4-10 Last Entertainment

 「土曜日、会いたい」

澪が流雫にメッセージを飛ばしたのは、火曜日の夜のことだった。

 金曜の朝まで軟禁されることになるビジネスホテルは博多駅の近くだった。天神へバスで戻る父親に送り届けられた澪は、狭いシングルルームに入ると同時にスマートフォンを手にし、無意識に送っていた。

「河月でもいいなら」

と流雫は答えた。

 11月最初の週末は3連休で、居候するペンションも全日満室だった。最終日の月曜なら落ち着くが、それ以外は流石に河月にいたい。

 しかし、散々だった修学旅行から帰ってきた次の日に、早速河月に行くと云うのは、それだけあの件で話したいことが有るからだろう、とは容易に想像が付いた。

「いいよ。偶には、河月にも行きたかったからね」

と澪は返す。

 澪が最後に、この山梨県東部を訪れたのは七夕の日。それからもう4ヶ月近く経っている。

 あれから変わったことと言えば、南東部のショッピングモールの隣に建設中だったアウトレット施設が、ついにオープンすることぐらいだ。とは云え、アウトレットとしては関東最大級を謳うだけに、新たなデートの目玉になることは間違いない。

 正午、河月駅。流雫のカレンダーアプリに、新たな予定が入った。


 秋晴れに恵まれた11月最初の土曜日、流雫は午前中のペンションの用事を全て済ませ、バスで河月駅へ向かった。何時もの服装でロータリーでバスを降りると、アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳には、長蛇の列が映る。目で追った先は、アウトレット行き直行バス乗り場だった。

 オープン2日目のアウトレットへ向かうバスは臨時便も出ているが、それでも乗り切らないほどの人が自分の番を待っていた。更には、SNSで知ったが朝から駐車場は臨時駐車場を含めて満車らしい。1人で行くなら、当面は自転車が正解だろうと流雫は思った。

 ふと改札に目を向けると、ダークブラウンのセミロングヘアの少女が見える。黒スカートの上は、ベージュのケープ型のコートを羽織っていた。普段はネイビーのデニムジャケットだけに、珍しく見える。

 「流雫!」

と恋人の名を呼びながら改札を出た澪は、小走りになると流雫に抱きついた。

「ただいま……!」

安堵に満ちたその声に、流雫は返した。

「お帰り……無事でよかった」

その一言を生で聞きたかった澪は

「うん!」

と微笑む。

 ……できるならテロのことには触れないまま過ごしたいが、そう云うワケにもいかない。ならば、せめてそれ以外の時間は忘れて過ごしたい。

 2人は、河月駅ビルを回った後で改札近くのホットドッグ屋に入った。そこしか席が空いていなかったからだが、澪が送ってきた博多駅の屋上と福岡海浜タワーの写真や、父と堪能した福岡の郷土料理の話で盛り上がった。

 澪は事件に遭い、暴動と戦うためだけに修学旅行に行ったのではないか……と思っていた流雫は、しかしイレギュラーだらけでも、少しでも楽しめていたのは何よりだと思っていた。

 ホットドッグ屋を後にすると、流雫は澪を今日の宿に連れて行くことにした。と云っても流雫が住むペンションで、正確には彼の部屋だが。親戚の鐘釣夫妻は、流雫と同部屋である限り自由に来て構わないと流雫には告げていた。

 特別扱いされていることに、澪は寧ろ緊張している。ただ、流雫が唯一心を開いた相手で、客とは思っていない。だから宿泊代も受け取らないが、そのために流雫と同部屋と云う条件だった。

 「湖畔でのんびりするのもいいけど、それは夜がいいな」

河月湖行きのバスを待ちながら、澪は言った。

 7月に2人で見た、あの星空が忘れられない。昼間に起きた悲しい事件に苛まれる流雫の苦しみを癒やすだけの星空を。

「じゃあ、それまでは部屋でゆっくりだね」

と流雫は言った。

 それに、互いに話したい……いや話さなければならないことが有る。TG……トーキョーゲートは、カフェなどでするような話ではない。

 2人は漸くやって来たバスに乗り、湖畔のペンションを目指した。


 4ヶ月ぶりのペンション、ユノディエールに着いた澪は、早速鐘釣夫妻に挨拶する。あくまでも流雫の個人的な客なのだが、それでも1泊世話になるのだからと、河月駅で入手した茶菓子を丁寧に手渡した。修学旅行の土産は、事情が事情だけに手に入れる気にはならなかった。

 その後で、澪は流雫の部屋に招かれる。ローテーブルの上に、ルーズリーフが散らばっているのに澪は気付いた。

「あ、放置してた……」

と言いながら、流雫は慌ててルーズリーフを束ねようとしたが、澪は

「ちょっと見せて?」

と言い、1枚手にする。4色の細書きサインペンで色々と書かれていた。


 ……秋葉原のハロウィン。OFAが教育した難民の残党ではなく、伊万里の支持者、もしくは無関係の愉快犯。犯人が日本人だから自爆は有り得ない?

