プロキア王国編
第1話 転生者の世界
「ヒロ・ナカジマ。お気の毒だけど、貴方は死んでしまった」
「は?」
ヒロと呼ばれた赤髪の少年は、目の前にいる空色のショートヘアと海色の瞳を持った少女に死を告げられていた。
彼は岩肌の露出した洞窟に寝かせられていた。通っていた高校の制服は何故か濡れていたため干されており、代わりに土色の質素な服を着せられていた。
日本の都市圏では味わえない澄んだ空気を吸った彼は、ここは何処だ、俺はなんでここにいると問うた。そして、いかにも学校指定といったブレザーを纏った少女から帰って来た答えが、これだったのだ。
「ちょっと待った、色々わけわかんない。ここは地獄で、貴女は地獄の女神とか?」
「違う。あと私は神じゃない。ミライ・ヒロセって名前の人間」
「だったら何でその人間に、俺が死んだって言えるのさ」
ヒロは自分の名前を知っている理由も聞こうとしたが、その前にミライが口を挟む。
「貴方は死んで異世界転生してきた。この、『アルテンシア』に」
「ある……なんて?」
魔術が文明を支えるアルテンシアには、召喚という形で異世界から転生してくる生物がいる。
それらは『転生者』と呼ばれ、世界条約により各国の召喚行為に制限が設けられるほどの強力な存在として認知されている。
ミライも転生者の一人で、二十一世紀の地球から転生した後はアルテンシア西部に位置する『プロキア王国』に属し、国からの依頼をこなして日銭を稼いでいた。
その一環で、今月召喚された転生者の回収を依頼され、王国領の森林地帯にある泉に落ちて土左衛門のごとく浮かんでいたヒロを回収したらしい。
「ここに運んできたのも、現地の人から洞窟じゃなきゃ治療が難しいと言われたから」
「なる、ほど……?」
事のあらましを聞き終えたヒロは、網膜に宇宙を浮かべて理解を放棄したような顔を作っていた。
「信じてない顔してる」
「ここまで言われて、しかも命も助けて貰ったなら信じるしかないんだろうけどさ」
「だろうけど?」
「実感わかないんだよ。転生するなら、ほかに適任な人が居ただろ、とかさ」
転生する前、ヒロは平凡未満の高校生だった。だからこそ、サッカー部のエースや学年トップの秀才など、優秀な人間が転生すべきだったのではと考えていた。
悩みで唸るヒロの様子を気にもとめず、ミライは真顔で問いかけた。
「そう。ところで、貴方は髪を染めたことある?」
「あるわけないじゃん。ずっと黒一色だわ」ヒロは引き気味に答える。
「スペイン語の経験は?」
「突然なんだよ。わかるわけないだろ、英語の成績も良くないのに」
「うん。とりあえず、その指輪を取ってみて」
ヒロは訝しげに眉をひそめながら、左の人差し指にはめられていた銀の指輪を取る。すると、彼には聞き覚えのない言語でミライが喋りかけてきた。
「ごめん、さっきみたいに日本語でお願い」
「髪についての質問あたりからドイツ語だったけど」
「いや今も日本語だし、さっきもそうだろ」
「その指輪のおかげ。自動的に、装着者が一番理解できる言語に翻訳してくれる」
「えっ」
ヒロがすぐに指輪をはめなおし、まじまじと見つめる。
「それに、貴方の髪は黒じゃない」
「えっえっ」
ミライが取り出した手鏡の前で、まるで別人のようになった自分の姿を見たヒロが目を丸くする。
「これで信じて貰えた?」
「うう……まあ、うん……」
納得いかないといった様子で声を上げながら、ヒロは目の前に広がる新しい現実を噛み締めようとした。
だが煮え切らない態度を見続けたミライは、少年の眼前へと一気に顔を詰め、少し声を張り上げた。
「貴方は転生したの。だから、この世界で新しい生活を始めなければいけない」
「わかった、もうわかったから!!」
「本当に?」
「俺、こういう世界好きだし! 俺だけこんな思いしていいのか、って戸惑ってただけ!」
