梢子が思い出の織女神にあずけた鍵

 私は珊瑚梢子さんごしょうこ。ケーブルテレビのリポーターだ。今日は母校の近く、麻布の元神明近くに取材で来ている。


 だが仕事は明日だ。前のりである。麻布に新しく出来た三日月形のショッピングモールの一角に、各地の銘酒を取り揃える試飲テーマブースが出来る。昔風に言えば「角打」と言う。


 その下見を終えて、駅に戻ってきた私は、大学近くにある懐かしの居酒屋に入る。

 今日の私の服はここに不似合い。

 髪にはおとなしめのリボン。白のファー調のワンピース。白いストッキングに紅のローヒール。冬を意識した装いだ。明日のリポートは着物なので、今日は自分好みの洋装である。


 なんと縄暖簾なわのれんを潜った先に、美味しそうに猪口をすする見慣れた人物を発見する。

「あ」

「あっ!」

 二人の声が重なった。


「あれ? 珊瑚さんごじゃないか」と猪口をテーブルに置く男性。

 お客のまばらなその店内に彼の声は響いた。

「石鯛先輩?」

 そう、彼は大学の先輩だ。

「ひとり?」と訊く彼。

「ええ」

「相変わらず美人さんだな」と気さくに笑う先輩。

「なによ、もう酔っているの?」と気心の知れた人物に遠慮無く言い返す。


 照れくさそうに「まあね、景気づけの一杯だ」と徳利を私に見せた。おそらく中身は彼の好きな久保田だろう。

 この先輩の口癖だ。『景気づけの一杯』が深夜まで続く深酒派なのだ。

「相変わらずね」というと、彼は自分のテーブルの前の空席を目線で勧める。

 私は軽く頷くと、ハンドバッグを足下の荷物カゴに入れる。

「しょうがない、昔なじみで先輩の相手でもしてやるか!」と恩着せがましくも、軽く笑って彼の前に座った。そんな上から目線の言葉だが、既に私の心は『焼け棒杭ぼっくいに火』って感じだ。嬉しさと懐かしさと愛しさが止まらない。


「何、仕事?」と彼。少し猫背気味で相変わらず美味しそうに日本酒をすする。そう、この姿が学生時代の私の理想、好きな男性像だっだ。

「うん、最後の仕事でね、私もう辞めるんだ」と切り出す私。

「何? 結婚するの」と心配そうな顔がまた懐かしい。その心配は私だけにしてくれる顔なら嬉しいのだが、この男誰にでも善良なのだ。近所のおじさんや親戚のお兄ちゃん的な心配の仕方である。


「逆よ。この仕事してたら、婚期逃すわ。出会い無いし」と髪をかき上げて笑う私。

 思い過ごしかも知れないが、先輩の顔が少し綻ぶように見えた。


 届けられた猪口を私が手にすると、先輩は自分の徳利から日本酒を注いでくれる。

 私が一礼してくいっと飲み干すと先輩は続けた。

「相変わらず真面目だな、珊瑚は」と笑う。

「先輩こそ、こんな大学の近くで思い出探し?」

「僕も仕事。こう見えても、酒造会社の専務だから」と笑う。

「ああ先輩のご実家造り酒屋だったもんね。学生の時皆で押しかけたっけ。足利だ」

「そうそう」

「実家を継いでいるんだ、偉いね」と軽く日常会話の流れで言ってみる。

「なんだその近所の子どもに駄賃をくれる時みたいな褒め方は?」

「絡むわね」と笑う私。

「僕は明日、仕事でケーブルテレビに出るんだぞ」と威張ってみせる先輩。

 そこで私、「ん?」と何か引っかかるモノが脳裏を横切った。

『造り酒屋とケーブルテレビ』

 なんだこのパズルの組み合わせのような鍵言葉キーワード

「先輩って、あのディアナショッピングモールの銘酒アーケードの特番に出るの?」と訊ねてみる。

「何でお前が知っているんだよ? 仕手せんがらみか?」と茶化す先輩。

「アタシは株屋じゃ無い!」

「じゃあ、何で知っている。どんな理由だ?」

「その番組のリポーター、アタシだよ。先輩」と笑った。


「おお、まじか?」

「まじだよ」と笑いながらも私は、おきまりで好物の焼き鳥を注文した。



 翌日のディアナショッピングモール。明日の開店を控えた最終チェックがあちこちで進んでいる。そんな中、一発撮りの仕事は順調に終わった。

 真新しい木材で区切られた銘酒ブースは、まだ木の香りがする新築住居と同じ香りだ。

「珊瑚、ありがとうナ」と先輩、石鯛縞五郎いしだいしまごろうは私に礼を述べる。結構緊張しいなところも昔と変わらなくて、私には微笑ましく思えた。


 その傍らでは先輩の父と妹さんが会話している。

「沙織、今日は鮭野さけのくんは来ないのか? この試飲ブースの感想が知りたいんだよ」

 足利から駆けつけた石鯛酒造の当主、即ち先輩の父はそわそわしながらブースにいた。グレーの髪で、酒造会社の半被を羽織って店内を行ったり来たりだ。

「誘ってないから、今日はお仕事してるわよ」

 呆れたように目を細めながら父親を宥める妹さん。


 だが『おまけ』で呼ばれてきている妹さんはかなり迷惑そうだ。

 私は、三つ歳下の彼女とは面識がある。そうあの時、彼女はまだ高校生だった。


 カウンターの椅子に座っていた先輩の妹に声をかけてみる。

「妹さん、私を覚えている?」

 彼女はハッとして、

「あれ? 昔、ウチに泊まりに来ていた兄の大学サークルのおねえさんですよね。ミスコン優勝の美人おねえさん」とすぐに分かった。

「そうそう、美人かどうかは分からないけど、ご無沙汰しています」と私は笑顔で一礼をする。

 和服の私を確かめる彼女。何かを悟ったように、はっとして、

「じゃあ、さっきウチの兄にインタビューしていた和装のリポーターの方って……」と言いかけた彼女に向かって、「はい、私よ」と持っていたマイクをビュと彼女に差し出して見せた。

