4-4 Rebirth Of Nightmare
週明けの月曜日。先週の中間試験の答案が返却され、その解説だけで終わる授業ばかりで、今日は楽な方だ。少し寝不足の流雫にとって、それは好都合だった。
昼休み、モーニングの準備の片手間で拵えたサンドイッチを平らげた流雫は、机に肘を突き、外を眺める。
……土曜日はあの後、澪の家で夜を明かした。彼女の父、室堂常願は昼間の秋葉原の事件の捜査で帰ってこないらしく、代わりに母の室堂美雪から色々と質問攻めを受けて過ごした。
そして澪とは、昼間の喧騒とは対照的な静けさで過ごした。2人して昼間のダメージがあまりにも大きく、夜に交わせた言葉は少なかったが、互いに昼間の惨劇を忘れようと、背中を合わせてみたり、指を絡めてみたり……。とにかく手探りで、必死だった。
そして日曜日は、彼女の修学旅行前日で、その準備の買い物に付き合うことになった。意外なことにスーツケースを未だ持っていなかったらしく、フランスへの帰郷で何度も使っている流雫の目線から選ぶのを手伝ったりもした。
結果、アフロディーテキャッスルのアウトレットで澪が安く購入したのは、偶然ながら流雫と色違いの同型だった。流雫がグラファイトで、澪はオレンジだ。
後は安いアウトレットフロアを回って必要なものを調達し、夕方に新宿駅のホームで別れた。……昨日の悪夢は、忘れられないが紛らわせることはできた。
ユノディエールと云う名のペンションに帰り着いた流雫は、手伝いを済ませ、ミリペンと呼ばれる細書きのサインペンを机に散らばらせる。そして澪とメッセンジャーアプリで遣り取りをしながら、秋葉原の件をルーズリーフにまとめていた。
浮かび上がる疑問と、蘇るヤジ馬の罵声と戦っていた、それが寝不足の原因だった。
河月市の中心部に程近い位置に建つ、この河月創成高校の窓から見える景色で最も目立つのは、2月にテロによって爆破され、漸く建て直しも終わった教会だった。
……あの時、この校舎も周辺の住宅も被害を受けたほどの規模で、そして流雫は校舎に侵入してきた男に向かって、初めて銃を撃った。
犯人が校舎に侵入したのは、口封じのためだった。家具らしき特大荷物に偽装した爆弾を教会前に設置するのを、流雫が偶然見ていたのが理由だった。尤もそれは、後々になって知ったが。
あれから8ヶ月以上経つが、未だに犯行声明も出ていない。そして、トーキョーアタックに関する警察の会見では、それとの関係には触れられていない。全く別の問題が引き起こしたのか……?だとすると、何が……。
「宇奈月くん」
流雫を呼ぶ女子生徒は、しかしその声に耳を傾けない少年の机を叩く。
「宇奈月くん!」
「……何?」
少しばかりの苛立ちと気怠さを交えた表情で女子生徒……笹平の顔を見る流雫に、
「私と話さない?」
と笹平は言った。
「話さない」
流雫は答えた。即答だった。今はそれどころじゃない。しかし
「私は話したいの。来なさい?」
と笹平は言い、彼に拒否権を与えなかった。……2人きり、話題なんて大体判る。どうせ……。
流雫は溜め息をつき、笹平の後を追う。あの男子生徒の視線が一瞬だけ気になったが、思い過ごしだと思うことにした。
曇り空で風が少し強く、ネイビーのブレザーを着ていても肌寒い。屋上に他に誰もいないのも当然だった。
「……何?」
と怪訝な表情で問い掛ける流雫に笹平は言った。
「美桜が死んだのは悲しいけど、あれは宇奈月くんにはどうしようもできなかっ た」
……やはりか。先週の帰り際の話の続きか。流雫の読みは当たっていた。
「……判ってるよ。でも僕を悪者にしたい連中がいる」
「黒薙くんとか?」
笹平の問いに、流雫は頷いた。
黒薙明生。黒のショートヘアで背も高く、クラスの人気者。入学当初から流雫とは少しだけ話す程度だったが、去年の2学期以降、他の例に漏れず互いに距離を置くようになり、全く話さなくなった。
先週末のあの揶揄いは、あの日以降1年2ヶ月ぶりに交わした言葉だった。それ以前にも時々、何か言われていたが、流雫は聞く耳を持たなかった。
「絡まれたのは、トーキョーアタックのニュースが出たからかな。でもそれだけ……」