「ならいい」
澄まし顔のミライが体勢を立て直す。
「色々と質問していく。貴方の死因は?」
「死因って……それ聞いてどうすんだよ」
「重要事項。貴方の力量や、今回の転生者の数を測るために必要」
「だからって、死んだときのことを思い出したくは」
「答えないならトラックに轢かれたことにするけど」
「人の死因を勝手に決めてんじゃねえ!? わかったよ、言うよ!!」
「最初からそうすればいいのに」
頭を抱えて溜息をつくヒロを横目に、ミライがボソリと呟く。
「地震があったんだ。規模はわからないけど、俺の街は無茶苦茶になった。建物は崩れて、道路も割れて。俺も……屋上から」
「え。トラックじゃないの?」
「異世界転生の原因が何でもトラックだと思うなよ」
「知ってる。私は飛行機事故だったし」
「何だコイツ……」
仏頂面で答える少女のペースに、ヒロは呆れて目を伏せる。
「貴方の言っていることが本当なら、今回は相当な規模の召喚になったはず」
「規模?」
「さっき言った通り。異世界召換術式は、別世界で死者が出た時空に接続して魂を回収し、アルテンシアに呼び寄せるもの。だから同時に亡くなった人の数が多いほど、転生者の数や質も比例して多くなる」
「……ってことは、俺の他にも転生者が?」
「可能性は高い」
それを聞いたヒロは目を見開き身体を乗り出し、ミライの肩をガッシリと掴んだ。
「他に、俺の他に転生してきた人を見なかった!?」
「いきなりどうしたの」
「『真央』って名前に聞き覚えは!?」
「揺らさないで、知らない、ほんと」
「あ……ごめん」
我に帰ったヒロが手を離して後ろに下がる。
「大切な人?」
「唯一の友達だったんだ。俺の命より大切な人。だから、探しに行かなきゃ」
「認められない」
「居るとしたら、まだ近くだと思うんだ。確率がゼロじゃないなら、ソレに賭けたい」
「転生者がアルテンシアで活動するためには正式な手続きが必要。それまでは」
「後で受けるからさ!!」
「だから認められないんだって」
転生者は総じて強大な力を有するため、彼らが意図せずとも災害とも呼べる様々な被害をもたらす可能性がある。
さらに、突然手に入った力に溺れ、悪事を働く転生者も少なく無い。
そのため、各国で転生者を管理しなければならないのだという。ミライの独断で、彼の勝手な行動を認めるわけにもいかないため、どうしても幼馴染を探しに行きたいヒロの意見と対立し、平行線を辿っていた。
やがてヒロは「一刻も早く探さないといけない」と告げ、洞窟を出て行こうとした。
しかし、同じタイミングで洞窟に入ってきた少女とぶつかってしまった。
「うべぇ!?」
「いたっ……あ、貴方起きてたの!?」
尻餅をついたヒロに、少女が心配そうに手を差し伸べた。彼女は三つ編みにした金色の髪と瞳で、しっかり者といった様子の面持ちをしていた。その少女を見たヒロは、今いる世界が本当に異世界なのだと再実感した。
申し訳なさそうに手を伸ばしたヒロは、そのまま少女に引っ張られて目を覚ました場所に再び寝かせられてしまった。
「もう、しばらく意識なかったんだから安静にしてなきゃダメでしょ」
「でも、俺は幼馴染を」
「言い訳しない! ポーション作るから待つ!」
「は、はい!?」
キンカンのような黄色い木の実が山盛りに入ったカゴを置いた少女が、すり鉢をカバンから取り出して木の実をすり潰し始めた。
「そっか……暫く寝てたのか……」
「転生者相手に肝が据わってるよね、あの子」
「それに、すっげぇ異世界感増した気がする。エルフとかも居るの?」
「居ない」
「それは居ないんだな」
ファンタジーというよりもヨーロッパみたいな世界なんだな、とヒロは呟いた。
「助けてくれてありがとな。俺はヒロ。ヒロ・ナカジマだ」
