ふたりの言い合いを眺めるしかない。
「このふたり……ほんと仲いいよね」
「だな」
モリアとレミーの発言に、ザジとロカは「そうか?」と言いたげな顔を向けた。
ミーリットも頭では、自分がやるしかないと分かっているのだろう。
あきらめたように戦鎚を構えた。
そして三つある肉片のひとつ、手前のそれに向けて戦鎚を振り降ろす。
地面を叩き付ける音に紛れ、べちゃり――という湿った音が微かに聴こえた気がする。
どういう理屈なのか、積み上げた石片などが衝撃で崩れたりはしなかった。
代わりに足の裏、その更に下から振動が伝わってくる。
振動は次第に大きな揺れとなり、轟音が響いてきた。
ここからワームの位置まではだいぶ距離があるので、ワームが地中から出現するときに撒き散らされる岩塊などには、そこまで注意は必要ない。
そして、ワームがその姿を現した。
長い胴体を、天に向けて飛び上がるように突き出している。
だが、その全身は――
巨大な何かに踏み潰されたかのように鱗がめくれ、肉が大きく崩れている。
体の芯も、ところどころで圧し折れているのではないかという不自然さだ。
それらが空中に晒され、体液を四方八方へと吹き出した。
頭部からは咆哮が、いや、悲鳴にも似た鳴き声が喚き散らされる。
そして全身のほとんどを地上へと出したワームは、そのまま倒れ込んだ。
苦しそうに大きく跳ね、自重に耐え兼ねた胴体が皮だけを残して千切れるように地面へと落ちた。
皆が言葉を失うなか、やがてグルイーザが口をひらく。
「あれ……? おかしいな?」
何がおかしいのか。いや、何もかもがおかしい。
様々な魔術の使い手を擁するラゼルフ小隊にも、こんな奇妙な魔法の使い手はいなかった。
失われた古代魔法か、あるいは全く独自の魔術流派としか思えない。
「こんな威力は出ないはずなんだけどな?」
「あれに止めを刺せるなら問題なかろう。行ってくる」
「弱点の位置分かんのか?」
「前にモリアが仕留めたのを見ている。問題ない」
そういえば、と思ってレミーに声を掛ける。
「咆哮に魔力効果があるから、正面には立たないほうがいいよ」
「心得た」
丘から下りたレミーはロングソードを抜くと、地上でのたうつワームに向けて悠然と歩いていった。
「この術式はその名を『聖女の鉄鎚』という。相手の特性とかを事前に全部把握していたりとか、色々条件が厳しい魔法だ。今回使えたのはたまたまだな。最後に鉄鎚を下す役割を担うのは敬虔な乙女。信仰心が深いほど良く、馬鹿力であればあるほど良い」
「術を作った人の顔が見たいよ」
「作ったのは確か十代目だな。顔はあたしと同じなんじゃねーか? 先祖代々よく似てるらしいし」
――同じ顔か。まるでメラクだな。
グルイーザが実は長命種だとか言われても今更別に驚かないが、その言葉に見え隠れする情報の断片からすると、やはり見た目通りの少女ではあるらしい。
性格も子供っぽい。
ただ、年齢の割に不自然なほど知識は豊富だ。
何より、魔術の研鑽には長い時間がかかるはずなのだが。
「あたしらの一族は神殿から目の敵にされてたらしいから、近年ではこの術を正しく再現できたヤツがいなかった」
ミーリットが、「初めて聞いた」みたいな顔をしている。
知らないままのほうが良かったのではないだろうか。
神殿の価値観からいうと、グルイーザの一族は邪悪な存在という可能性が濃厚になってきた。
やはりこの術も邪法の類ではないのか。
「そんな怪しい術に私を……」
「そうでもないさ。最後の条件はこの術が悪用されないように、正しい人間でないと効果が発揮できないようになってるんだろ」
「そ、そういうことでしたか」
ものは言いようだ。
ミーリットは簡単に騙され、態度が軟化した。
そのとき、地面に設置された術に異変を感じる。
そちらを見ると、他の肉片が動き始めた。
ザジもそれに気付きグルイーザに問う。
「肉片が動いた。地中の敵も動いているということでいいの?」
ひぃっ、という短い悲鳴が聞こえた。もちろんミーリットである。
「おっと。それじゃミーリット、残りも頼まあ」
神殿騎士の少女は、嫌々ながらも地面に描かれた図形の側面へと移動した。
それを見送るグルイーザは誰にともなく小声でつぶやく。
「多分この威力は、ミーリットが原因だな。……そんなにこの術が嫌か」
聞かなかったことにした。
そして、二体目のワームが地上に現れる。
心なしか、一体目より重傷に見えた。
「じゃあ、あれは私が片付けてくる」
ザジは弓を手に持つと、射線の通りやすい位置へと移動を始めた。
続けてグルイーザは、懐から呪石をひとつ取り出す。
差し出されたその石を見ると、どうやら『煉獄の呪石』のようだ。
「最後の一体は任せる」
煉獄の呪石を受け取った。
射程内に捉えさえすれば、あらゆる敵を撃滅せしめる必殺の石である。
ミーリットは図形の反対側に移動していた。
三度目の鉄鎚を振り降ろす。
しばらく待つが、辺りは静まり返ったまま何も起こらない。
「あーん?」
「え? もしかして失敗でしたか?」
――いや、これは……。
三体目のワームは地中から出ることなく、鉄鎚の一撃だけで即死していた。
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