「美桜が死んだことが、あまりにも大き過ぎた。そう言っていたわね。……仮にそうだとしても、しかし宇奈月くんへの態度は……」
流雫は笹平の言葉に被せた。
「仕方ないよ」
流雫が黒薙と最後に話したのは、去年の8月。空港署の外にいた流雫に、美桜の死の一報を伝えたのがこの男子生徒だった。今ではもう、その連絡先は全て消してある。メッセンジャーアプリでも、そもそもクラスのグループには入っていない。……正しくは流雫が自分から消えた。
「笹平さんは悪くないし、でも誰かに罪を擦り付けないと、整理がつかない。だから全て僕が悪い。それでいいじゃな……」
と言ったと同時に、流雫のズボンのポケットに収まっていたスマートフォンが震えた。このバイブレーションのパターンは、ニュース速報だ。
流雫は話を止めると端末を少しだけ出して、画面のポップアップを見る。……その見出しに目を見開く。
「いいワケな……、……宇奈月くん?」
途中で言葉を切った、或る意味問題児の少年の名を呼んだ学級委員長に、流雫は言った。
「……悪い、今はこれ以上話す気にならない。……1人になりたい」
その言葉に呆れた表情を浮かべた笹平は、黒のロングヘアをなびかせて踵を返す。
「話にならないわね」
「何とでも言えよ」
と、悪態をついた笹平に淡々と返した流雫は、思わず呟いた。ニュース速報の見出しをトレースするように。
「福岡で……自爆テロ……!?」
東都学園高校の修学旅行初日、最初の行程は東京中央国際空港に8時半集合。赤羽から空港までは1時間近く掛かる。普段学校に行くよりも、早く家を出ないと間に合わない。
通勤ラッシュの東京臨海ラインの列車に揺られた少女は、真新しいオレンジ色のスーツケースと何時ものミントグリーンのトートバッグを引っ提げ、天王洲アイルでモノレールに乗り換えた。
端の1人掛けの席に座る、黒いセーラー服にネイビーのデニムジャケットを着た少女、澪は恋人の真似をして、敢えて少し遠回りになるモノレールを選んだ。しかし、この車窓を1人で眺めるのは、やはり物足りない。
澪にとって2ヶ月ぶりの空港は、しかし飛行機に乗ると云う、施設本来の目的で訪れるのは初めてだった。そして、あの日を思い出していた。
……全てが変わった元凶、トーキョーアタックから1年の節目。その追悼式典の最中にテロが起きた。そして澪と流雫は、彼が黒幕と読んでいた政治家に撃たれそうになり、6発の弾を撃ち尽くした彼の代わりに初めて引き金を引いた。
グリップの重さ、冷たさ、銃声、反動。流雫が言った通り、今でも澪は覚えている。しかし、彼がどれだけテロに殺される恐怖と戦っていたのか、少しだけ判った気がした。流雫に抱きしめられながら狂ったように泣き叫んで、2人が生きていることを感じていた。
……あの時、フォーマルウェア代わりの制服は夏服だった。今は冬服だ。修学旅行はあくまで学校行事、だから仕方ないのだが、黒ベースのセーラー服でなく私服ならよかった、澪は思っていた。尤も、上着は自由だから普段のデニムジャケットにしたのだが。
やがて、モノレールは国内線用のターミナル3のプラットホームに入る。軽く溜め息をついた澪は、ダークブラウンのセミロングヘアを揺らして立ち上がった。
先に空港に着いていた結奈や彩花とは、ターミナル駅の改札前で合流した。そして、既にできていたクラス毎の列に並ぶ。壁に取り付けられた出発案内には、福岡行き帝国航空315便の表示も全クラス満席として並んでいた。
「楽しみだね」
そう言う彩花に澪は
「……だね」
と答える。……一昨日のことが、未だ頭に残っている。忘れられるハズもない。白状すれば、楽しめるのか不安だった。それも全部、自分次第だと判ってはいるが。
札幌から東京に着いた飛行機に乗って福岡に向かうのだが、その到着が遅れた影響で、定刻より30分遅れで出発した315便。その最後列の3列座席に、何時もの3人は座っていた。
長い滑走路を新幹線並みの速度で走る大型の飛行機から走行の振動が消えると、機内は重力に上から押し付けられる感覚に襲われる。しかし、エンジン音を響かせる白い機体は揚力を味方に付けて重力に逆らい、高度を上げていく。
