1-5 Breakthrough The Limit

 2月最後の日曜日、流雫は大きめのワンボックスの後部座席に揺られていた。月に一度、ペンションで使う調味料や加工食品、日用品などを大量に買い揃えるために、車で数十分掛けて郊外のホールセールストアへ行くのだ。

 基本、流雫は休日はペンションの手伝いをして過ごし、空いた時間で近くの河月湖の湖畔をネイビーのロードバイクで走ったり、映画の見様見真似で簡単なパルクールをしてみたり、河月駅の駅ビルに買い物に行ったりする。

 オーナーの親戚、鐘釣夫妻は流雫の手伝いに助かっている反面、彼が年頃なのも有ってか同級生などと遊ぶよう促してもいる。ただ、何もかも忘れて没頭できると云う意味では、ペンションの手伝いが最も適している。特にあの日からは、それが顕著だ。それが、親戚を心配させる要因にもなっているのだが、それでも最近はマシな方だ。尤も、その分バイト代として還元されるのも没頭する理由の一因ではあるのだが。

 車の運転はできないが、ショッピングカートを転がすのは流雫の役目。車窓の景色は、また雪が降りそうなほど薄暗い。ふと、あの6日前……月曜日のことを思い出した。

 ……警察官の取調を受けた後、学校からは厳重注意を受けた。と云っても、護身目的とは云え人を撃ったことではなく、そもそも銃を持ち込むと云う校則違反に対してだ。ただそれも、あそこで流雫が撃って動きを止めただけに誰も撃たれなかったと云う事実も有るため

「事情が事情だが、校則が有る以上は形だけでも、罰則は与えなければならない」

と、形式上のものに留められた。

 流雫は、別に異論は無かった。しかし、憂鬱だった。これで校則が形骸化した形は好ましくないのだが、何よりも学校と云う場所も標的に成り得る、安全な場所など何処にもないのだと云う現実を、流雫にも学校にも、そして警察にも改めて突き付けた形となった。あの男の目的は判らないが、学校に侵入してきたことだけは確かだからだ。その男の容体は知らないし、知る必要も無かった。

 色々思うことは有るが、車窓にホールセールストアの駐車場が見えたことで気を切り替えた流雫は腕時計を見る。アナログスマートウォッチの針は、10時半前を指していた。


 南部の郊外に建つ、倉庫を模したホールセールストア。元々ホールセールとは卸売の意味で、業務用の販売店と云う位置付けが有るが、個人でも会員に入会すれば購入はできる。ただ、業務用パックが多いだけだ。

 それでも安く、誰もが車で乗り付け、後部座席やトランクに詰め込んで帰る。朝から車も人も多い。高速道路のインターチェンジにも近く、県外ナンバーの車もよく見る。

 流雫は、このホールセールストアに着くと最初にサービスカウンターへ向かった。そこで銃弾が購入できるのだ。警備員が流雫の接客に当たる。少年は財布から取り出した資格証と銃を警備員に渡した。

 銃弾の販売場所はごく限られているが、警察や提携の警備業者の警備員が常駐している店舗であれば、顔写真と個人情報が記された携行資格証の提示でデータベースに照会した上で、指定の口径を弾倉1本分……つまりは最大6発分……販売されると云う仕組みだ。そして、河月市……と云うより山梨県はこのホールセールストアだけだった。


 護身目的で銃を使用した場合、警察を経由して銃弾の補填が必要だとの情報がデータベースに残るため、弾倉1本分までの制限はオンラインで共有可能で、犯罪目的の大量買いを防ぐことが理論上は可能なのだ。

 ただ、この販売ルートは射撃の訓練と云う名目で今後射撃場が解放されると云う可能性も有る、と一部では議論の的になっている。本当に護身専用なら、警察署で売ればよいだけの話だからだ。

 施行から4ヶ月、改正の是非が病むことは無かった。

 