「あらどうも。アタシは、エリーゼ・ワァグナー。エリーゼって呼んで」
エリーゼは、転生者の謝礼に対して笑みを返した。
「にしても、ヒロは話のわかる転生者で助かったわ。そっちの澄まし顔は名前も知らないし、会話も最低限で成立しそうになかったし」
「え。マジ?」
引き気味な視線をミライに向ける。
「コミュニケーションは最低限でいい」
「だからってなぁ」
「そうよ。実際、アタシがこの森のルールを教えてなかったらヒロは死んでたしね」
「……途切れた質問の続きをする」
「誤魔化した」
「誤魔化したわね」
二人が向ける軽蔑の視線に対し、ミライは咳払いを返した。
「貴方の能力は何?」
「能力……?」
「転生者は、何かしらの能力を持ってるのよ。趣味趣向、転生の原因となった事象や環境などが影響してるんだって」
「へえ。詳しいんだな、エリーゼ!」
「弟が転生者に憧れててね。おかげでアタシも知識がついちゃったのよ」
「憧れ、か……」
「まあ、ウチのお爺ちゃんは転生者が大っ嫌いだから、いつも殺されかけるんだけどね」
「えぇ……」
勝ち気なエリーゼが恐怖の相を浮かべている様を見て、ヒロも思わず身震いしてしまった。
だが、すぐさま気持ちを切り替え、能力について考えてみることにした。
ヒロは自分のことを非常によく理解していた。転生した後の現在までも悩み、自問自答してきたからだ。
なぜ筋トレしても強くなれないのだろう。
なぜテストで良い成績を取れないのだろう。
なぜ友達が少ないのだろう。
そして何よりも、なぜ勇者になれない――
「俺に能力は無いと思う」
いつの間にか、そんな言葉が漏れていた。
中嶋尋は、幼少の頃から勇者に憧れていた。
圧倒的な力と正義の心で悪いモンスターを倒し、世界に平和をもたらすRPGの主人公になりたいと、ずっと願っていた。
そのため剣道を習ったが、基礎もままならずに破門となった。ならばと休日はひたすら勉強机に向き合ったが、成績は一向に伸びなかった。
さらに、現代日本に魔王は居なければ、銃刀法で剣は持てず魔法も無かった。
やがて身体に比例して、叶わない夢への渇望と幼稚な自分への羞恥心が大きくなっていったのだ。
そんな尋に、文武両道才色兼備と周囲から言われていた真央は、ずっと側で助けてくれたのだ。誇らしさと同時に、不釣り合いな自分が更に恨めしくなった。
しかし最期のとき、大切な親友の側に居られなかった。
手を伸ばす彼女の手を、取ってやれなかった。何かを叫んでいる、その声を聞き取れなかった。
ヒロは自分の無力さのせいで、人生の恩人に何もできなかったことを吐き気を催すほど後悔していたのだ。
「あり得ない。転生者は」
「そんな奴なんだよ、俺は!」
問い詰めるミライに向かってヒロは強く叫んだ。木の実をすり潰していたエリーゼが思わず驚き、手が止まる。
「成績も平凡未満、本当にしたいことだって叶わない!!」
得意なことはあった。秀でた能力のある兄と妹にばかり目を向ける両親の気をひくため、懸命に家事と料理を覚えて貢献していた。
そのおかげか腕に自信があったため、バイト代を叩き、真央に毎日お弁当を作っていた。彼女の喜ぶ顔を見るのが、尋の活力だったのだ。
「そんな奴だから……俺は、真央を……」
「ヒロ……」
岩肌を強く握りしめるヒロの肩を、エリーゼは心配そうにさする。
「そう。でも能力はあるはず。そのマオって人への後悔が関係しているのでは」
「アンタね、デリカシーってのは無いの!?」
「必要ない」
氷のように冷たい表情で、ミライが言い放った。
「この……!」
「……ごめんな、心配かけて。それに、急に大声も出しちゃって」
「いいのよ。コイツに人の心が無いだけだし」
「それは言い過ぎなんじゃないかな」
拗ねてソッポを向くエリーゼを宥めてから、ヒロはミライに改めて向き合った。