生憎の曇り空で、外の景色を楽しむことはできない。それでも、厚めの雲の上に広がる青空を眺めていると、流雫がフランスへの帰郷で見ている景色と似ているのだろうか……と思った澪は、少しだけ感慨深くなった。
機内サービスのホットコーヒーを飲みながら、澪は結奈と彩花が相変わらず元気だと微笑ましく思った。彼女たちのバイタリティは、少なからず澪にも波及していた。
……2人はあの秋葉原の騒動の後、グッズショップでロススタのコミカライズ版を買って近くのカフェで読み耽っていたらしい。澪が流雫と台場にいた頃のことだ。
澪は、その時のことを掻い摘んで話すに留めたが、2人は黙って聞き入っていた。
……テロや通り魔と云う、日常を阻害する連中に遭遇して、ヤジ馬の罵声を浴びながらもそれに立ち向かう、同級生とその恋人を遠目ながらも目の当たりにした。……ヤジ馬に囲まれて、逃げられない……だから戦うしかない。戦わなければ死ぬ、それ以外の結末が無いのだから。それがどれだけ、澪と流雫を追い詰めていたのか……2人には想像もつかない。
修学旅行の初っ端から、陰気な話をしている自覚は3人に有る。しかし、この話題を避けて通るワケにはいかなかった。ただ、それも飛行機の中で終わらせる。
特に澪は、9月に流雫が行けなかった分楽しむ気でいた。写真を送る約束もしていたし、次のデートで語るネタを目一杯持って帰ろうと思った。因みにそのデートは、澪が東京に帰ってきた翌日だった。次の待ち合わせ場所は、河月駅前。
飛行機は、低い街並みを見下ろしながら高度を下げ、ついに車輪を滑走路に押し付けた。福岡アジア国際空港に着いたのは、駐機場を離れて1時間50分が経った頃のことだった。
日本第5位、地方に限定すれば札幌に次ぐ第2位……そして九州最大の都市、福岡。日本の主要都市で最もユーラシア大陸に近く、近年はアジアをリードする街としてアピールし、九州では完全に一人勝ちだ。
その中心地に程近い福岡アジア国際空港は、アジアへのアクセス拠点としての地位を確立すべく命名されたもので、街の中心部からの空港アクセスは日本一よいと言われる。一方、その影響で大都市圏のように超高層ビルを中心部に建設できず、比較的低層の建物がフラットに並んでいるのが街の特徴だ。
時刻は正午を30分ほど回っていた。手荷物返却場で渡された銃を、トートバッグの奥に入れる。
銃は国内線に限り、受託手荷物として銃専用のボックスに入れ、カウンターで預ければ持って行ける。それは、それだけ日本が銃社会として後戻りできないところまで来た、と澪に思わせた。
今いる到着口は、地下鉄への乗り換えに便利な南エリア。今からは、ターミナルの反対側の北エリアまで歩いて貸切バスに乗り、福岡の近郊を回ることになっていた。そして夜は福岡市のほぼ中心部に泊まると云うプランだった。
洗面所から出た澪は、紅茶が欲しくなり、自販機に並んだ。それと同時に、遠くで威圧的な声が聞こえてきた。
その方向……LCCのチェックインカウンターを向いた澪の目には、警備員2人が大柄のアジア系の男2人と何か言い争っている様子が見える。そして、2人が背負っている大きなバックパックが云々……と聞こえた。
自販機は自分の番が回ってきた。澪はICカードを機械に翳して、出てきたペットボトルのミルクティーを手にする。ホットはボトル缶の方が熱が長持ちして理想的だが、売られてなかった以上仕方ない。
そしてターミナルの中心付近にいる200人近い群れに戻ろうとしたが、途端に先刻声がした方向から一際大きな声が聞こえた。到着フロアに響くそれは、叫ぶと云うより、咆哮に近い。それは、まさか……。
「……逃げて!!」
澪は、出せる限界まで声を張り上げ、地面を蹴った。
学内でも模範生で通っている室堂澪が何を言い出したのか、と誰もが怪訝な目線を向ける。しかし、結奈と彩花は走ってくる同級生に同時に振り向き、目を合わせる。
「に……!!」
澪がもう一度叫ぼうとした瞬間、後ろから銃声が上がった。一瞬で重なり始めた悲鳴に掻き消されないように、澪は
「逃げて!!早く!!」
と叫んだ。