 やがて、弾倉を外された銃身が資格証と共に戻される。そして6発装填された弾倉を目の前でセットされると、更にホログラムシールを弾倉から銃身に跨がるように封印される。

 最小限しか購入できないため、理論上は弾倉交換の必要は無い。そのため、当初の目的外での使用であれば大量に銃弾を使用すると云う前提で、封印を使用する。これが剥がされていれば跡が残り、不法所持と同じ扱いになる。

 流雫は銃弾をデビットカードで支払おうと、リーダーにカードをかざす。銃弾もキャッシュレス専用だが、それも取引履歴で発行元に照会して銃弾の不正購入なども突き止めるための方策だった。

 フランスの両親から、国際送金で仕送りをするのに好都合だからと持たされたグレーのカードが、こう云う形で役立つとは。数秒で支払いは終わるが、その間に、流雫は深い溜め息をついた。


 半年前まで、こんなことは有り得なかった。それだけ、社会の変化があまりに急過ぎるのだ。未だ2020年代も前半だが、その数年が……更にはこの半年間が最も酷い。そして、引き金を引いた瞬間の記憶も、未だ強烈に残っている。

 ……あれが、人を撃つこと。自分の身を護るため、そして合法と云ったところで、気を落ち着けることはできない。

「はぁ……」

流雫は、もう一度深く溜め息をつく。

 しかし、今から既に店内を回っている親戚と合流して買い物の手伝いだ。気を切り替えるしかない。流雫はバッグに銃を入れ、サービスカウンターを後にした。


 購入する量が量だけに、ネット通販の定期購入でも悪くないのだが、最終的な決め手は価格だ。結果、このホールセールストアが最もコスパがよく、ロクに休みが無い夫妻のドライブも兼ねて、毎月通うことになっている。

 次第に重くなるショッピングカートを押しながら、流雫は周囲を見回す。相変わらず人は多いが、そう言えば朝の天気予報では、また雪が降るだろうと伝えていた。そして、大きな窓を遠目に見ると、予報より早まるだろうと思った。

 レジの列に並び始め、大きな窓から外を見ると、ついに雪が舞い始めた。

 早く帰り、色々忘れるように動きたい。この天気だと帰っても自転車に乗ることはできない。手伝いに全振りするのも悪くない。

 先ずは洗濯機から洗濯物を取り出して衣類乾燥機に入れて……と、年頃の高校生らしくないことを思いながら、流雫は一昨年の両親からのクリスマスプレゼントだった、ディープレッドの縦型ショルダーバッグからスマートフォンを取り出す。メッセージが届いていた。そう云えば、先刻受信通知が来ていた。

「雪降ってきた。ルナのところは?」

ミオからだった。

「今降ってきた。今は買い出しに出てる」

と手早くフリック入力し、送信する。

 それと同時に、ブラウンやカーキなどの暗めの色のライダースジャケットを羽織った10人組が続けて入ってきた。顎紐を留めたフルフェイスヘルメットを持った中年風の10人。この天気で自慢のバイクでツーリングでもしているのか。尤も、そう云う連中はそもそも運転が好きだから、季節も天気もそこまで問わないが。

 バイクには乗れないが、とにかく何か夢中になるようなものが、今の流雫には何よりも必要なのかもしれない。ペンションの手伝いに没頭する、それ以外で。それこそ、ロードバイクでもパルクールでもいいのかもしれないが。

「寒いのによくやるよ」

と感心していた流雫は、しかし何かの違和感を感じた。何にか、と問われても判らない。ただ、直感がそう思わせるのだ。……まさか、また……なのか?