 福岡の空港自爆はOFAの残党?OFAが人間を使い捨ての駒にするなら日本人を使わない。

 暴動は、空港自爆テロに起因する難民排斥デモが原因。それもマッチポンプ目的か。ただ、あまりにも自爆テロからデモまで早過ぎる。

 カウンターデモとの衝突は予想外で、在日外国人へのヘイトデモ集団も急遽便乗したことは、更に予想外だった。そして、騒ぎを聞き付けた群衆が暴動に乗っかっていた。

 秋葉原ハロウィン事件のヤジ馬と、福岡暴動の群衆の共通点は?ヤジ馬の心理以外は?無関係な連中が何故便乗したがるのか?

 福岡の暴動は、最終的に6人の死亡者と78人の負傷者、200人以上の逮捕者。

 ……そこで終わっていた。1枚とは云え、両面を埋め尽くすほど書かれている。残りのルーズリーフは白紙だったが、未だ書き連ねたいことが有るだろう。

 「……」

澪は言葉を失っていた。一言で言えば、流雫の執念だった。

「……澪じゃなきゃ、引いてるかもね」

そう言った流雫は苦笑を浮かべ、続けた。

「……秋葉原は、今思えば何故ヤジ馬が囲んでいたのか……。火曜日に弥陀ヶ原さんと話していた、ヤジ馬の心理以外に何か有るんじゃないか……」

「じゃあ、あの暴動は?」

「……それと秋葉原が結び付きそうな気がする」

そう言った流雫の前で澪は

「借りるね?」

と言い、彼のペンケースからボールペンを取り出して目を閉じる。

 ……騒ぎを聞き付けた、全く無関係な連中が混ざってきた。それは秋葉原のようにヤジ馬にならず、何故か暴徒となった。

 澪と同級生2人が狙われそうになったのも、恐らく彼女たちと「遊び」たかったからだろう。それは、正当防衛を理由に銃口を向けたとしても、最悪3人の処女が奪われていたことを意味する。

 ……そう思うと、寒気がする。しかし、破壊行動や暴力、陵辱が遊びだとするなら……。

「遊び……?」

「澪?」

呟いた少女の名を流雫は呼ぶ。澪はゆっくりと言った。

 「もし、暴動もヤジ馬も、遊びとして見ているなら……。秋葉原で起きていたのは、言ってみれば街中で起きたデスゲーム、私刑、そしてあたしたちの戦いは見世物。だとすると……」

 「……暴動は、デモを通じた社会への反発が、本来無関係な連中に火を点けた。……無関係と云っても、政治や社会への不満を少なからず抱えていた連中。それが、それこそ祭りのように便乗した……」

そして2人は、怖れていた答えを口にした。

 「……怒りの捌け口として……」


 流雫の部屋に、静寂が訪れた。部屋の主はローテーブルに目線を落とし、その恋人は天井を見つめている。

 2分ぐらい経った後、澪は呟くような声で問うた。

 「……福岡では暴動を、怒りの捌け口にしたとして、……じゃあ、秋葉原は?」

「……正当防衛が隠れ蓑になったのかも。ただ犯人の動機は未だ判らないけど」

流雫は答えた。

 あれから1週間が経つが、未だ犯人は黙秘を続けたままらしい。ニュースで続報が無いのが、その証左だ。

 流雫は眉間に皺を寄せて続けた。

「……まるで……エンターテイメントを見せられているかのような……」

「エンター……」

とだけ呟いた澪は

「……怒りは貧者最後の娯楽……」

と、自分に言い聞かせるような声で、ゆっくりと言った。その言葉に流雫は顔を上げる。

 「貧者と云うか、この社会に不満を持ちながら足掻いている人たちに対しての、自称識者のマウントでよく聞くけど……」

「その程度の連中の怒りは怖れるものじゃない。所詮弱者の戯れ言で、耳を傾ける価値も無い。……その態度が更に反発を生んで、こう云う最悪の形になった、と……」

流雫が言うと澪は頷き、問うた。

 「あたしたちが初めて知り合った頃のこと。……何が有ったか覚えてる?」

「……うん」

と流雫は答えた。1年ちょっと前のことだった。


 澪が流雫にSNS上でアプローチしたのは、国民が銃を持てるようにすると云う銃刀法改正が成立する直前だった。刑事の娘として、もし施行されればどう向き合えばいいのか、悩み続けていた。