「まだ、俺は自分の能力が何かもわからないんだ。分かり次第伝えるから待ってくれないかな」
「……」
彼女は、渋々といった様子で頷いた。
「ありがとう」
「じゃ、そろそろポーションも出来るから。飲んだら出発しよ!」
「そうだな! ヒロセさんも、それでいい?」
「王国へ直帰するなら」
「……まあ、どうしてもっていうなら手続きだけ済ませるかぁ」
ヒロは溜息混じりに了承した。
〜〜〜〜〜〜
ポーションで傷を治してから洞窟を出ると、沈みかけた太陽の光が木々の葉の間を潜り抜けてヒロ達を照らしてきた。
空気も洞窟の中以上に澄んでおり、呼吸をするたび、実りの季節特有の仄かな甘い香りと共に透明な空気が身体中を巡り活力を与えた。
「すっげえなこりゃ……」
「そうでしょ。ここは『豊穣の森』って言われててね、プロキアで一番広くて生命が溢れているって評判なの!」
「確かにな。おかげで身体のだるさも傷もブッ飛んだ!」
「そりゃそうよ、アタシの村のポーションは、どんな回復魔術にも負けないんだから!」
エリーゼは得意げに豊満な胸を張る。
「なんかエナドリみたいな感じだ……後でメチャクチャだるくなるとか無いよな?」
「安静にしてれば大丈夫よ。身体を構成するマナの活性化で、代謝を上げまくって怪我を治すわけだし」
「マナ?」
ヒロが問うと、エリーゼは嬉々として答える。
「この世界の物質を構成している元素ね。魔術とかで命令を与えてあげると、色んなものに変化したり、様々な現象を引き起こすの」
「だから『魔力』とも呼ばれてる」
「万能なエネルギーみたいな感じ?」
「そそ。大気中にも含まれてるし、なんならアタシたちの身体を構成しているのもマナなのよ」
「へえ〜……」
万物を構成する物質などという非科学的なものを聞かされたヒロは、思わず空返事をしてしまった。
「どうしたの、そんな返事して」
「いやさ、思ったより科学とか進んでるんだなって。代謝とか知られてるし」
「これも転生者からもたらされた知識なんだってさ」
「うわ、この調子だとスマホとかもありそうな気がしてきた。王国の城下町とかビル街じゃないよね?」
「それは問題ない。想像通りのレンガ造りだろうから」
「そこはそうなのね……」
まだまだアルテンシアについて勉強すべきことはありそうだ、と改めて思い知らされたところで、木々の間から大人の男性が二人、こちらに向かって手を振ってきた。
「おぉ〜い、エリーゼちゃん!!」
「木こりのおじさん!?」
「不審者?」
「どう見ても知り合いだろ」
冷静にツッコミを入れるヒロを横目に、エリーゼは村の大人たちに駆け寄った。
双方ともガタイが良く、一人は斧を持っており、もう一人は木材を担いでいた。
「クルトはどうしたの!?」
「転生者が二人もおるもんだから、こりゃ大人の仕事だって村に置いてきたんよ」
「俺ぁ背負う木が少なくなって、むしろ助かったがなぁ」
「そうなんだ……サボりとかじゃないよね?」
「わっかんねえな。隠れて麦餅食ってるんじゃねえか?」
「アイツ帰ったら問い詰めてやる」
「ガッハハ、おっかねぇ姉ちゃん持ってクルト坊も大変だなあ!!」
斧を持った大人が豪快に笑い飛ばした。
「まあ帰るべ帰るべ。転生者の方々も、今日は遅いので村に泊まってくださいな」
「え、良いんですか?」
「ダメ。手続きが先決」
「んでも、暗くなった森はおっかねえからなぁ。す〜ぐに熊やカラスが」
木材を担いだ村人が、転生者たちに夜の森の怖さを教えようとしていた、そのときだった。
音も風もなく襲来したナニカによって、大男は首をもぎ取られてしまった。
「え――」
「エリーゼ!!」
木の幹を足蹴にし、跳ね返るように再びこちらへとナニカが襲い来る。
