第40話 据え膳食わぬ童貞から愛を込めて(1)

 どこからともなく、よくミナが淹れてくれた紅茶の香りがする。

 長い夢を見ていたのか、それとも悪夢はこれからなのか。

 すべてはイッサクが不思議な夢を見たことから始まった。

 夢では望みはかなわない。

 そのことから目を背けようとしても、現実からは逃げられない。

 

 

 目を覚ますと、イッサクは窓から青く暗い光が染み入る部屋の、ソファの上に寝かせられていた。

 ぼんやりと部屋の中を見回す。

 おびただしい文様が刺繍が施された絨毯。

 絡みつくような曲線を描く脚の椅子。

 コツコツと独尊に時を刻む大時計。

 女をそのまま固めたかのようにくびれた花器。

 客を不安にせずにはいられない贅沢な作りのその部屋は、王城の雰囲気によく似ていた。 

 その部屋の中央、窓からの青く暗い光が届かない暗がりに、少女が一人、ティーカップを手に、イッサクを監視するように座っていた。 



 古色とした部屋の中で、少女の姿は少々浮いていた。

 明るい茶色の髪をピンクの髪留めで一つにまとめ、目元にくっきりとしたメイクをし、指先をピンクのネイルで彩り、白いシャツにブレザーとミニスカートというどこかにありそうだが現実にはないだろう怪しい制服を合わせ、足元はダブダブのルーズソックスを履いているという、まるで昔のエロゲに出てくる白ギャルの格好をしていたのだ。



 彼女の表情のない顔に、イッサクは声を漏らしそうになった。

 フラドランの家で見たあの儀式の写真に写っていた少女とよく似ていたのだ。



「あんた、王族なの?」



 唐突に、抑揚無く、白ギャルは聞いてきた。

 キンと響いたその声には、ありありとした敵意。

 イッサクが体を起こそうとすると、足元でジャラと硬いものが擦れた。

 なんと左足が鎖に繋がれていた。

 白ギャルを見ると、白ギャルはイッサクの視線を跳ね返すように睨み返してきた。

 イッサクはふうと肩を落として答える。



「とりあえず、まだ国王だ」 



 国王と聞いて、白ギャルは嘲るように口の端だけで笑った。



「あんたみたいな童貞臭いのが国王?じょーだんでしょ」



「だったらなんで俺が王族だと思った?」



「ここにやってくるのが王族ぐらいだから」



 白ギャルはイッサクへの敵意を隠さない。

 イッサクは窓の外に目を向けた。

 窓の外には青く暗い光が満ちているだけで、月も、星も、街並みも、木々も、地面すらなく、本当に何も見えなかった。



「ここはあの世なのか?」



「知らないできたの?」



「わかれた嫁とその恋人から逃げるのに、とにかく必死でな」



 イッサクの心底ゲンナリした顔に、白ギャルは吹き出した。

 その笑顔をイッサクは不覚にも可愛いと思ってしまった。



「ここは彼岸と此岸の狭間。現実から逃げたいなら、おあつらえ向きね」



 逃げるという言葉が、チクリとイッサクの胸を刺す。



「お前もここに逃げてきたのか?」



 白ギャルは笑みを消し、あらたに敵意を込めてイッサクを見る。



「うちは友達を裏切ったからここにいるの」



「……なぜいちいち俺を睨む?」



「だって全部王族のせいだし」



「マジ?」



 イッサクは自分の一族がどれだけクズかよく分かっているが、少女を一人、この世ともあの世ともつかない世界に取り残すとは、本当に何をやらかしたのかと今更ながらに絶望する。



「何をされたかしらないけど、本当にすまなかった」



 イッサクは、白ギャルに深々と頭を下げた。

 白ギャルは、理由も聞かずにあっさり謝るイッサクに驚いて



「そ、そうよ、あんた……たちが最低なんだから」



 と非難の口調のキレが悪くなった。



「でかいおっさんと、青いスーツの女がいなかったか?」



「その二人なら奥の客間に寝かせた。運ぶのめっちゃ大変だったんだから」



 白ギャルがその時の疲れが残っているように息をつくと、イッサクはまた頭を下げた。



「そうか、感謝する」



 イッサクの頭頂部を見ながら、白ギャルは居心地が悪そうな顔になり、ポツリと言った。



「……リリウィ」



「ん?」



「うちの名前よ。あんたは?」



「俺はイッサク。最後の王様だ」



「最後?」



「ああ。王政は倒れ、王族も俺一人を残して全員死んだ。だから俺で最後だ」



「悪因悪果、因果応報。ほんとウケる」



 だがリリウィの顔の感情の色は薄い。

 イッサクは左足を上げて、繋がれている鎖をジャラと鳴らした。



「ところでさ、これ何?」



 左足にはめられている枷は、自分で外そうという気すら起こさせないほど、がっちりとイッサクの足を掴んでいる。



「そんなの、ここで死んでもらうために決まってるじゃん」   



 ごく当たり前のことのように言われ、イッサクは顔に冷や汗を浮かべる。



「それは、俺が王族だからか?」



「そ。王族死すべし」



「俺たちは一体何をやらかしたんだ?」



 リリウィはティーカップのぬるくなった紅茶をくいっと飲み干すと、立ち上がってイッサクを見下ろした。



「その話は、おあずけ。楽しみは取っておいた方がいいでしょ」



「なんでさ?」



「だってあんたはずっとここにいるんだから。

 精神がすり減って死にたくなっても、ずっとわたしと一緒にいるんだから。

 少ない楽しみは大事にしたほうがいいっしょ。

 安心して。やっと来てくれた王族なんだから、絶対に逃さない」



 リリウィは窓から滲む青く暗い光の中で、口を三日月のようにして笑った。

 カゴに閉じ込めた虫を見るような笑顔に、イッサクは喉を鳴らして唾を飲んだ。

 リリウィはティーセットを持って部屋から出ていく。

 その時ふとイッサクを振り返った。



「お茶、あんたも飲む?」



「睡眠薬が入っていないなら」



「なにそれ?」



「別れた嫁に、よく飲まされたんだよ」



 するとリリウィの目元にあからさまな不快が現れた。



「サイテー。一番騙したらダメな相手っしょ」



「そうかぁ?一番騙したい奴だろ、結婚相手なんてさ」



「なに?あんたも奥さん騙しているってこと?」



「もちろん」



 イッサクは得意げに頷くと、リリウィの不快の色がさらに濃くなる。



「そんなの、結婚の意味ないじゃん」



「結婚と恋愛は、生きていくことと死ぬことぐらい違うもんだよ」



 イッサクは自分のモットーを確認でもするかのように、はっきりという。

 リリウィにはその言葉が、不気味な生き物の、気味の悪い鳴き声のように聞こえた。



「そんなの、死すべしよ」



 そうしてリリウィの姿は青く暗い光の届かない暗闇の中へと消えた。

 その後、どれだけ待ったか、結局、お茶は出てこなかった。

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