この福岡アジア国際空港は、ターミナルは滑走路を挟む形で国内線と国際線に分かれている。その国内線は、各階の連絡通路で立体駐車場へアクセスできるが、避難場所は1階の外、貸切バス用のバスプールしか無い。しかし、それは2箇所しか無い出入口の北口から出て更に奥……。つまりは、あの銃声の方へ向かうことを意味している。
一度外に出るのは避けられないが、それから歩道を北口に向かうか、避難場所とは反対側……バス停側へ走るしかない。とにかく、警備員なり誰かが避難方向を指示するだろう、それに従うしかない。
東都学園の生徒や教師も、銃声と悲鳴に触発されて混乱気味になりながら、走り出した。真新しいスーツケースを置き去りにした澪は、結奈や彩花の後ろを走り始めた。池袋の時でもそうだった、2人が自分の前で逃げていることは、僅かながらでも自分より安全と云う意味だ。後はこのまま逃げ切れれば……。
……修学旅行までテロに遭遇するとはツイていない、いやそれどころの話ではない。しかし、それに対する疑問や怒りは後回しだった。
男2人は、警備員を射殺して南側へ走ってきていた。しかし、最初の分と合わせて12回聞こえた銃声が、ついに止まった。恐らくは撃ち尽くしたか。
澪が速度を落として後ろを振り返ると、警察官が3人見えた。
「止まれ!」
と警官の1人が怒鳴りながら拳銃を構えると、2人の男は急に止まり、両手を挙げ、銃を投げ捨てた。残る警官2人も、拳銃を手に男たちを囲む。澪には、囲まれた連中の投降が逆に少し不気味に思えた。しかし、これでどうにか解決してほしい……と思い、再び前を向いた瞬間、耳を切り裂くような爆発音が2回、ターミナルの空気を切り裂いた。
「え……!?」
澪は、流雫がいれば絶対に見るなと言われる、と判っている光景に思わず振り向いた。
……数秒前まで立って対峙していた男と警官が倒れ、血が飛散し、小さいながらも火が上がっている。火災警報器のベルがターミナルにけたたましく鳴り響き、混乱に拍車を掛けた。
「う、そ……」
澪は思わずその場に足を止めた。
何も言葉にならない。動けない。……3月に、東京の地下鉄で見た光景と似ていた。足がすくむ。怖い。どうして?どう、し……て……?
「あ……あ……ああ……」
「澪!?」
爆発に驚いた結奈が、爆発が起きた方向を向いて立ち尽くす澪を見て戻ってきた。結奈はその名を呼んで後ろから腕を掴むが、澪は反応しない。結奈は同級生の前に回り込むと、
「澪!?……澪!!」
と何度も名前を呼びながら、理性をシャットダウンさせた少女の震える頬を叩く。何発目かで、漸くその痛みに瞬きをした澪は
「結奈!?」
と視界に突然現れたボーイッシュの同級生の名を呼ぶ。結奈は
「逃げないと!」
と切羽詰まった声を上げ、
「あ……う、うん……」
と答える、ほんの1分前とは別人のようになった澪の手を再度掴み、
「行くよ!」
と言って引っ張った。
……彼女も、あの光景を見た。そして押し寄せてくる吐き気を必死に抑えながら、先に避難する彩花を追った。
割れた強化ガラスを踏まないように外の歩道を走る2人は、ようやくバスプールへと至る唯一の横断歩道に辿り着いた。赤信号だったが、警察官が車を止めて2人を通した。
「結奈!澪!」
と彩花が2人の名を呼びながら、駆け寄ってきた。
「ボクは無事……!」
と結奈は答えるが、澪からの返事は無い。彩花はそれが気になったが、今は順序が違う。
「こっちよ!」
と、2人を他の生徒がいるバスプールへと案内した。……これで、東京からの東都学園高校2年生は全員揃った。全員無事……1人を除いて。
突然のことに驚きつつも、互いの安全に安堵する生徒たち。それから少しだけ離れた場所で、結奈の手が離れた澪は、白いオーバーニーソックスに包まれた膝からアスファルトに崩れ落ち、頭を抱えた。
「澪!?」
彩花はしゃがみ、澪の背中を擦る。彼女は何も答えないが、彩花と隣にいる結奈には、澪が今何を思っているのか、容易に想像がついた。
「室堂!?」
担任教師、天狗平勝利は澪に近寄る。
「な、何でも……」
と答えた澪は慌てて顔を上げ、平静を装う。しかし、頬と唇を震わせていた。
「どうした?顔色が悪いぞ?」