目の前で起きたことを理解できていないエリーゼがターゲットとなっていたため、ヒロは咄嗟に自分の身体を盾にした。
「ぁがっ!」
顔を防御するように交差させた腕を深く抉られ、強い痛みと共に右腕からドロリとした赤黒いものが流れ出てくる。
「ヒロ!」
「エリーゼ、怪我は!?」
「無事だけど、おじさん達が!!」
少女の泣きそうな声を聞き振り返ると、斧を持った村人が心臓を抉られ、膝から崩れ落ちている様が見えた。
襲撃者は一体ではなく、膝まで程の体躯のギョロリとした大きな目を持つ小猿が4匹、心臓と生首を嬉々として此方へと見せつけるようにして貪っていた。
そして何より、力尽きた村人たちの体は青い光に包まれ、やがて粒子となって待機中へと消えていったのだ。
「え、遺体が消え……え?」
「死んでマナに還った。それだけのこと」
「それだけって!」
あまりにも人の死に対して他人事な姿勢を貫くミライに対し、堪忍袋の尾が切れたヒロは彼女の胸ぐらに掴みかかった。
「お前、人が死んだんだぞ。目の前で、人が!」
「よくあること」
「よくあってたまるか! 死ぬなんてことが」
「ここは日本ではない。アルテンシア」
ミライはヒロを突き放し、襲撃者に左の掌を向けた。
『裂けろ』
そう呟くと同時に、風向きが襲撃者のいる方向へと変わってゆく。
そして集約された大気の刃が、小猿たちの身体を八つ裂きにした。
「ここには、人間の天敵がいる。転生者なら戦わなきゃ」
「一瞬で、アイツらを……」
先ほどまで邪悪な笑みを浮かべて生首を貪っていたモンスター達は、苦悶の形相を浮かべてマナへと還っていった。
「呆けている場合じゃない。周りを見て」
右手を開いて警戒態勢をとるミライに促され、ヒロとエリーゼは視線を右へ、左へと動かす。
ガサガサと草木が揺れ、茂みや木の葉の中から今にも飛び掛からんとする影や視線が確認できた。
その数は十数体ほど。さらに奥から、成人男性の二倍ほどの体躯を持つ、血色のゴリラのようなモンスターの軍勢まで合流してくる。
「うそ、だって、モンスターは群れなんて」
「滅多に作らない。人間や動物だけじゃ飽き足らず、共食いまでする異形だもの」
その危険性ゆえ、各国では発見次第討伐する、もしくは私たちに討伐依頼を出すようお触れが出されている、とミライが付け足す。
1匹だけでも周辺に甚大な被害を出すが、今回はソレが群れを作っていた。今すぐ対処しなければ、この森だけでなく王国も存亡の危機を迎えるという。
それを聞いたヒロは、無いよりはマシと言わんばかりに、かつて斧だった木の棒を構えてモンスターを迎え撃とうとする。
「どうにかするしかない、ってことか」
「当然。統率しているボスが居るはずだから、隙を見て私がソイツを探す」
「え、でもそしたらエリーゼは」
「貴方は転生者だから戦えるでしょ」
「……そう、らしいな」
ヒロは自分の服をちぎり腕の傷を縛り上げ、エリーゼを守る体勢でモンスター達に向き合った。
互いに姿勢を崩さず、睨み合いの時間が続く。しかしゴリラの軍勢は段々と合流してくる。
時間が経てば経つほど不利になってゆく状況をミライが打破しにかかった。
『貫け』
掌を地面に当て号令すると同時に、茂みで睨みを利かせていた小猿の身体を、大地から隆起した土の槍が穿った。
膠着状態が破られ、木の葉に隠れていた小猿たちもミライ達に襲いかかろうとするが、『裂けろ』という真言と共に身体がバラバラに刻まれてゆく。
「残った雑魚は片付けて。私は本丸を倒す」
そう告げると同時に、ミライは突風のようにゴリラの軍勢に突っ込んでいった。
生き残った小猿は仲間の仇と言わんばかりに、ヒロ達へと飛びかかってきた。
だが、ヒロが振り回した木の棒に阻まれ、再び地面に倒れていった。
「ははっ、意外とやれるぞ。俺、ほんとに強くなってる!」