 いや、いくら何でもそれは思い過ごしであってほしい。それが本心だ。この1週間色々有り過ぎて疲れ過ぎて、疑心暗鬼になっているのだ。帰りの車で少し寝よう、と流雫は思った。

 親戚がプラチナカードで精算している間、カートに詰まれたものを持ってきていた大きなショッパーに詰めていく。そして再度カートに載せて、駐車場まで運ぼうとハンドルバーを握った瞬間。


 火薬が爆ぜ、鈍い音と共に天井に小さな穴が開いた。何時しかヘルメットを被ったライダースジャケットの男たちの手には、ジャケットに隠していたのか自動小銃が握られている。その様子に悲鳴が重なり、一瞬でパニックに陥ったホールセールストアから、人が飛び出そうとドアに殺到する。

 流雫はほんの数秒、それに目を奪われたが、それが災いして逃げ惑う人の流れに弾かれ、自分以外に店員と客、合わせて十数人が逃げ遅れて取り残された。しかし、そこに親戚がいないことに安心していた。

 「このやろう!!」

 誰かの、叫び声がした。ここぞとばかりに、護身用の銃を取り出したのだろうか。しかし、数発の銃声と共に倒れ、血が地面と身体を赤く染める。頭と胸を撃たれ、既に目を見開いたまま事切れていた。その返り討ち劇に、幾つもの悲鳴が重なった。

「どうして、こんなことに……」

流雫は自分の不運ぶりを呪った。この1週間で2度目だ。しかし、だからと云って易々と解放されるワケではない。それぐらいは、端から覚悟していた。

 「何をしている!?」

と大声を出したフルフェイスヘルメットを被った男に腕を掴まれた流雫は、大きいサービスカウンターの付近に人質を集めた中に連行される。

「っはぁ……」

流雫は溜め息をつきながら、乱暴に掴まれた肘の辺りを叩く。その、汚れ物を払い除ける仕草は、連中への嫌悪感を表したものでしかない。

「……ついてない」

と流雫は呟く。

 10分後、緊急車両のサイレンがオーケストラを奏でるように重なり、大きくなる。窓からは、警察と消防と救急が集結し、救急隊員が避難の騒乱で発生した負傷者に駆け寄るのが見えた。

「助かるぞ!ざまぁみろだ!」

誰かが低い声で喜んだ。それも銃声と同時に数発の銃弾を浴び、血を噴き出しながら倒れる。二度と、小太りの身体が動くことは無かった。

 見せしめ……にするには、あまりにも残酷だ。既に失神や嘔吐している人までいる。これが、生き地獄と云うやつか。

「どうやって脱出する……」

声には出さず唇だけ動かし、流雫は自問自答を始めた。

 自分が銃を持っていることは、幸い知られてはいないようだ。それは、タイミングさえ間違えなければ、逆転のチャンスが有ることを意味している。尤も、それはあまりにも大きな賭けではあるのだが。

 警察と、ライダースジャケットを着た犯人との間で、怒号の応酬が始まる。警察は緊急車両の車載スピーカーで、犯人側はサービスカウンターのマイクから屋外スピーカーで。何が目的かは、その応酬ではよく判らない。いや、判ったところでどうすることもできない。

 ただ、政治思想が絡んでいることは、ヒートアップして音量設定を狂わせたか、ハウリングを起こし気味なスピーカーから時々聞こえる単語で推測できた。

 ……店のドアは2ヶ所。それに2人ずついる。残る6人のうち、4人はバックヤードからの警察の突入に備え、残る2人はサービスカウンターにいる。そしてそのうちの1人が、この襲撃事件の主犯格らしい。

 警察官の代わりに常駐していた警備員も、サービスカウンターの中で銃弾を受け、屍になっていた。パニックの中で撃たれたのだろうか、しかしそれには誰も気付いていなかった。

 サービスカウンターの目的はマイクと云うより、扱っていた銃弾だったのだろうか、と流雫は思った。在庫として置いてある分は多くなく、口径もそれぞれ異なるが、全て合わせれば多少は保つだろうか。弾倉に充填する速度によっては、厄介なことになるのは火を見るより明らかだった。