そう言った天狗平の隣で、彩花が続く。
「……青ざめてる」
「澪……」
と呟いた結奈は同級生から目を背け、天狗平に顔を向けて問うた。
「……今からでも、グループリーダーを交代できませんか?まあ、ボクたち3人だけですが。……今の澪には、あまりにも……」
「……結奈……、……あたしなら、もう……」
そう言って結奈に伸ばした澪の手を、ボーイッシュな少女は思わず弾いた。予想外の反応に、澪は固まった。
「っ!?」
「澪は無理し過ぎなんだよ!池袋でもメッセでもアキバでも!」
その言葉に、彩花は背筋が凍る。結奈が澪にキレるのは、3人が出逢って1年半が経つが、初めてだった。彩花は思わず反応した。
「結奈!」
「ボクや彩花の、そして流雫くんの無事を気にしたいのはよく知ってる!でも、だからって自分を後回しにしたっていいワケじゃない!」
此処ぞとばかりに放った、苛立ちを露わにした結奈の言葉に、澪は俯く。
……図星だった。母の美雪にも言われたし、今までの流雫に対しての態度を思い出せば、確かにそうだった。
「……今も、一昨日のアキバのこと思い出してるんじゃないの?」
結奈の言葉に
「っ……!」
と唇を噛む澪。……決して間違ってはいなかった。
「……仕方ないよ。あれだけ殺されそうな思いをして、それでも必死に戦ってたんだから!あんなの、たった2日で吹っ切ること自体無茶なんだ」
そう言った結奈は、2日前の澪を思い出した。
……ボクたちと別れた後、澪は泣いたに違いない。2人には判らない苦しみに、唯一触れてやれる存在に慰められながら。……今の澪には、弱さや甘えを受け入れてやれる存在が必要だった。
結奈は言った。
「……偶には甘えなよ。今流雫くんはいないけど、ボクや彩花がいるんだ」
その言葉に澪は俯いたまま、何も言わなかった。
……それぐらい、澪だって判っている。ただ、やはり刑事の娘と云う立場故のプライド……否、本能が先走る。2人に助けられる前に、あたしが護らないと、と。それが結奈には気懸かりだった。
ライトブラウンのセミロングヘアの少女は担任に顔を向け、
「……と云うワケで、ボクがリーダーになります、澪のためにも」
と言い、彩花に顔を向けた。
「彩花、澪を頼むよ?」
「任せてっ!」
彩花は結奈の言葉に即答し、恋人に眼鏡越しのウインクを飛ばした。この2人のコンビネーションは完璧で、澪は密かに憧れていた。
「結奈……彩花……、……あたし……」
と、何か言いたげな澪の言葉を、結奈は
「……ヒロインだって、たまには休まないと勝てなくなるよ?今はその時だから」
と遮る。彩花もそれに頷いて同調した。
澪は、この2人には頭が上がらないことを思い知らされた。そして、この2人と仲よくいられることを幸せに感じていた。……だから、あたしは彼女たちを大事にしたい、と。
「ミオ!?無事!?」
とだけ澪にメッセージを打った流雫は
「何が……」
とフェンスに背をもたれて呟き、ただ返事を待つ。
ニュース速報の記事は、福岡アジア国際空港で2人の男が発砲した上、自爆したとだけ書かれていた。大雑把だが、速報とは得てしてそう云うものだと云うのは判っているが。
……昨日の澪の話だと、飛行機が福岡に着くのは遅れていなければ正午前。それから40分近く経って事件が起きた……、澪は既に何処かへ移動しているだろうか。それで連絡ができないだけ、であってほしい。
ただ、流雫は不安だった。そもそも飛行機は、15分以内の遅延は定刻扱いされているが、それは特に気象条件や空港の混雑ぶりなど、様々な外的要因に左右されやすい乗り物である事の証左だ。そのことは、フランスへの帰郷で何度も時間単位の遅延を経験している流雫にとっては当然のことだった。
そしてあの日も、パリからの飛行機は定刻より90分遅れて東京に着いたが、だから流雫はトーキョーアタックに遭遇した。もし定刻なら、自分は遭遇しなかっただけではなく、或いは美桜さえ……と思うと、不可抗力なのは判っているが陰鬱に苛まれる。
それが有るから彼は、澪は無事だと信じきれない。とにかく、一言でいい、返事が欲しかった。
「……」
