第59話 イチャつく童貞、キレた元嫁を走らす(7)

 イッサクは改めて瓦礫と化した一角を見る。

 建っていた狭小住宅は見る影もなくなっていたが、路地の舗装は比較的無事だ。ミナの剣戟と地面にはわずかだが隙間があるらしい。



「つっても、相手はあのミナだからなぁ」



 イッサクはナマクラの剣を握り直し、ミナに向かって駆け出した。

 間合いまであと3歩で、さっきとまったく同じように、右からミナの剣撃が迫り、イッサクは低く身を屈める。

 ミナの目がギラリと光った、が、イッサクはありったけの力で地面を蹴り、下ではなく前方へと加速した。そして剣撃が襲ってくるよりも早く、間合いに飛び込んだ。



「!」



 虚をつかれたミナの動きが刹那乱れる。

 その顔めがけて、イッサクはナマクラの剣を振り下ろす。

 が、ミナは左手一つでゆうゆうイッサクの剣を受け止める。

 そのとき、イッサクの影からデスノスがあらわれ、がら空きになっていたミナの腹に拳を叩き込んだ。

 ドンという鈍い音とともにデスノスにはたしかな手応えが。

 しかしデスノスの本能が警報を鳴らしている。



 見るとデスノスの右の拳が炎に包まれて、炎はデスノスの全身に襲い掛かろうとしていた。

 デスノスはあわてて距離を取ろうとしたが、炎はデスノスの拳に巻きつき振り払えない。



「王命!消えろ!」



 イッサクが自らの左手を噛み切り、その血でもって魔法の炎を砕いた。

 その間にデスノスが間合いを取るが、今度はミナがイッサクを捕まえようと腕を伸ばす。

 イッサクはデスノスを援護した分、逃げ遅れている。



「助けろ!ヒスイ!」



 イッサクが叫ぶとほぼ同時に、ヒスイはナマクラの剣に銃弾を5発が打ち込み、イッサクを吹き飛ばしてミナから逃れさせた。



 イッサクがヒスイにサムズアップすると、デスノスが呵呵と笑った。



「俺の妻は最高だろ!」



「ああ、俺のとは違ってお前の元妻は最高だ。なあヒスイ!」



 イッサクがヒスイに笑顔を向けると、ヒスイもうなずく。



「当たり前です。デスノスを捨てた私はミナより女として上ですから」



 そうして銃口をミナに向け直した。

 ミナは表情なく、静かにイッサクを睨んでいる。

 周囲を取り囲む炎がより高く、激しさを増していってた。



「(おー、キレてるキレてる)」



「(あと120)」



 このまま時間を稼げれば、大陸最強のミナからなんとか逃れられるかもしれない。

 わずかに見えてきた希望に、イッサクとデスノスは目配せし頷く。

 しかし、それも束の間だった。

 二人の背後から、地獄に落ちるような悲鳴が起きた。

 振り返ると、なんと、ヒスイが金に輝く炎に包まれて崩れ落ちていった。

 ヒスイを捉えているミナの目に、あの夜見た魔が煌々と輝いている。 



「イッサク!ヒスイを!」



 デスノスが悲鳴のように言い、自らはミナに向かおうとしたが、イッサクが腕を固く掴み、首を横に振った。



「お前はヒスイを連れて逃げろ。ミナは俺がなんとかする」



「だがあの炎はお前でないと」



「大丈夫だ。行け!」



 イッサクはデスノスを突き飛ばし、そしてミナへと吶喊した。



「おおおおっ!」



 イッサクは初っ端から全開で一気に間合いを詰め、ミナの目に向けてナマクラの剣を突き出した。

 ミナが微動だにせず、目だけをイッサクに向けると、突如、イッサクの顔の前に光球が現れ、爆発した。

 イッサクは空中で激しく回転し、地面に叩きつけらたが、すぐに立ち上がる。

 ミナを前にして立ち止まっている暇などない。

 だが、いきなり右の腿から鮮血が噴き上がった。



「!?」



 ミナの剣先に血が舞っている。

 イッサクは歯を食いしばり、なおもミナに向かって跳ぼうとする。

 だが次の瞬間、右腿だけでなく左の腿と両腕から血が噴き上がった。



「っ!速すぎだろ!」



 イッサクは吐き捨て、地べたに這いつくばる。

 ミナはカツカツと近づき、左手でイッサクの顔を掴んで吊り上げた。

 ミナは魔が光る目でイッサクを睨めあげるが、イッサクは背後のデスノスが気になってミナを見ない。

 ミナは奥歯をギリと鳴らし、イッサクを締め上げる左手に血管を浮かばせた。



「あの女は誰?」



「……」



 イッサクはミナの質問に答えない。

 ミナは剣を持ち直し、イッサクの首を切りつけた。 



「……っ」



 イッサクの血が、ミナの剣を伝い白金の鎧を赤く汚す。



「あの女は誰なのよ!」



 だがイッサクは答えない。うめき声すら出さない。

 ミナは目の魔の輝きを増し、二度三度と剣を突き刺すが、いたずらにミナの鎧が汚れるだけだった。

 ふとイッサクの口がかすかに動いた。



「足りないな」



「?」



「足りない足りない足りない。こんなんじゃ全然足りない」



 吊し上げられ何度も剣を刺されてもなお、イッサクは不敵に笑い、それまで決して離さなかったナマクラの剣を自分の首にあてがった。



「このくらいやらないとダメなんだよ」



 ナマクラがイッサクの首の上を音無く滑った。

 すると、ミナの左手にあったイッサクの重みが急に無くなり、ドサと、足元で何かが落ちる音がした。

 頭上から大量の血が降ってきた。

 ミナの白金の鎧が、長い金髪が、美しい顔が、みるみる赤く黒く汚れていく。



「うそ」



 ミナが呆然としてつぶやいた。

 左手はイッサクの顔を握っている。

 しかし、イッサクの首から下が切り落とされていたのだ。

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