 外では、金属製の盾が横一列に並んで、ゆっくりと迫ってくる。ただ、対テロの切り札は未だのようだった。

 ……あのトーキョーアタックから半年、銃刀法が改正されただけでなく、各地の警察に新たな特殊武装隊が結成された。かつての特殊武装隊を更なるテロ事件に特化すべく再編成された組織で、配備にはバラつきが有るが、山梨県は配備されている。しかし、その拠点は甲府で、河月へ急行するには時間が掛かる。

 活躍の場が無いことが理想なのだが、既に数回出動している。しかし、ニュースで見る限り、ここまで大規模、或いは一大事なことは無かった。

「ちっ……」

主犯格の男が舌打ちした。もう数分もすれば、下手すると銃撃戦は避けられないだろう。そうなると、警察に救出され助かる可能性は有るが、逆に道連れにされたりして助からない可能性も拭えない。

「どっちに転んだって地獄かよ……」

流雫の、思わず声に出した呟きを、ブラウンのライダースジャケットの男は聞き逃さなかった。

「……そこのシルバーヘア、来い」

男は、銃身を流雫に向けて手招きする。生来の髪の色は、周囲から見ても目立つ。周囲を見回しても、該当するのは自分以外にいない。流雫は溜め息をついた。

 「……今から人質の代表だ。言い換えれば、我々の盾だ」

と言った男は、銃を流雫の背中に突き付ける。

 警察が先に動けば、自分が真っ先に殺される。それでなくても、いざとなった時には自分を文字通り盾にする気だ。そう云う時、普通なら間違いなくパニックを起こすだろう。しかし、流雫はそうならなかった。あのトーキョーアタックと、学校での出来事が、彼を或る意味では吹っ切れさせていた。


 「……妙に落ち着いているな」

男は問う。ヘルメットで声が曇っている。流雫がサービスカウンターで盾になって、10分が経とうとしていた。

「……トーキョーアタック……あの日空港にいて……これより、怖かった……」

流雫は途切れ途切れに言う。アンバーとライトブルーのオッドアイをした瞳に、光は入っていないように見えた。

 階下の爆発を辛うじて逃れたこと、手荷物返却場で警備員に助けを求めたこと。そして、あの連絡。あの8月のことは、今でも簡単に思い出せる。

 男は何も返さなかった。流雫も、それ以降は黙った。

 今でも簡単に思い出せるが、今までも必死に、彼なりに吹っ切る……と云うより割り切ろうとしてきた。しかし、それは未だできていない。いや、半年でそうなろうと云う方が、間違っているのかもしれない。

 しかし、今この瞬間に限っては、どうやって生き延びるか、それだけが頭を支配していた。生き延びるためなら、手段を問わない。それは、この1週間で誓った。

 全ては、ただ生き延びるために。ただ殺されないために。だから、流雫は銃を握る恐怖さえ、無理矢理にでも麻痺させようとしていた。何も判らず無我夢中状態だった6日前とはワケが違う。

 男の隣に立ったシルバーヘアの少年を、他の生存者は全員見ている。誰かが動けば、この少年が殺される。そう思うと、誰も動けなかった。自分が殺されなくても、また新たに誰かが殺される光景もまた、何としてでも避けたいのだ。

 誰の目から見ても、警察側と犯人側、そして人質、その全てが精神的な消耗戦に突入し始めていることは明らかだった。流雫が人質代表……否、盾として警察の目に留まったと同時に、膠着状態に突入した。

 この冬一番と言われる寒気に晒されている警察に比べれば、暖房を強く効かせたホールセールストアの中にいる犯人と人質の方が寸分マシだが、問題はそこではない。

 犯人の言葉通り、流雫は妙に落ち着いていた。自分が置かれた立場は知っているが、そうは思えないほどに。

 ……手元に銃は有る。しかし、撃てば逆に撃たれる。誰に?目の前の、ライダースジャケットの男にだ。しかし、撃たなくても何かの拍子に撃たれることだって、有り得ない話ではない。