 だから、ニュース記事のコメントで唯一ステレオタイプでなく、そして気になることを書いていた流雫……ルナが目に止まった。話を聞いてみたかった。ただそれだけだった。

 ……その頃の議論の、最大の焦点は今まで日本社会が殆ど無縁だった銃犯罪のことだった。

 銃を持った末に、特に下級国民による銃犯罪の急増とスラム化、そして国家への反逆を怖れ、一時期は所持のための条件として世帯所得の下限を定めようとして紛糾したことすら有る。

 結果として、日本国籍を持つ16歳以上で、過去に銃犯罪を含む凶悪事件で有罪判決を受けていないこと、特定の反社会組織や政治団体への所属が過去に遡って一切無いこと、また身体以外の障害を持っていないことだけを条件に、銃を所持できるようになった。


 「皮肉だわ……」

と澪は言った。懸念として挙げられていた銃犯罪が、暴動と云う形で現実になった。だが、更なる皮肉は、それでも銃を持たなければ、こうして生き延びる事すらできないことだった。銃で銃を制すること、それが1年前に日本が突入した銃社会なのかと思い知らされる。

 社会悪、だけど必要悪。澪にとっての宇奈月流雫が、ルナでしかなかった頃に語っていたその言葉が、今になって少女に突き刺さる。それは彼女には、あまりにも鋭く、重い。


 流雫が目を向けた時計は、16時を指していた。バスルームの掃除は朝のうちに済ませ、タイマーで16時頃に湯を張るように設定していたから、もう湯船に浸かれるハズだ。後は、17時を少し回った頃に鳴るハズのアラームを合図に、料理の手伝いに行くだけでよかった。

「早いけど、今ならバスルームも空いてるから」

と流雫が言うと澪は

「じゃあ、行ってくるね」

と答え、部屋を出て行く。

 ドアが閉まると、流雫はサインペンを手にし、今話したことを新しいルーズリーフに走り書きする。

 「怒りは貧者最後の娯楽、か……」

澪の一言を繰り返す流雫は、一通り書くとベッドに寝転び、目を閉じる。

 ……もしその通りなら、銃を持たなくて済む社会はますます望めそうにない。何時何処で誰が、怒りを娯楽としてぶつけてくるか判らないし、そのための凶器として銃を持ち出すことすら十分有り得る。

 そうならないように、銃の所持と使用に関して厳格なルールが定められているのだが、理性を失った者にそれが通じるワケが無い。現に、福岡では正当防衛の範疇を外れた銃の使い方をしたがために、正当防衛の応酬を隠れ蓑とした銃撃戦へ発展した。

 そして秋葉原でも、正当防衛を隠れ蓑にした娯楽と化した、だからデスゲーム化、公開処刑化した。

 フードデリバリーを装った自爆テロの時の話にも有ったが、疑えばキリが無い。それも判っているが、如何せん今の日本は、何かにつけて疑わざるを得ないのだと思える。

 そして、銃に関しては産業としても成り立つ。用途はあくまで護身用であって、それ故に銃弾の販売管理は厳しく、年間に数十発も売れない。

 この日本で誰より多く撃っているのは、皮肉にも流雫だったが、それでも20発に満たない。尤も、撃たないし銃弾が売れない方がよいのだが。

 しかし、万が一に備えてのメンテナンスだけでも大きなマーケットで、今更この改正法を無かったことにすることは、或る意味困難なことが容易に想像できる。大人の都合、と言って諦めるしかないのだが、やはり腑に落ちない。

 社会悪だが必要悪。流雫はそう思っていたが、澪の父も同じ意見だったことを思い出す。……銃に限らず、全ての物は使う人の理性次第で凶器にも化ける。理性で抑えること、当然のように見えるが、それが最も難しいのかもしれない。

 

 流雫が溜め息をつくと、ローテーブルに置いたスマートフォンから通知が鳴った。メッセンジャーアプリのビデオ通話からだ。それが誰からかすぐに判った流雫は、通話ボタンを押した。

 

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