第63話 正妻(自称)は問いただしたい(1)

 カーテンの隙間から差し込む西日でイッサクは目を覚ました。

 時計を見ると、この部屋に閉じ込められてから半日が経っていた。



「どうしようか」



 イッサクがおとなしく捕まったのは、王城のどこに閉じ込められても、抜け出せる自信があったからだ。

 王城のあらゆる秘密の扉や通路のすべてをイッサクは記憶している。



 だが、この部屋に押し込められて早々に、イッサクは脱出を諦めた。

 この建物をイッサクは知らない。

 窓からの眺めから推察するに、イッサクが王城から逃げている間に新たに建設されたようだ。



 イッサクがいたのはリビングルームで、明るい色調のフローリングに、白木のシンプルなテーブルや、その上の現代風のシャンデリア、壁一面の書棚には可愛らしくも品がある動物の置物や、花器、そしてティーセットがしまわれた棚が置かれている。

 イッサクは、王城の中でこういう簡素ながら明るく、温かみのある空間を見たことがない。

 


 王城にあるのは、金と暇に飽かせて不気味なまでに精緻に作り込まれた調度品とか、不必要に大きなトイレとか、封印された館とか、入れば呪われる蔵と言った、まことにろくでもないものばかりだ。



 この建物は、今までの王族とはまったく違ったセンスをもった王族、つまりミナによって作られた。

 そのことに思い至ってイッサクは脱出を諦めた。

 ミナがイッサクを閉じ込めるために作らせた以上、都合のいい抜け道など有るはず無い。



 ドアから控えめなノックが聞こえてきた。

 イッサクはドアを一瞥すると、ノックを無視して大きくあくびをする。

 もう一度、控えめなノックが聞こえてきた。

 イッサクは目を閉じそれも無視する。

 


 3度目、さらに控えめになったノックの音が、恐る恐る部屋の空気を揺らす。

 ドアの向こう側から、じっと返事を待っている陰気な気配が漂ってきている。

 イッサクは頭をガリガリとかきむしって、ぶっきらぼうに「ドーゾ」と返事をした。



 音なくドアが開くと、そこにはミナが立っていた。

 ミナは伏し目がちにイッサクの様子を伺いながら、なかなかこちらに入ってこようとしない。

 イッサクは何も言わず、ミナを視界の外に追い出すようにして天井を見ている。



 気まずさで息が詰まりそうになってからやっと、ミナは軽食を載せたカートを押して中に入ってきた。

 そしてポットで湯を沸かし、ティーセットを取り出して、紅茶を淹れはじめた。

 イッサクもミナも何も話さない。

 部屋の中に茶を用意する音だけが響いている。



 イッサクは横目でかすめ取るようにミナを見た。

 ミナはワンピースのような服の上に、ざっくりとした丈の長いグレーのカーディガンを羽織り、足元は素足にルームシューズという、まだ日が高く、執務も山積しているはずなのに、随分とリラックスした服装をしていた。



「(俺が目を覚ましてすぐにご登場ということは……)」



 イッサクは天井の角や、家具の継ぎ目に目を凝らすと、鼻を鳴らして目を閉じる。



 花のような紅茶の香りが漂ってきた。

 ミナがテーブルに紅茶とクッキーを並べている。

 上半身を屈ませていたミナの姿に、イッサクは思わず目を見張った。



 グレーのカーディガンの下はワンピースなどではなく、淡いピンクのネグリジェで、その下にはミナの乳房がはっきりと覗いている。 

 なんで昼間からそんな格好を、と驚くと同時に、紅茶の香りとは別の、むせるような甘い香りがイッサクの鼻をついた。



 それは香水に包まれた、3ヶ月前のイッサクの寝室に満ちていた獣の檻のような匂いだった。

 紅茶の香りとその匂で、頭にあの夜の痛みと恐怖と情欲が一挙に蘇り、おもわずイッサクは声を上げてしまう。



「てめぇ、俺の前にそのツラを見せるなって言っただろ」



 ミナが手にしていたカップとソーサーが音を立て、テーブルに雨粒ほどの紅茶がこぼれた。

 ミナの息が僅かの間止まる。

 ミナは、努めて落ち着いた動きで紅茶を取り下げると、新しく入れ直して、イッサクの前においた。

 そうして自分も隣のソファに浅く腰掛け、両手を膝の上においてうつむいた。



「(やらかした)」



 イッサクは内心でつぶやき、眉間にシワを寄せて目をつぶっていた。

 これしきのことで心を乱すとは情けない。


 ミナの憂いた顔、大胆に覗く胸の谷間、香水と混じった肌の匂いなど、ミナの色香にイッサクは圧倒されてしまった。

 イッサクは己の童貞力の不足を嘆いた。



 気まずさが石棺のように、重く二人を圧迫する。

 西日はイッサクの顔を避け、テーブルのティーカップに注いでいる。

 イッサクが、もう窓を破って外に飛び出てやろうかとまで考え、身を捩り始めたとき、ミナが口を開いた。



「あの女たちは誰だったの?」

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