 どう転んでも、損しか無い。尤も、損だの得だのと云う話ではないのだが。

「あの日空港で見たのと……何か似ている……」

流雫は呟く。それは半分、間違っていない。

「どうしてだろう……」

「おい」

続けた言葉を遮るように、男が流雫を呼ぶ。

「何を企んでいる」

「……別に何も」

流雫は言い放つ。企みが有るなら、もっと上手くやっている。

「ならば黙っていろ」

男は言った。……この精神戦に余計な消耗を避けたかったのか。そして、男は同時に少し苛立っていた。

 「……」

流雫は黙ったまま、そして銃を突き付けられたまま、深く溜め息をつく。時計を見ると、既に正午を回っていた。最悪な午前を過ごすハメになったが、それは午後になっても終わりそうにない。


 この2時間半近くで、何度溜め息をついただろうか。それでも、未だ全然足りないほどだ。溜め息ばかりつくと、幸せが逃げると言われるが、知ったことではない。そもそも幸せとは何なのか……。今の流雫の頭では、全てが堂々巡りだった。

 銃はショルダーバッグに入れてある。このバッグ、小さいが銃と財布とスマートフォンを入れるだけなら十分だ。

「もう……限界だ……」

と誰にも聞こえないように呟く流雫。誰もが精神を消耗し、限界に達しつつあった。

 ……何時どうなってもいいようにしたい。しかし、どうやって銃を取り出すか。持っていることがバレれば、一瞬で終わる。

 他の人質は、誰も何も喋らず、動かない。運に全てを委ねるしかないのだ、と諦めているのか。その判断は正解だったが、オッドアイの少年は1人だけ間違えようとしていた。

 流雫の脇腹辺りを覆うように、肩から提げられたディープレッドのショルダーバッグは、背面にジッパーが付いていて、上を開けなくても中に手を入れられる。つまり、銃をバレないように取り出すことはできなくもない。

 指で背面のジッパーに触れると、引っ張らず、小さな隙間を指で押して少しずつ開けていく。そうすると、非常にゆっくりとしか開かないが、音が出ない。

 ジッパーを全開まで動かすと、レザーのホルダーに触れる。ホルダーはボタン留めが無いものを選んだが、こう云う時には正解だった。

 無骨なガンメタリックの銃身が、隙間から見える。セーフティロックを、ミリメートル単位で動かす。最後は一気に動いたが、音は出なかった。ここから使わないことを願いつつも、それは叶わないのだろうと覚悟し、流雫は唇を噛む。

 男は常に、窓ガラス越しに対峙する特殊武装隊の集団を睨み付けていた。だからこそ、流雫は銃をスタンバイさせることができたワケではあるが。何か有れば、犯人は人質を容赦なく射殺することができるだけに、警察側も動けない。


 流雫以外の人質は、サービスカウンターに近いレジ前に固まって座っていた。

 その中心にいた小太りの男が突然

「ふ……、ふはははは!!」

と高笑いを始めた。そして、着ていたカーキ色のコートのインナーポケットから銃を取り出す。流雫が持っているそれよりも、一回り大きい口径のモデルだ。当然、使用する銃弾の殺傷能力も高い。男は叫んだ。

「どうせ死ぬんだ!!ならば先に殺してやる!!」

 流雫も精神を消耗させていたが、それより先に限界に達していたらしい。それは流雫も犯人も含め、その場に居合わせた誰から見ても明らかだった。

「死ねお前ら!!」

小太りの男は叫び、銃口を流雫の隣に立つ主犯格の男に向ける。しかし、初めて銃を握った上に精神的に追い詰められ不安定だからか、激しく動揺している様子で照準は定まらない。