ゴリラのモンスターも、ミライの能力で次々に倒されてゆく。絶命にまでは至っていないようだが、足止めとしては非常に有効的だった。
ヒロの表情が、自信に満ちた笑みへと変わる。吹き飛ばされたゴリラの一匹が、態勢を立て直してこちらへと襲い来る。
倒してやると言わんばかりに、ヒロは雄叫びをあげながら全力で木の棒をゴリラへとフルスイングした。
木の棒はモンスターの鉄拳に吸い込まれてゆき――。
「――え」
乾いた音と共に、二つに折れた。
返しの鉄拳は、少年の顔が希望から絶望へと変わるよりも早かった。無防備な顔面を撃ち抜き、ヒロは彼方へと吹き飛ばされてしまった。
「……そん、な」
残されたエリーゼは愕然とし、立っていられず尻餅をつく。そのまま、逃げるべく芋虫のように後ろへ下がってゆく。
獲物がそんな様子のため、ゆっくり、ゆっくりとゴリラが距離を詰める。より絶望を与えてから食べてやろう、という悪意すら感じる動きだった。
「嫌! 来ないで!!」
悪あがきと言わんばかりに、落としたカゴに盛られていた木の実をゴリラに向かって投げつける。当然そんなものが捕食者に通じるはずもなく、刻々と迫る最期の恐怖に、エリーゼは震えが止まらなくなる。
「やだ、死にたくない、やだぁ!!」
あと一歩で踏み潰せる距離まで迫った襲撃者は、下卑た笑みを浮かべて拳を振り上げた。
それが降ろされると同時に、ゴリラの腕は千切れて落ちた。
エリーゼも何が起きたのかわからなかった。ゴリラのほうは状況を理解すると同時に、無くなった腕を抑えながら苦悶を全身であらわし出した。
「共食い、してるの……?」
そこに立っていたのは真っ白に輝く狼だった。ヒロが吹き飛ばされた方向から襲来し、ゴリラの腕を爪で引き裂いたのだ。
生まれたときから森で暮らしてきたエリーゼも見たことがない種だったため、その神々しい姿とミライの発言から、モンスターが共食いをしているのだと合点した。
狼は的確に、暴れるゴリラの首を噛み切り絶命させた。先ほど木の棒に吹き飛ばされた小猿も起き上がろうとしたが、狼が閃光のように素早く身体を引き裂いていった。
そしてエリーゼに「向こうへ行け」と言わんばかりに一瞥し、マナに還らんとするゴリラの肉を貪り始めた。
「よ、よくわからないけど、今のうちに!」
少しだけ平常心の戻ったエリーゼは、ヒロが吹き飛ばされた方向に足を運ぶ。
すぐさま治療をしたかったが、この森では洞窟などに身を隠さなければ治療薬や治癒魔術が逆効果になってしまうため、どうしようかと考えていた。
幹からへし折れた木々を辿ると、やがて力なく倒れるヒロを発見した。
だが彼の身体からは、腕と顔面に受けたはずの傷が消えていた。
「どうして……だって、この森は」
理解が追いつかないといった様子で、エリーゼは困惑する。物心がついたときからの常識が崩れてゆき、思わず立ち尽くしてしまう。
そんな彼女を知ってか知らずか、ヒロが唸り声を上げながら瞼を開けた。
「……真央?」
「違うわ」
寝ぼけて別人の名を口にした彼に、エリーゼが呆れた様子で返す。
「……なんで生きてんだ俺」
「こっちのセリフよ。怪我も治ってるし」
「本当だ。顔も痛くない」
「転生者って、回復も早いのかしら。本来、治癒魔術とかは使えないはずなんだけど」
「その治癒魔術……ってのは分からないんだけど、この森はそんなにやばいとこなのか?」
そう素朴な疑問を投げかけたが、エリーゼから返ってきたのは悲鳴だった。
新たに手と足が非常に長い不恰好なサルのモンスターが襲来する。その数は五体。アンバランスな身体ながらも、目で追えないほどの速度で木々を飛び移るため身動きができなかった。
「新手か、くそっ!!」
木の棒は壊れ、服は破れ、ヒロは姿を捉えられない相手と丸腰で戦わなければならなかった。