「ええっ?」と驚く妹さん。

「これって偶然なんですか?」

「そうなんですよ」と笑う私。


 妹さんは頷いて、

御利益ごりやくですかねえ」と小声で笑った。

「何の?」と私。

「昨日ね、兄は私と一緒に足利の町中にある伊勢神社と織姫神社おりひめじんじゃに、あ、私たちの町では『お伊勢さん』、『織姫さん』で通るんですけど、そのふたつの神社にウチの日本酒を奉納してきたんです。そのまま兄は前日なのに東京に出て行きました。学生時代に行きつけだった縄暖簾に行きたいって言って、可愛い妹を駅に置き去りにして。おかげで私が自分で車運転をして帰りました」


「ああ、夕べの話ですね。昨夜そのお店で偶然先輩とお会いしました」 


 すると妹さんは思わせぶりな顔で私を見る。


「今朝、この会場に来たら、兄、何て言ったと思います」

「さあ?」

昨夜ゆうべ、学生時代に好きだった後輩の梢子に飲み屋でばったり会っちゃってさ、お参りすると良いことあるもんだね、と上機嫌で品物の展示に精を出してました。よく働いてます。美人の効果覿面ですね」

「あらまあ」

 私は開いた右の掌で口を被う仕草で笑った。この業界にいると容姿に自信のある人などごまんといる。私など十人並みだ。


『確かにあの時、足利に行ったときに、美人弁天神社で皆にくれる美人の認定書はもらった記憶あるけど』とほくそ笑む私。


 だがそれよりも先輩が自分をそんな風に見ていてくれたなんて、自然と嬉しさがこみ上げる。しかもその妹さんを介してとはいえ、想いを知ると嬉しさから顔が熱くなる。


 そう、なぜなら私も学生時代、意図的に先輩と付かず離れずのポジションにいた。


「内緒ですよ」と妹さんは私にそっと耳打ちした。

「学生の頃、兄はおねえさんが好きだけど、あんなに美人でミスコン優勝しちゃったから告白しそびれちゃった」と悄気しょげてました。

「ええ、両思いだったんだ」と思わず声に出す私。いや、そんな重大な情報、声を出さずにはいられなかった。

『しまった!』

 そう思い返した時は既に遅し。妹さんの顔がニヤリと笑う。

「良いこと聞いちゃった」と小学生なみの企み顔である。この美形小娘、結構やり手とみた。


「私、今の彼氏とは小さなお節介で繋がっているんです。程良いお節介が大好き。キューピッドは私!」と唐突な台詞を私にかます。

「なに?」と私は首を傾げた。彼女の台詞は私に伝わっていない。

 彼女はカウンター席から徐に立ち上がると、ニヤリと私の顔を一瞬見て、「おにいさま~」といたずら声を出して、ピュっと売り場の兄の元に走り去った。

 呆気にとられる瞬時の出来事にその場に佇む私だった。



 取材の一件から三年が過ぎ、私は足利の石鯛酒造にいる。渡良瀬川の綺麗なせせらぎと赤城、日光の連山を見渡せる緑豊かな平野の町だ。


 今日は織姫さんにお使いだ。

 葛籠折つづらおれの坂道を走る自動車。やがて月見の名所である織姫山の中腹、神社の駐車場へと辿り着く。

「ここはさ、伊勢神宮の女神もおいでになる」と主人。

「そうでしたね。結婚式の時に聞いたわ」と私。

「だから君と僕は土地の縁もあったのかな?」と笑う。

「どうかしら?」とまんざらでも無い顔の私。すっかり妻の顔だ。


「覚えている、我が家に来たあの学生の夏の日、梢子と僕はあの鉄柵に一緒に鍵をかけたんだよ」と笑う。ここはカップルでお神籤みくじ結びの様に鍵、錠前をかける習慣のある神社だ。

「もちろん。私が引っ張っていったもん。先輩のお嫁さんになれるかな? なんて甘酸っぱい思いをしながらあの鍵をかけたわ」

 私は何百と並ぶ錠を指さす。


 そして続けて「頼りない僕だけど……」といった言葉を、私は断ち切る。

「そこが良いんです。私にも考える場をくれるあなたのその性格が私には合っているの。上からでも無く、強引でも無く、あなたのその性格がとても居心地が良いの」

「そっか」と嬉しそうに答える彼。

 熨斗紙で包んだ清酒を抱きかかえると彼は車を降りて神社の藤棚を潜る。


 和服の私は少し後ろを静々と小幅に歩く。


 朱塗りの社殿を右手に見ながら、ここで挙式した昨年を思い出す。私の両親は凄く喜んだ。私の両親は、三重の出身。萬幡豊秋津師比売命よろづはたとよあきつしひめのみこと、別名、栲幡千千姫命たくはたちぢひめのみことはこの神社のご祭神の一柱ひとはしら。内宮さんのご相殿右方の女神さまだ。


「早くおいで」といつの間にか先に行ってしまった主人が手招きをする。

「はい、ただいま」と着物の絹裾をはだけないように押さえながら急ぎ足の私。

 足利の町とこの神さまに笑顔を向ける私だった。          了



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三日月が似合う神明社-恋と御縁の浪漫物語・足利編- 南瀬匡躬 @MINAMISEMasami

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