階段から、男女の話し声が聞こえる。2人の声は聞き覚えが有る。踊り場で話しているようだった。流雫は窓が無いドアの陰に隠れた。
「何時まで宇奈月くんを悪者にする気?」
「何だよ、宇奈月に気でも有るのか?」
「無いけど、見ていてもう看過できないわ」
笹平と黒薙だった。笹平の声に苛立ちが垣間見える。
「学級委員長も大変だ」
「宇奈月くんも黒薙くんも、私をバカにする気?」
「欅平は、宇奈月がフランスに帰ったからお前を誘ったんだろ。帰ってなけりゃ、そもそもあの日東京なんかに行かなくて済んだんだ」
感情論に走る笹平に対して、黒薙はあくまでも冷静に言う。その点では、黒薙の方が上手だった。
「そうまでして、宇奈月くんを悪者にしたいの?」
「悪者?聞き捨てならんな」
そう言った黒薙は、笹平に向かって睨むような目付きをし、続けた。
「事実、お前だって欅平の遺体を見たとかでPTSDになってたじゃないか」
「っ!その話は……!」
笹平が声を上げると、流雫は唇を噛んだ。
「宇奈月!そこにいるんだろ?」
黒薙は流雫に向かって声を張り上げる。無視したところで迫ってこられれば逃げ道は無い。流雫は溜め息をついて2人に身体を向けた。
「……盗み聞きとは性格悪い」
黒薙が言うが、流雫は言葉を返さない。
「お前を悪者にしたいんじゃない、お前が悪者だからそう言ってるだけだ!」
そう続ける黒薙に向かって流雫は、至って冷静に……それどころか、冷めたような目を向ける。
「何だその目は!?」
黒薙の癪に障ったのか、更に声を上げる。……正直、流雫にとってはそれどころではない。スマートフォンが震えてほしい。
「宇奈月くん!言い返しなさいよ!」
そう言った笹平に黒薙は
「お前は黙ってろ!」
と言葉を被せた。……逃す気は無いらしい。流雫は腹を括った。
「……美桜を殺したのは、トーキョーアタックだ」
遂に口を開いた流雫の一言は、2人にとって予想外だった。ただ、それは何も間違っていない。
「……それでも、全ては僕の過ちだから」
流雫の言葉に
「欅平を見殺しにしたクセに、何カッコつけてやがる!」
と怒鳴った黒薙は、シルバーヘアの同級生を壁に追いやる。その音で、通り掛かった他の生徒が3人に目を向けた。しかし、流雫は引かず睨み付ける。
「……テロと戦ったことが無い連中なんかには、判らない。……判ってほしくもない」
左右で異なる色の瞳で黒薙に向けた流雫の、敵対心を滲ませた目付きは、黒薙自身も笹平も初めて見た。
あの2学期の頭からこの1年超、喜怒哀楽から哀だけを抽出して凝縮したような表情しか見てこなかった2人にとっては、意外でしかなかった。その全てを知っているのは、この河月にいない恋人だけだ。
「宇奈月……くん……?」
「……過ちだと思ったから、テロに遭っても必死に生き延びてきた。そのために、銃だって何度も撃った」
2人は2月の、学校がとばっちりを受けた教会爆破テロと、その直後に流雫が人質に取られた様子が少なからず報道されたホールセールストア、その河月で起きた2件の事件を指していると思った。ただ、それだけではなかったことは、幸い2人は知らない。
「……まさか、修学旅行を休んだ時の取調も何処かで……」
と笹平は言う。
「……あれは、追悼式典に行った時に遭遇しただけで、一部始終を見たから……それだけだよ」
流雫はそれに答える。
あの日、大雨に打たれながら黒幕の政治家に向けて銃を撃ち、恋人にも引き金を引かせたことは、今も澪の他には彼女の父と弥陀ヶ原……あの刑事2人しか知らない。寧ろ、知らなくていい。
「……お前が何やっても、欅平は生き返らないことを忘れるな!せいぜい、お前は過ちを抱えて生きろ!」
そう言って、黒薙は離れる。
「……面白くない奴だ」
そう吐き捨てて踵を返した同級生から目を背けた流雫は、溜め息をつく。
「……宇奈月くん……」
そう名を呼ぶ笹平の声も、流雫には聞こえていなかった。ただ、今は数十秒前に震えたスマートフォンの通知に安堵していた。中身は判らないが、メッセンジャーアプリ用のパターンで震えていたからだった。
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