 自分に当たる……流雫は確信した。

「っ!!」

咄嗟にその場に伏せた瞬間、震える銃口から火薬が爆ぜる音が5回聞こえ、店内に反響した。それらは2秒前まで流雫の脇腹や肋骨が有った場所へ飛ぶ。

 全て主犯格の男に命中し、ライダースジャケットを赤黒く染めながらカウンターに前のめりにもたれるように倒れ、そして膝から地面に崩れた。流雫の真後ろに倒れ、血を吐いたのかヘルメットの下から血を零しながらも、体は動かない。ほぼ即死だった。

「ひっ!!」

何人かが、全くの予想外の事態に怯える。それは至極当然だが、これが警察にとっての決定打となった。

 売り場にいた犯人全員が、一瞬事態の整理に戸惑った瞬間を狙って、特殊武装隊はドアと窓のガラスを機銃で割り、一斉に突入してきた。

「撃て!」

低い声の指示一つで、特殊武装隊の機銃が一斉に鳴った。

 表側に立っていた犯人がほぼ同時に倒れると、騒ぎを聞きつけてバックヤードから戻ってきた残りも同じ末路を辿る。直後、無数の靴音がフロアに響くが、そこにライダースジャケットを着ていた連中のものは混ざっていない。

 「助かった……」

そう呟いた流雫は安堵の表情を浮かべ、膝をついて立ち上がろうと四つん這いになると、オッドアイの目に上下左右に揺れる銃口が映った。小太りの男が……至近距離にいた。

 そして、銃を息絶えている犯人ではなく、流雫の額に向けているのが一瞬で判った。

「お前が殺していれば!!お前が殺していれば!!」

「よせ!」

特殊武装隊のヘルメットを被った男が叫び、男に機銃を構えるが、威嚇には至らない。先刻5発分の音が鳴った。それでも、1発残っている。ハッタリではないようだ。

「殺される……!」

そう直感した流雫は、何時か機内で観た映画を真似するように、左手をショルダーバッグの背面に突っ込んだ。

 ガンメタリックの冷たいグリップを握り、開かれたジッパーの間から引っ張り出しながらトリガーに指を掛ける。スラックスを履いた右足の太腿に小さな銃口を押し当てる……その直前に、銃身を撫でるようにスライドを引いた右手を左の二の腕に押し当て、一度だけトリガーを引いた。

 小さめの銃声に寸分遅れて、男が銃を落としながら前屈みになる。

「あっ、あああああああ!!」

数秒前まで怒りに満ちていた男の太腿から、血が噴き出した。その患部を押さえた瞬間、特殊武装隊が男を流雫から引き離し、地面に押さえ付けた。

 ……あの時と同じだ。グリップを握る手が、汗でベットリしている。立ちたいが足に力が入らず、四つん這いのまま、流雫は血痕が残る地面だけを見つめていた。唇が震えている。

 ……最初の銃声から2時間半、張っていた緊張の糸は、ついに切れた。

「最悪……」

そう呟いた声に、流雫を保護しようとした特殊武装隊の隊員は手を止める。しかし、彼が何を思っていたのか、誰も知らない。


 午前中から降り出した雪は、積もるほどではないが、しかし吹雪いている。流雫は言葉なく、隊員に身体を支えられ、警察車両に乗せられる。彼は同行者を伝えると、その隊員はその親戚に近寄り、何か説明していた。

 革張りのシートに、暖房が効いた車内で、警官が

「寒かっただろう」

と言い、缶コーヒーを手渡してきた。小声で礼を言うと、車は動き出す。

 ふと、スマートフォンをショルダーバッグから取り出すと、数件のメッセージが届いていた。全て「ミオ」からだった。

「買い出し、気を付けてね」

「今、立て籠もり事件って」

「まさか、ルナ?」

「ルナ、無事なの?」

 流雫は

「鋭いな……」

と苦笑いを浮かべながら、ようやく自分がこうして保護され、生き延びているのだと実感した。そして、一言だけ打った。

「生きてる」


 期末テスト明けの週末を、何時も一緒に遊ぶ2人の同級生と楽しむべく、室堂澪は朝から家を出た。ダークブラウンのボブカットを揺らして、最寄りの駅まで歩く。

 都区内の端から、列車で少し離れた街中へ繰り出し、カフェに行って話をして、クレーンゲームで欲しいマスコットを手に入れて……。それが、3日前の帰りがけに3人で、何となく決め合ったプランだった。

