故郷

口羽龍

1

 ここは山陰地方の小さな城下町。古くからの街並みが残る、小京都のような所だ。その古くからの街並みを目当てに観光客が訪れる。


 そこを1台のベンツが走っている。ナンバープレートには『東京』と書かれている。その中には2人の男性が乗っている。大熊孝之(おおくまたかゆき)と村林武志(むらばやしたけし)だ。武志は昔からここに住んでいる。孝之はこの街の出身だが、今は東京に住んでいる。


 孝之は売れっ子作家で、ペンネームは神山夢志亜(こうやまめしあ)だ。そんな男は、故郷を捨てた過去があった。そして、大熊孝之という名前を捨てて生きてきた。


 母の1周忌を終えて、孝之は明日、東京に帰る。父は数年前に亡くなり、もうこの街に帰る必要はない。これからずっと東京で暮らすだろう。


「久しぶりだね」

「ああ」


 何十年ぶりに城下町の通りを走っている。懐かしい。あの頃と変わっていない。だが、孝之は笑みを浮かべない。故郷にいるのが楽しくないようだ。


「懐かしいな」

「うん」


 武志は孝之と過ごした少年時代を思い浮かべた。辛い事が多いけれど、その中にいい思い出もある。だけど、目を覆いたくなるほど辛い日々ばかりだ。


 やがて、通りを左折して、狭い路地に入った。人通りが少ない一方通行の道だ。


「この道、何度通ったんだろう」


 2人がよく通った道だ。武志は懐かしそうに見ている。だが、孝之の顔は浮かれない。それほど辛い日々だったんだろう。


 しばらく走ると、古びた家がある。その家は空き家になっていて、入口には『売家』の札がある。そこが孝之の家だ。母が死んでから間もなくして、孝之が家を売った。だが、まだ売れていないようだ。


「ここが家だったんだよな」

「もう跡形もないけど」


 2人は家の前にやって来た。ドアを開けると、2人は家を見上げる。孝之はここに住んでいた頃を思い出した。思い出したくないのに。




 それは中学校の頃だった。孝之はいじめられっ子で、多くの同級生にいじめられていた。孝之は運動神経がほとんどなく、それが理由でいじめられていた。何度先生に言っても、彼らは反省せずにまたいじめる。そして、先生に話したら集団で殴る。それがきっかけで、孝之は先生に言う勇気を失ってしまった。


 帰り道、孝之は自分の鞄を取られ、追いかけた。だが、足の遅い孝之は追いつけない。ばててしまうしまう。なかなか奪い返せない。その様子をみんな笑って見ている。孝之はその度に辛くなった。みんな自分がいじめられるのを面白そうだと見ているに違いない。いじめようとしているに違いない。


「返せ! 返せ!」

「ほれ!」


 同級生はその後ろにいた別の同級生に鞄を投げた。今度は孝之はその同級生を追いかけた。だが、追いつかない。


「ほれ!」


 同級生は壁の前でまた別の同級生に鞄を投げた。怒りが浸透した孝之はその勢いで同級生に体当たりした。同級生は後頭部を強く打ち、その場にうずくまる。


「痛てっ!」


 それを見て、同級生は駆け寄る。同級生はなかなか動かない。そのすきに孝之は鞄を取り返した。孝之は避けるようにそのまま帰っていった。


「大丈夫?」


 と、後ろから同級生がやって来た。武志だ。孝之の唯一無二の友人で、孝之をかわいそうだと思っている。だが、先生に言うたびに殴られているのを見て、武志も言う勇気がなくなってしまった。本当は止めたい気持ちでいっぱいなのに。


「うん」


 孝之は涙ながらに武志に抱きついた。武志は孝之を抱きしめた。どんなに辛くても、僕が守ってみせる。孝之は大切な友達なんだから。




 高校3年の3月、孝之は別の街に旅立つ事にした。大学に進学するためだ。だが孝之は、ある目標を抱いての理由だった。


 中学校の頃から小説を書いていた孝之は、神山夢志亜のペンネームで密かに活動していた。高校生に入る頃になると、神山夢志亜の名は世間で話題になり、天才少年として話題になった。そして、大学を経てプロデビューする目標を立てていた。