やらなければ、エリーゼが喰われる。喰われる前に、木の幹や大岩に叩きつけられるかもしれない。
たじろぐヒロを助けるように、先ほどの白い狼も合流した。テナガサル以上のスピードで新手の軍勢を迎え撃たんとするが、空中にいる標的へ飛びかかったところを別のテナガサルに背中を踏みつけられ、そのまま落下し地面に叩きつけられてしまった。
絶体絶命。ヒロは弱く相手にならず、エリーゼも連れ去られ、そして狼は重症を追っている。
「俺は、また……!」
あのときと同じだった。大地震で崩れた足場から落ち、真央の手を取れなかった。
己の無力のせいで、何も出来なかった。
彼女に助けられてばかりで、何も返せなかった。
そんな後悔を、再び繰り返そうとしている。
あのとき、真央は何と言っていたのだろうか。
真央は何を思っていたのだろうか。
極限のストレスを受けた脳が、嫌な記憶をフラッシュバックしてゆく。
時間の流れが非常に遅くなり、走馬灯のようにトラウマが脳裏に広がってゆく。
ヒロは膝を突き頭を抱え、絶叫しそうになっていた。
『尋くん!!』
真央の声が聞こえた。
「ヒロ!!」
声の方向へ顔を上げると、テナガサルに捕らえられたエリーゼが、今にも上空から地面に叩きつけられそうになっていた。
エリーゼが助けを求めて手を伸ばす姿が、最期のときに魂へ焼き付いた真央の姿と重なった。
そうだ。ようやく、ヒロは思い出した。
真央が叫んだ願いは、最後まで尋を信じていたからこそのものだった。
『――助けて!!』
エリーゼと真央の願いが同調する。
「ああ」
願いがヒロを包み、太陽の如き光を放つ。
「――必ず、助ける!!」
〜〜〜〜〜〜
恐怖で瞑っていた目の奥を極光が照らす。
導かれるように、エリーゼはゆっくりと瞼を開ける。
「……え?」
瞳には、確かにヒロが映っていた。先ほどまでボロボロだった様子とは一変し、自信に満ち溢れた眼光を、人類の敵に向けていた。
「ヒロ、なの?」
その姿は、英雄譚の勇者そのものだった。
真紅の鎧に緋色の装飾、神が鍛えし剣と盾。鎧兜から覗かせる凛とした表情は、姫の心を和らげるには十分だった。
お姫様抱っこされていたエリーゼは、思わず目を輝かせ、頬を赤らめていた。
「あ、降ろしちゃうの……?」
降ろされ地に足をつけたエリーゼは、少し残念そうな声を上げた。
「――この悲劇を、ここで終わらせる」
姫を下ろしたヒロは、右手で腰に携えた剣を抜き、背中に背負った盾を左腕に装着する。
苛立ちを覚えたテナガサルが三匹、全力で木を蹴った反動で一直線に勇者へと飛びかかる。
しかし、ヒロがすれ違い様に剣を一振りしたことで、二匹の身体が真っ二つとなった。
もう一匹も盾を殴りつけたせいで、トップスピードの反動が腕に響き渡り、骨が粉々に砕けてしまった。
その結果地面に落ちて暴れていたテナガサルは、標的の全く効いていない様子に畏怖して逃げようとする。しかし、背後から煉獄の如き高熱が急接近し、気が付いた時には背中から剣で斬られて断末魔を上げていた。
残った二匹のテナガサルは藁にもすがる思いでボスを呼ぼうと声を響かせる。しかし空を見上げた途端に絶望することとなった。
仲間を殺した戦士が、天より剣を構えて降り立たんとしていたからだ。
そして、ヒロが紅く輝く剣を振るうと同時に、二匹の首は焼け切れた。
「すごい……」
一方的な殺戮を見届けたエリーゼは、ただ感嘆の言葉を漏らしていた。
バターの如く斬られたモンスター達は、断面から発露した炎で燃えながらマナへと還ってゆく。
ヒロは討伐したモンスターには目もくれず、はじめに襲いかかってきたサル達を次の標的にしようとした。
「っ、何か飛んでくる!」
突如、五十メートルは越えているであろう巨木が、ミサイルのように空から飛来してきた。