 東京では雪が降り始めた。それは車窓から判る。澪は、ふとメッセンジャーアプリを開き、連絡先に「ルナ」を指定した。エッフェル塔がアイコンで、フランスが好きなのだろうと思った。普段は「ルナ」と、どうでもよいことを遣り取りしている。

 ……出逢いは、SNSだった。改正銃刀法の可決、成立に関するニュースに反応するコメントが溢れていたが、何となく流し読みする中で1つだけ何か引っ掛かるものが有った。それが何故だか「ワケ有り」に見えて、気が付くとメンションを送っていた。彼の意見を、もっと聞いてみたかった。

 それから、澪が誘う形でメッセンジャーアプリで会話するようになった。声も知らなければ顔も知らないが、ルナほど何でも話せるような存在は初めてだった。尤も、それはオンラインだけの関係だから、できることなのだろうが。

 同級生は、1人は澪より短いライトブラウンのショートカット、そしてもう1人は黒いロングヘアを大きな三つ編み2本に束ね、眼鏡を掛けている。

 カフェに入って、ホットのラテとチーズケーキをお供にどうでもよい話で盛り上がる。その話を遮るように、スマートフォンからアラートが鳴った。

「河月の商業施設で立て籠もり、人質多数」

「えっ……?」

3人は同時にディスプレイに目を向け、澪の向かい側に座る2人が同時に

「怖い……」

と呟く。ただ、澪だけは冷静を装っていた。……装いながら、フリックで文字を入れていく。

「今立て籠もり事件って」

 ルナがどこに住んでいるか、最初の頃に話の流れで都道府県単位では知っている。しかし、どこの都市に住んでいるのか、までは知らない。それなのに、何故か引っ掛かるモノが有った。

「まさか、ルナ?」

流雫は、比較的早く返答を寄越す。当然タイミングと云うものが有り、時々遅い時も有るが、早いことが多い。

 それが、ここまで……と云っても普段より少しだけだが……遅いのは、何か気になる。

「ルナ?無事なの?」

それだけ打って、澪は小さなディスプレイから目を逸らした。

 今ここでルナの無事を問うたところで、恐らく反応は無い。無事と云うか、そもそも人質になっていなければ、とっくに返事は来ているハズだからだ。そう思うほど、何か胸騒ぎがする。

「ルナ……生きててよ……」

澪は呟き、カフェの雑音と同級生の声に体を委ねた。


 それからはゲームセンターに行って、リズムゲームとクレーンゲームで遊ぶ。しかし、やはり気懸かりでゲームになかなか集中できない。

 最後に来た返事は

「今買い出しに出てる」

と、2時間以上前に送られたものだった。

 澪はクレーンゲームで遊ぶ2人に断りを入れ、トイレに駆け込む。1つだけ空いていた個室に飛び込むと、気が気ではなく、今まで使ったことが無かった通話ボタンをタップしようとした。

 その瞬間、メッセージの通知が鳴る。ルナからだ。

「生きてる」

 その淡々とした一言は、こう云う時のルナ……流雫のクセだ。今の彼にとって、誰より仲よくしたい相手がミオなのだが、だから逆にどう打っていいのか時折判らなくなる。そうして悩んだ挙げ句、こう云う書き方しかできない。

 それでも、澪にとっては十分だった。深い溜め息を吐き、両手で握り締めたスマートフォンを胸に押し当てる。

「ルナ……生きてる……」

息を吐くぐらいの声で呟きながら、澪は静かに泣き崩れた。こう云う安堵から泣くと云う感情は初めてで、そのことに少し戸惑いながらも。


 ホールセールストアから警察車両に揺られること30分、河月署の看板が掲げられた無機質な建物の前に止まった車から降りた流雫は、慌ただしいオフィスとは衝立で隔てられた応接スペースに通された。