 孝之と武志は最寄り駅の前にいた。駅には多くの人が行き交っているが、その中には故郷を離れる日ともいる。孝之もその中の1人だ。


「本当に行っちゃうの?」

「うん」


 孝之の決意は固い。自分の過去を捨てるためにこの街を離れるんだ。帰省でしかここに帰りたくない。もうここは、僕のいる場所じゃない。


「俺は、過去を捨てたいんだよ」

「そうか」


 武志はその考えに賛同していた。辛いけど、孝之が決めた事だ。孝之なら、必ず栄光をつかむ事ができるだろう。だって、孝之には小説家としての才能がある。


「両親には内緒だけど、もう故郷には住みたくないんだよ」

「そうなんだ」


 孝之は下を向いた。だが、下を向いてはならない。もう故郷には住まないのだ。これから自分は大海原へと突き進んでいく。その果てに必ず栄光を見る。


「絶対に小説家になれると信じてるよ! だって孝ちゃん、才能があるもん!」

「ありがとう」


 孝之は改札に入り、手を振った。すると、武志も手を振った。そして、孝之は大学のある別の街に向かった。武志はその姿を頼もしそうに見ていた。もし小説家になれば、この街の偉人に慣れる。いじめの事なんか、忘れる事ができるだろう。




 大学も終わりに近づいた頃、孝之は上機嫌になっていた。有名な文学賞を受賞した事で、大学卒業後にプロデビューが決まった。いよいよこれから明るい未来が待っている。


 その時、電話が鳴った。武志だろうか? 孝之は電話を取った。


「孝之、小説家になるってのは本当なのか?」


 父だ。小説家になろうと思っているのを知ってしまうとは。秘密にしていたのに、どうしてだろう。まさか、近所の人から聞いたんだろうか?


「うん」


 孝之は震えながら答えた。本当は知ってほしくなかったのに。秘密を守る事は、やはりできなかったんだろうか?


「こんなので稼げると思ってんのか? もっとまともな仕事をしなさい!」


 両親はもっとまともな仕事をしてほしいと願っている。親としても恥ずかしい仕事に就いてほしくなかった。


「それでも、みんなが待っているんだ! 俺は売れっ子作家なんだ!」


 孝之は大声で訴えた。自分は売れっ子小説家だ。多くの人が僕の作品を待っているんだ。彼らのために、頑張らなければならない。


「やめなさい! もしそんな事なら、実家に帰すからね!」


 父は強い口調だ。そんな夢を持つようなら、地元に返して、そこで就職活動させる。そして、まともな仕事をしてもらう。


「やだ!」


 それでも孝之は考えを変えようとしない。みんなが待っている。俺は売れっ子小説家なんだ。


「お父さんやお母さんの言う事を聞きなさい!」

「やだ!」


 すると、父が机を叩く音がした。父はかなり怒っているようだ。孝之は少し怯えたが、すぐに持ち直した。


「もういい! 嫌でも連れ戻す!」


 少し考えた後、立ち直って孝之は予定を立てた。もちろん、両親には内緒だ。


「わ、わかった。あさって、来てね」


 父の電話が切れた。だが、孝之の語ったのは嘘だ。明日、こっそりと東京に引っ越そう。東京には親しい文芸仲間がいる。そこの家に密かに居候しながら執筆しよう。


 すぐに、孝之は別の人に電話をかけた。文芸仲間の星七(せな)だ。東京に住んでいる3歳年上の文芸仲間で、秘かに交際している。そして、大学を卒業したら、一緒に東京に住もうと思っている。


「どうしたの?」

「お父さんが実家に連れ戻すって言うんだよ。俺、帰りたくないのに。みんな待ってくれてんのに」


 孝之は悩んでいる。孝之には夢があるのに、待っている人がいるのに。帰りたくないのに強制的に帰らせるなんて、絶対に許せない。


「わかるよ」


 そして、深呼吸をして、孝之は本当の事を言った。これからの人生の事だ。


「こっそり東京に引っ越そうかなって思ってる」

「本当なの?」


 星七は驚いた。まさか、夜逃げしようとするんだろうか? もしそうなら、ここで住んでもいいと話している。


「うん。もう故郷に帰りたくないんだ」


 孝之の決意は固い。辛い思い出があるんだ。もう故郷に戻りたくない。戻ってもまたいじめられるだけだ。辛い日々はもうこりごりだ。


「なら、私も協力するわ」


 星七もその思いに賛同だ。みんなが待っているのに、家庭の事情で小説家を諦めろなんて絶対に許さない。


「ありがとう」


 孝之は計画を立てた。明日のお昼までに支度をして、夜行バスに乗って東京に行こう。そして、星七と同居しながら執筆をするんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る