軌道を読んだヒロは、前に出ながら剣を上段に構えて力いっぱいに巨木を両断する。しかし、巨大な飛来物が地面に落ちると同時に地面が抉れて土しぶきが立ち込めた。
「ヴッギァアアイイイイイイ!!!!」
そのせいで、大地の怒りを彷彿とさせる咆哮が重く空気を震わせるまで、ヒロは新たな敵の接近に気が付かなかった。
巨木に乗って飛来したソレは、ヒト一人なら軽く握り潰せるほど巨大な拳を振り下ろし、ヒロごと大地を割りクレーターを作る。
その正体は、鬼のようなツノの生えた仁王像を思わせる巨大な猿だった。ヒロは直感的に、これがミライの言っていたボスなのだと悟る。
さらにボス猿は、手下の命を何匹も奪った男の息の根を確実に止めようと、抉れた大地の中心に鉄拳を何度も叩きつける。その度にクレーターが深く、そして広がってゆく。
「……遅かった」そんな凄惨な現場に、息を切らせてミライが合流する。
「アンタ今まで何やってたの!?」
「ボスと戦ってた。アレはナカジマでは無理、はやく私の後ろに」
そう言いかけたとき、クレーターから業火の渦が巻き上がり、ボス猿を外へと吹き飛ばした。
上手く着地し警戒姿勢をとるボス猿の目に映っていたのは、炎をバックに剣を携え近付いてくるヒロの姿だった。
先ほどまで傷のついていた鎧は、炎が破損部を舐めると同時に新品のような輝きを取り戻す。
「……何この能力」
ミライが思わず声を漏らし、冷や汗を頬に伝わせる。
そしてヒロは剣を構え、力いっぱいに握りしめる。
すると剣の刃の部分が赤熱し、やがて火炎の渦を発し出した。
標的は群れのボス。そして、その背後でボスを信頼しきっている雑魚たち。
「終わりだ」
ヒロは右足を一歩踏み出し、雄叫びと共に剣を振り下ろし、火炎の螺旋をモンスター達へと解き放った。
木々を燃やし、大岩を切り裂きながら、モンスター達はなす術もなく四肢を刻まれて燃え尽きていった。
「……」
煙が収まり、突如襲来したサルの軍団の完全消滅を確認したヒロは、剣と盾を収めて目を伏せた。
「ヒロ、凄いよ。ほんとに凄い!」
「ぐえっ!?」
戦闘が終わった途端、エリーゼが駆け寄り勇者に抱きついた。
ヒロはそのまま押し倒されてしまい、目を輝かせて装備を触るエリーゼにされるがままとなってしまった。
「これがヒロの能力なんだね!」
「ん、ちょっと待って。能力!?」
ヒロが慌てふためく。
「え。だってあのモンスターの群れをアッサリ倒したじゃん」
エリーゼが指を差した先には、かつて森だった焦土が広がっていた。
そして、いまにもマナへ還ろうとしている、モンスターだったものが辺り一面に散らばっていた。
「……俺が、やったのか?」
「うん。まさに『最強の装備』って感じだった!!」
「最強の、装備……」
ヒロが改めて顕現した装備をまじまじと見つめる。
前世で尋はRPGを好んでいた。そして最強のステータスを持つ装備を主人公に着せてラスボスを討伐するたび、敬称し難いほどの快感に包まれた。
その思い出から『最強の装備』という能力を得た。アルテンシアへと転生したヒロは、そう確信したのだった。
「俺さ。この世界でやりたいことが決まった」
「そうなの?」
「この能力で人々を助ける。そして、真央を探し出す。いつか会えるその日まで、彼女に誇れる俺に」
『裂けろ』
ヒロが決意を新たにしようとしていた横で、ミライが残された狼に掌を向け、大気の刃を放たんとしていた。
「危な、ぐぅっ!!」
ヒロは疲れた身体に鞭を打ち、トップスピードで間に割って入り刃を受けた。
「急に何すんだよ!」
「それはこっちのセリフ」
ミライは溜息をつき、告げた。
「モンスターを庇うなら、貴方を人間とは認めない」
それは彼女がヒロに向けた、殲滅の宣言だった。
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