第37話 袋の童貞は穴を目指す(6)

 ミナは冷たい真顔で、イッサクとヒスイのキスシーンを凝視していた。

 後に続いてきた近衞の騎士二人は、イッサクとデスノスを見つけて声を上げ、無線で指示を飛ばしている。

 マノンは初めて間近で見るミナに興奮して頬を赤らめていた。



 イッサクはヒスイに集中していた。

 ヒスイの唇が少し暖かくなった。腹に指を当てると、肋骨や内臓の怪我が回復しているのがわかり、イッサクはヒスイの胸に手を当てた。



「仕上げだ。王命、弱きものよ、退け!」



 ヒスイの体がビクと跳ね、口から「ううん」と吐息が漏れた。

 ミナの目がこれ以上無く見開かる。

 


「……逃げるぞ!」



 ミナの形相に恐れおののいたイッサクは、ヒスイをそっと寝かせ、ナマクラの剣をとって、窓に向かって走った。

 ミナは冷たい真顔のまま、なぜか動かない。だがそれがかえって不気味で、恐ろしかった。



「またな!マノン!ミナに遊んでもらっておけ」



 イッサクは時間稼ぎのつもりで言ったのだが、マノンは首を横に振った。



「わたしはミナ様からイッサクをネトるんだもん!」



 すると、それまで時間が止まっていたように動かなかったミナが、ぐりんとマノンを振り返った。見開かれた瞳からは静かな殺気すら漏れ出ていた。

 イッサクは10歳女児にマジの反応を示すミナにドン引きしつつも、ミナが気を取られている内に窓から外へと飛び降りた。



 路地にでると、近衞たちがイッサクを捕まえようと、すでに包囲を展開させていた。

 しかし地の利は3ヶ月間ここに潜んでいたイッサクにある。

 イッサクは細い路地へと逃げ込むと、ろくな明かりもない真っ暗な道を、全速力で走った。



「ちょっとまってくれ!」



 デスノスがついていけず、たまらず声を上げた。

 焦るイッサクは、もどかしく振り返ったが、デスノスの格好を見て唖然とした。

 なんとヒスイをおぶって来ていたのだ。



「なんで連れてきた!?後はミナにまかせておけよ!」



「いまのミナはだめだ。お前も見ただろ、ヒスイを見る目の異様さを。何をするかわからんぞ、あれは」



 言われてみれば、イッサクがヒスイに薬を飲ませているところや、マノン振り返った時のような目をしたミナを、イッサクは見たことがない。



「俺なんかしたか?」



「あのマノンという少女に手を出したと思われたのかもな。このロリ王め」



「ロリは濡れ衣だ!!」



 そうこうしている間にも,近衞騎士や警察官の声が迫ってきていた。

 イッサクは気を取り直して、また路地を歩き出す。



「とにかく逃げるぞ」



「でもどこに逃げる?通りには検問、店や駅には警察官が張り付いているし、包囲も一気に狭められている。どこかの民家に押し入っても通報されたら逃げ場がなくなる」



 デスノスは言いながら、現状を整理している。

 イッサクは「ふむ」と少し考えると、路地を出て、明るくて大きな通りに出た。

 大勢の祭りの客の中に見える警官の数が、さっきよりも明らかに増えている。



「こんなところにいたらすぐに見るかるぞ」



 デスノスが背を丸めてイッサクの耳元で訴えるが、イッサクはデスノスに目出し帽を渡していった。



「さっき拾った。これつけて堂々とゆっくり歩け」



「なぜ俺がこんなものを」



「似合うからだよ」



 そう言ってイッサクも、拾った猫耳のアクセサリーを頭につけると、街の中心部に向かって、周りの客たちと同じスピードで歩き出した。



「この方向であってるのか?中心に向かっておるぞ?」



 前から4人の警官が歩いてくるのをみて、デスノスは不安げに聞いた。

 ミナの近衛から連絡がいっているのだろう。警官たちは鋭い目つきで、あたりを見回している。

 目出し帽を被ったデスノスが、緊張して少し早足になりかけると、イッサクがデスノスの脇腹を殴った。



「殺人鬼になりきって、ゆっくりだ」



 イッサクは、いつの間にか手に光る輪っかをくるくる回して笑っている。

 警官たちはもう目の前にきている。

 デスノスは覚悟を決めて、一回深呼吸をし、のしのしと歩く。

 ゆっくり歩いていると、またあの死霊たちがヒスイめがけて群がってきた。

 イッサクとデスノスが、死霊の手をあしらいながら歩いていき、4人の警官たちととすれ違う。



 彼らはイッサクとデスノスに視線を向けることも無く、そのまま離れていった。

 デスノスはふうっと息をつくと、イッサクが笑った。



「逃げてる奴が、こんな格好をして中心部に歩いていくとは思わんよな」



 イッサクは死霊の何体かを蹴り倒しながら笑っているが、デスノスは狐につままれたような顔をしていた。

 警察官は無能ではない。

 いくら仮装した人間があふれていようとも、不審者に気づかないなんてことはない。

 ましてや、いまは非常線が張られている最中だ。

 だが警察官たちは、すぐ横にいたイッサクに見向きもしなかった。

 影や存在感が薄いというレベルではない。

 まるでイッサクという人間が、ここにいなかったような感じだった。



「どしたよ?」



 イッサクが振り返った。

 デスノスは、目の前のヘラヘラした顔をじっと見据えて言った。



「お前は、本当にここにいるのか?」



 イッサクはデスノスの青ざめた顔をみて、ニヤと笑っていった。



「俺はまだここにいるじゃねーか」



 そうしてイッサクは人の流れの中へと歩いていく。その後姿は、瞬きをしている間に見失いそうで、デスノスは慌てて追いかけた。

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