 あの2時間半、何が起きて何を見たのか、話すよう言われた。それは、あの空港の時と同じだった。

 先刻缶コーヒーは受け取ったが、ここでもインスタントコーヒーを出される。緑色のプラスチックのホルダー越しに伝わる紙コップの熱は、缶コーヒーでもそうだったが今の流雫には嬉しかった。

 ……人質の1人が発狂した結果、犯人を撃った。それがゲームチェンジャーとなったことは間違いないのだが、流雫にも銃を向けてきたし、最初も流雫がとばっちりを受けるのを厭わない様子だった。それがあまりにも不可解で、完全に予想外だった。それは、流雫だけでなく特殊武装隊にとっても、だった。

 「お前が殺していれば!!」

と叫んでいた男は、流雫が銃を持っていたことを知ってか知らずか、何もしなかったことに苛立っていた。流雫がもし、アクション映画のように一瞬の隙を突いて犯人を撃ち殺すことができていれば、この男は取り乱すことは無く、銃を撃たなくて済んだ、とでも言いたかったのだろうか。

 己の手を汚すのは、いくら正当防衛とは云え真っ平だが、それは誰だって同じだ。

「あの時、男を撃っていなければ……、僕が殺されていた……」

流雫は言った。それは、特殊武装隊が止めに入ろうとしたことで、どう云う事態だったか判る。

 もし、あの時犯人……正確には隣の主犯格の男……に向けることを前提にショルダーバッグのジッパーを開けていなければ、セーフティロックを解除していなければ、今頃病院のICUにいただろう。額を狙っていただけに、それで一命を取り留めていれば御の字だが。

 あの一瞬の判断は、何も間違っていなかった。犯人集団は、意外にもライダースジャケットの下は無防備で、その意味では武装集団ではなかった。

 そして、その集団の運命を決定付けた1人の男によって、流雫の命はほんの数秒ながら生死の境界線に立たされていたのだ。それは、あの場に居合わせた特殊武装隊の隊員も認めている。あの銃口を額に向けられている光景を目の当たりにした誰もが、テロ犯相手ではないが彼の判断を間違っているとは思っていない。

 事実、彼ではない誰かが男を撃って止めようとしても、流雫に何事も無かったかは甚だ疑問だし、愚問だ。

 ただ、間違っていなくても、流雫は吹っ切れてはいなかった。……自分が生き延びるため、殺されないためだとしても、人に銃を向けて撃つことはやはり怖い。

 仕方ない、と無理矢理割り切らせようとしても、何処かでは想像できないほどの罪悪感が付き纏う。そして、流雫には割り切る、吹っ切るだけの強さは無い。

 調書に黒いボールペンを走らせていた、先刻の特殊武装隊の隊員は、流雫に1枚の紙を差し出した。

 それは、心療内科受診の案内だった。


 どんなに護身、自衛のためと云ったところで、人に銃を向けて撃っても、正気でいられることは無い。少なからず、人を撃った。場合によっては、殺す結果となった。

 それが精神的に与える影響を軽減させるため、銃刀法改正と同時に該当者に無料の心療内科受診と云う措置も執られている。

 学校での一件でも、そう云う話を聞いたことを流雫は思い出す。しかし、その時は別にどうも思わなかったが、一度受診するのも悪くない、と思った。

 どんなにミオとの遣り取りで救われている、と云っても、トーキョーアタックの件自体未だにトラウマになっている自覚は有る。それにこの1週間で2回、自分が銃を手にするはめになっている。それでいて、寸分違わず正気とは思えない。

 診療は3日後、水曜日に決まった。無料措置であることは高校生にとっても大きく、受診希望と渡された用紙に書いて返す。その一方で、やはりミオとメッセージを送り合っていた方が自分に合っている、と思っていた。

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